交錯する王都(2)
城壁から一メートル弱の位置に立ち、マゼランは足元を指差した。
「足跡はここから伸びていました」
それを聞いたエルがマゼランの背後に聳える城壁を眺めた。その城壁を乗り越え、降りてきたのなら、その位置に足跡がついていてもおかしくはない。城壁は乗り越えられなくもない高さで、実際に暗殺ギルドの一人はそれを乗り越えて、城内に侵入していたくらいだ。
そう思ったのだが、流石にその可能性くらいはマゼランやヴィンセントも考えたらしく、エルの指摘にマゼランはかぶりを振った。
「足跡の深さがその後の足跡と同じでしたから、あれは歩きの足跡のはずです。それに」
マゼランがその場で身を屈めるように腰を落とした。やや背の高い草むらに身を隠し、歩くような動きだ。
「足跡のつき方から、恐らく、あの足跡の主はこういう体勢で移動していたはずです。それもあって、これは何かあると思いましたから」
確かにマゼランの言う動きで城壁を乗り越えたとしたら、足跡の他に手をついた跡も地面には残っているはずだ。それを二人が見逃すとは思えないので、そのような跡は現場に残っていなかったのだろう。そうなれば、必然的に城壁を乗り越えた可能性は薄くなる。
それなら、他に足跡の生まれた秘密があるはずだが、それは立って考えても分かるものではない。早速、エルは持ってきた魔術道具を取り出し、その現場を調べることにした。
足跡がどこから生まれ、どこまで伸びていたのかはマゼランの証言が頼りだった。一日経って足跡が消えているというよりも、調べる際にマゼランがヴィンセントの足跡が残り、後から現場を見たエルには区別がつかない状態になっていた。
「というか、いくら人の通らない場所にあったからって、良くそれを調べる気になったね」
魔術道具で現場を調べながら、感心したようにエルが呟く。
「足跡があまりに新しかったですから。それこそ、私達が発見する二、三時間前についたようでした」
「そんなに新しかったの?」
ヴィンセントが足跡を発見した時間はマゼランから聞くに、昨日の昼間のようだった。その少し前に足跡がついたということは、この足跡の主が王城内外どちらの人間にしても、白昼堂々とそこにいたことになる。
王城内の人間だとしたら、あまりに堂々とさぼっていることになるし、王城外の人間だとしたら、あまりに堂々と侵入していることになる。
それはエルの想定とはあまりに違う光景で、エルはそのことを訝しんだ。
(もしかしたら、その時間帯である必要があったのか?)
そのように考えを巡らせていた時だ。エルの魔術道具に反応が見られた。魔術の痕跡がその場所にあるらしい。
「何かあるみたいだけど、何があるかはもう少し詳しく調べる必要があるね。ちょっと時間がかかると思うから、マゼランさんは他の仕事に移ってもらっても大丈夫だよ。ここまでありがとう」
詳細な調査を開始するために魔術道具を広げながら、エルはマゼランを拘束しないように口にしたが、マゼランはかぶりを振ってエルを見た。
「大丈夫です。騎士団長に一刻も早く報告するように言われているので」
その一言を聞いたエルの頭の中でブラゴの顔が思い浮かび、エルはマゼランがそこにいる理由を何となく察した。
要するに、ブラゴはエルがさぼる可能性も考慮し、マゼランに監視もするように頼んでいるのだろう。優しいマゼランのことだから、それを口にはしないが、仕事として続ける必要があるとは考えているようだ。
苛立ちは募っていくが、それを吐き出す相手も、それを吐き出す気分でもない。エルは一刻も早く、この調査を終わらせて、ベッドの中に戻りたい気分だ。
(良いように使われているが、今回だけは許してやる)
エルは心の中で悪態を吐きながら、取り出した魔術道具で詳細な調査を開始する。どうやら反応は城壁にあるようだった。
☆ ★ ☆ ★
事の発端は昨日のことだった。イリスと遭遇したライトはそこでウィリアムに呼ばれ、新たな仕事を命じられたそうだ。
「それがあのホテルの監視だったわけ」
ライトはイリスと共に帝国軍人の宿泊するホテルの様子を窺いながら、そのように口にした。
帝国軍が王都内で怪しい動きをしないように監視する。その任務を命じられたのがライトだそうだ。
「あのホテルに帝国の軍人が泊まっているらしいから」
「ええ、そうら……」
そこまで口にしてから、唐突にイリスは口を噤んだ。
そのホテルに帝国軍人が宿泊していることはもちろん知っている。それが目的で、この場所まで来たくらいだ。
だが、それを口に出すには、イリスの抱えた極秘任務まで教える必要がある。ライトを黒だと疑っているわけではないが、ライトも一応、内通者の可能性がある上に、白だとしても黒とどこで繋がるか分からないので、下手に言うこともできない。
「そ、そうなんですね~」
