交錯する王都(6)
発端は昨晩のことだった。何度も考え、迷いに迷った結果、グインはもう一度、ガルシアと話すべきだという結論を導き出した。
ここでちゃんとガルシアと話すことなく、ハンクのように二度と逢えなくなったら、グインは一生蟠りを抱えることになる。その状態でどれだけ仕事がこなせるか、どれだけベネオラに迷惑をかけるか、グインの頭では想像もできないくらいだ。
ガルシアの居場所をグインは知らない。だが、王都にいることは確実だ。
それなら、王都の中でガルシアが宿泊していそうな場所を探せばいい。ガルシアの見た目なら、どれだけうまく隠れようとしても、尻尾が見えることだろう。
グインはベネオラにパンテラの臨時休業を伝え、朝からガルシアを探すために王都を歩き回った。
捜索場所はパンテラを出る前から決めていた。王都には観光客や行商人の利用する宿屋街がいくつかある。それらを順番に回る予定だった。
宿屋街と言っても、全てが同じ宿屋街ではなく、立地や治安によって相場が変わってくる。高い宿では一泊するのに、安い場所にある宿の一週間分の貨幣が必要だと聞いたこともある。
そのどこから探すのかグインは迷ったが、できるだけ一番高い宿屋街から足を運んでみることに決めて、王都の中を移動し始めた。
高い場所から始めた理由は簡単だ。ガルシアの今の生活水準は分からないが、できるだけ良い暮らしをしていて欲しいとグインが思ったからだ。
虎の獣人であるガルシアを目撃し、何もなかったように忘れる人はそういない。ガルシアの特徴を伝え、それを見なかったと聞いた時、相手がガルシアを目撃していたら、確実に情報が手に入るはずだとグインは考えていた。
しかし、現実は甘くなかった。最も相場の高い宿屋街ではガルシアの情報が欠片も出ることはなく、そこから順番に宿屋街のグレードを下げて、グインは聞き込みを続けたが、虎の尾は一向に見えてこなかった。
ガルシアの姿を目撃し、それを綺麗に忘れるとは思えないので、目撃されていないということはそのまま、その場所に出入りしていないことを意味している。
そうして宿屋街のグレードを下げながら捜索を続けた結果、本来なら観光客で賑わっているはずの宿屋街だが、あまりの治安の悪さから王都の外部の人間が寄りつくことはなく、金のない行商人がナイフ片手に宿泊するような宿しかない宿屋街にグインは足を踏み入れることになっていた。
どれだけ治安が悪くても、獣人であるグインを襲おうとする人間はそうそういない。武器を持つことなく、グインは治安の悪い宿屋街を歩くことができたが、そこに至っても、ガルシアの尻尾が見えてこないことにグインは表情を曇らせていた。
イリスやライトと遭遇したのは、その宿屋街を後にした直後のことだ。偶然にも路地で会話する二人を発見し、グインは思わず声をかけていた。
そこまでの思い通りに行かないガルシアの捜索から離れ、違う景色を見たいと本能が欲したのかもしれない。
そこで二人が仕事中であると聞き、もしかしたら、と僅かばかりの希望を持って、二人にガルシアのことを訊ねた。
しかし、結果は期待通りに行かなかった。
もしも目撃していたら、グインと遭遇した時点で、二人の口からガルシアの話が出ていてもおかしくはない。それがなかった時点で分かり切っていたことだ。そう言い聞かせようとするが、落胆の気持ちは消えない。
イリスやライトと別れ、さっきまで歩いていた通りから、一本隣の通りに移動し、そこを歩き出す前にグインは盛大に溜め息をついた。
宿屋街の捜索は一通り終えてしまった。これ以上、思い当たる節はない。
もしも、ガルシアが民家にかけ合って、そこに泊めてもらっていたら、グインが探す方法はない。再び逢うことは叶わない。
ふとグインは王都にやってきたばかりの時を思い出し、遠く空を見上げた。未だにそうであるのだが、当時はグインもいないことから獣人というものが珍しく、王都に店を構える前には獣人が住みついたと少し話題になったくらいだ。
ガルシアも家に泊めてもらうのではなく、そのように家を購入していたら、どこかで話題になっているかもしれないが、仕事で来たと言っていた以上、それは難しいことだろう。
そのように考えてから、グインはふともう一つ、調べていない場所があることを思い出した。
観光客や数日滞在する行商人なら、宿屋に宿泊料を払って、決められた日数宿泊するだけでいいのだが、もっと長期間の仕事がある職業は話が変わってくる。
例えば、オーランドやラファエロのような大工で、わざわざ遠方から出稼ぎに来た場合、宿屋を借りるには期間が不透明で、料金がどれだけかかるか分からず、家を借りるには王都に滞在する期間が短い場合がある。
そういう相手に対して、短期間部屋を貸してくれる場所がある。宿屋に泊まるよりも安く、部屋を借りるよりも去りやすい、と以前、オーランドやラファエロがベネオラに語っているのを聞いていた。
その場所にグインは足を運ぶことにした。そこにガルシアが泊まっている保証はないが、他のどこに泊まっていると分かったわけではない。ガルシアのいそうな場所なら、とにかく探してみるのが今できる数少ないことだ。
その気持ちからグインは期待半分、諦め半分で聞き込みを行ったのだが、その判断が正解だった。
「ああ、いるね。最近、見るよ」
オーランドやラファエロの話を思い出し、向かった先の建物で、グインはその情報を引き出すことに成功していた。
