急落する王都(1)

 イリスの捜査が一切の進展を見せないまま、事態は進行していた。それも最悪な形での進行だ。


 城壁に仕込まれた魔術の捜査中、騎士のマゼランが何者かに襲撃された。幸いにも一命を取り留めたが、意識は回復することなく、犯人は未だ不明のままだ。

 王国はマゼラン襲撃犯の捜査を開始し、同時に事件の発生を帝国に伝えることで、帝国との交渉を一時的に中断することにした。


 これによって、イリスに与えられた時間は延びたように思えるが、実際はそうではない。


 騎士一人が襲撃され、王都には混乱が広がっている状況だ。その報告は帝国に自由な行動を取りやすくなったことを伝えるだけだ。

 もちろん、ハイネセンやブラゴがそれに気づかないはずがない。帝国に釘を刺しているはずだが、それもどこまで効力があるかは分からない。


 イリスは一刻も早く、王城内に潜む内通者を発見しなければいけない。


 その思いを抱え、新たに決意し、イリスが訪れた場所はマゼランが襲撃された現場でも、その捜査を進めるヴィンセントや憲兵達のいる場所でもなく、アスマ行きつけのカフェ、パンテラだった。


 昨日、マゼランが襲撃される少し前のことだ。荒らされたパンテラをイリスとベネオラが発見した。


 すぐに憲兵による捜査が開始されたが、それもマゼランの襲撃事件が発生し、そちらに人手を割かれているはずだ。ただの空き巣など、捜査は後回しにされていることだろう。


 だが、イリスはこれが本当に空き巣なのかと疑問だった。


 まずはだ。パンテラは王都の大通りに面したカフェで、基本的には大衆の目がつきまとう。空き巣の心理として、この目立つ場所に入りたいと考えるとは思えない。


 仮にそれだけのリスクを冒すとしたら、そのリスクに見合ったリターンがあると考えられる場合だろう。

 カフェであるパンテラにそれだけのリターンがあるとは考えづらく、空き巣が標的に選ぶ場所としては不自然に思えた。


 次に疑問だったのがだ。店内は必要以上に荒らされ、実際に店の売上金が入った箱が盗まれていたが、盗まれた物はそれだけに限られているようだった。

 動揺するベネオラと帰ってきたグインが軽く見た程度なので、他にもない物がある可能性はあるが、思いつく金目の物は盗まれていないらしい。


 特に居住スペースに至っては何も盗まれていないどころか、一切の被害が見られなかった。まるで空き巣が一歩も踏み入っていないような綺麗さだ。

 店内を必要以上に荒らした空き巣が居住スペースを見逃すとは思えない。その被害の少なさは疑問でしかなかった。


 そして、イリスが最も疑っているポイントがだった。


 帝国からの使者が到着し、帝国軍人の一人がパンテラに来店した後に起きたのが今回の事件だ。帝国軍人の来店に理由があったのかは分からないが、このタイミングの被り方を偶然で片づけてもいいのか、イリスには疑問だった。


 この空き巣にも意味があるのではないか。イリスは荒らされた店内に足を踏み入れ、もう一度、現場を見ながら考える。


 この荒らされた店内も空き巣と考えたら不自然だ。客席などもひっくり返され、一通り荒らされているが、そのような場所に金目の物があるはずがない。それは常識的に考えたら分かることだ。


 別の理由があって荒らした。そう仮定したら、盗品が売上金の入った箱だけという点も気になった。


 箱自体はどこでも手に入る物らしいので、適当な場所で破棄すれば跡がつかない。中に入っている貨幣から犯人を特定することは当然、不可能だ。


 つまり、今回の被害は成果よりもいかに特定されないかで標的が選ばれている。そのような気がしてならない。


 もしも、そうだとしたら、犯人は盗むことよりも、店内を荒らすことに目的があったのかもしれない。

 もしくは別の何かを盗むために侵入し、それに気づかれないように特定されない金品を盗んだか。


 どちらにしても、空き巣ではない可能性がイリスの中で高まり、イリスは深く考え始める。


「イリスさん……?」


 不意に入口の方から声が聞こえ、イリスは全身の毛を逆立てた。騎士として、近くに人が近づいていることは気配で分かるはずだが、今は誰かが近づいていることが一切分からなかった。


