謀略の顛末(8)
右肩の傷も、腹部の傷も、深度的には浅いものだった。痛みこそあるが、日常生活では気にならないレベルだ。普段のライトなら、簡単な治療も施さない可能性だってある。
だが、その浅い傷でさえ、戦闘中は意味を成した。動くことを強要される状況では、浅かったはずの傷も少しずつ深くなり、やがて、動きに影響を及ぼすほどの痛みを生み出し始める。
それだけで十分に傷は障害と言えるのだが、今はそれだけではなかった。
ライトは黒い人物の振り回す剣に対応しながら、次第に重くなる自身の身体の変化に気づいていた。出血が原因の重さに酷似しているが、言ったように傷は浅いものだ。そこまでの出血はない。
ともすれば、この重さは何なのかと疑問に思い、動揺してしまうところなのかもしれないが、ライトは思い当たる節が十分にあった。
以前、ライトは魔術道具屋を訪問し、魔術道具の一部に触れた経験がある。
基本的には魔術師にしか行使できない魔術も、その中身によっては一般人でも扱えることが分かっている。
代表的なものが一式魔術だ。一つの術式で構成された魔術で、効果の軽さと引き換えに誰にでも発動できる条件の緩さがある。
例えば、術式の書かれた紙を破くことで発動できるものが魔術道具屋には売っていて、ライトも竜王祭の時に利用したことがある。
そのような簡易的な魔術がライトの身体を襲っている重さの正体であると、ライトは既に察していた。
対象を剣で斬ること、傷を作ること、血液が刃に触れること等々、条件まで分かったわけではないが、それらの中の何かしらを条件に対象の身体を重くしているのだろう。
物理的な重さではなく、感覚的な重さだ。少しずつ虚脱感を増していると言い換えてもいいのかもしれない。
急激に力を奪うのではなく、真綿で首を絞めるような変化だ。発動条件の緩さと引き換えに即効性こそないのかもしれないが、戦闘に於いてはじわじわとした変化であっても、十分な脅威となる魔術と言えた。
そこに加わるのが黒い人物の身軽さだった。軽快な足取りで距離を作りながら、適度な重さを伴った剣が振るわれる。
どれだけ身体が重くても、ライトに防げない攻撃ではない。速度も不意に投げられるナイフでさえも、妨害と呼ぶには不十分なものだ。
だが、それはあくまでライトが致命傷を負わないという観点からの感想であり、戦闘を終わらせるという意識を持てば、それら小さな妨害が少しずつ邪魔に感じるものだった。
焦りを覚えるほどではないが、長引かせても良い結果は生み出しそうにない。
少しずつ広がる傷も、身体をじわじわと襲い来る重さも、ライトの動きをやがては止めることが確定しているものだ。
この状態が継続すれば、最終的に残るのは黒い人物に斬られたライトの死体であり、それではライトの目的を達成できない。
他の人物が確定的に目の前の人物を相手できると決まっているのなら、ライトは時間稼ぎくらいするつもりだ。死にたくはないが、アスラが殺されるよりはマシと、死すらも受け入れる所存だ。
だが、黒い人物の剣のことは未だライトしか知らない。
ややこしいことにマゼランやフォークを襲った剣と同じに見える剣は、魔術という秘密兵器を隠すのに最適だ。あの剣を知っている人物であれば、その剣に何かが仕込まれているという可能性を考えない。
ライトのように不意打ちの一撃を食らえば、それだけで同じコースを辿ることになる。その逆境を覆せる人物は誰かと考えてみるが、ライトに思いつくのはブラゴくらいだ。
少なくとも、ウィリアムには難しいかもしれない。
それは実力の差ではない。騎士と化け物の違いだ。
頭の中で失礼なことを思い浮かべている間にも、ライトは黒い人物に押されていた。
それも単純に後退しているわけではない。黒い人物の足運びに踊らされ、ライトは少しずつ壁に背を近づけている。
このまま下がり続ければ、最終的にライトはデッドエンドに到着し、文字通りの最期を迎えることになる。
それに抵抗しようと、ライトは黒い人物の剣を振り払いながら、身体を無理矢理に振り切って、黒い人物の側面に回り込もうとした。
しかし、その動きすらも読まれていたように、黒い人物は投げナイフを投げてくる。自然とライトは足を止めて、迫るナイフを打ち落とすしかない。
