謀略の顛末(7)
オスカーの狙いはグインに集約されていた。ヴィンセントとグインが立ち並び、オスカーの前に立ち塞がった時も、オスカーはヴィンセントではなく、グインの前に踏み込んだくらいだ。
ただその動きはヴィンセントの予想の範囲内だった。剣を構えたオスカーが素早くグインに踏み込むより速く、ヴィンセントはオスカーの前に立ち塞がり、接近するオスカーを切り払うように剣を振るった。
オスカーは寸前のところで足を止め、身体を逸らしながらヴィンセントの剣を躱し、距離を取るように後退している。
「見え見えだ」
ヴィンセントが口元に小さく笑みを浮かべながら呟くと、オスカーが小さな舌打ちを漏らす。ヴィンセントを睨みつける目には、僅かに悔しさが滲み出ているように見える。
オスカーがグインを狙った理由は至極単純なものだった。
グインが武器を所持していないからだ。王城に連行されてきたグインが武器の一つでも所持していたら、それこそ大問題だ。
武器を持っていないのなら、今のように不意を衝いた一撃は噛ませても、オスカーの剣を真正面から対応することは難しい。
それが分かっているからこそ、オスカーはグインを狙って動き出し、それが分かっているからこそ、ヴィンセントはオスカーの前に立ち塞がった。
とはいえ、当然、オスカーが実際に動き出すまではその考えも可能性でしかない。ヴィンセントがグインを庇うように動き出すよりも速く、オスカーがヴィンセントの前に踏み込んで、隙だらけのヴィンセントを切り捨てる可能性はあった。
だが、その手段は選ばないとヴィンセントが確信した理由もある。
それがグインだ。獣人であるグインは驚異的な膂力を有している。武器を持っていないとしても、十分な脅威と判断される力だ。
もしも、オスカーがヴィンセントを狙って接近し、ヴィンセントを始末したとして、オスカーは残ったグインにヴィンセントを攻撃した隙を衝かれ、強制的に敗北する未来しかない。
そこにグインが反応できない可能性も存在するので、確定的な死ではないが、可能性としては高いその未来をオスカーが選ぶとは思えなかった。
その考えがうまく嵌まったようで、ヴィンセントは笑みを堪えられなかった。挑発と考えられても仕方がない。
実際、ヴィンセントの内側にはオスカーを馬鹿にする気持ちが全くないわけではない。
オスカーの武器はここまでの戦いの中で見えている。
ヴィンセントを圧倒する手数の多さと、その手数を最大限に生かす体捌きの上手さだ。その二つが揃ってしまえば、接近戦においてオスカーを相手できる人物は少ないだろう。
足を掴まれ、水の中に引き摺り込まれたように、じわじわと息が止まるまで追い込まれる。そういう攻めが永遠に続く。
だが、それは言い方を変えれば、一撃で相手を粉砕できるような重い一撃は生み出せないということだ。それができるのなら、相手を追いつめる戦い方は必要ない。
そして、ヴィンセントはどちらかと言うと、そういう戦い方の方が合っている。グインは言うまでもない。
二対一という状況が出来上がれば、必然的にオスカーの手数は生きづらい状況が作れ、瞬間的な火力の押しつけ合いができるようになる。
そうなった時にどちらが有利かは考えるまでもなかった。
それもあって、オスカーはグインを先に始末する道を選んだのだろう。
ただヴィンセントから言わせると、それは愚策と思えた。分が悪い賭けだとしても、相手が二人に増えた段階で、オスカーはリスクを背負う必要があった。
それを拒否したからこそ、オスカーは今のように追い込まれた。
そして、それを見逃すヴィンセントではない。
今でこそ、カフェの店主をしているグインだが、元々はセリアン王国の軍人だ。戦いという場に身を置いていたこともあって、戦闘に於ける機微くらいは察知してくれる。
ヴィンセントが必要以上に言葉を並べなくても、その場で必要とする役割くらいは感じ取ってくれるので、タイミングを知らせるように簡単なアイコンタクトを向けるだけで、グインはヴィンセントの思う形で動き出してくれた。
ヴィンセントとグインが同時に動き出し、オスカーは強制的に対応を迫られることになる。
武器を持っているという優位性を生かし、接近するグインを押し返すことはできるかもしれないが、グインを押し返すという選択肢を選ぶと、その隙にヴィンセントが距離を詰めて、ヴィンセントの剣に襲われることになる。
ヴィンセントが繰り出すのは剣による一撃だ。考えるまでもなく、隙だらけの身体に入ったら、致命傷は免れない。
対応の容易さよりも生存確率の高さ。オスカーの選ぶ基準はそこしかなく、接近するヴィンセントに身体を向けながら、後退することも必然的だった。
