交錯する王都(1)

 没頭や夢中という言葉が相応しい集中力で、エルは製作に取りかかった薬を無事に完成まで導いていた。その代償として莫大な睡眠時間を削り、エルは疲労困憊に陥っていたが、薬を完成させた今なら、その睡眠時間を取り戻すことができる。


 普段なら、日中から主にアスマが騒がしく、王城内はもう少し賑やかで、その賑やかさに誘われるようにエルも行動しているのだが、それが今はない。休むために眠ることも気兼ねなくできるというものだ。


 完成した薬を忘れないようにテーブルの上に並べ、自室のベッドに潜り込んだエルが、ゆっくりと夢の中に落ちていこうとした時のことだった。

 手放しかけた意識を押しつけられるように、エルの部屋のドアが数度ノックされた。来訪者のようだ。


 エルはベッドの中で数回身悶えし、聞こえたノックを聞こえなかったことにして無視しようかと真面目に考え始める。

 その思考を遮り、エルに無視をさせないと言わんばかりに、また数度ノックが繰り返され、今度はエルを呼ぶ声が聞こえた。その声に誘われるようにエルはベッドに寝転んだまま、部屋のドアに目を向ける。


 無視はできなくなった。その声を聞いたことでそう思ったエルは起き上がり、ゆっくりとドアを開いた。

 そこには騎士のマゼランが立っていた。


「マゼランさん?珍しいね。どうしたの?」

「少しエル様に急ぎの用件があるのですが、よろしいでしょうか?」

「急用ってこと?俺はこれから休養しようと思ってたんだけど、そっちが先じゃダメ?」

「今すぐお願いします」


 騎士の系統を大きく二つに分けて、ライトやヴィンセントが該当の不真面目タイプと、シドラスやブラゴが該当の生真面目タイプがあるとしたら、マゼランは圧倒的に後者に分類される騎士だ。

 そのマゼランが適当なことを言うとは思えない。急ぎの用件と言うからには、これが重要なことなのだろう。


 それは分かるのだが、だからこそ、エルは厄介だと思っていた。休みたい気持ちが今は強いのだが、断ることもできない。ぽりぽりと頭を掻き、エルは少し苦々しい顔をする。


「取り敢えず、軽く何があったかだけ聞かせてくれる?」

「はい、分かりました」


 そう言いながら、エルはマゼランを部屋の中に招き入れる動きを見せたが、マゼランは大丈夫と軽く片手を出す動きで、それを制してきた。


「昨日のことです。ヴィンセントさんが王城内にを発見しました。それも普段は人の出入りのない場所についた足跡です」

「んん?ちょっと待って。人の出入りが少ない場所にヴィンセントさんはどうしていたの?」

「それはお察しください。私は昨日の大半の時間をヴィンセントさんの追跡に使ったと言えばお分かりになるかと思います」


 仕事から逃げたのか。不真面目タイプのヴィンセントの行動が容易に想像でき、エルは苦笑を浮かべた。マゼランも苦労しているようだ。


「その足跡ですが、衛兵の巡回ルートから考えても通常はあり得ない位置でしたので、そこで合流した私とヴィンセントさんで調べた結果、その足跡のつき方が不自然であることが分かったのです」

「不自然?具体的には?」

「足跡の元を辿っていくと、のです。まるで忽然とそこに現れたように」


 マゼランの説明を聞いたエルは自然と眉を顰めていた。何もない場所から人が現れたように、突然伸びる足跡と聞けば、確かに怪しさは増していく。それが人の出入りのない場所についているところも何ともきな臭い。


