交錯する王都(5)
不自然に思われないよう慎重に足取りを選びながらも、咄嗟に身を隠せる物陰が周囲にあることを確認し、必要以上に距離を詰めないことを意識して、イリスとライトの尾行は継続していた。
普段の尾行なら、ここまでの慎重さが求められることは少ない。相手がどれだけの犯罪者だとしても、常に警戒心を持っているとは限らないからだ。ただ単純な尾行で相手にばれることは少ない。
しかし、今回は事情が違った。相手は帝国の軍人である上に、ここは相手から見て敵国のど真ん中だ。警戒するだけの理由しかなく、どの程度の範囲まで踏み込んで、相手に悟られないか分かったものではなかった。
場合によっては、これがきっかけで小競り合いに発展しないとも限らない。
さっきまで様子のおかしさを見せていたライトも流石に真剣な面持ちで、見失わない程度の距離を保つことに精一杯の様子だった。
ウォルフガングとオスカーの尾行を続けながら、疑いを持つライトの様子に意識を向けていたイリスだが、その真剣な雰囲気を見たことで、渦巻いていた疑惑を少しずつだが軟化させていく。とてもウォルフガングやオスカーと繋がっているとは思えない雰囲気だ。
不意にライトが軽くイリスの袖を掴み、小さく引っ張ってきた。その突然の行動にイリスが目を丸くしていると、ウォルフガングとオスカーに目を向けたままのライトが、二人のいる前方に指を向ける。
「路地を曲がりそうだ。見失わないように曲がったタイミングで距離を詰めるよ」
「分かりました」
通りの少し先で足を止めたウォルフガングとオスカーに気づき、イリスはライトの言葉に首肯した。
その間にもイリス達は咄嗟に距離が詰められるよう、立ち止まった二人にギリギリまで接近していく。
「さっきから気になってるんだけどね」
そこで不意にライトが口を開き、イリスは怪訝げにライトを見た。
「どうしました?」
「あの二人の歩き方。気にならない?」
「歩き方?」
イリスはここまで尾行してくる中で、先を歩く二人がどのような様子だったか思い出してみるが、そこに気になる様子は見つからない。
「ここって王都の中で、普通はあの二人が知らない場所だよね?」
「ああ、そうですね。知っているとしたら、情報が漏れていることになりますからね」
そう口にしてから、イリスは自分の失敗に気づいて、心の中で顔を歪めた。内通者の捜索を極秘に任されている中で、その情報に繋がるような発言をするべきではなかった。
もしも、ライトが内通者だとしたら、今の発言で警戒される可能性がある。
そのように危惧したが、ライトはイリスの発言を気にする素振りも見せず、先を見つめたまま話を続ける。
「そうなんだよね。だけど、さっきから二人は迷っている様子がないんだよね?ようやく立ち止まった今、路地を確認している様子だけど、そこまで一切の迷いが見えないのって気にならない?」
そう言われたことで、イリスはライトの言いたい違和感に気づいた。
ここまでウォルフガングとオスカーは周囲に目を向けることもなく、ひたすらに前を向いて歩いていた。ここが敵国の王都であることを考えると、その目的地の定まった歩き方は確かにあり得ない。
明確な目的がなく、ただ王都を歩いているだけだとしたら、周囲に少しは目を向ける機会があるはずだ。そもそも、敵国の中で目的もなく外に出るかと聞かれたら、そこから疑問でもある。
仮に目的があるとしたら、その目的に沿った場所を探すような素振りを見せるはずだ。それが一切なく、どこにあるのか分かっている動きを取れる場所ではない。
「流石に何か理由があっての外出だと思うんだけど、仮に散歩だとして、それでも、もう少し周りに目を向けるよね?」
「確かにそうですね。まるで外を歩くこと自体が目的みたいな……」
その自分自身で発した言葉にイリスが違和感を覚える直前、ウォルフガングとオスカーがついに路地へと曲がった。完全に姿が消えたことを確認して、ライトはイリスに合図を出し、二人はその路地に一気に近づいていく。
そこで急に曲がることなく、ライトが路地に繋がる角に身を隠すように張りつき、その路地を覗き込んだ。
その途端、ライトは堪え切れなかったように声を出す。
「あれ?」
「どうしました?」
「いや、姿が消えてる……」
「え?」
ライトの後ろから身を乗り出し、同じようにイリスも路地を確認する。
そこを歩いているはずのウォルフガングとオスカーの姿はなく、路地には人っ子一人見当たらない。少し距離が空いていたとはいえ、見失うほどではなかったはずだ。
しかし、姿が完全に消えていることにイリスとライトは驚くしかない。
「撒かれたってことですか?」
「いや、そんなはずは……」
ライトが確認するために路地に踏み込み、それにイリスも続こうとした時のことだった。路地の中ほどに捨てられていたゴミが揺れ、一気に盛り上がった。
その光景を一歩外から見ていたイリスは、そのゴミの下から飛び出した何かの姿をはっきりと目撃し、咄嗟にライトに向かって叫んでいた。
「ゴミの中です!」
イリスの叫び声に反応し、ゴミの山に目を向けたライトが、そこから飛び出したオスカーの接近に気づき、懐からナイフを取り出した。オスカーの握った剣が振り下ろされるも、その咄嗟に取り出したナイフで、ライトは何とか往なすことに成功する。
その直後、ゴミの中からもう一つの膨らみが現れ、今度はイリスに向かって何かが接近してきた。イリスは護身用に所持していた小剣を取り出し、迫る何かに振るったが、その軌道を躱すように、迫る何かはイリスの懐に踏み込んできた。
その距離になって、イリスは眼前に迫るウォルフガングの眼光に気づき、そこに籠った殺気に死をイメージする。
(やば……!?死ぬ……!?)
