傷の残った日常(4)
エルとの遭遇があった直後のことだ。ネガとポジはベル達とは違う場所の仕事が言い渡され、敢えなく別行動となった。
立ち去る瞬間のネガとポジの背中からは哀愁が感じられ、聞こえもしない悲しげな音楽がどこからともなく流れてくるようだった。
その別れを特に惜しむこともなく、ベルはキャロルやスージーと共に王城内を再び移動していた。別に今生の別れというわけでもない。惜しむ価値がない。
「そういえばベルさん、何かあったの?」
その途中、ふと思い出したようにキャロルが聞いてきた。あまりに唐突な質問だったので、ベルは歩きながら目を白黒させてしまう。
「急に何だ?どうした?」
「いや、さっきエル様といた時のベルさんが少しいつもと違うように見えたから」
「ああ、分かります。何か、ちょっとだけ距離を取ってる感じがありましたよね」
キャロルの言葉にスージーが賛同するようにそう言って、ベルは見事に静かになった。ならざるを得なかったと言える。
キャロルの指摘は物の見事に正解だった。重要な中身以外の外側は全て見透かされていたと言えるだろう。
距離を取っている感じがあったのではなく、実際に距離を取っていた。そう正解を頭の中に思い浮かべても、それを口に出すには様々なハードルが邪魔だ。言えない話題が今のベルには多い。
「気のせいだろう?」
内心の動揺を誤魔化すように口にし、ベルは二人から目を逸らした。
何でどれだけ伝わるか分からないが、話せない以上は誤魔化すしか道はない。
「本当に?」
追及してくるキャロルに言葉を返そうかと、ベルが返答候補を頭の中に思い浮かべた直後、前方からこちらに迫ってくる巨大な影に気づいた。
ベルと同じタイミングで気づいたらしく、スージーが唖然として、キャロルの袖を引っ張っている。
「先輩、先輩」
「何?何、どうしたの?」
スージーの少し慌てた様子に苛立ちを見せながら、キャロルがスージーの視線の先を見やって、ベル達が発見した人影を同じように見つけたようだ。
そこでキャロルはスージーと同じように唖然としていた。
その前でベルは近づいてくる人物がこちらを見ていることに気づき、軽く手を上げた。迫ってくる人物はその様子を見て、挨拶を返すように軽く会釈してくる。
そして、ようやく対面するという距離になって、ベルが先に声をかけた。
「こんなところに珍しいな、マスター」
「少し野暮用でね」
ベルの驚きを含んだ一言に、グインはそう返してきた。
そこに至って、ようやくキャロルは思い出したのか、ハッとしたかと思えば、納得したように手を叩いた。
「そうだ、思い出した!ベネオラちゃんのお父さんだ!」
「あ、ああ、ああ~!そうだ!そうでしたね!」
キャロルとスージーがグインの素性を思い出し、それまでの怯えすら感じる表情を明るいものに変えていた。
流石のグインも露骨な態度の変化に嫌な顔でもするのではないかと思っていたが、ここは流石のグインだ。この程度のことは慣れているようで、朗らかに眺めている。
「もしかして、ガルシアに逢いに来たのか?」
グインが野暮用と表現したことを考え、ベルは真っ先に思いついたことを口にした。
グインはそれを認めるように首肯し、自分が歩いてきた道を見るように振り返る。
「ちょっとお見舞いに」
「どんな様子なんだ?」
「元気ですよ。失った右腕は戻らないそうですが、気持ちは前向きですし、自分の犯した罪とも向き合おうとしています。俺もできるだけのサポートはしようかと」
「そうか。それは良かったな」
友人が無事だったと語るグインを前にし、ベルは少しだけ寂しい気持ちを感じていた。理由は何となく分かる。ベルとグインは本来、似た立場にいるはずだからだ。
ベルは小人で、グインは獣人。どちらも同じく亜人だが、ベルとグインは決定的に違う部分が存在する。その違いを実感してしまった。
そう考える中で、ふとベルはウルカヌス王国でも一人の獣人と逢ったことを思い出した。そのことを口に出そうかと思ったベルの前で、グインがやや申し訳なさそうに頭を下げてくる。
「すみません。では、俺は行きます。店にベネオラを残しているので」
「ああ、そうか。じゃあ、またアスマと一緒に行くから」