「それでその足跡のことを騎士団長に報告したら、その調査をエル様にお願いしたいと」


 その一言を聞いた瞬間、耐え切れなかったようにエルが表情を険しくした。睨みつけるような鋭い視線で、エルは目の前のマゼランを見てしまう。


「あいつの頼みかよ……」

「その際に一つだけ伝言があるのですが」

「伝言?」


 不意にマゼランが辺りを気にするように頭を動かし、エルの耳元に口を近づけてきた。そこで周りに聞こえないように囁く声で言ってくる。


「どうやら、その足跡のついていた場所が竜王祭の際に侵入者のあった場所と一致するそうなのです」

「は、はあ?」


 正に寝耳に水と言える内容にエルはつい声を漏らしていた。


「いや、でも、あれなら、侵入していた暗殺ギルドの構成員は捕まったよね?」

「そのはずですが」

「もしかしたら、俺の見落としがあるかもしれないってことか……」


 エルは伸しかかった疲労も忘れ、考え込む頭の中でブラゴの顔を思い浮かべ、苛立ちを募らせる。


 つまり、尻拭いをするチャンスを与えようということだ。何とも優しいブラゴの采配にエルは反吐が出る気分だった。


「分かった。その場所を調べてみるよ。ちょっとマゼランさんも一緒に来てもらっていい?どういう感じで足跡があったのか聞きたいから」


 エルのお願いに首肯するマゼランを見ながら、エルは面倒そうに頭を掻き、部屋の中にあるベッドを見た。そこから遠ざかることにエルは溜め息を抑えられなかった。



   ☆   ★   ☆   ★



 依然として帝国と通じる内通者の捜索に営むイリスだったが、結果はあまり芳しくなかった。帝国からの使者が到着したことで、内通者に動きが見えるかと思われたが、王城内で怪しい動きをする人物はなく、捜査は完全に行き詰まっている。

 このままだと結果が出ない。帝国に一方的に利益を貪られるだけで、王国はどんどん不利な立場になってしまう。


 そのためにも内通者を探し出すための新たな方法を考えないといけない。悩みに悩んだ結果、イリスは逆転の発想を試してみることにした。


 誰かも分からないまま、ひたすらに内通者を探し出すのではなく、その内通者と繋がっていることが確実な帝国軍人を監視することで、自然と内通者を焙り出そうという方法だ。

 この方法の方が幾分確実に思え、イリスはこの方法が思いついた時に、自分は天才かと、自然と自画自賛していた。


 敵国である帝国の使者を王国内に置くに当たって、居場所の把握は危機回避のために絶対に必要なことだった。王国からの居場所の開示を受け、帝国は承諾したらしく、帝国軍人の宿泊するホテルは王国政府も把握していた。


 そのホテルをブラゴから聞き出し、イリスは帝国軍人の動きを見るために、そのホテルの元に向かっていた。王都内でも有名な高級ホテルで、イリスは一生縁がないと思っていた場所だ。


 そこに向かう途中、イリスはこの捜査で内通者が特定できるかもしれないと、自分を天才と自画自賛した気持ちのまま、昂った様子でいたのだが、それも本当に向かっている途中だけのことだった。


 ホテルの前に到着したところで、イリスはそのホテルの大きさに圧倒され、そこで足を竦めることになった。この中に入って、帝国軍人を探し出し、その動きを逐一監視する必要があるのかと考えたら、イリスは途端に恐ろしくなる。


 このような場所に自分がいることは不自然だ。そこで監視を続けたら、帝国軍人にばれることは必然的。イリスは捜査の失敗どころか、王国と帝国の仲を決定的に違える原因になりかねない。


 本当に入るべきかどうか。イリスは悩みながら、ホテルの前を一度、通り過ぎた。あのままホテルの前に立ち止まっていたら、帝国軍人に見られた時に怪しまれる。

 完全に素通りしてから、イリスはどうやってホテルを調べようかと頭を悩ませる。ここで自分が怪しまれないように調べる方法があるのかと考えてみるが、イリスとはあまりに縁のない世界過ぎて、そこに何か方法があるのか分からない。


 このまま帰るわけにもいかないと、もう一度、イリスはホテルの前まで戻ってくるが、やはり、そこに踏み出す勇気は湧かない。

 いっそのこと、正面突破を図ってみようかと、自暴自棄にも似た作戦をイリスが考え始めた直後のことだった。


 ホテルの近くを歩いていたイリスの背後に誰かが唐突に立った。その気配に気づいたイリスが振り返るよりも先に、イリスの口元が手で押さえられ、イリスは近くの路地に引き摺り込まれてしまう。


 咄嗟に抵抗しようと、イリスは自分を押さえる人物に向かって、腕を大きく振るおうとしたが、その動きをまるで先に読まれていたように、その人物はイリスの両手を押さえつけてきた。


 殺される。底から湧き上がってくる死の恐怖と、騎士である自分が何もできない情けなさに襲われた瞬間、イリスの耳元で囁くような声が聞こえる。


「ごめんだけど、イリスちゃん。ちょっと暴れないでくれる?騒がれると困るんだよ」


 その声を聞いたイリスが目を丸くし、ゆっくりと背後に目を向けた。そこでイリスを申し訳なさそうに見る目に気づき、イリスは言葉を失う。


「大丈夫?静かにしてくれる?」


 恐る恐る問う声にイリスが小さく首肯すると、その人物はゆっくりとイリスの口元から手を離した。


「ここで何をしてるんですか?さん」

「それはこっちの台詞だよ」


 お互いに驚いたように疑問を吐き出しながら、ライトは小さく苦笑を浮かべていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る