非情なる謀略(4)

 ベネオラを介してヴィンセントが取りつけた約束の時間が迫り、グインは一人でホテルを後にしていた。


 ベネオラも同行しようと考えていたのだが、自分から話を聞くだけなら、わざわざベネオラの時間を取る必要もないと、気を回したグインに同行を断られてしまった。


 時間を取るも何も元より予定はないのだが、とベネオラは思ったが、それをグインに言っても悲しませるだけだ。

 仕方なく、グインを見送ることに決めて、一人でホテルに残ってから、生まれた時間をどのように使おうかと考えていた。


 パンテラに入った空き巣を探しているというイリスに逢いに行くのは気が引ける。ただ邪魔をするだけだ。


 他の人も思い浮かべてみるが、ベネオラの知り合いは今の時間、絶対に暇ではない。普段のベネオラがそうであるように、今は忙しくしている最中だろう。


 どこに行っても邪魔になる。そうなれば、自分のいられる場所はホテルしかない。


 そう思い、ベネオラは外出を考えから捨て、グインが帰ってくるまで、ホテルで待つことに決めた。

 これが一番、無難だ。


 とはいえ、ホテルに残ってもすることはない。普段は働いている時間で、ベネオラはそういう時間を他に充てる方法が分からない。


 結果、部屋の中にある椅子に座ったまま、ぼうっと天井をひたすらに眺める時間が生まれる。天井には薄らと染みがあって、何も考えずに見ていたら、それが知り合いの顔に見えてくるから不思議だ。


 天井にゆっくりとシドラスの顔が浮かび上がり、唐突に我に返ったベネオラはビックリして、椅子から転がり落ちた。

 自分は何を考えているのだろうと赤面し、床をのた打ち回る。


 そんなことをしている時だった。ベネオラの部屋の扉をノックする者があり、ベネオラはむくりと起き上がった。


 誰だろうかと部屋の扉にしばらく目を向けてから、再度、ノックされた後に聞こえた自分の名前を呼ぶ声に反応し、慌てて扉に駆け寄る。


 扉を急いで開けると、それはちょうどノックのタイミングだったようで、そこに立っていた人物は右手を上げ、扉に振るおうとしていた。


「あ、いた」


 そう驚いたように声を出したのはキナだった。


「キナちゃん?どうしたの?」

「遊びに来たよ」


 昨日、パンテラの前で偶然キナと遭遇した際、ベネオラはグインと共に宿泊しているホテルのことを教えていた。それがあったのでキナが来ても驚きはなかったが、本当に来るとは思っていなかった。


「グインはいるの?」

「お父さんは今、パンテラで人と逢ってるから。何か、事件の捜査に協力して欲しいとかで」

「ふーん、そうなんだ」


 そう呟いてから、キナは少し楽しそうに笑っている。


「どうしたの?何かあった?お父さんに用事とか?」

「ううん。そういうんじゃないよ」


 そう言ってから、キナは少し迷うように視線を動かし、しばらく考えるように俯いてから、ベネオラに悪戯っ子のような笑みを見せてきた。


「お店に行ったのなら、グインは見つけて喜んでるかも」

「うん?何かあるの?」

「うーんとね、内緒」


 そう言ってから無邪気に笑ったキナを見て、ベネオラは首を傾げた。


 何があるかは分からないが、取り敢えず、キナが来たのなら、天井を見つめる時間はもう終わりのようだ。そのことに名残惜しさを覚えるはずもなく、ベネオラはほっと胸を撫で下ろしていた。



   ☆   ★   ☆   ★



 オスカーの同行がどのように影響を及ぼすのか、危惧していたヴィンセントだったが、意外にも大きな影響はなく、前日と同じように違法な武器商人の摘発は進んでいた。


 とはいえ、目立った商人は前日の時点で捕まえているので、今日はうまく姿を隠した武器商人を焙り出す作業が大半だ。昨日ほどの成果は上げられず、凶器を売った商人も発見できなかった。


 そうこうしている間にグインとの約束の時間が迫ってしまい、ヴィンセントはオスカーを同行させるかどうか悩んだが、オスカーを納得させる理由を作って、パンテラまでついてこないように言うことは不可能だった。


 仕方なく、ヴィンセントは獣人の目撃情報を話し、それを調べるために王都在住の獣人に当たることを伝え、オスカーと一緒にパンテラに移動する。


 律義なグインのことあって、ヴィンセントとオスカーがパンテラに到着した段階で、既にグインはパンテラで待機していた。

 空き巣が入ったという荒らされた店内の中にグインはいて、ヴィンセントと一緒に現れたオスカーを怪訝な目で見ている。


「どうも、グインさん。お待たせしましたかね?」

「いえ、こちらが早くついただけですから。そちらは?」

「少し訳あって、捜査に協力してもらっているんですよ」


 ヴィンセントとグインは初対面ではない。アスマを介して数度逢っていて、普段なら、もう少しラフな振る舞いをするのだが、今はオスカーが見ている手前、ある程度はちゃんとする必要があった。