どうやら、しばらく前からガルシアが近くの部屋に泊まっているらしい。短期間その部屋を借りて、王都での拠点としているようだ。
その情報が聞けたことにグインは喜び、その足でガルシアの部屋を訪問した。
しかし、ガルシアは仕事か用事か、外出中だった。そこでガルシアの帰りを待っても良かったが、そうこうしている間に日も沈みそうな時間帯になっている。ガルシアがどれくらいで帰ってくるか分からないが、帰ってきたガルシアと話してパンテラに戻った時には、既に夜を迎えていそうだ。
そのようなことをしたら、ベネオラに余計な心配をかけることになる。ガルシアと対面するのは後日のことにして、今日は帰ることにしよう。
そう判断し、グインはガルシアの宿泊先の情報を手に入れ、パンテラに帰ってきた。途中までは不安だったが、最後の最後で成果を出すことででき、取り敢えずは良かったとグインは安堵する。
しかし、その安堵感もパンテラに到着するまでのことだった。
グインがパンテラに帰ってきた頃、パンテラの中にはベネオラ以外に二人の客人がいた。一人はオーランドで、一人はキナだ。店は臨時休業にしているはずなので、店の扉を開けたグインはその二人がいることに驚いた。
「どうして、二人が?」
そのように聞くグインの前で、三人の視線がグインに向いたかと思うと、不意にオーランドとキナの表情が崩れ、何とも言えない嫌らしい笑みを浮かべた。
「いや、何でも」
「いつものことだよ」
そのように二人は言っているが、明らかに何かあると分かる顔なので、グインはベネオラに何があったのかと聞こうとする。普段のベネオラなら、グインの質問に笑って答えてくれるはずだ。
しかし、この時は違った。
「ベネオラ」
「ああ、うん!?お帰りなさい!?ちょっと夕飯の準備を始めてくるね!?」
何かとても慌てた様子でそう言って、ベネオラは店の奥に消えていく。その姿を唖然とした顔で見送るグインの前で、オーランドとキナはニヤニヤと笑っている。
「何だ、一体?」
その光景にグインは不安しか覚えなかった。
☆ ★ ☆ ★
勢い良く開かれた扉に驚いて、オーランドは思わずコーヒーを吹き出しかけていた。ベネオラも拭いていたカップを落としそうになり、慌てて受け止める。
「大スクープ!」
盛大に扉を開いて、大きく叫び始めたのは、少し前にパンテラを飛び出したキナだった。
「何だ、キナちゃんか」
「あれ?オーランドさんもいるんだね?」
「いたら悪いのか?どうしたのよ?コーヒーを零しかけたんだけど?」
テーブルにつくオーランドの姿に、一瞬我に返ったキナだったが、そう聞かれたことですぐに再び興奮していた。
「大ニュースだよ!見ちゃったんだよ!」
「見ちゃった?」
コーヒーを啜りながら首を傾げるオーランドの前まで歩き、キナはベネオラとオーランドの顔を見比べながら、何を見たのか熱く語り始める。
「ほら、グインの話を聞いて。グインを探しに行ったんだよ」
「らしいね。見つかったの?」
「全然見つからなかったんだけど、途中でやっと見つけられたんだ」
「それは良かったね。それで?何を見たの?」
「ちょうどその時だよ。グインは路地で誰かと話してたんだけど、その相手が若い女の人だったんだよ!」
「え?」
キナの一言にオーランドの手は止まり、ベネオラはカップを拭く体勢のまま、石膏を流し込まれたように動かなくなった。
「ベネオラちゃんよりは年上かな?でも、結構若かった。その人と親しそうに話してたんだよ」
「えーと、待って。それって、もしかして……」
「多分、あれがグインの恋人だよ!」
「へぇ~」
キナの発言にニヤニヤと笑い出すオーランドの一方で、ベネオラはカップを拭く体勢から動き出せずにいた。
自分の知らないところでグインが女性と逢っていた。それも若い女性で、もしかしたら、それがグインの恋人かもしれない。
それはつまり、ベネオラの母親になるかもしれない相手ということだ。
「もしかしたら、ベネオラちゃんにお母さんができるかもしれないね」
「あ、本当だ。そうなるね!」
キナとオーランドが笑顔でベネオラを見たことで、ベネオラはようやくぎこちない笑みを浮かべる。
「そ、そうですね」
そう言いながら、ベネオラは何とも言えない気持ちを胸の中に感じ、それを紛らわせるためにカップを拭く手を動かし始めた。陶器の表面を削る勢いで、カップを磨いていく。
「お父さんにはいろいろと苦労をかけましたし、幸せになってくれるなら、それに限った話はないですね」
そう言いながらも、ベネオラの手の動きはどんどんと速くなっていく。その様子を流石にオーランドも不思議に思ったのか、そこまでの笑みを少し消し、ベネオラの手元を困惑した顔で見てきた。
「あれ?大丈夫?そのカップ砕けない?」
「大丈夫ですよ。拭いているだけですから」
「いや、摩擦で燃やそうとしているようにしか見えないよ?」
ベネオラの手は止まることなく加速し続け、カップよりも先に持っていた布巾が限界を迎えかけた直前、パンテラの入口の鐘が鳴った。
その音を聞いたベネオラ達の視線が入口に向かい、そこで店の中に入ってくるグインの姿を確認する。
「あ、帰ってきた」
「笑顔で出迎えないと」
オーランドとキナの呟く声が聞こえ、ベネオラは素早く動かしていた手を止める。
めでたいことである。その気持ちとは裏腹にベネオラはグインに何を言えばいいのか分からなくなっていた。
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