帝国の使者(1)

 早朝の静寂を抜け出し、少しずつ王都の街中に活気が溢れてきた頃、大通りを三台の馬車が通った。馬車は一列になって大通りを突き進み、その先に聳え立つ王城に近づいていく。


 それら三台の馬車が王都に踏み入ったのは今朝のことだった。

 現在、王都に入る馬車は全てチェックされている。それはその三台の馬車も例外ではなく、その段階で馬車の到着が王城に報告されていた。


 馬車が大通りを突っ切ろうとしている頃、その報告を受けたハイネセンが城門前に姿を現した。その背後にはいつもの威圧感を持ったブラゴが立っている。


 宰相であるハイネセンと、騎士団長であるブラゴが並んだ状態だ。城門付近を警備していた衛兵はピリピリとした雰囲気に顔を強張らせ、現場には緊張感が漂っていた。


 そこに三台の馬車が滑り込んできた。城門を潜る直前に御者が馬を静め、ゆっくりとした足取りで三台の馬車が王城の敷地内に入ってくる。


 その光景にハイネセンが息を呑んだ直後、馬車がゆっくりとハイネセンの前で止まり、先頭の馬車の扉が開いた。


 そこから、軍服を羽織った二人の男が降りてきた。ハイネセンとブラゴの前に歩み寄り、ハイネセンに軽く会釈をしてくる。


 軍人による宰相への謁見。傍から見る分にはそう思える光景ではあるが、問題は男達の着ている軍服はエアリエル王国軍の物ではなかった。


 それは隣国、ゲノーモス帝国軍が着用している軍服だ。


「初めまして、ようこそ、お越しくださいました。私は宰相のハイネセンと申します」


 二人に続く形で軽く頭を下げ、ハイネセンが自己紹介を済ませた。その際にちらりと軍服につけられた徽章を確認し、ハイネセンは少しだけ表情を曇らせる。


「初めまして、突然の訪問ですみません。私は帝国軍大将のラインハルトです」


 ゲノーモス帝国軍。軍事国家であるゲノーモス帝国にとって、その存在は国家の礎と言えるほどに大きく、多大な権力を有している。

 その指揮権を握るのは皇帝に当たる人物だが、帝国のトップである皇帝には軍事以外にも様々な責務があり、軍事だけに関わることは難しい。


 そこで軍の実権を握ることになるのが、軍の最高司令官である元帥だ。軍の作戦行動は全て元帥の指揮の下、考えられ、皇帝はそれに許可を出すかどうかの判断を迫られるだけだった。


 そして、皇帝の許可が出た作戦を実行に移す際、作戦の指揮を執る現場の最高責任者が元帥の下に位置する大将だった。


 大将は帝国に六人いると言われ、他国への侵略行為や国境線上の防衛行動など、与えられた任務が重要であれば、実際に戦場に出ることもあるらしいとは聞いていた。


 その大将の内の一人が目の前に現れ、ハイネセンは徽章を確認した段階から、その目的を考えていた。ブラゴは大将と聞いたことで分かったのか、その瞬間から雰囲気を変えている。


 大将が直々に姿を現す。それも冷戦状態に陥った敵国の領土内に、だ。通常であればあり得ないことだが、ラインハルトは顔色一つ変える様子がなかった。


 実際、敵国の重要人物が目の前にいるからといって、エアリエル王国にできることは何もない。自由を守る王国が要人の暗殺などできるはずもない上に、それをしたら、今の拮抗状態が崩れることは目に見えている。


