獣人の慟哭(1)

 急展開を迎えた事態は急速に収束していった。


 王城内で凶行に至ったオスカーとウォルフガングは捕縛され、同時刻に発生したアスラの襲撃は失敗に終わった。速やかにラインハルトとジークフリードも拘束され、王城内での帝国の自由な立場は消え失せたと言える。


 唯一、王国が居場所を把握できていない人物にフェルナーがいたが、既に捜索が開始された王都内でフェルナーが自由に行動することは不可能に思えた。発見されるまで時間はあまりかからないだろう。


 王城内で傷害事件を起こしたオスカーとウォルフガングに言い訳する余地はない。二人の罪は確定的だ。


 その一方で、事件に対する帝国の関与を証明できない状況でもあった。


 アスラを襲撃した犯人は状況から考えるに、フェルナーであるというのが王国政府の結論だった。確証はないが、確信はある状態だ。戦ったライトの証言からも、そこに疑いはない。


 だが、証拠がない以上、帝国にアスラ暗殺未遂の罪を被せることはできない。

 ラインハルトとジークフリードから話を聞こうにも、二人は閉口し、一切の情報を漏らそうとしない。


 それはオスカーとウォルフガングも同じことだ。グインへのヴィンセントの取り調べが気に食わなかったと証言し、自身の行動に別の目的があることは頑なに認めなかった。


 それ故に王国内でも、帝国軍人への処遇は揺れていた。


 財務大臣であるガルドなど、多く軍事に関係しない大臣は帝国軍人の処刑を望んだ。王城内での凶行は紛う方なき重罪である。処罰するべきだという道理だ。確かにそこに間違いはない。


 しかし、軍の最高責任者であるグスタフやブラゴ、ハイネセンの考えは違った。


 明確な重罪を行った軍人とはいえ、帝国軍人をここで処罰すると、帝国との関係がこれまで以上に悪化することは明白だ。場合によっては、今回の一件が口火となって戦争が起きてもおかしくはない。


