帝国の使者(2)

 昨日の行動を思い返し、イリスは深く反省していた。思わぬ朗報に心を掻き乱され、本来の目的から逸脱した行動を取ってしまったが、イリスの目的を考えると、それはあってはならないことだった。


 王城内に潜む内通者の特定。イリスに与えられた目的は、この国家の命運にも関わってくる重要なものだ。


 それを先延ばしにする行為など、絶対に取ってはいけなかった。そんなことは子供でも分かることだ。

 現在、この国にはいないはずのシドラスの叱責も聞こえ、イリスは頭を抱え込む。


 分かっていると言いたいが、分かっているという言葉は言い訳にしかならない。分かっているのなら、最初から取るべきではなかった。そう言われたら、次に出る言葉は鸚鵡のように同じものしか出てこないからだ。

 分かっている。その言葉を何度繰り返しても、イリスの失敗は帳消しにならない。


 しかも、問題はその行動だけに止まらない。イリスが解決を先延ばしにし、捜査を中途半端に進めている間に、問題の敵国であるゲノーモス帝国からの使者が到着してしまった。


 まだ誰が内通者か分からない。どの情報が渡っているのかも分からない。

 そのような状況で、ハイネセンはゲノーモス帝国との交渉に入らないといけなくなったのだ。


 申し訳ないという言葉で片づかないほどに悪いことをしている。状況はイリスを黙々と責め立てていた。


 一刻も早く、内通者の手がかりを見つけ、内通者の特定をしないと、このままではエアリエル王国自体が危ないかもしれない。


 自身の肩に国家の命運が乗っていると、改めて実感してしまうと吐きそうになるが、実際のところそうなので、吐く暇も惜しい。


 とにかく、王城内で怪しい動きをしている人物を見つけ出さないと。それができないで内通者を見つけ出せるとは思えない。


 そう思い、王城内の廊下を歩くイリスの前に一人の男が現れた。

 外を眺めるように身を乗り出しているのだが、その手には望遠鏡が握られ、どこか遠くをじっと眺めている。


 その姿を怪しいと表現せずに何を怪しいと言えるだろうか。


 内通者――と断定できるかどうかは別としても、王城に仕える騎士として、これは調べずにはいられない。


 そう思ったイリスが男に近づき、声をかけようとした直前になって、その男が望遠鏡から目を離し、こちらを振り返った。


 それは残念なことに自身と同じく王城に仕える騎士の一人、ライトだった。


「やあ、イリスちゃん。どうしたの?」

「それはこちらの台詞です。何をしてるんですか?」


 変人奇人を見るよりも露骨に、蔑みの目をライトに向けていたのだが、ライトはその程度の視線なら慣れてしまっているのか、特に反応を見せることもなく、再び望遠鏡で外を眺め始めた。


「帝国からの使者を観察してたところ。先頭の馬車から降りてきたのが宰相閣下と一緒に王城の中に入っていったけど、残りの二台から降りてきたのは外で待ってるから」

「見えるんですか?」

「これで見たら何とか。普通に見るだけだと顔とか全然見えないね」

「見てどうなるんですか?」


 仕事を放棄してまでする意味があるのかとイリスは言いたかったのだが、ライトの反応はイリスの想定と違い、少し真剣さの含んだものだった。


「それがね。気になるんだよ」

「気になる?」


 そのライトの雰囲気に当てられ、イリスが思わず聞き返すと、ライトは手に持っていた望遠鏡を差し出してきた。これで覗けということらしい。

 断ればいいのだが、さっきのライトの雰囲気が気になり、イリスは言われるがまま、城門付近にいる帝国からの使者を見てみる。


「二台目の馬車の近くにいる二人は見える?」

「ああ、はい。男が二人立っていますね」

「そう。一人はウォルフガング。帝国軍大佐で勇猛果敢な戦士として有名。もう一人はオスカー。こっちも帝国軍大佐で作戦行動の迅速さで有名。どちらも帝国軍の最前線で戦っている有名な兵士だ」

