『テンペスト』

オーランドの手帳

 オーランドの遺した手帳には日記のように体験した出来事が綴られていた。

 以下はその一部をシドラスが読み取ったものである。



   ☆   ★   ☆   ★



 オーランドが大工となって、ようやく三ヶ月が経過しようとしていた頃のこと。オーランドにとって三個所目となる新たな仕事現場が決定した。


 それがエアリエル王国の王城、テンペスト城だった。


 城の一部が古くなり、改修のために大工を雇ったそうだ。城の改修となれば、必然的に人手は必要になる。

 まだ新人であるオーランドが召集された理由も、その人手不足にあった。


 普通の新人大工なら、怖じ気づくほどの大仕事だ。いくら人手が足りないからと言っても、自分達には荷が重いと断る大工もそれなりに多かった。


 しかし、オーランドは違った。テンペスト城の改修などまたとない好機だ。


 他の大工の信頼を勝ち得ながら、テンペスト城というオーランドにとって最終目標だった場所に立ち入ることができる。

 場合によっては、今後の情報取りが楽になる手段を仕込めるかもしれない。


 オーランドは迷うことなく仕事を引き受け、テンペスト城の改修工事に参加した。


 そして、目的の一つであった王城内の情報を入手するための細工は驚くほど簡単に達成できた。


 何の小細工も必要なく、他の大工が見ていない隙に、改修途中の城壁に侵入用の魔術を仕込むことに成功したのだ。


 これほどまでに簡単なら、自分の仕事はすぐに達成されるかもしれない。

 オーランドの手帳には、その当時の喜びまで綴られていた。



   ☆   ★   ☆   ★



 始まりの順調さに反して、その後の情報収集は苦戦を強いられていた。


 特に大きな動きはない。平たく言ってしまえば、報告の全てがそれで片づくのだが、それは帝国に対する動きが確認できないという朗報であり、同時に帝国が付け入る隙が生まれないという悲報でもあった。


 帝国にとって有益な情報を上げられていない。それが必要以上に長く続けば、オーランドは最悪、首を切られる可能性もある。

 自国の情報を明け渡す可能性のあるオーランドを何の成果もなく、ただ放置するはずがないからだ。


 何か動きがないかと、何か付け入る隙はないかと、日に日に募る焦りを抱え、オーランドは常習的に王城の中への侵入を繰り返した。


 その過程で得た情報が魔王の誕生だった。


 帝国は魔術に明るくないが、それでも、魔王と竜の存在は把握している。その脅威も同時に理解している。


 魔王がもしも本当に誕生するなら、エアリエル王国の王都は壊滅するかもしれない。それは帝国にとって十分な付け入る隙となる。


 だが、もしも魔王が誕生すれば、その魔王が帝国に対する脅威となるかもしれない。


 魔王という存在について、オーランドは二つの可能性を考慮し、その処遇を帝国本土に決定してもらうことに決めた。


 そのために報告をまとめ上げ、返ってきた答えが魔王の始末を命令するものだった。


 同時に数人の刺客も派遣され、帝国は魔王誕生が誕生してくる前に、魔王を懐妊したアマナを暗殺しようと試みた。


 しかし、それは失敗。魔王は王都を壊滅させることなく、王都を襲来した竜を退け、誕生した。


 この時のオーランドは王都を包み込んだ雰囲気に反して、強く絶望したと手帳には記されていた。



   ☆   ★   ☆   ★



 魔王であるアスマの誕生以降、オーランドの仕事はアスマの監視に重きを置くようになったようだ。

 アスマと接触する方法を模索し、アスマがパンテラに通い始めた時には、それを一つの好機と判断し、オーランドはパンテラでアスマと接触するようになった。


 そうして、アスマの監視を進める中、アスマの周辺でこっそりと一つの事件が起きた。


 ベルの起こした魔王誘拐事件である。


 オーランドはその事件を当初から把握していたが、特に行動を起こそうとは考えなかった。

 アスマの誘拐自体はオーランドにとって問題ではない。ベルがアスマを殺害することがあれば、帝国の脅威も消えるというものだ。


 それよりかはアスマが誘拐されたことで王国の動きに乱れが生じ、そこに付け入る隙が生まれないかとオーランドは考えていた。


 そちらに意識を向けながらも、アスマの暴走がないように監視も継続し、オーランドは事件の進展を見守っていた。


 しかし、魔王誘拐事件はオーランドの求める展開を生むことはなかった。


 やはり、魔王であるアスマが誘拐されるとなれば、そこに一定の理由が存在すると考え、王国は必要以上に狼狽することがなかった。

 言ってしまえば、それだけアスマが信頼されているということである。


 事件後、事件を起こした犯人であるベルとの出逢いなども手帳には書かれていたが、結局、この一連の事件について、帝国に何も報告しなかったことが最後に記されて、その記述は終わっていた。



   ☆   ★   ☆   ★



 魔王誘拐事件以後、手帳に記される内容は目に見えて少なくなった。ベルという存在がアスマの身の回りに追加され、アスマの監視がそれまで以上に難しくなったのかもしれない。