 そして、それを現在のエアリエル王国は許容できない。対応できないというわけではなく、国際関係上の立場から考えて、エアリエル王国から火種を撒くべきではないからだ。

 ゲノーモス帝国との関係はあくまで均衡を保っておくべきだ。そう考えた時に、帝国軍人の処刑は悪手としか言いようのない手段だった。


 ただし、何の処遇もないことは他の不信感を買うことも事実に思えた。

 特に王国内での分断の原因になり得ないことだ。それはハイネセンやグスタフも望んでいなかった。


 そこでブラゴが一つの策を提案し、国王であるアステラ同行の場にて発表された。


「私からの考えは帝国からの使者全員を使者として送り返したいと思います」


 その発言に処刑派だった大臣達どころか、中立の立場で判断を下そうとしていたアステラも驚いていた。


「ちょっと待て!?あり得ない!?何の処分もしないだと!?」


 驚愕するガルドの発言にブラゴは首肯した。


「はい。我が国では何も致しません」

「それで納得すると思うのか!?」

「落ちついてください。我が国で処分を下すと、他国との不和を生みます。それなら、不和を生まないように自国で処分を下してもらいましょう、というのが私の考えです」


 ガルドを落ちつかせるように口に出された説明に、処刑派だった大臣達は混乱した顔で見つめ合っていた。

 それはアステラも同じことのようで、ブラゴを見る表情は怪訝なものだ。


「騎士団長。どういう考えか、詳細な説明を」

「はい。まず、帝国側の目的ですが、証拠はありませんが、発生した事件から考えるに、王子殿下の暗殺だと思われます」

「当然だ。そうでなければ、このような事態に出るはずがない」


 ガルドがやや溜まった鬱憤を吐き出すようにブラゴの発言に相槌を入れてきた。それを気にすることなく、ブラゴは説明を続けていく。


「結果的に一連の行動は失敗し、現在、帝国からの使者は全て拘束されている状況ですが、拘束された当人を含む帝国側の人間は全て処刑されることを想定しているでしょう」

「何だ?想定された罠だから、何もせずに送り返すというのか?そんな腑抜けた判断を下そうとしているのか?」

「いえ、罠だから何もしないのではなく、処刑されると思っているからこそ、何もしないのです」


 ブラゴの発言に再びガルド達は怪訝げに眉を顰めている。ブラゴの言わんとすることがどうにも掴み切れていないようだ。


「帝国側の立場に立って、お考えください。処刑されると思っていた軍人が全て無事に返されたら、どのように思うでしょうか?」


 ブラゴの問いかけを受けて、言われるままに帝国側の立場に立って考えたのだろう。アステラがゆっくりと理解したように驚いた顔を浮かべ、ブラゴの顔を見やった。


「王国が処罰を下さないように、自身の立場を確保した。つまり、帝国の情報を売ったと思われるのか?」

「恐らくは」


 ブラゴの考えがようやく分かり、処刑派だった大臣達も騒めき始めていた。


「あの帝国のことですから、自国の情報を売った疑いのある兵士をそのままにすることはないでしょう。何かしらの処分が下されることは確実と言えます」

「こちらがわざわざ手を汚さずとも、勝手に処理をしてくれるということか。しかし……」


 ブラゴの考えは良く分かったが、良く分かったことでアステラは悩んでいる様子だった。エアリエル王国の国王として、汚いとも言える判断を下すことに躊躇いがあるようだ。


「陛下。お言葉ですが、優しさで包み込むにも限界があります。どれだけの聖人でも、全ての人を見渡すことは不可能です。敵国の兵士よりも、自国の民を守るべきだと私は思います」


 胸を張って歩くことは偉大だが、それによって近くにいる者を傷つけてしまえば、本末転倒だ。どちらかしか選べないのなら、少しでも、手の届く範囲にいる者を守れる道を選ぶべきだ。

 ブラゴの考えを受け取ったらしく、アステラはゆっくりと首肯した。


 これによって、エアリエル王国による帝国軍人への処罰は決定し、明日、帝国軍人は全員、五体満足のまま、帝国に送り返されることが決まった。



   ☆   ★   ☆   ★



 予定では非常に簡単な仕事のはずだった。王都内に武器を持ち込み、そこで規定の手順で受け渡しするだけだ。

 最も面倒な武器の持ち込みという点も、直前に王都で起きた出来事が関連し、普段よりも簡単に持ち込むことができた。

 それらを王都内で帝国軍人に受け渡せば、それだけでガルシアの仕事は終わりのはずだった。


 だが、帝国軍人の動きは想定よりも速かった。ガルシアが撤退するよりも早くに事態は動き出し、すぐに起きた事件はガルシアの耳に届いた。


 その時になって、ようやくガルシアは帝国の思惑に自身も巻き込まれていることを理解した。


 ただの武器の調達係ではない。帝国は有事の際にガルシアを犯人の一人に仕立て上げ、自分達の犯行を隠す隠れ蓑にするつもりだ。


 そう気づいたガルシアは早々に逃げる準備を始めて、王都を脱出しようとした。

 簡単に立場を築ける仕事だと思ったから引き受けたのだ。その仕事で世紀の大罪人にされては割が合わない。


 しかし、逃げようと思った時には既に遅く、王都は厳重な警備体制が敷かれていた。王都を離脱する者には厳しい審査があって、獣人であるガルシアは目立つ要因しかなかった。


 一足遅かった。そう思っても、厳重な警備体制は変わらない。正攻法での王都からの離脱が難しい以上、ガルシアに残された手段は二つに一つだ。


 王都内で騒ぎが落ちつくまで身を隠すか、別の脱出ルートを確保するかだ。


 安全なのは前者だ。後者は探しても手段が見つかるか分からない上に、リスクがあまりに高過ぎる。手段を発見したとしても、内容によっては獣人であるガルシアには不可能な場合もある。


 こうなったら、王都内で一連の騒ぎが落ちつくまで待つしかない。そう思うのだが、いつまで騒ぎが続くか分からない上に、ガルシアは目立つ獣人だ。王都内でいつまでも息を潜められるとは限らない。


 このままだといつかは。そう考えるガルシアの頭にグインの顔が浮かび上がり、ガルシアは歯を食い縛った。浮かび上がった顔を掻き消すように腕を振るい、近くの壁を殴りつける。

 あの腑抜けたグインに頼ることなどあり得ない。ガルシアは自身の力で生き抜くと心に誓ったのだ。


 何とか現状から脱却し、無事に王都から脱出する方法を考え、ガルシアは自身を鼓舞させようとした。


 しかし、現実は非情だった。


 身を隠したガルシアが人気の少ない路地を移動している最中のことだ。ガルシアの歩く前方から人が姿を現し、ガルシアの前に立ち塞がった。

 俯いていたガルシアはその足元を見やって、誰かと思いながら顔を上げた。


 そして、全身を黒い布で覆った黒い人物と目が合った。


 その言いようのない雰囲気と、僅かに見える目から溢れ出る殺気に気圧され、ガルシアの足は僅かに下がる。


 言葉を交わさずとも、顔を確認せずとも、ガルシアはそこに立っている人物が何者なのか分かった。


 終わりが来た。そう本能的に理解した。

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