帝国の使者(4)

「お父さん?」


 不安げに自分の名を呼ぶベネオラの声が聞こえ、グインは思わずハッとした。少し考え込み過ぎたと反省しながら、俯いていた顔を上げると、暗い顔をしたベネオラと目が合う。


「どうしたの?昨日から様子が変だけど?」


 ベネオラの指摘にある通り、グインは昨日の朝から、ずっと一つの悩み事を抱えていた。


 発端は旧友であるガルシアとの再会だ。そこで久しぶりに話したガルシアはグインの知っているガルシアと少し違い、何かを抱えている様子だった。


 既にハンクという前例がある。ガルシアも何かを抱えて、追い込まれているのだとしたら、グインは少しでも助けられる道を残したい。自分にできることがあるのなら、手遅れになる前に協力したい。

 そう思うのだが、ガルシアに何があって、何を思っているか分からない以上、その気持ちは押しつけになりかねない。


 それらの考えがずっと頭の中を巡って、グインは思考の迷路に迷い込んだ状態になっていた。誰かに相談したい気持ちもあるが、ガルシアの気持ちが分からない状況で、それを人に話すのも気が引ける。

 それがベネオラとなれば尚更のことだ。


「いや、ちょっと新メニューを考えていてな」


 何とかそれなりの笑みを浮かべてグインは答えたが、流石に娘というべきか、ベネオラは納得した顔をしなかった。


 ただグインが話さないことから、そう簡単に話せる話ではないことくらいは察したのか、それ以上の追及はしないことを選んだようだ。


「そう?あまり悩み過ぎないで、相談したいことがあるなら言ってね」


 そう言って、ベネオラは不器用に笑った。その笑みを見て、何となく、自分も同じような笑みしか浮かべられなかったのだろう、とグインは察する。この笑みを見せられて、そうかと納得するはずもない。


 ちょうどその時、二人の間に漂い始めた微妙な空気を吹き飛ばすように、店の扉が開いて鐘の音が鳴り響いた。ベネオラが咄嗟に振り返って、店の入口の方に「いらっしゃいませ」と声をかけている。


 その後ろ姿にホッとしたのも束の間、グインは店の中に入ってきた客の姿を見て、一瞬、呼吸を止めた。


 軍服。それもこの国の物ではない。少しだけ形が変わってはいるが、グインが過去に見た覚えのある軍服だ。胸の徽章に至ってはグインの記憶にある物と全く同じだ。


「一名様ですか?」


 そのように聞くベネオラの隣までグインが歩み寄り、ベネオラの肩を掴んだ。グインが出てくるとは思っていなかったようで、ベネオラは驚いた目を向けてくるが、ここでベネオラに接客させるほどの余裕がグインにあるはずもなかった。


「一名です」


 そのように答えながら、入ってきた軍人の男がグインを見上げてきた。グインはその姿に不器用な笑みを浮かべて、ベネオラに下がるように合図をする。グインの様子から只事ではないと察してくれたのか、ベネオラは小さく頷いて、グインの代わりにカウンターの中に入っていく。


「ああ、さっきの子が案内してくれると思ったんですけど、違うんですか?」

「ええ、まあ。空いている席にご自由にお座りください」

「ご自由に、ですか?では、好きに選ばせていただきます」


 そう言いながら、その客は他に客がいないことをいいことに、店内をゆっくりと歩き始めた。


「お客様は軍人の方で?」

「ええ、そうですね。何故、お分かりに……と聞くまでもないですか。服装を見れば分かりますよね」

「ええ、まあ。ただ、この国の軍服と違うようですが」

「この国の軍人ではありませんから。お分かりですよね?」


 不意に男が立ち止まり、テーブルの上のメニューを手に取りながら、グインを見てきた。体格差ももちろんあるだろうが、それだけではない意識的なものもあって、グインは男に覗き込まれている感覚を覚える。