 仮にアスマという最終兵器が王国にはあるとしても、それを切ることは絶対に避けたい。

 アスマに地獄を見せたいとは誰も思っていないのだ。


 ラインハルトは名乗り終えると、自身の背後に立つ、自分よりも少し若い将官を手で示した。


「彼は私の部下の一人、ジークフリードです」


 その紹介を受けて、ジークフリードは頭を下げた。徽章を確認するに准将のようだ。


「ここで長話を進めるのも何ですので、できれば案内していただきたいのですが?」


 ジークフリードの紹介を受け、ラインハルトの目的を思案しながら、ハイネセンがブラゴを紹介しようかと思った直後、それよりも先にラインハルトがそう口を開いた。


 ハイネセンが手で示すよりも先に、ラインハルトの視線はブラゴに向かい、軽く微笑んでいる様子から、ブラゴのことは把握しているようだ。

 流石は帝国軍の大将というところだろう。


「そうですね。分かりました。こちらへどうぞ」


 ハイネセンが王城を手で示し、そちらに歩き始めると、ラインハルトとジークフリードがその後に続いた。ハイネセンと二人の間にはブラゴが壁のように立ち塞がり、二人を逐一警戒した様子で窺っている。

 露骨に示すことは問題になりかねないが、立場を把握しているのか、もしくは他に目的があるのか、ブラゴを見るばかりでラインハルトは気を悪くした様子を見せなかった。


 王城内を移動することしばらく、ハイネセンは宰相室に面した応接室に二人を案内し、そこで二人に着席するように促す。

 並べられたソファーも含めて、部屋全体を警戒するように、ジークフリードはしばらく様子を窺っていたが、何もないと判断したのか、ラインハルトに座るように促し、二人はハイネセンの前に腰を下ろした。


 二人の前にハイネセンも座り、そのハイネセンの背後にブラゴが立ったところで、待ちかねていたようにラインハルトが切り出す。


「さて、宰相閣下も気になさっているでしょうから、私達の訪問理由から述べましょうか?」


 回りくどい挨拶は不要と言わんばかりの態度に、ハイネセンは軍人らしい実直さと評価するべきか、政治家に向かない愚直さと批判するべきか迷った。


「いきなりですね。長旅でお疲れになっていませんか?飲み物でもお出ししますよ?」

「結構です。私達が素直に飲むとは思っていませんよね?」


 戦争状態に発展しているわけではないが、ここは敵国の中だ。そこに踏み込むだけでも異常であるのだが、そこで更に敵国の人間が出した飲み物に手をつけるはずがない。

 分かっていることだが、そこまで態度で示すのかとハイネセンは驚かずにいられない。


「既に手紙をお送りしたように、事の発端は貴国がウルカヌス王国と接触を図ったことです」

「そのように書かれていましたね」


 事前に送られてきた文の内容を思い出し、ハイネセンは探りを入れようかと考えた。


 エアリエル王国とウルカヌス王国の接触は極秘事項だ。王城を一歩でも外に出れば、そこを歩く王都の人間でも知ることがない。

 その情報をどのように得たのか。その質問から情報が得られないかと思ったが、既にラインハルトも考えていたようだ。ハイネセンが聞くよりも先に答えが返ってきた。


「情報を知り得た方法なら詳細には教えられません。ただ我々は貴国とウルカヌス王国の国境線まで目を持っているということです。何せ、彼の国との関係もありますので」


 エアリエル王国とウルカヌス王国は協力関係にあるわけではないが、その双方とゲノーモス帝国が敵対関係にあることは間違いない。間にエアリエル王国を挟んでいるとしても、ゲノーモス帝国としてはウルカヌス王国を警戒対象に入れなければいけない。