「まあ、この国に来るくらいですからね。やっぱり、信用できる人を連れてくるんじゃないですか?」

「だよね。俺もそう思った」


 まさか、と思い、イリスは望遠鏡から顔を外し、じっとりとした視線でライトを見た。


「有名人だから気になって観察してたとかじゃないですよね?」

「まさか。流石に違うよ。気になるのはその後ろ」

「後ろ?」


 言われて、イリスは再び望遠鏡で覗き始める。二台目の馬車の隣から、三台目の馬車の隣まで視線を移動させる。

 そこには二台目の馬車と同じように二人の男が立っていた。


「ああ、また二人いますね。あれは誰ですか?」

「知らない」

「え?」

「だから、知らないんだよ、俺も。前の二人は有名人なのに、後ろの二人は誰か分からないんだ。さっきも言ったけど、普通は信頼に足る人材を連れてくると思うから、何かしらの功績を残している人物ではあると思うけど、見たことがないんだよね」


 ライトの言葉に驚きながらも、イリスは後ろに立っている二人を観察していた。はっきりと見えるわけではないが、どちらもライトと同年代くらいの若い男に見える。


「結構、若く見えますよね?」

「そう。あの若さでどういう功績を残したのか気になるよね」

「名前だけ伝わっていて、顔を知らない人物の可能性はないですか?」

「それも考えたんだけど、もしそうだとしたら、その人の顔を敵国に見せる利点がある?他に顔の知られている有名人はいるはずだから、わざわざ連れてくる理由がないと思うんだよ」

「確かに……無駄に情報を与えることになりますよね……」

「そういうこと。二人……特に前の男かな?そっちは徽章を確認するに佐官みたいだから、具体的な階級は分からないけど、前の有名人二人と近しい立場のはずなんだ。それが一切、顔を知らない。なのに、敵国に連れてこられているって、凄く気になると思わない?」

「それは……確かに」


 ライトの意見に同意しながら、イリスは望遠鏡をライトに返した。

 ライトはそれを受け取り、もう一度、帝国からの使者達の顔を確認しながら、ぽつりと零すように呟く。


「わざわざ訪ねてくるくらいだから、、その目的に関する人選だったりするのかもなぁって、まあ俺の想像だけどね」


 他の目的。そう言われた時にイリスは思い当たる節が一つあったが、それを口に出すことはしなかった。


 もしも、その思い当たったものに関して、ゲノーモス帝国が動こうとしているのなら、イリスはやはり、一刻も早く、捜査を進める必要がある。


 ここで油を売っている暇はない。そう思った時、同じく油を売っていた人物を呼ぶために、王城内の使者が現れた。


「ここにいたのか」


 その声を聞いた瞬間、望遠鏡を覗いたままのライトが固まり、ゆっくりとぎこちなく、声の聞こえた方に首を動かしている。


「あーと……先輩?何の用で?」


 そう恐る恐る質問する先には、不機嫌そうな顔をしたウィリアムが立っていた。ライトと手元の望遠鏡を見比べ、呆れを堪え切れなかったように溜め息をつく。


「来い。お前に仕事だ」

「いーや、今も大事な仕事をしているというか、仕事をするというか……」

「いいから、来い。覗きなど仕事に入るか」

「覗きって……その言い方だと、ちょっと語弊があるんで、観察とか別の言い方にしてくれませんかね?」

「何でもいいから、早く来い」


 一切態度を崩さないウィリアムに流石のライトも観念したのか、望遠鏡を手に持ったまま、ウィリアムと一緒に廊下を歩き始めた。とぼとぼとした後ろ背中は哀愁漂って見えるが、自業自得なので、かける言葉はない。


 イリスも与えられた仕事がある。それも今すぐに解決するべき重要なものだ。

 ライトのことを考えるよりも、その仕事を進めた方がいいと思い、再び怪しい人物を探して、王城の中を彷徨い始めた。

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