急転する王都(1)

 その書簡が届けられたのは明け方のことだった。届けられた書簡の内容に目を通し、ハイネセンは重たげに頭を抱える。


 差出人はラインハルトだった。


 王城を訪問したのが二日前。そこから一夜明けた昨日の時点で、ラインハルトは王国政府から、何かしらの返答があると期待していたらしい。


 しかし、実際には王国からの返答も、どのような話し合いが行われているのか報告もなく、未だに王国が動いているのか分からない。

 その不透明さに疑問を感じ、ハイネセンに状況の説明を求めてきたようだ。再びハイネセンとの会談を望んでいるらしい。


 その知らせがラインハルトから届いたこともそうだが、ハイネセンを悩ませる種はそれだけではなかった。


 昨日のことだ。王城にウルカヌス王国からの文書が届けられた。ウルカヌス王国からと言っても、ウルカヌス王国政府からの文書ではなく、ウルカヌス王国に向かったセリスからの報告書だ。


 それによれば現在、ウルカヌス王国は重大な問題を抱えているらしく、その解決にセリスを始めとするこちら側の人間が関与する可能性があるらしい。


 どのようにして、そのような状況に発展したのかと、その報告に目を通した時は思ったが、ウルカヌス王国にはアスマがいることを思い出し、その疑問もすぐに小さくなっていた。


 あのアスマなら、そこがどのような場所であるか関係なく、放っておけないと思った問題に首を突っ込むこともあるだろう。それを止めるのがシドラスやセリスの役目であり、その役目があることも分かっているからこそ、その報告を送ってきたに違いなかった。

 実際、報告書にはその迷いまで透けて見える詳細な状況が記載されていた。


 そして、ハイネセンがその報告書の中で、最も目を奪われた場所がそこだった。


 今回、アスマ達が関与しようとしている問題は、ウルカヌス王国にとって王国の存亡に関わりかねない問題だ。その問題に関与できたとしたら、エアリエル王国は一定の恩をウルカヌス王国に売ったことになる。


 その恩を数倍にするほど恥知らずではないが、その恩をそのままでも一定の友好関係は築けるはずだ。ただ王女を送り届けるだけの予定だったが、場合によっては帝国が危惧しているように、エアリエル王国とウルカヌス王国の同盟もあり得る状況になっている。


 もしも、その状況が築ければ、帝国が何を画策していたとしても、エアリエル王国の背後にはウルカヌス王国という別の大国がつくことになり、その関係性は帝国が想定しているものから逸れることになる。

 帝国の策を看破する必要もなく、帝国の策が無駄になる可能性が高い。


 その状況を見越し、ハイネセンはセリス達にウルカヌス王国への協力を許可したのだが、その直後にラインハルトが動き出したことで、それを待つ時間がないことに気づいた。


 必要となるのは時間稼ぎだが、帝国の軍人を相手にどれだけの時間稼ぎができるのか、想像したところで答えの出ない疑問だ。

 できれば、アスマの不在も含めて、帝国側には動きを知られたくない。


 ハイネセンはラインハルトへの返信を書こうとペンを取るが、そのペンは一向に紙の上で動き出さない。


 どこまでが限界か。氷の張った湖を歩くようにハイネセンは見極める必要があった。

 翌日。翌々日。いろいろと考えてみるが、敵国の中に入ってまで、ラインハルト達は行動してきたのだ。それだけの期間を大人しく待つとは思えない。


 それでも、せめてと思い、ハイネセンは翌日の舞台を約束する旨を認め、ラインハルトに送ることにした。これ以上をラインハルトが許すかは分からないが、これだけはこちら側も譲れないという最低限度の期間だ。

 これで氷が割れないようにハイネセンは祈りながら、ウルカヌス王国に向かった面々の帰還を待つことに決めた。



   ☆   ★   ☆   ★



 昨日、無駄と表現できる一日を過ごしたことに反省し、本日の予定を決めようとイリスは王城内を歩いていた。その途中、兵士の一人に呼び止められ、イリスに逢いたいと客人が来ていることを知る。

 イリスの両親だとしても、一切の連絡なく逢いに来ることは珍しい。それ以外の相手となると、それ以上だ。


 誰かと思いながら、その客人が待っているという部屋に向かうと、そこにいたのはベネオラだった。


「え?ベネオラちゃん?」

「おはようございます。イリスさん」

「おはよう……ていうか、どうしてここに?店は?」

「昨日から臨時休業中です。お父さんがこ……何か用事があるらしくて……」


 奥歯に物が挟まったような言い方をしながら、奥歯に物が本当に挟まっているような表情をするベネオラを見て、イリスは少しの疑問と少しの心配が芽生えてくる。


 パンテラが閉まっていることは分かったが、それにしても、ベネオラがイリスに逢いに来るなど、イリスは全く想像していなかった。


「どうして私に?何かあった?」


 相談したいことがあって、イリスを訪ねてきたと言われたら、イリスにも納得できる部分があった。パンテラが働いているベネオラにとって、年の近い知り合いは限られているはずだ。その中でイリスが選択肢に上がっても不思議ではない。


