交錯する王都(4)

 時間は空に浮かぶ雲よりもゆっくりと流れ、張りつめた緊張感の中、イリスはライトと共にホテルをひたすらに眺めていた。そこに動きがあれば、自分も動き出すしかないと思ってから、既にどれだけの時間が経っているのか分からないが、気分的には数歳老けた気分だ。

 もちろん、緊張感の理由は帝国軍人の動きがあるのか、そのタイミングすら分からないところにあるのだが、それだけに留まらない理由もあって、イリスは視線をホテルから別に向けた。


 緊張感のもう一つの理由はイリスと共にホテルを監視するライトだ。イリスが監視を一緒に行っても良いかと聞いたタイミングからそうだったのだが、ライトの様子は今もおかしいままだった。


 帝国と繋がっている内通者の捜索を任されているイリスとしては、その怪しさしか感じられない様子に、ライトがその内通者なのではないかと疑惑を持たざるを得ない。


 もしも、そうなのだとしたら、ホテルの監視を続けて、帝国の動きを見張る名目で、ライト自身の動きも監視していたら、どこかで襤褸を出すかもしれないとイリスは考えたのだが、その襤褸が出ることもないまま、今に続いている。


 様子のおかしさは継続しているくらいなのだから、ライトは何かを抱えているとは思うのだが、その抱えたものの正体が見えてこない。

 せめて、シルエットくらい分かれば、イリスがここにいる意味があるのかどうかも分かるのだが、それを見た目や今の振る舞い以上に出すライトではないだろう。


 相手の緊張に促され、自分の緊張も高めながら、イリスとライトは張りつめた空気感の中でホテルの監視を続ける。


「動きがないねぇ」

「そうですね」


 ぽつりと呟いたライトの言葉も、今は会話に膨らむほどの爆発力がなく、二人は小さな言葉を軽く交わしてから、再び黙りこくっていた。


 その空気感がひたすらに続き、更には時間感覚が狂っていることもあって、このまま、どこまで待てばいいのかとお互いに思い出した頃、唐突に耐え切れなくなったようにライトが大きく腕を上げた。


「ああ、もうダメだ!このまま仕事をできる気分じゃない!」

「ど、どうしたんですか?急に?」


 イリスが目を丸くしてライトを見ていると、凝り固まった身体を解すように身体を動かしてから、ライトがイリスに詰め寄ってきた。


「もういいよ、イリスちゃん。分かってるんだよ、イリスちゃんの狙いは」


 ライトの口にした言葉を聞き、動揺したイリスはライトから逃げるように目を逸らす。


「な、何のことですか?」

「いい?イリスちゃんにはっきり言うよ」


 その一言から言葉を続けようとするライトの姿にイリスは思わず息を呑む。


 まさか、ここに来て自白の道があるのかとイリスは驚愕しながらも、自白と同時にライトがどう動き出すのかと身構えた。場合によっては、ここでライトと戦う必要が出てくるかもしれない。

 その時に自分でライトに勝てるだろうかと考えたら、イリスには不安しかない。


「あのさ、俺は……」


 ライトが何かを口にしようとし、イリスがライトの次の動きに対応できるように身構えようとした。その時のことだ。


「あれ?そこで何をしてるんですか?」


 唐突に低い声が路地に響き、イリスとライトは見合ったまま、しばし固まった。ゆっくりと視線を路地からホテルのある通りに移し、そこに立っている人物を揃って見やる。


 そこには見慣れた豹柄の獣人が一人、立っていた。


「あ、パンテラのマスター」

「どうして、ここに?」

「いや、ちょっと用事があって、たまたま。それよりも二人はそこで何を言い争ってるんですか?」


 そう不思議そうに質問するグインを見て、ライトは何かを思い出したように慌ててグインの腕を掴んだ。


「マスター。悪いけど、こっちに来てくれる?」

「え?え?何?何?」


 動揺するグインの腕を引っ張り、ライトはグインを無理矢理に路地に引き摺り込んだ。グインの身体を路地の奥に押し込み、ライトは様子を窺うように通りの方を軽く見ている。


「ああ、うん。取り敢えず、大丈夫そうか……?」

「一体、何が?」

「ああ、実はちょっと仕事で、こっそりと張り込み的なことをしてまして」

「ああ、そういうことか。確かに俺の身体は目立つからな」


 グインは自分の身体を見下ろし、自嘲気味に笑い出した。その間にホテルの様子を窺っていたライトが戻ってきて、改めてグインを見上げる。


「申し訳ないけど、マスター。この先の通りを移動してくれますか?そこから出ていかれると見られる可能性があるから。その通りと繋がってる路地自体は多いから、どこからでも戻れると思うし」


