絶望の剣(3)

 緊迫した国際状況を表すように、応接室では王国と帝国の睨み合いが続いていた。


 睨み合いと言っても、実際に敵意の籠った視線が交ざり合っているわけではない。王国代表であるハイネセンと、帝国代表であるラインハルトが向かい合って、ソファーに座っているだけのことだ。


 それでも、その空間の緊迫感はハイネセンが軽く汗を掻くほどで、ハイネセンの後ろで護衛を任されたブラゴは一瞬も気を緩めずに、ラインハルトの後ろに立つジークフリードを睨みつけていた。


 当然のことだが、応接室を訪れたラインハルトの目的は争いではない。

 それが目的なら、ソファーに座る前に剣を振るっているはずだ。ラインハルトとジークフリードが相手となれば、たとえブラゴでもハイネセンを守り切れるかは分からない。


 ラインハルト達がこの部屋を訪れた目的はフォーク殺害の最重要参考人であるグインにある。


 パンテラから武器が発見され、グインの取り調べを王城で進めているが、グインにかけられた容疑はマゼラン襲撃とフォーク殺害の二つだ。前者は王国の案件だが、後者は帝国の案件になる。


 その取り調べの権利を主張し、ラインハルトは王城を訪れているのだが、今は何とか、ハイネセンがマゼラン襲撃の一件から、グインの取り調べを先延ばしにしている最中だった。


 もちろんのことだが、ハイネセンも背後に立つブラゴも、現在取り調べを担当しているヴィンセントも、グインの犯行には疑いを持っている。

 確かに凶器と同じ武器は発見されたが、グインには騎士や兵士を襲うだけの動機がない。


 帝国がその部分をどう考えているか分からないが、取り調べを任せて良い結果が導き出されるとは思えない。黒と断定したら白も黒に塗り替えかねない存在だ。

 仮にグインが犯人ではなくても、グインを犯人と決めつけて、強制的にグインの処罰を求めてくる可能性がある。その要求を王国がどこまで往なせるか分からない以上、そこに辿りつかないことが最善だろう。


 そう考え、ハイネセンは取り調べを先延ばしにしたのだが、それもいつまで効果があるかは分からない。次の手を考えないといけないとは思うのだが、そう簡単に手が思いつくはずもない。


 取り敢えず、この応接室に二人がいる以上、下手な行動は起きないはずだ。そこまで計算していたわけではないが、帝国の動きを牽制できている状態と言える。

 この状況を引き延ばせればいいのだが、もう既にハイネセンは限界を感じ始めていた。応接室の中は小動物なら窒息死しそうなほどに空気が薄い。


「そういえば」


 不意にラインハルトが口を開いた。先日までは警戒し、必要ないと言っていたコーヒーに口をつけた直後のことだ。

 応接室内を満たしていた重苦しい空気がその一言で揺れ動き、ハイネセンとブラゴに緊張が走る。


「まだ時間がかかりそうなので、この機会に一つ、お伺いしたいのですが」


 ラインハルトがコーヒーカップをテーブルに置く。そのコトンという硬い音が部屋の中に響き渡り、応接室を包み込む静寂を浮き彫りにする。


「我々の持ち込んだ要望はどのように考えられているのですか?」


 その質問を耳にしてから、しばらくハイネセンはラインハルトの言った意味が分からなかった。

 恐らく、この重苦しい空間に中てられ、思考が現状の事件に向いていたからだろう。


 ラインハルト達が持ち込んだ、そもそもの問題を思い出すまで、ハイネセンは無様にも口を開くことができなかった。


 そして、ようやく思い出した瞬間、ハイネセンはしまったと思った。

 踏み込ませてはいけない領域を見誤り、ラインハルトに言わせてはならない質問を言わせてしまったと、今更ながらに気づく。


 ラインハルトの持ち込んだ要望とは、エアリエル王国がウルカヌス王国と同盟を結ぶなら、ゲノーモス帝国もその同盟に加入したいというものだ。


 結論から言ってしまえば、エアリエル王国とウルカヌス王国が同盟を結ぶ流れが生まれていないので、この要望はすぐに退けるべきなのだが、帝国の思惑がハイネセンには分からない。