 それをグインも察してくれたのか、ヴィンセントの対応に合わせて、少し堅い振る舞いをしてくれていた。


 そのことにありがたさを覚えながら、ヴィンセントは早速、グインから話を聞こうと思ったが、オスカーの意識はグインではなく、店の方に向いていた。


「これは中々の惨状ですね。どうされたのですか?」


 オスカーには向かう先が店であることや、獣人が店主であることは伝えたが、店に空き巣が入ったことは伝えていない。

 それ故の驚きとは分かるのだが、今はその話をする場面ではない。


「泥棒に入られたんですよ」

「泥棒ですか。それは大変ですね。まさか、このような立地の店に泥棒が入るとは」


 不意に振り返り、オスカーがグインを見上げた。その視線にグインは眉を顰めているが、その反応も当然と言えた。


 確かにパンテラは王都の大通りに面した店だ。通常は泥棒が侵入する場所として選びづらいとは思う。

 だが、だからと言って、この状況を泥棒以外の人物が行ったとヴィンセントは思えない。


 況してや、店主であるグインの自作自演などとは到底考えられない。それは普段のグインを見ていたら分かることだ。


 ただオスカーの視線はその疑いを感じさせるものだった。そこにグインが不快感を覚えても仕方ないことだ。


「オスカー大佐。この店のことは関係ない。我々は今、調べるべきことがあって、その話を聞きに来たのです。関係のない話はやめましょう」


 ヴィンセントがオスカーを窘めようと口にしたが、その言葉ではオスカーを止めることはできなかった。


「確かにそうですが、目撃された人物は獣人だったのですよね?」

「ええ、そうですが」

「獣人がそんなに多くいますかね?それも都合良く、被害者の側に立つ獣人が」


 店の惨状を目撃し、店の立地を考え、そこから疑いを持ったように発言したオスカーだったが、今の発言はそれらを覆し、まるでグインは獣人であるから怪しいと言わんばかりのものだった。


 それはエアリエル王国の方針としても聞き捨てならないものだ。グインが怒り出すよりも先にヴィンセントが怒鳴ろうと口を開きかけた。


 しかし、結果的にはヴィンセントもグインも怒鳴ることはなかった。


 その前にその空間に静寂を落とすように、オスカーが一言呟いた。


「おっと……これは何ですか?」


 それはオスカーが店の奥へと歩みを進めて、カウンターの向こう側を覗き込んだ直後の言葉だった。



   ☆   ★   ☆   ★



 ウォルフガングは静寂の塊だった。イリスと二人で歩いていても、何も言うことはなかった。


 普通なら、イリスの向かう先くらいは聞いても不思議ではないのだが、そのことにも興味がないのか、聞く必要がないと思っているのか、何も聞いてこない。


 その無言がイリスにとってプレッシャーに変わっていた。何も言わないからこそ、ひたすらにイリスを監視する目が強調され、イリスは酷く見られているという意識だけが高まっていた。


 本来なら、イリスはパンテラに向かって、パンテラに入った空き巣の正体を探りながら、グインとヴィンセントが合流する場に立ち会うつもりだった。


 それがイリスの調べていることに関係しているかは分からないが、関係していないと断定できる要素もない。

 獣人の目撃がパンテラに入った空き巣と繋がっているのなら、それは背後に可能性として残っている帝国の関与とも繋がっているかもしれない。


 そこまで想像したら、帝国側の人間であるウォルフガングをパンテラに連れていくことは得策ではないと思えた。少なくとも、イリスがパンテラを調べていることを知られるわけにはいかない。


 何とか他の場所に向かって、ウォルフガングの目を掻い潜らないといけない、とイリスは考えるのだが、元から関わっていないマゼラン襲撃の一件を調べるには、必要な知識がイリスになかった。


 何を調べている人がどれくらいいて、何を調べている人が足りていないのか把握できなければ、動いたところで部外者であることが強調されるだけで、ウォルフガングを誤魔化すことはできない。


 何を調べればいいのか。何度目か分からない呟きを頭の中でして、イリスが必死に考え込んでいたら、ついにウォルフガングが口を開いた。


「ハァー」


 それは肺の中の空気を全て入れ替えるような、深く長い溜め息だった。


「何をしたいのですか?」

「いえ、今、捜査に向かっている最中で……」

「ここは貴国の騎士が襲われた近くだと思いますが、そのような場所まで歩いてきて、何を調べるつもりなのですか?」


 ウォルフガングのその問いにイリスは一瞬焦ったが、ウォルフガングの口にしたことを冷静に思い返し、イリスはようやく頭の中で言葉を並べることに成功した。


「目撃者探しです」

「それは他の者が進めているのでは?」

「ですが、人はあまり割り振られていません。私はそれを諦めたくないのです」


 イリスは何とか理由を作れたことにほっとしながら、ウォルフガングの顔を見上げる。ウォルフガングはしばらくイリスを見下ろしていたが、少し周囲を見回してから、小さく「なるほど」と口にした。

 それを最後にウォルフガングは口を噤んでしまい、再び場は静寂に包まれる。


 だが、取り敢えずは危機を脱したと思いながら、イリスは適当に目撃者探しを始めようかと思った。


 その時のことだ。イリスの視界を横切るように一人の少女が走っていた。


「あれ……?ベネオラちゃん……?」


 それがベネオラに見えたイリスは慌てて駆け寄り、走っていく後ろ姿に声をかける。


「ベネオラちゃん?」


 その声に反応し、走っていたベネオラは立ち止まり、ゆっくりとイリスの方を向いた。その顔は今にも泣き出しそうで、イリスは胸のざわめきを覚える。


「どうしたの?何があったの?」


 イリスが慌ててベネオラに駆け寄って、ベネオラに質問を投げかけると、今にも泣き出しそうだったベネオラが本当に涙を流しながら、イリスに凭れかかるように縋ってきた。


「お父さんが……」

「グインさん?グインさんに何かあったの?」

「お父さんが…………」


 ベネオラの一言はイリスに動揺を与え、イリスはさっきまで感じていた静寂以上の静けさに包まれることになった。

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