傷の残った日常(2)
アスラと別れたアスマはその足で魔術師棟を訪れていた。他の目的も兼ねて、最初に訪ねようと思っていた部屋があったのだが、そこは外出中だったらしく無人だったので、アスマは仕方なく、他の部屋を訪問し、そこで久しぶりの顔を見ることになった。
「殿下!?」
動物だったら、全身の毛を逆立てそうなほどに驚き、上擦った声を上げたのはパロールだった。その声に反応し、部屋の中にいたラングがこちらを見ている。
「もう大丈夫なのですか!?いえ、それよりも、どうして、ここに!?」
矢継ぎ早に質問を投げかけてくるパロールに苦笑しながら、アスマはラングとパロールの顔を交互に見やる。
「ほら、ウルカヌス王国から帰ってきてから、まだちゃんと話せてなかったから。二人にお土産もあるんだよ」
そう告げて、アスマは同行するイリスが持っていた袋に手を伸ばした。
「私達にお土産ですか?」
その台詞に驚いたのか、ラングがやや目を丸くして、アスマとパロールが立ち話を繰り広げる現場まで歩いてくる。
「そう。二人に選んできたんだ」
そう言いながら、アスマは袋の中から一冊の本を取り出した。アスラに手渡した本よりも分厚く、知らない人間からすれば何が書いてあるのか、一切読み取れない表紙の本だ。
「これは?」
アスマから本を手渡され、パロールが不思議そうに覗き込んだ。そこに書かれた文字を読んでいるのか、目は僅かに左右に動いている。
「向こうでしか手に入らない魔術の本だって。多分、持ってないと思ったから買ってきたんだけど、持ってた?」
「いえ、私は見たことがありません」
エアリエル王国にはテレンスという魔術に関する書物を集めた魔術師がおり、大概の書物はそこで閲覧できる。仮にパロールが持っていなくても、そこに置かれていれば、パロールは渡された書物を読むことができるだろう。
だが、あくまでそれは借り受けたものだ。自分の物ではない上に、それを購入し、渡してくれた人物がアスマとなれば、パロールの喜びようは当然と言えた。
「ラングにはこれ。たまたま見つけたんだ」
そう言いながら、今度は袋の中から人の身丈ほどある深紫の布を取り出した。
広げてみれば、それはどうやらローブのようだ。
「ラングのサイズだと思うんだけど、どうかな?」
「これはこれは。ありがとうございます、殿下」
お礼の言葉を口にしながら、ラングは手渡されたローブに袖を通している。長さはアスマの言ったようにラングの身長にピッタリのようだ。
「まさか、このような物を頂けるとは」
「ベルの提案もあったんだけどね」
土産の品を購入した時のことを思い出し、アスマが笑みを浮かべながら言うと、ラングが微笑みながらアスマの顔を見返し、穏やかな口調で聞いてきた。
「ウルカヌス王国はどうでしたか?」
「うん。楽しかったよ」
「そうですか。他国に向かったと聞いた時はどうなることかと思いましたが、そのように言い切れる思い出が作れたのなら、大変喜ばしいことです」
「うん、そうだね。向こうにも友達ができたし」
「どのようなお友達ですか?」
そう言われ、アスマは思い出すように目線を上げ、最初に思いついた顔を口に出したようだった。
「まずは一緒に行ったソフィアでしょう?それから、そのお兄ちゃんで虚繭のハムレット。それから……」
「ちょっと待ってください。殿下?今、何と?」
ウルカヌス王国で逢った面々を思い出し、順番に名前を口に出そうとするアスマを遮って、ラングがやや慌てた表情で問い詰めてきた。
「え?どこのこと?」
「ソフィアとは、この国で捕まったソフィア王女殿下のことですよね?」
「ああ、うん。そうだね」
「その兄と仰いましたが、それは向こうの第一王子のお話でしょうか?」
「そう。ハムレットね」
「そのハムレット殿下は何と?」
「虚繭」
あっけらかんと言うアスマに反して、ラングとパロールは目を大きく見開いて顔を見合わせ、互いに言葉を失ったように口をパクパクと動かしていた。
「あれ?これって言ったらダメな奴だったっけ?」
「いや、私は知りませんよ?」
