謀略の顛末(10)
糸が途切れたように気絶するライトを目撃し、駆けつけたアスマは驚愕していた。
「ライト!?大丈夫!?」
心配したように声を上げるアスマを前にして、同じく駆けつけたベルは思わず袖を引っ張る。
「アスマ!あんまり近づくな!」
ベルがアスマを制止するように声を出した途端、シドラスと剣を交えていた黒い人物の視線がこちらを向いた。顔の大部分が隠され、表情のほとんどは確認できないが、その中でも際立って見える鋭い眼光がベルとアスマを貫く。
「ああぁ……!?」
その視線を前にして、失敗に気づいたベルが口元を押さえるが、その行動すらも答えのようなものだった。
黒い人物がシドラスの剣を振り払い、ライトに向いていた身体をアスマに向けた。駆けつけたアスマの近くにはベルしかいない。見るからに無防備としか言えない状況だ。
その状況を黒い人物が見逃すはずがなかった。
それを察したベルの前で、黒い人物が動き出そうとする。ベルは咄嗟にアスマを庇うように引き寄せるが、ベル一人でアスマを庇い切れるとは思えない。
「アスマ、逃げ……!?」
そう声をかけようとした瞬間、体勢を整えたシドラスが踏み込んだ。黒い人物の行く手を阻むように剣を振るい、黒い人物はこちらに迫ることを断念し、シドラスの剣に対応する。
「どこを見ている?」
黒い人物は軽やかな足取りで、シドラスの剣を往なしながら、距離を作っていた。その間合いの作り方をシドラスは逆に利用し、アスマと黒い人物の間に自身を割り込ませていく。
「ベルさん!殿下を連れて離れてください!というよりも、どうして来たのですか!?」
黒い人物を相手にしながらの叫びだ。激昂するようなシドラスの声にベルとアスマは身体を強張らせながら、言い訳のように口を開く。
「ご、ごめん。つい……」
「す、すまない。止められなくて……」
「早く離れてください!守る対象が増えると厄介です!」
主人である王子に厄介と口にするのは、騎士として問題のない発言なのかと思うところではあるが、実際に厄介であることは間違いなかった。
反論する余地は微塵もなく、ベルもアスマも分かり切っていることなので、言われるままにその場から立ち去ろうとする。
しかし、ベルとアスマが踵を返す直前、その二人の視線を縫い止めるように、黒い人物の狙いが移った。分かりやすく、視線がアスマやシドラスから変化し、近くに倒れたライトに向く。
「あ、ライトが!?」
アスマは咄嗟に声を出し、ライトを狙うように動き出した黒い人物に向かって、片手を突き出した。
何をしようとしたのかは分からない。助けるために走り出そうとしたのか、それとも、魔術を使おうとしたのか、ベルからは判断できない。
ただどちらにしても、ここでアスマが動くべきではない。助けるために走り出せば、相手の思う壺だ。狙いはアスマに代わって、アスマが斬られるだろう。
魔術を放つとするなら、この場所は不適切だ。アスマにどこまで魔術の制御ができるのか分からないが、竜を殺すほどの魔術で王城が無事かは分からない。
「待て、アスマ!」
ベルがアスマの手を引いて、動き出そうとしたアスマを止めた。その行動に驚いたように目を向けてくるが、ベルはアスマを止めるしかない。
「でも、このままだとライトが!?」
「アスマ!ライトは騎士だ!王子であるお前に守られ、お前がどうにかなったら、ライトの面目を潰すことになるぞ?お前がここで動くべきじゃない」
「いや、でも……」
不安そうに視線を戻した先で、黒い人物はシドラスの剣に動きを制御されていた。
それでも、抵抗する相手はライトとやり合った手練れだ。戦いの中でシドラスは僅かに傷を作り、その僅かな傷に侵されるように、動きは次第に鈍くなっていた。
「何だ……?何をしている……?」
シドラスが小さく疑問を呟いても、黒い人物は答えようとしない。代わりにシドラスの剣を振り払い、やや緩慢となったシドラスを振り切るように、視線をライトに向けた。
「やっぱり、ダメだ!助けないと!」
アスマが我慢できなくなったようにそう叫んだ直後、ベルとアスマの脇を風が吹き抜けた。
そう思ったのも束の間、素早い足音が何度も重なって、吹き抜けた風がシドラスを越えていく。
次の瞬間、黒い人物に何かが飛びかかり、気配に気づいた黒い人物は急いで振り返った。ライトに向かっていた足を止めて、振り下ろされた剣に対応しようとしているが、咄嗟に振り抜いた剣では間に合っていない。
「遅い!」
風の正体がそう叫び、剣を勢い良く振り抜いた。黒い人物は剣を何とか躱しているが、完璧に躱すことはできなかったようだ。着ていた服の一部が切れ、黒い布が宙を舞っている。
「セリス!」
現れた人物を目にして、アスマが嬉しそうに声を上げた。