 グインが路地の奥と繋がっている通りを見て、ライトに分かったと言う代わりに首肯した。こちらの都合だけで頼んでしまっていることにイリスとライトは申し訳なさを覚え、二人はグインに謝罪するが、グインは全く問題ないと笑い飛ばしてくる。


「ああ、ただ一つだけ聞いてもいいでしょうか?」


 不意にグインがそう言い出し、その途端にそこまで明るく笑っていた表情を少し暗いものに変えた。


「実は人を探していて、ここにいたのなら、見ていないかお聞きしたいのですが」

「人ですか?分かりやすい特徴とかありますか?」

「俺と同じ獣人です。虎の獣人なのですが、二人は見ていないですか?」

「虎の獣人ですか?」


 ホテルを見張っている間に人通り自体はあった。その中に紛れた人を全て覚えているかと言われれば怪しいところではある。


 だが、獣人ほどに特徴的な相手となれば違ってくる。目の前を通り過ぎて見逃すはずもなければ、それを忘れるはずもない。


「通ってませんね」


 イリスとライトは揃ってかぶりを振り、グインは少し残念そうに目を伏せた。


「そうか……いや、まあ、そうだろうとは思ったんだ……うん、ありがとうございました。お仕事頑張ってください」


 軽い会釈と共に挨拶を残し、グインは路地の奥へと歩いていく。その後ろ姿を見送りながら、ライトは少し首を傾げていた。


「マスターの様子。何か変だったね」

「自分と同じ獣人を探しているくらいですから、祖国での知り合いとかなんでしょうか?」

「かもしれないね」


 グインの祖国は既に滅びてしまっている。そこでの知り合いが生きているかどうかも分からない上、生きていたとしても、また逢える場所にいるとは限らない。


 その相手を見つけて探しているのかもしれないと思えば、グインの暗い様子も理解できた。この時間は仕事のはずだが、それを置いて動いている気持ちも分かるというものだ。


 グインの探し人が無事に見つかるといいのだが、とイリスはそう考えてから、ライトに視線を戻し、そこで不意に思い出した。

 グインの登場で有耶無耶になったが、ライトが何かを言おうとしているところだった。


「そういえば、ライトさん。何を言おうとしていたんですか?」

「ああ、そうだ。イリスちゃんにはっきり言おうと思ったんだ。あのね……」


 今度こそ、ライトからの自白があるのかと身構えるイリスの前で、ライトは何かを言おうとして口を開ける。


 その体勢のまま、ネジが取れてしまったように、唐突にライトは動きを止めた。身構えるイリスの前で、ライトはいつまでも何も言い出さないまま、路地から通りの方に目を向けている。


「あれ?ライトさん?おーい」


 イリスがライトの意識を確認するように、その目の前で手を左右に振ると、ライトはその手を唐突に掴み、目の前から退けるように脇に押しのけた。


「イリスちゃん、静かに」

「どうしたんですか?」


 その声にイリスはハッとして、ライトの視線の先を見るように振り返った。


 さっきまで監視していたホテル。その出入り口から、この国では見慣れない軍服を着た二人の男が姿を現している。


「ウォルフガングとオスカーだ」


 小さく呟いたライトの前で、イリスも王城で見たことのある顔が二つ並んでいることを確認した。確かにそれはライトの言うように、ウォルフガングとオスカーの二名のようだ。


 その二人は並んでホテルの前の通りを歩き出し、それを見たライトが見失わないように、路地から飛び出そうとする。


「あ、ちょっと待ってください」


 それを見たイリスが慌ててライトを追いかけて、路地から飛び出した。ライトは自分を追ってきたイリスに目を丸くしている。


「いや、イリスちゃんはわざわざ来なくても大丈夫だよ?」

「いえ、私もついていきます」


 ウォルフガングとオスカーの尾行。それ自体にも価値はある。場合によっては、移動した先で内通者と接触するかもしれない。


 だが、今はそれだけではなかった。その尾行を始めるライト自体も、イリスの中で疑いのある相手だ。その疑いが正しいのか間違いであるのか確認するためにも、ライトから離れるわけにはいかない。


 ライトはイリスの発言に何かを言いたそうな顔をしていたが、それを言っている間にウォルフガングとオスカーを見失う可能性がある。


「分かったから、見つからないように気をつけて」


 そう言いながら、二人は並んで歩き出し、通りを歩くウォルフガングとオスカーの尾行が始まるのだった。

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