 咄嗟に身構えながら、イリスは入口に目を向ける。既に休暇という名目がなくなり、今は剣を所持している状態だ。いつでも剣を抜けるように柄に手をかける。


 その様子に驚いたのか、イリスは目を向けた先で、大きく目を丸くしたベネオラと目が合った。その驚きに満ちた表情にイリスは慌てて背筋を伸ばし、何でもないと言わんばかりに手を振り始める。


「ベ、ベネオラちゃん!?どうしたの!?」

「ちょ、ちょっとお店の様子を見に……」


 恐る恐るという感じでベネオラが説明している中、店の外から別の声が聞こえてくる。


「誰かいたのか?」

「あ、うん。イリスさんが」


 そうベネオラに声をかけながら、入口にやってきたのはグインだった。


 居住スペースにこそ被害はないが、店はこの状態だ。憲兵による捜査もまだ進んでいないので、今は現場の保存もあって近くのホテルに宿泊してもらっている状態だった。


 そこから、店が心配になって様子を見に来たのだろう。そこで立ち尽くすイリスを発見し、声をかけたら剣を向けられそうになったとなれば、最悪トラウマになるかもしれない。


「ここで何を?」


 店の外から店内を眺めながら、グインが不思議そうに聞いてきた。


 マゼランの一件は王都全体に広がっているはずだ。グインやベネオラも聞いているはずで、騎士であるイリスがこちらの捜査をしているとは思わないだろう。


「少し気になることがあって。ここを調べようかと」

「いいんですか?事件が起きたことは聞いていますよ?」


 グインの指摘は尤もだったが、イリスは力強く頷いた。


 そもそも、イリスはマゼランを襲撃した犯人について、一定の推測ができている。これは恐らく、多くの騎士が考えていることで、ハイネセンやブラゴも理解していることのはずだ。


 マゼランは王国の騎士で、その実力は語るまでもない。そのマゼランが仮に不意を衝かれたとしても、重傷を負うとは考えづらい。

 それだけの怪我を負うのは、相手がそれだけの相手だったからのはずだ。そう考えた時、必然的に犯人候補は絞られる。


 だが、その続きに手を出せるだけの理由が今の王国にはないだけだ。


 その理由も場合によっては、ここから調べることで作れるかもしれない。イリスはそこまで考えたが、流石にそれは望み過ぎかと思った。

 解決のための進展の一助になればそれでいい。イリスはそう考えることにする。


「お二人は大丈夫でしたか?」


 店がこの状況になって、大丈夫という質問もどうかと思ったが、グインとベネオラは気にすることなく首肯した。

 ただし、ベネオラの表情は少し暗く、大丈夫とは言い切りづらいものだ。


「不安なことがあれば仰ってください。私ができる限りの対応をしますから」


 店自体もそうだが、もしかしたら、店で働く二人の方に理由があるかもしれないとイリスは考え、そのように提案した。

 その場合は二人の保護も検討したいところだが、今の状況でそこまでできるとは思えない。できるだけ自分が守らないといけないかもしれないと、久しぶりに騎士らしいことをイリスは考える。


「今は大丈夫です」


 イリスは少し暗い表情を引き摺りながらも、できるだけ明るい声色でそう言った。

 それとは対照的にグインは少し言葉に迷った様子で、イリスとベネオラを交互に見ている。


「では、一つだけお願いしてもいいですか?」

「はい、どうぞ」

「ベネオラを少しお任せしてもよろしいでしょうか?」


 グインからのその提案にイリスだけではなく、ベネオラも驚いたように目を見開いていた。


「お父さん?」

「ちょっと人に逢って伝えないといけないことがあるんだ。そんなにかかることじゃない。すぐに帰ってくる」


 説明するグインを見上げながら、ベネオラは表情を曇らせ、何かを言おうとしたのか、僅かに唇を動かした。

 それでも声が出てくることはなく、すぐにいつもの笑顔を作って、こくりと頷いている。


「すみません。お願いします」


 その光景を見つめてから、グインはイリスにそう言って、パンテラを立ち去った。


「大丈夫だったの?」


 グインの背中を見送ってから、イリスはさっきのベネオラの表情を思い出し、そのように質問する。

 だが、ベネオラは何も答えることなく、言いにくそうに苦笑を浮かべて、僅かに首を傾げるだけだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る