その間も黒い人物はセリスの剣に押され、ライトを狙うことを諦めたように距離を作っている。その隙にシドラスも体勢を立て直し、黒い人物とは二体一の状況が作り出されていた。
シドラスは動きが鈍くなっているとはいえ、対応し切れないセリスと組み合わされば、十分な脅威となる。黒い人物の勝ち目はベルから見ても分かるほどにない。
それを理解しているからなのか、黒い人物は剣を僅かに下げたかと思うと、身にまとった黒い服の下から一斉にナイフを飛ばした。
シドラスとセリスは飛んでくるナイフを剣で打ち落とすが、その間に黒い人物は走り去り、姿を消してしまう。
「逃げたか……」
「追いますか?」
「いや、いい。下手に深追いして、殿下の身に危険が及べば本末転倒だ。それに何か様子がおかしいのだろう?」
セリスが剣を仕舞いながら、シドラスに目を向ける。シドラスは両手を見つめながら、自身の身体の異変に疑問を浮かべているようだ。
「はい。戦いの最中から、やけに身体が重く」
「毒か?」
「いえ、そのような気配はありませんでした。もしかしたら、ライトが苦戦していた理由はこれかもしれません」
「私には変化がないから良く分からないが、気をつけるに越したことはないか。あの人物の見た目と一緒に後で報告しておこう」
シドラスとセリスが会話をしている間に、戦闘が終わったことを確認したベルとアスマが二人に近づいていた。
倒れるライトに何もないことや、僅かに傷ついたシドラスが元気そうにしている様子を見て、アスマはホッとしている。
「シドラス、セリス。大丈夫?」
「大丈夫ではありません!殿下はどうして、ここに来てしまったのですか!?」
「い、いや、心配で……」
「ご自身の立場をお考えください」
「ごめん……」
「私も止められなくて、すまない……」
「はあ……もういいですよ。今回は無事でしたから。ただ次からは考えて行動してください」
「はい……」
しょんぼりと項垂れるベルとアスマの隣で、セリスはライトを起こそうと軽くライトを揺さ振っていた。
ただ怪我を気にした揺さ振り程度でライトは起きる気配がなく、意味の分からない寝言を口にしている。
「起きないな。連れていく必要があるか」
そう言いつつ、ライトを背負うことそのものが嫌なのか、ライトを背負ったという事実が残ることを嫌と思っているのか、セリスは倒れたライトをしばらく見つめたまま、考え込んでいた。
「蹴飛ばして運んでいくスタイルでもいいか?」
「いや、背負ってあげましょうよ」
ベルが困惑した顔でライトを庇護すると、セリスが僅かに眉を顰める。相当にライトを背負うことは嫌なようだ。
そう思っていたら、廊下の向こうから声が聞こえてきた。聞き覚えのある声はだんだんと近くなり、アスマはそちらに目を向けて、嬉しそうに手を振っている。
「皆さん、ご無事ですか?」
それはここでライトが戦っていると、ベル達に教えてくれたアスラとウィリアムだった。
「どうやら、戦闘は終わったようですね」
現場の様子を見ながら、ホッとしたようにアスラがそう口にする。普段は似ていないと感じる兄弟だが、こういう場面で見せる表情はそっくりだとベルは思う。
「こいつは寝てるのか?」
ウィリアムが倒れるライトに気づいて、屈んで覗き込みながら、そう呟いた。
「ちょうどいいところに。こいつをお願いしてもいいですか?」
「え?俺が?」
急なセリスからの頼みにウィリアムが驚いて自身の顔を指差すと、セリスは当然のように首肯した。体良く押しつけた形だ。
「ま、まあ、それくらいはいいが」
そう言いながら、ウィリアムは目覚める気配のないライトを背負う。
その様子に無事問題が解決したと、満足そうな顔をセリスが浮かべる前で、ライトの身体から何かが落ちた。
「ん?何か落ちたな?」
セリスが拾い上げたものを横から見てみると、それは懐中時計のようだった。チェーン部分に黒い布が僅かに絡んでいて、恐らく、さっきの黒い人物が落としたものだろうということが分かる。
「これは……?」
セリスが懐中時計を開こうとした瞬間、廊下の先から慌ただしい足音が聞こえ、その場にいる全員が固まった。
また何かが来たのかと思ったが、今度は敵襲ではなく、王城内の警備を担当する衛兵だった。騒ぎを聞きつけて、ようやく駆けつけたのかと思ったが、どうやら、それだけではないらしい。
何があったのかとセリスが質問し、ベル達はここで起きた出来事の裏側であった、もう一つの事件を知ることになる。
帝国の将官、ラインハルトとジークフリードが拘束されたのは、その直後のことだった。
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