 ここで要望を即座に断ることで何らかのリスクが発生するのか、帝国の考えがどこにあるのか、その見極めができるまでは返答ができないと考え、ハイネセンはこの話を先延ばしにしていたのだが、それをここで取り出す猶予を与えてしまった。


 返答は当然決まっていない。それだけでなく、ウルカヌス王国から届いた一報はエアリエル王国との関係性を本当に変えかねないものだった。


 その話が一旦、落ちつきを見せるまでは返答を保留にするべきだ。ハイネセンはそのように考えていたのだが、ここで話を出されたからには一定の体裁は作らないといけない。


 ハイネセンは放置していた問題に触れ、考えもしなかった返答を頭の中で生み出そうと努力しながら、逃げるようにブラゴに目を向けた。


「今は何時だった?」


 それはほんの少しでも時間を稼ぎたいというハイネセンの意思の現れであり、深い意味があるわけではなかった。

 確かに時間が経てば、ウルカヌス王国に行っていたアスマ達が帰ってくる可能性もあるが、都合良く、五分や十分で帰ってくるとは思えない。エアリエル王国に入ったという報告は届いたが、それにしても、まだ数時間はかかるだろうとハイネセンは予測している。


 ブラゴの答える時間を聞きながら、何の意味もない無駄な時間稼ぎだったと、自嘲するようにハイネセンは思ったが、視線をラインハルトに戻した先で、思わぬ効果が現れていることに気づいた。


「時間が関係あるのですか?」


 そう質問するラインハルトの表情は少し強張っているように見えた。

 ラインハルトだけではない。その後ろに立っているジークフリードも同じように強張った顔をしている。


 心なしか、声も硬くなった印象を受け、ハイネセンは何があったのかと疑問に思った。

 今の行動でラインハルトやジークフリードに動揺を与える何かがあったと振り返ってみるが、ハイネセンはただ時間を確認しただけだ。それが帝国に圧力を与えたとは到底思えない。