ベネオラを残していると言われれば、ベルとしてもグインを引き止めるわけにはいかない。場合によってはパンテラの存亡に関わる状況かもしれない。
頭を下げるグインを見送り、そのグインを興味深そうに眺めるキャロルとスージーを見つめて、ベルは改めて手帳のことを思い出す。
グインのように残されたものは何もない。あるのは因縁だけだ。
だが、そこから目を逸らせば、過去にはなかった繋がりが今のベルには多くある。キャロルやスージーもそうで、去ったばかりのグインもそうだ。
哀愁漂う別れを経験したばかりのネガとポジもそうで、そこに繋ぎ止めてくれたアスマとの繋がりも忘れてはならないものだ。
手帳は因縁と繋げてくれるが、それらの繋がりは手帳がなくても変わらない。ガゼルを探し出さなくても、今のベルの生活はあり続ける。
ガゼルを探すべきなのか。手帳を破棄するべきなのか。ベルは頭の中に選択肢を思い浮かべ、ずっしりと頭が重くなる感覚を覚えていた。
☆ ★ ☆ ★
王城の外に出たいとアスマが言い出し、イリスは少しだけ悩んだ。アスマを出すわけにはいかないという常識的な悩みではなく、今のアスマが王城の外を出歩いても大丈夫なのかという不安から来る悩みだ。
それでも、外で逢いたい人がいると言われ、その前向きな気持ちを否定する気にはなれず、イリスはアスマと共に王城の外に出ていた。
普段なら、ここにベルもいるのだが、今はまだメイドの仕事中だ。仕事中に呼び出すのも悪いとイリスが説得し、今は二人で外出した状態だった。
もしかしたら、自分がいなければ仕事中に呼び出すつもりだったのかとイリスは考え、流石のアスマもそこまではしないと信じたい気持ちになる。
「どこに向かいますか?」
王都の街中に繰り出し、イリスがそう聞いた時だった。
「殿下?」
不意にそう声をかけられ、イリスは僅かに緊張した。
ここは王城の外だ。アスマに話しかけてくる人物が何者か分からない。
そう考えながら向いた先に立つ人物を見て、イリスはそこにいた男が何者かと警戒心を強める。
その一方で、アスマはそこに立つ人物を目にして、嬉しそうに顔を明るくさせていた。
「アーサー先生!」
「えっ?」
アスマの放った一言に誰よりイリスが驚いた。アスマはさっと声をかけてきた人物に近づいて、その手を強く握っている。アスマに手を握られた男の方が困った様子でいるくらいだ。
「殿下?その方は?」
イリスが質問すると、アスマはそこに立つ人物の腕を引き、イリスに自慢するように見せてきた。
「この方は探偵シャーロックシリーズの作者、アーサー先生だよ!」
「探偵シャーロックシリーズ……?ああ、あの殿下が嵌まっているという。そうなのですね」
納得するイリスに対して、今度はアーサーの方がイリスを何者かと不思議に思っているようだった。遠慮がちにイリスを見ながら、アスマに誰なのかと質問している。
「彼女はイリス。シドラスと同じで、俺の護衛をしてくれる騎士なんだ」
「あ、ああ、そうなんですね。女性の騎士様ですか」
「そう。凄く強いんだよ」
アスマがこれまた自慢するように語り、イリスは何とも言えない笑みを浮かべた。今のイリスには強いという表現が痛いところに突き刺さる。
「ところでアーサー先生はここで何を?」
「散歩中でした。少し行き詰まってしまって」
「もしかして、新作!?」
本当にこの前まで落ち込んでいた人なのかと思う勢いで、アスマがアーサーに詰め寄った。アーサーは戸惑ったように笑いながら、一応は首肯している。
「ただ、まだまだ先は長くて。今回、初めて自分の体験を元にオリジナル小説を書こうと思ったんですけど、それがどうにも難しくて」
アーサーが困ったように頭を掻いた。苦労を口にしてはいるが、その表情は初対面のイリスから見ても、どこか楽しそうなものだ。
「そうなんだー。楽しみだなー」
「あの、もしも、完成したら、最初に殿下にお見せしてもよろしいですか?」
「え?ええ!?俺に!?何で!?」
「この小説を書こうと思ったきっかけをくれたのが、殿下やベルさん達なので、皆さんに最初に読んでもらいたいんです」
アーサーがやや恥ずかしそうにそうお願いすると、アスマは満面の笑みを浮かべて、アーサーの手を再びがっちりと握り締めた。