「獣人、ですよね?」

「ええ、まあ。何故分かったか聞くまでもなく、見れば分かりますよね」

「ええ、そうですね。もうあまり見ないので珍しいですけどね」


 その一言に苛立ちを募らせながらも、グインは頭に上りかけた血を何とか抑えた。ベネオラもいる状況で、自身が怒り出すことはできない。

 それをしてしまったら、何がどうなるか分かったものではない。


「貴方は帝国の方ですか?」


 グインの質問を受けて、男が手に持っていたメニューをテーブルに戻した。


「そうですよ」

「その徽章を見るに、階級は少佐だ」

「ええ、はい、正解です。その辺りが分かるということは、貴方はもしかして、元軍人とかですかね?」

「ええ、まあ。もう十年以上前のことですが」


 グインと男の会話をカウンターから盗み聞きながら、ベネオラはグインが自身に下がるように言った理由を何となく察したようだ。驚きで手が滑ったのか、カタンとコップがカウンターに落ちる音がした。


 その音に反応し、グインと男の視線が揃ってベネオラに向く。その視線にベネオラが一瞬、ビクンと怯えたように身体を竦ませて、小さな声で「ごめんなさい」と呟いた。


「いえいえ、割れていないようで良かったですよ」

「この国には何のために?」


 男がベネオラに言葉を投げかけた直後、グインはすぐに口を開いて質問していた。この国とゲノーモス帝国の関係性は知っている。それは元軍人でなくとも、この国に住む人の大半が知っていることだろう。

 そのような国に帝国の軍人が来るとは普通思わない。階級を考えたら尚更のことだ。


「外交上の話ですよ。詳細は機密なので話せませんが」


 男の意味深な発言を聞き、グインの頭を真っ先に過ったのがアスマの顔だった。イリスはアスマが店に来訪できないほど忙しいと言っていたが、その忙しさに帝国が絡んでいるのなら、その内容はグインの想像できるものではないはずだ。知らないところで何か相当な話が動いているのかもしれない。


「ところで、この店にはどのようなお客が?今は誰もいませんが……」


 その続きも何か言おうとしていたが、何かを察したのか、実際に言葉として発せられることはなかった。グインはある程度の想像がついたが、その続きの言葉を直接的に言われて、目の前の男を店から追い出さない自信はない。


「特に……変わった客は来ませんよ。知り合いの店主や観光客、近くで仕事をしている人などですね。常連で言うと大工とか」


 オーランドとラファエロの顔を思い浮かべ、グインは二人が良く座る席に目を向けながら、そう答えた。アスマのことを口に出してはいけないと思い、つい前置きをつけてしまったが、それによって怪しさが増してしまったかと、その時になって気づいたが、そのことを男が言及してくることはなかった。


 代わりに男はグインの顔をしばらく見つめてから、グインの目の前でテーブルについた。テーブルに置かれていたメニューを手に取って、その中をパラパラと見てから、感心したように声を出す。


「結構、品揃えが豊富ですね。これらに毛が混入されていることは?」

「馬鹿にするなら追い出すが?」


 流石に我慢することができず、グインが語気を強めて男を睨みつけると、男は流石に申し訳なさを表情に見せながら、グインに手を向けてきた。


「いやいや、すみません。今の発言は流石に失礼でした。お詫びします」


 テーブルに額を近づけるように男が軽く頭を下げ、謝罪の言葉を口にしたことで、グインの怒りは少し鳴りを潜めた。流石に謝罪の意思を見せた男に向かって、いつまでも怒りを見せるほど、グインは子供ではない。


「いえ、分かっていただければ結構です」


 グインが許す態度を見せると、軽く頭を下げていた男は頭を上げて、手に持っていたメニューに目を落とした。


「では、注文をお願いしてもよろしいですか?」

「ええ、もちろん」

「では、コーヒーを一杯お願いします。他にも頼んでみたい気持ちはあるのですが、残念なことにこの国では金欠なので」


 男の注文にグインは頷き、未だ表情に緊張を見せるベネオラの隣に移動し、コーヒーを淹れ始めた。


 その間にも男はメニューや店内を観察するように視線を動かし、どこか落ちつきなく、そわそわとしている。


「あの……お父さん?」


 その様子を監視するように見ながら、コーヒーを淹れていると、小さく囁くようにベネオラが声をかけてきた。


「どうした?」

「私、大丈夫だから。無理しないでね」


 心の底から心配した顔でベネオラにそう言われ、グインはしばらくきょとんとしてから、今度は心の底からの笑みを浮かべる。


「ありがとう。無理はしてないから大丈夫だ」


 そう答えながら、ベネオラの頭を撫でると、グインの中で沸々と湧いていた怒りの感情が、ゆっくりと腹の底に沈んでいくのが分かった。

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