 もしも思い当たる節があるとしたら、とハイネセンは考え、頭の中で返答を作り上げた。


「いえ、ウルカヌス王国も加わる問題ですから、そちらにも一応、確認を取っているのですよ」


 試しにそのように答えてみると、ラインハルトとジークフリードの表情から、さっと強張りが消え、さっきまでの余裕さが戻ってきたように見えた。


「そういうことですか。でしたら、少し待ちましょうか」


 そのように言いながら、ラインハルトは再びコーヒーカップを口元に近づける。何か安堵したようにも見える返答と行動だ。

 ハイネセンはラインハルトとジークフリードを見つめて、その態度の変化の理由を考えていた。


 強張った表情は何かに焦っているようにも見えた。状況から考えるにハイネセンが時間を確認したことに由来する焦りだとは思うのだが、その焦りの所在が分からない。


 ウルカヌス王国と同盟を結ばれると本当は困るのかと思い、接触していることを伝えてみたが、そちらには寧ろ安堵感すら覚えていた。

 つまり、焦りの理由はそこにはないということだが、そうすれば他に焦る理由がラインハルト達にはあることになる。


 それは何なのかとハイネセンは考えるが、思い当たる節は他にない。


 ただもしかしたら、ハイネセンが苦肉の策で取った時間稼ぎという手段は一定の効果を示したのかもしれない。

 その答えはまだ藪の中にあり、ハイネセンは再び重苦しい空気に浸る必要があった。



   ☆   ★   ☆   ★



 ウォルフガングがそこに現れるとは当然、思ってもみなかった。帝国軍人の目的は未だ不明だが、グインという目の前の獲物に張りついていると、イリスは思い込んでいた。


 だが、ウォルフガングはそこに現れ、イリスに声をかけてきた。その行動の意味をイリスは既に予想できるだけの材料を手に入れていた。


 それはそのまま、イリスの心の内に逃れられない恐怖を生み出した。


「ここで何をしているのですか?」


 再びウォルフガングが質問してくる。

 地面を這うように低い声はイリスの足にまとわりつくようだ。イリスは逃げ出すことも許されていない。


「武器の……武器の入手ルートが気になりませんか?」


 イリスは必死に頭を働かせて、最も無難と思える言葉を導き出した。ウォルフガングに悟られずにこの場を切り抜けるには、この道しかないと考える。


「武器の入手ルート?」

「はい。違法な武器商人の中で獣人が目撃されていましたが、獣人と接触した武器商人は見つかっていません。誰が武器を売ったのか、特定する必要がありますよね?」


 額に浮かぶ汗を感じながら、イリスは何とか口を回していた。緊張感に飲まれれば、ウォルフガングに悟らせる隙を与え、イリスは自分でもどうなるのか想像できない。

 ウォルフガングが強行に出れば、イリスが相手できる可能性はゼロに近いだろう。


 緊張するイリスの前で、ウォルフガングが良く考え込んでから、ゆっくりと首を傾げた。


「それを貴女が調べる必要がありますか?後で兵士に任せればいい」


 そのウォルフガングの言い分を聞き、イリスはこれまでに持ち得た材料と合わせて、帝国の関与が確定的になったと思った。


 もしも帝国が本当に巻き込まれただけなら、その武器を用意した商人が逃げるようなことは言わない。ここで武器商人を発見しないと、グインの逮捕を聞きつけた武器商人が逃げる可能性があることは明白だ。


 それを許容するのは恐らく、そこを重視しない理由があるからだ。

 もしくはそこを調べると不都合な事実が眠っているのかもしれない。


 どちらにしても、相手が一時的に見ても味方ではないと判明した以上、イリスが対面を続けることは危険でしかない。


 ここは早々に引く理由を作り出し、ウォルフガングに納得させないといけない。そう思ったイリスが頭を働かせ、これまでに思ったことから、最もウォルフガングに飲み込ませやすい理由を作り出そうとした。


 だが、この時のイリスは緊張感に飲まれ、冷静に判断しなければいけないポイントを完全に見誤っていたようだ。

 それに気づいたのは、作り出した理由をウォルフガングに言った後のことだった。


「確かにそれもそうですが、武器商人が逃げる可能性もある以上、早く行動した方が良いですよね?」


 そのようにイリスが口にし、それを聞いたウォルフガングが動きを止めた。さっきまで傾げていた首をまっすぐにし、目の前のイリスを見つめたまま、考える仕草を取るように手を顎に持っていった。

 そのまま、僅かに顎を撫でる仕草を繰り返しながら、ウォルフガングはそれまでと変わらない低い声で、「なるほど」と口にした。


「すまない。失念した」


 その謝罪の言葉を耳にして、イリスは自分の持ち出した理由が最悪なものだったと気づいた。

 咄嗟にウォルフガングから逃げるように半歩下がり、イリスはウォルフガングの瞳を見据える。


 その深淵のような両目に飲まれそうな錯覚を覚えた直後、ウォルフガングがイリスの前に踏み込み、持っていた剣を振るってきた。


 イリスの胸元を通過した剣はイリスの服を切っただけだったが、それも恐怖から半歩下がったことで間合いの外に僅かに逸れたからだ。

 もしもあのまま立っていたら、ウォルフガングの剣は確実にイリスの命に届いていただろう。


「何を……!?」


 分かり切っていることを口にしながら、イリスは更に数歩よろめくように下がった。

 ウォルフガングはその様子を気にかけることもなく、イリスの前で剣を構える。


「まさか、最初に気づくのがお前のような半人前だとは。俺も落ちぶれたか」


 そのように口にしながら、ウォルフガングが向けてくる切っ先を前にして、イリスは剣を抜くしか道がなかった。

 それはイリスが最も避けたかった道のはずだった。

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