「うん、分かった。読みに行くよ」
その一言にアーサーはとても嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます。お待ちしてます」
それは王子としてあり得ない約束だったが、その部分を指摘する気にはなれず、イリスも同じように微笑みながら、二人を見守っていた。
☆ ★ ☆ ★
前方から不審者が歩いてくる。そう思ったら、エルだった。
「何をしているのですか?」
シドラスがそう声をかけた途端、エルの足がピタリと止まり、不思議そうに首を傾げる。
「その声はシドラス君?」
「もう一度、聞きます。何をしているのですか?」
その問いを受けて、エルはニンマリと笑ったかと思うと、顔につけていた目隠しのようなマスクを取り、自信満々にこう答えた。
「実験だよ」
「実験?」
シドラスの不思議そうな呟きにエルは首肯し、顔につけていたマスクを手に取る。その裏には何やら魔術で用いる術式のようなものが描かれている。
「これはさっき殿下から貰った目隠し用のマスクなんだけどね」
「ああ、あの山ほど買ったお土産の一つですか」
「せっかくだし、活用しようと思ったんだけど、これをつけると前が見えないから、魔術で前が見えるようにしてみたんだよ」
「それって本末転倒では?」
「そう。同じことを思ったから、今度は一部だけ見えないように改良しようと思ったんだ。予定ではもちろん、血が見えないようにするつもりだったんだけど、いざ完成したら、何故か人の姿が全く見えなくなってしまったんだよね」
「それでさっき不思議そうな顔をしていたんですね」
エルの行動の理由について納得はしたが、理解はできそうになかった。
そもそも、人の姿が見えないのなら、ただ壁にぶつかることなく歩けるだけで、それをつけながら廊下を歩くという行為の危なさは変わっていないのではないかと思うが、そういうことを言っても仕方がない。
恐らく、そういう部分も含めて実験と言うことだろう。
「ところでシドラス君は何を?」
「ウルカヌス王国でのことと、帰ってきてから、ゲノーモス帝国との間にあったことの報告をしてきたところです」
そう答えた瞬間、シドラスの頭にオーランドの手帳の存在が浮かび上がった。そこに書かれていたガゼルに関する記述を思い出し、シドラスは僅かに気まずさを覚え始める。
思えば、あの手帳に関してはエルも当事者と言えるのかもしれない。
そう思っても、手帳が手元にない状態でエルに話す気にはなれない。それはベルの気持ちにも関わるところだ。
「ああ、あの件か。でも、わざわざシドラス君が報告しないでも、耳には入ってるんじゃないの?」
「まあ、どれほど詳細が伝わっているか分からないので、最低限、私の知っていることはお伝えしておかないと」
「真面目だね」
半分褒めるように、半分揶揄うようにそう言われ、シドラスは少し戸惑った。半分だけでもエルに褒められると、シドラスは隠しごとに対する罪悪感を覚えてしまう。
「そういえば、エル様で思い出しましたが、ウルカヌス王国にも……」
少しでも話題を変えようと、ウルカヌス王国に記憶を引き戻したシドラスが、真っ先に釣ってきたものがウルカヌス王国のエルのことだった。
あれだったら、程良くエルも食いついてくれるだろう。
そう思った瞬間、エルがシドラスの話を遮るように手を伸ばした。
「ちょっと待って!その話はそこまででお願い!」
「え?どうかしましたか?」
「うん、あのね、それはね……嫌な予感がするから、もう聞きたくない!」
そう言いながら、顔にマスクをしたエルが逃げるように廊下を走り出した。良く分からないが、既にエルの耳にも話は入っていたようだ。
ただ今の様子を見るに、その入り方は中々に鋭利な入り方だったようで、エルは滅多に見せない快足を披露するように、シドラスの視界から消えていた。
「誰が何を言ったのか……」
呆れるように呟いてから、シドラスは僅かに安堵する気持ちに気づく。
「真面目ではありませんよ……」
その気持ちを抱えたまま、さっきのエルの言葉を否定するように、シドラスはそう呟いた。
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