 その中でも記述が多くなった個所がいくつか存在した。


 その内の一つが竜王祭開催前の記述だった。


 帝国の間者であることが露呈しないように、オーランドは王国にいる間、ちゃんと大工としての仕事もこなしている。

 その仕事を終え、間者としての仕事に移行しようかと考えている途中、オーランドは偶然にも王都の街中でハンクの姿を発見した。


 狼の獣人はどこにいても目立つ存在だ。ハンクの素性は既にオーランドの耳にも入っていた。


 そのハンクが王都を訪れたとなると、何かが起きることは間違いない。

 特に竜王祭の直前となれば、そこに絡めて何かが起きるとオーランドは即座に理解した。


 もしかしたら、ハンクを利用することで帝国が王国に関与するだけの理由が生み出せるかもしれない。

 そこまでは無理でも、帝国が付け入る隙くらいは生まれるかもしれない。


 オーランドの頭は状況から計算を始め、どう動くことが最適かと一気に考え始めた。

 この時の思考の難しさを語るように、手帳にはオーランドの苦悩する様が書き連ねられていた。


 悩みに悩み続けて、オーランドはそもそもの問題点として、ハンクの動きが見えていないことを不意に理解する。そこが解決しなければ、利用するにしても何にしても、物事の転がる方向が見えてこない。


 オーランドはハンクを探る方法を考え、そのための手段として、グインにハンクの情報を伝えることにした。


 これがどう転ぶのかと期待する記述を最後に、竜王祭でのことは夢だったかのように、手帳には何も書かれていなかった。



   ☆   ★   ☆   ★



 竜王祭以降の記述もあったが、本題と思われる記述はハンク発見よりも前に書かれていた。


 時期にして、魔王誘拐事件の発生から一週間ほど経った日のこと。オーランドは王都内を移動中だった。

 アスマの監視のために移動している最中だったのだが、その途中、見慣れた姿を発見し、オーランドの足は自然と停止した。


 それは何度も王城内で見たガゼルの姿と一致していた。


 もちろん、服装は変わっている上に身なりも魔術を用いたのか、年齢の近い別人のように見える姿をしていた。


 しかし、その人物はオーランドの知っているガゼルと全く同じ歩き方をしていた。


 ガゼルが王都内にいる。そう思ったオーランドはガゼルの尾行を開始するが、オーランドの尾行を以てしても、ガゼルの姿はすぐに見失ってしまった。

 恐らく、何らかの魔術の影響だろう。


 とはいえ、例の事件以後、ガゼルの捜索がどれだけ行われたかはオーランドも把握している。

 その中でガゼルが王都にいるのかとオーランドは疑問に思い、ガゼルを発見した場所の周辺をしばらく調べてみることにした。


 結果、オーランドは同様の人物を何度か発見する機会を得た。


 どれも尾行途中で姿を消され、居場所までは特定できなかったが、その調査からオーランドは一つの答えをまとめ、その部分の最後に記されていた。


 ガゼルは王都にいる。



   ☆   ★   ☆   ★



 シドラスが読み上げたオーランドの記述を聞き、ベルの身体は自然と震えていた。

 何に対する震えなのかは分からない。ただ止めたくても震えは止まってくれない。


「ベルさん?大丈夫ですか?」


 ベルの様子に気づいたらしく、シドラスが心配した様子で聞いてくる。その言葉にベルは頷いて、「大丈夫」と返答する。

 実際のところは大丈夫と言える心情では到底ない。


「ガゼルさ……ガゼルの記述を含めて、真偽不明の部分も多いですが、内容の多くはこの国に関する重要な情報です。できれば、この手帳をお預かりしたいのですが、大丈夫でしょうか?」


 手に持った手帳をベルに見せながら、確認を取るように聞いてくる。その質問を受け、ベルは頷こうと、視線をやや下げた。


 そのまま頷くことなく、ベルの動きは止まった。


「もしも、その手帳を王国に預けたら、王国はどうするんだ?ガゼルを探すのか?」

「当然、そうなると思います」


 シドラスがそう答えると、ベルの手は自然とシドラスの手を掴んでいた。オーランドの手帳をシドラスの手ごと握り締めて、微かに震える瞳をシドラスに向ける。


「ちょっと……ほんのちょっとでいいから……待ってくれないか?」


 そして、心の底から湧き出る声で、ベルはそう懇願した。


「もうちょっとだけ……気持ちの準備が欲しいんだ……悪い……頼む……」


 ベルの震える手に触れ、震える声を聞き、シドラスも動揺を隠せない様子だった。

 しばらくベルを見下ろしたまま、沈黙を保っていたかと思えば、やがて、ゆっくりと口を開く。


「分かりました。今しばらく、これはベルさんが持っていてください」


 そう告げて、シドラスはオーランドの手帳をベルに渡す。その手帳を受け取りながら、ベルは小さく頭を下げた。


「ありがとう……」


 消え入る声で呟く自分の姿を、ベルは心底情けないと思いながらも、手帳を掴む手は胸元から離れそうになかった。

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