そうなれば、次に来る黒い人物の剣は、黒い人物の意思通りに避けるしかなかった。
当然、ナイフを打ち落とさないという選択肢もあるが、ナイフを躱すことは不可能だ。足を止めなければ、ナイフは必然的にライトの身体に触れる。
その時に何が起きるかは分からない。ナイフにも魔術を仕込んでいる可能性や毒を塗っている可能性がある。調べる手段がない以上、ライトに残された手段は打ち落とすことだけだ。
黒い人物もそれは分かっているのだろう。
だからこそ、ライトが逃げるタイミングで、ライトの逃げ道を潰す形でナイフを使っている。
流石にいつまでもナイフが取り出せるわけではないはずだ。単純にナイフを服の下に隠しているのか、魔術を利用しているのかは分からないが、どちらにしても、ナイフはその内、底を尽きる。
問題はそのストックよりも、ライトが限界を迎える方が早そうな点だ。逃げそびれたライトは再び黒い人物に押されながら、背後にちらりと視線を送り、迫る壁の位置を確認した。
ライトの人生の終わりまで、残り数歩という距離だ。剣を受け止めて躱し、黒い人物の誘導から逃れるように移動できる機会は残り一度ほどしかない。
つまり、次の行動で失敗すれば、ライトには死ぬ未来しかない。
ラストチャンス。ライトは改めて覚悟を決めて、黒い人物の剣を振り払い始めた。
どれだけライトの動きが鈍くなっても、根本的な黒い人物の強さは変わらない。ライトに致命傷を与えるほどの力はない。技術も足りない。その現実に変わりはない。
対応する余力が残っている限りは、黒い人物の隙を作ることが可能だ。身体の感覚が意識に追いつくギリギリの動きで対応しながら、ライトは黒い人物の剣を大きく払いのけた。
瞬間的に生じる隙は攻撃するには甘いが、位置を入れ替えるには好都合だ。剣を握った手を見れば、ナイフを投げるコースも見えてくる。
そのコースを塞ぐように逃げれば、ライトの移動に合わせて、黒い人物が対応することもできない。
払いのけた剣と腕に隠れるようにしながら、ライトは黒い人物の側面に回り込もうとした。
そこでライトは黒い人物の服の内側を見た。さっきまでナイフを取り出すために、手を突っ込んでいた方と反対の場所だ。
そこに奇妙な模様が描かれていることに気づいて、ライトはさっき自分自身で疑問に思ったことを思い出す。
単純に服の下にナイフを隠しているのか、魔術を利用しているのか分からない。
その答えに気づいた直後、ライトは腕を持ち上げた。
瞬間、ライトの腕にいくつもの鋭い痛みが襲ってくる。
ナイフが突き刺さった。それくらいは見なくても分かった。
黒い人物の側面に回り込むように移動する勢いのまま、その場に倒れ込んだライトが腕の痛みに顔を歪める。
幸いなことに毒を受けた感覚はなかった。魔術の有無は分からないが、身体の重さに変化は見られない。これまで通りに重く、これまで通りに進行している。
ただナイフを直接受け止めた両腕で剣を握ることは不可能だった。腕の痛みに悶えながらも、ライトは戦う手段がなくなったことを悟り、黒い人物を睨みつける。
隠された顔はどれだけ見ようとしても見られなかったが、そこから覗く目だけは見えた。その目が哀れむようにライトを見下ろすことに気づいて、ライトは唇を噛んだ。
そんな目で見られる理由はない。そう思ったが、それを口に出す時間はなかった。
黒い人物は手に持った剣をライトの前で持ち上げて、ライトに振るってきた。一切の躊躇いもなく、剣はライトの首元を狙ってくる。
確定的に突きつけられた死。それに抗うつもりもなく、ライトは諦めるように目を瞑った。
直後、ライトの耳に届いた音は甲高い金属のぶつかる音だった。
「何を諦めているんだ、馬鹿が!?」
不意に聞こえた声に驚いて、ライトは勢い良く目を見開く。
そこには黒い人物の剣を受け止めながら、ライトの様子に激昂するシドラスが立っていた。
「は、はあ……!?シドラス……!?」
「ライト!大丈夫!?」
驚愕するライトの耳に別の声が届き、その声の主を悟った瞬間、ライトはその場に崩れ落ちるように横になった。
「おかえり…なさい……」
そう呟いて、ライトは身体を襲う重さと痛みに負けるように意識を手放した。
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