ヴィンセントはその隙に乗じて、大きく踏み込んだ。それと同時に握った剣を構えるが、大袈裟な動きではなく、オスカーを押し込むのに必要な最低限の動きで剣を振る。
オスカーの武器は手数の多さだ。それをヴィンセントは攻撃という形で味わったが、まだ防御という形でどのように機能するのか知らない。
もしも、ここでヴィンセントが大振りの一撃を噛まそうとして、そこに生じた隙を突かれたら、それこそ洒落にもならない。
ヴィンセントの剣は細かく、だけど強く、オスカーに打ち込まれ、オスカーはじりじりと更に足を下げた。
その場に横槍を入れるように、グインがヴィンセントの脇から拳を振るった。オスカーの頭部を狙った一撃だったが、寸前のところでオスカーは反応し、上体を大きく下げることで何とか躱している。
ただその動き自体が隙を生み出していた。ヴィンセントは手の届く範囲でようやく生まれた隙に小さく笑みを浮かべながら、オスカーとの距離を詰めていく。
その踏み込みにオスカーが対応するよりも速く、ヴィンセントは剣を振り下ろした。
その動きの直前のことだった。ヴィンセントの踏み込みに対応しようと動き出したオスカーは途中で動きを止めて、視線をヴィンセントから逸らした。
その先にはグインが立っている。そのことにヴィンセントが気づいた瞬間、オスカーは接近するヴィンセントの剣を気に留めることなく、グインに剣を突き出した。
咄嗟の一撃だ。身体能力の優れたグインでも躱せる一撃ではない。
その攻撃を止めるためには、ヴィンセントは振るった剣の軌道を変えるしかなかった。
振り下ろした剣から伝わる確かな手応えを感じながらも、ヴィンセントは表情を苦々しいものに変える。
その前方でオスカーは廊下を更に後退し、傷ついた自身の左腕を右手で押さえていた。
「グインさん。大丈夫ですか?」
ヴィンセントの声掛けにグインは僅かに首肯してから、小さく声を漏らす。
「申し訳ありません」
「いえ、無事なら良かったです」
そう答えながらも、ヴィンセントは確実にオスカーを斬れる瞬間を逃したと理解していた。
今の一撃は本来なら、オスカーの胴体を真っ二つにしていたはずだ。踏み込んだ距離と振り下ろす剣の軌道から、それは間違いない。
だが、寸前のところでオスカーがグインに攻撃し、その攻撃を防ぐためにヴィンセントは剣の軌道を変えざるを得なかった。
その結果、オスカーの左腕を斬りつけただけで、ヴィンセントの一撃はオスカーの命に届くことがなかった。
あの状況で最善の判断ができたオスカーが凄いと言えばそれまでだが、ヴィンセントがグインの立ち位置を警戒していたら、もう少し違った対応ができたかもしれない。
そう思ったら、ヴィンセントは僅かに生まれた後悔が消えなかった。
ただ今の一撃で終わらせることができなかったとしても、有利な状況に変化はない。
もう一回、今のように動き出せれば、今度こそ、オスカーは確実に取れる。
その確信を持って、ヴィンセントが再び動き出そうと、グインに視線を向けようとした。
その瞬間のことだった。ヴィンセントの耳にこちらに迫る足音が届いた。
咄嗟に視線をグインから足音の聞こえる背後に向け、ヴィンセントはそこで僅かに揺らめく光に気づく。
その光の正体を悟るよりも早く、ヴィンセントは暗闇から漏れる殺気に気づいて、咄嗟に剣を持ち上げていた。
瞬間、その剣に別の剣が振り下ろされ、ヴィンセントは僅かに後退した。そのまま、押し切るように剣を突き出され、ヴィンセントは剣を払いのけるように大きく振り抜く。
その動きに合わせて、ヴィンセントに振るわれた剣はオスカーの方に移動し、そこで剣の持ち主が顔を見せた。
それはウォルフガングだった。
「お前は何をしている?」
「いや、すまない。不覚を取った」
そのように話すオスカーとウォルフガングを見ながら、ヴィンセントは引き攣った笑みを浮かべる。
「おいおい、まさか、有名人が二人共揃うのかよ……?」
剣を構えるヴィンセントの前で、オスカーとウォルフガングは揃って剣をこちらに向けてくる。ウォルフガングはオスカーの傷ついた左腕を庇うように立ち、二人に死角は見当たらない。
「だが、これで当初の予定通りに動けそうだ。獣人を狙う必要もなくなった」
「そこまで追い込まれていたのか。まあ、確かに想定外の状況ではある」
そう呟きながら、ヴィンセントとグインを順番に睨みつけるウォルフガングを見て、ヴィンセントはグインに僅かに視線を向ける。
同じようにヴィンセントを見るグインの表情は分かりやすく曇り、ヴィンセントはグインのポーカーの腕前を悟った。
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