 あっけらかんと話すにしては情報が機密に触れている気もするが、ハイネセンの付け入る隙を与えていない辺りは、流石の大将だとハイネセンは思った。


「それで、彼の国との接触がどうして、貴公達が我が国を訪れる理由になったのですか?」

「単刀直入に言いましょう。我々は説明を求めています」

「説明?」


 ラインハルトの図々しさも垣間見える言い方にハイネセンは眉を顰めたが、ラインハルトは一切動じず、寧ろ、微笑みを浮かべていた。


「はい。貴国が彼の国と接触した目的。それをお聞きしたいのです」

「理由、ですか……」


 ハイネセンは少し目線を落とし、ラインハルトの腹の内を想像しようとした。


 先程、ラインハルトが飲み物を拒んだように、極秘で接触しようとした理由をハイネセンが簡単に説明するとは、ラインハルト自身も考えていないはずだ。


 だが、聞いても分からないことを聞きに、わざわざ危険を冒してまで他国にやってきたとは思えない。

 そこには別の目的が存在し、その目的をラインハルトは隠している。その目的が何か分からないと、ハイネセンは下手に行動できない。


 場合によっては、ここでの行動がゲノーモス帝国との衝突を生みかねないからだ。


 深く考え込みながら、言葉に迷うハイネセンを眺めて、ラインハルトは少し納得したように頷き始めた。その動きに引かれ、ハイネセンとブラゴの視線がラインハルトに集まる。


「簡単にお話しできないこともあるのでしょう。それは分かります。ですが、別に悪い話をしに来たわけではないのです。もしも、貴国と彼の国が密かに同盟を結ぼうと画策しているのなら、我々も一つだけお願いしたいことがあるだけなのです」

「お願い、とは?」

「その同盟にでしょうか?」


 そのラインハルトからの願いを聞き、ハイネセンとブラゴは隠し切れないほどの動揺を表情に出した。


「我が帝国と貴国、そして、彼の国の三国は大陸でも並び語られるほどの大国です。その三国が協力することで、周辺地域の平定も可能になると我々は考えているのです」


 つまり、ゲノーモス帝国はエアリエル王国やウルカヌス王国と手を結び、その力を借りることで、最も警戒すべき相手を味方に引き込もうと考えているようだ。

 確かに周辺地域の制圧を考えると、それほど安全に事を進める方法はないだろう。


 しかし、これは三国による同盟の話だ。仮に実現したら、ゲノーモス帝国と敵対しているエアリエル王国とウルカヌス王国が手を結ぶことになるのは目に見えており、同盟という力関係を利用し、ゲノーモス帝国の侵攻を止めることも可能になる。


 言ってしまえば、この条件のまま話を進めると、ゲノーモス帝国は実質的に降伏したことになる。


 まさか、それを望んでいるとも思えず、ハイネセンはラインハルトの提案を訝しんだ。まだ何か裏があることは明白だ。ここで飲む話ではない。


「申し訳ないですが、そのような国家にまつわる大きな話を私の独断で返すことはできない。また後日、ウルカヌス王国との接触理由も含めて、話し合いの場を設けてもよろしいですか?」


 ハイネセンの提案を時間稼ぎと憤る可能性も考えたが、ラインハルトはそのような素振りを微塵も見せることはなく、微笑みを浮かべたまま首肯した。


「ちなみに貴公達はどちらに?必要であれば、王城内に部屋を用意しますが?」

「いいえ、結構です。お気持ちだけありがたく受け取っておきます」

「そうですか。ちなみにどちらに宿泊される予定で?」

「近くのホテルに宿泊するつもりです。この時期でしたら、部屋も取れるでしょう。決まったら、王城に知らせをお送りしますので、話し合いの際にはお呼びください」


 そこから、再び馬車へと戻り、王城を後にするラインハルト達を見送り、ハイネセンは深く溜め息をついた。


「何を考えているのでしょうか?」


 一歩踏み出し、ハイネセンの隣に移動したブラゴが呟く。ハイネセンも同じことをずっと考えていたが、ラインハルト達の考えていることは一切分からない。ゆっくりとかぶりを振るしかなかった。


「帝国軍の大将がわざわざ顔を出したくらいだ。明確な目的があることは明白だが、考えて分かることなのか……ただ内通者の存在や行動の迅速さから考えるに、焦っていることは確かだろう。それなりの理由をつけてはいたが、何かあると悟らせるくらいの動きである点は少し気になる。何もないといいのだが、何か起きる可能性がある以上、例の内通者の捜索は頼んだぞ」


 ハイネセンがブラゴに声をかけると、ブラゴは返事を口にしながら首肯した。


「後は殿下の不在を悟られないことか……」


 そこが一番の不安材料だとハイネセンは思った。

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