アスマはイリスの顔を見やって質問しているが、イリスはウルカヌス王国に行っていないので、いまいち話の流れが読めない。
虚繭とは何なのかと、さっきから疑問に思っているくらいだ。
「殿下。取り敢えず、私とパロールは何も聞かなかったことにしますので、その話はあまり他言されない方がよろしいかと」
「ああ、やっぱり、そうだった?うん、そうするよ」
「そうしてください……」
ラングとパロールが緊張感を吐き出すように大きな溜め息をつき、イリスは良く分からないが、相当な話を聞いてしまったのだろうということだけは分かった。イリスも分からないなりに黙っておこうと心に決意する。
「二人以外とも仲良くなったんだよ?ソフィアの師匠なんかは向こうの国家魔術師だったんだけど、名前が何とエルドラドって言って、向こうではエルって……」
そこまで口にし、アスマは唐突に何かを思い出したように声を上げた。
「あっ!?そうだ!二人に聞こうと思ってたんだった!」
「急にどうされました?」
「あのさ。エルがどこにいるか知らない?さっき部屋に行ったんだけど、いなくて」
「詳しくは知りませんが、王城内にいるのではありませんか?一人で外を歩き回れる人でもありませんし」
「ああー、そうだよね。探してみるしかないか」
「何か用件でも?」
ラングの質問を受けて、アスマは軽くイリスに目を向けた。その視線で何を考えているか分かり、イリスは何とも言えない表情を浮かべる。
どう言っていいか分からないが、多方面に対する申し訳なさで一杯になる。
「ちょっと言わないとね」
そう言い、軽く何かを飲む仕草を見せたアスマを、ラングとパロールは不思議そうに見つめていた。
☆ ★ ☆ ★
率直に言って、エルの登場にベルは動揺した。エルがそこにいることに緊張しているわけではなく、さっきまで考えていたことを思い浮かべ、湧いてくる後ろめたさにどんな顔をすればいいのか分からなくなっていた。
「あれ?俺の話じゃなかった?」
そう聞いてくるエルにキャロルが笑い、ぶんぶんとかぶりを振る。
「今のはエル様のことではなく、ウルカヌス王国のエル様の話ですよ」
「ウルカヌス王国の俺?どういうこと?」
エルに不思議そうな顔で見つめられ、ベルは動揺を抱えたままながらも、何とか気持ちを切り替えようと、小さく咳をする。
「向こうにもエルって呼ばれる国家魔術師がいたんだ。王女の魔術の師匠だった」
ベルからウルカヌス王国のエルこと、エルドラドのことを聞き、エルは興味深そうに笑みを浮かべていた。
「へぇー、向こうにもエルって呼ばれる魔術師が……どういう人だった?俺と似てる?」
「いや、全く。向こうのエルは人格者だった」
ベルが嘘偽りなく、感じたことを率直に述べると、エルは複雑な顔をしていた。
「それだと俺が人格者じゃないみたいな言い方じゃない……?」
「いや、そうだろう」
ベルははっきりと切り捨て、それから、仕事の前にアスマと話した時のことを思い出す。
「アスマが怒ってたぞ?イリスに変な薬を渡すなんてって」
「あ、あー……ああ、ね……」
「人格者の行動だったか?」
ベルからの一切の反論も浮かび上がらない追及を受けて、エルは複雑な笑みを浮かべたまま、固まっていた。
返事がない。ただの屍のようだ。
「向こうのエルはそういうところのない男だった。非の打ち所がない人格者だ。お前も見習うべきだな」
ベルが動揺を包み隠すように告げると、ベルの言葉を素直に聞いていたエルが目元に薄らと涙を浮かべながら、ベルに聞いてきた。
「何か、今日のベル婆、俺に厳しくない?ベル婆にも何かしたっけ?」
そう言われ、ベルは言葉に詰まる。
何かをしたのかと言えば、それはエルではなくベルの方だ。
「別に気のせいだ。忙しいから、仕事に戻る」
ベルは逃げるようにそう告げ、ネガやポジを押しながら、その場から離れようとする。
「いや、何か絶対怒ってる」
その様子にエルがぽつりと呟く声が聞こえ、ベルは罪悪感に押し潰されそうだった。
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