脳が理解し、恐怖が這い上がってくる直前、オスカーの剣をナイフで往なしていたライトがオスカーの腕を掴み、その勢いを逸らすように身体を一気に回転させた。
「おらぁ!」
雄叫びを上げながら、ライトは掴んだオスカーの身体を投げ飛ばし、オスカーをウォルフガングにぶつける。その動きによって、体勢を崩したウォルフガングの一撃がイリスの眼前を通過し、イリスはようやく湧いてきた恐怖に思わず後退ってから座り込んだ。
「何をするんだ!?」
ライトがナイフを構えたまま、襲ってきた二人に叫んだことで、襲ってきた二人は動きを止める。そのまま、わざとらしくイリスやライトを眺めてから、小さく笑みを浮かべて剣を納めていた。
「これはこれはすみません。何者かに尾行されていると思ったので、てっきり強盗か何かかと思いました」
その一言にライトは不愉快そうに眉をピクリと動かす。イリスとライトの尾行にウォルフガングとオスカーは気づいていたそうだ。
「流石に強盗ではなかったようで。王国の兵士ですかね?」
イリスとライトを舐め回すように見つめながら、オスカーがわざとらしく口にした言葉で、ライトは明確に苛立ちを募らせていた。
ただそれが見え透いた挑発であることも確かだ。ライトはナイフを収めて、二人に軽く頭を下げる。
「申し訳ありません。私は王国によって命令され、お二人を監視していた騎士です」
「ほう、王国の騎士様でしたか。これは失礼」
「しかし、そのようなことを仰っても問題ないのですか?」
ウォルフガングは質問の言葉を口にしながら、睨みつけるようにライトを見ていた。それは敵意というよりも、警戒心に見える視線だ。
「わざわざ火種を作るくらいなら、こちらの手の内を曝け出しますとも。それにその意義もお二人ならお分かりになっていただけると思っています」
敵国に踏み込んだ際の正当な対応。それを明確に提示することで、ライトはウォルフガングとオスカーの剣が再び抜かれる可能性を無事に潰していた。
その対応を前にしたオスカーが合格と言わんばかりに笑みを浮かべ、「ええ、もちろん」と返答している。その上から目線にライトは気に食わない様子だが、流石にそれを態度に出すほどの馬鹿ではない。
「ですが、ご安心ください。私達はこれから食事に向かうだけですので。何でしたら、御同行いただいても問題ありませんよ」
オスカーの提案に少し迷いながらも、ライトは乗ることに決めたようで、「そうさせていただきます」と返答している。
「では、行きましょうか?」
オスカーとウォルフガングが並んで歩き出し、その背中をしばらく見つめてから、ライトはイリスの元に近づいてきた。
「イリスちゃん、大丈夫?」
「ええ、大丈夫です。すみません。早く行かないと」
そう言って立ち上がろうとするイリスを制止し、ライトは苦笑いを浮かべる。
「もう大丈夫だよ、イリスちゃん。ここからは俺一人で行くから」
「いや、でも……」
「それにほら、もう分かったでしょう?流石の俺もこの仕事をさぼったりしないって」
照れ臭そうに頭を掻きながら言うライトを見て、イリスはゆっくりと首を傾げた。
「はい?」
「ん?」
「今、何と?」
「いや、だから、イリスちゃんは俺がさぼらないように監視するよう言われたんでしょう?」
その一言にイリスはしばらく固まり、ゆっくりとここまでの出来事を思い返し始めた。
ライトと偶然にも遭遇し、何となくの思いつきと都合の良さから、ホテルの監視を自分も手伝うとイリスは提案した。
その際のライトの反応に疑いを持ったが、その反応の意味を『内通者である』ではなく、『自分の仕事を監視されている』に置き換えると、一気にライトの考えが見えてくる。
「そ、ういうことか……」
イリスはがっくりと項垂れ、愕然とした。今日一日は一体何だったのかと考えたら、悲しみしか湧いてこないので、もう考えないようにする。
「あれ?違った?」
「いえ……そうです……なので、早く追ってください……」
イリスが路地の先を指差し、ライトはその動きに促されるように路地の先に歩き出した。最後に「ごめんね」とライトは残し、その一言が項垂れたイリスの上に重く伸しかかる。
本当に自分は馬鹿だったと考え、イリスは自嘲気味に笑う。ライトが内通者である可能性など、猿が兵士になる可能性よりも低いものだ。それを本気で考えるなど、自分はどうかしていた。
こうして、イリスの貴重な一日は終わりを迎えた。
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