知らないフリで通すことに決めて、イリスは白々しい嘘を口にした。咄嗟に言い換えにばれたかもしれないと怯えたが、ライトはイリスの様子を窺うことなく、ホテルの方に目を向けている。
どうやら、ギリギリセーフのようだ。
「あそこに帝国の軍人がいるんですね」
動揺を押し殺し、平静を装いながら、改めてイリスはそのように言った。ライトと一緒にホテルを見ながら、目立たない路地との位置関係が監視をする上では絶好であることにイリスも気づく。
「一応、そうなってるね」
そこでライトが少し言いづらそうに口にした言葉にイリスは首を傾げた。
「一応?」
「ほら、帝国から来た軍人の中には大将っていう、討ち取ったら一生暮らしていけるくらいの報酬が出る相手もいるわけでしょう?王国の動きを警戒したら、その居場所を正確に教えるとは思えないんだよ」
「つまり、あそこにはいないんですか?」
「いや、一応、ホテルに確認を取って、宿泊している記録や宿泊者の出入りがあることは分かったから、いることにはいると思う。だけど、大将のラインハルトとか、その腹心のジークフリードがいるかは怪しいところだね」
帝国軍人の出入りがあることは確かだが、帝国軍人全てが宿泊しているとは限らない。その可能性を提示され、イリスは少し戸惑った。
帝国軍人と内通者の接触を確認したいイリスとしては、帝国軍人全ての動きが監視できる状況が望ましい。
しかし、そこにいない人もいるとなると、そちらで接触される可能性も高く、イリスの調査は失敗に終わる可能性が出てくる。
どうするべきかと頭を悩ませるイリスの意識の外側で、さっきまでホテルを見ていたライトがじっとイリスを見つめていた。
「ところでイリスちゃんはどうしてここに来たの?」
「はえっ?」
唐突に質問され、あまりの動揺からイリスは自分でも出したことのない声を出していた。その反応にライトも驚いたように目を見開いている。
「え?どうしたの?」
「い、いえ、何でもないですよ!たまたまです!たまたま散歩していたら、ここを通りがかっただけです!殿下が不在で暇なので!」
勢いだけで押し切ろうとするイリスの気迫に圧されたのか、ライトは驚いた顔のまま、ゆっくりと頷き、「そうなんだ」と口にした。どうやら納得してくれたようだ、とポジティブなイリスは言葉通りに受け取ることにするが、ライトの視線は驚きから怪訝なものに変わり、イリスに向いている。
「あ、そうだ」
唐突に考えが降って湧いたのはその時だった。イリスの思いついたような声に、ライトは困惑した顔をしている。
「ど、どうしたの?」
「暇なので、ここで一緒に監視していてもいいですか?」
「え?一緒に?」
別の場所に帝国軍人の一部がいる可能性があることは分かったが、そこにあるホテルに帝国軍人が宿泊していることも確かだ。そのどちらも監視する必要があるとして、場所の分からないもう片方よりは、こちらのホテルを先に調べるに越したことはない。
場合によっては、ここの監視を続けることでもう片方の場所が分かる可能性もある。
それにライトの監視に乗っかれば、一人で監視する際に生まれる見逃しの可能性も減るはずだ。監視する場所として、ここが最適なこともあって、ライトに協力することが一番のように思えた。
しかし、イリスの提案を聞いたライトは即座に首肯してくれなかった。
「一緒に監視するの?どうして?」
「え?いや、暇なので、手伝おうかと……ダメでしたか?」
「い、いや、ダメじゃないけど……」
見るからに動揺したライトの様子に、イリスはまさかと心の中で呟いた。
まさか、ライトが帝国と繋がっている内通者なのだろうか。その可能性はないと思っていたが、その可能性が目の前の光景から生まれ、イリスの中で疑心が膨らんでいく。
「ダメじゃないなら、一緒に監視しますね。一人でするより、二人の方が見逃しも減っていいですよ」
「う、うん……そうだね……」
もしもライトが内通者なのだとしたら、ここで行動を監視することで何か分かるかもしれない。この話を断らせるわけにはいかないと、イリスは半ば強引にライトからの許可を引き出した。
ライトはイリスの強引さに困惑しているようだったが、それを気にして断る隙を与えるくらいなら、困惑や怪しさを与えてでも、ここに居座るべきだとイリスは思っていた。
「ほら、ライトさん。ホテルを見てください。いつ誰が出てくるか、誰が入っていくか、分かりませんよ」
「う、うん。分かってるよ」
イリスとライトは路地に並んで、帝国軍人の宿泊するホテルに目を向ける。その間もイリスの意識の半分はライトに向き、イリスによるホテルとライトの監視が始まるのだった。
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