 しかし、そういうことでもないらしく、ベネオラはかぶりを振った。


「いえ、そういう感じでは……はい。何となく、時間が空いているので、誰かと逢おうかと思って、それでイリスさんが」

「どうして私が?」

「帰ってきたばかりで休みになってるって言ってたので」


 そう言われ、イリスは王都に帰ってきた日のことを思い出した。確かにその時はアスマも不在で仕事がなく、イリスは暇そのものだったが、今は違う。イリスにだけ与えられた使命もあり、申し訳ないがベネオラに暇とは言えない。


 しかし、その理由を完璧に説明することは難しいので、イリスは少し考えてから、ベネオラの誘いをやんわりと断ろうと思った。


「ごめんね、ベネオラちゃん。確かにこの前はそうだったんだけど、今は他の国の軍人が来たこともあって、私も少し仕事があるんだよ」

「あ、ああ、そうなんですね。いえ、こちらこそ、急に押しかけてすみません」


 申し訳なさを顔に表しながら、ベネオラはイリスに頭を下げてくる。


 イリスの知っているベネオラはいくら店が休みだからと言って、わざわざ王城にイリスを訪ねてくるような子ではない。そこに幾分かの勇気や覚悟を乗せて、わざわざ逢いに来てくれたのだろうと想像すると、断るイリスの方こそ申し訳ない気持ちで一杯だった。


 それでも、今のイリスは自由にしている時間がない。与えられた仕事を優先するべきだ。

 そう考えている前で、頭を上げたベネオラが不意に何かを思い出した顔をした。


「というか、やっぱり、あの軍人さんは他の国の方だったんですね。詳しくは分からなかったけど、お父さんと何かあるようだったし」

「え?」


 そのベネオラの一言がイリスの思考を振り切って、ベネオラに意識を向けさせた。


「どういうこと?何かあったの?」

「お店に軍人の方が来たんです。お父さんと話してて、良く聞こえなかった部分もあるし、良く分からなかった部分もあるんですけど、ていこく?の方だとか。あんまりいい雰囲気じゃなかったんで、お父さんと何かあった相手なのかとは思ったんですけど、どういう相手か分からなくて、少し気になってたんですよね」


 パンテラに帝国の軍人が来店した。その情報はイリスにとって、非常に気になるものだった。イリスは考えよりも先に詰め寄るようにベネオラに聞いてしまう。


「いつ?」

「えっと……二日前ですね」


 二日前ということは帝国の軍人が到着したその日だ。その日にパンテラを訪問したと考えると、明らかな疑問が生じる。

 イリスは昨日、帝国の軍人が宿泊するホテルの前にいたが、あの場所からパンテラまで距離があった。偶然入るには遠過ぎる距離だ。


 何か理由があるのではないかとイリスは咄嗟にパンテラのある場所を思い出した。パンテラは王都の中の大通りに面している。あの立地が何かを意味している可能性もある。


「その人はどういう人だった?見た目とか、階級とか……は分からないか……」

「階級?そういえば、お父さんが少佐って言ってたような」

「少佐……?」


 イリスはライトと一緒に見た帝国の軍人を思い出した。その中で佐官は三人いて、その内の二人は有名人だった。ライトは共に大佐と説明していたので、必然的に少佐はもう一人の男だろう。

 確かライトが顔も名前も分からないのに、この王国への使者に選ばれて、何か理由があるのではないかと疑っていた相手だ。


 その相手が王国を訪れたその日にパンテラを訪問した。その行動がイリスは気になり、しばらくベネオラの顔を見つめていた。


「あ、あの、イリスさん?これ以上、お邪魔したらいけないと思うので、私は帰りますね」


 そう言って、部屋から立ち去ろうとするベネオラの腕をイリスは咄嗟に掴んでいた。ベネオラは目を丸くし、イリスの顔を見やってくる。


「あのベネオラちゃん!やっぱり、パンテラに行ってもいいかな?少しの仕事は少しだから、後でも大丈夫だし!」

「え?ええ、大丈夫ですけど、店は開いてないので、私のコーヒーくらいしかないですよ?」

「うん!大丈夫!ベネオラちゃんのコーヒー楽しみだな!」


 笑顔でベネオラに答えながら、イリスはパンテラを訪れた軍人の男が何をしていたのか、検証する必要があると考えていた。

 場合によっては、そこから内通者の正体まで繋がる何かが出てくるかもしれない。


 戸惑いながらも、イリスの同行に笑顔を見せてくれたベネオラと一緒に、イリスは王城を後にする。心の中では、この選択が昨日と同じ結末を齎さないように祈っていた。

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