極秘調査(4)
昼下がりの少し気温が落ちついた頃。カフェ・パンテラはピークを過ぎて、穏やかさを迎え入れていた。
その時間帯を狙って、パンテラの扉を開く者がいた。入店を示す鐘の音が鳴り、ベネオラがいつもの調子で「いらっしゃいませ」と口にする。
それに笑顔を向けて、「いらっしゃいました」とキナは答えた。
「あ、キナちゃん。こんにちは、また来てくれたんだ?」
「うん。ここ、落ちつくから」
キナはほんの少し前まで、全盲だった少女だ。竜王祭の際に奇妙な客人と出逢い、その人物の施した魔術によって、彼女の瞳に初めて光が届いたのだ。
それから、キナはまだ目が見えなかった頃に知り合ったグインの店を訪れ、グインが獣人であることに驚きながらも、定期的に通うようになっていた。
キナはいつものように、グインを目の前に拝むカウンター席に座り、メニューに目を向けようとする。
それが中断されたのは、グインの様子がいつもと違ったからだ。カウンターの中に立つグインは、いつもよりも暗い顔をしていた。
「あれ?グイン?どうしたの?」
キナが声をかけてみるが、グインからの返答はない。何かを考え込む様子のまま、グインはひたすらに拭き終えたカップを拭き続けている。
「ベネオラちゃん」
キナがベネオラに手招きすると、ベネオラがそれに気づいて、キナに近づいてきた。キナに目線を合わせるように少し身を屈め、キナは近づいてきたベネオラの耳に口を寄せる。
「グイン、どうしたの?」
「ああ……何か分からないけど、朝からあの様子なの。今日はちょっとミスも多くて、何か悩んでいるみたい」
「朝からってことは、昨日は違ったの?」
「うん、そう。開店準備を始める前までは何でもなかったんだけど、その後から、ずっとあの調子」
キナとベネオラは揃ってグインに目を向ける。何かに思い悩むようであり、何かを考えているようであり、何かを思い出しているようでもあるグインの姿に、キナは聞いたことのある話を思い出した。
「もしかして、恋煩いって奴かも?」
「え?恋煩い?」
「ベネオラちゃんは知らない?人は恋をすると、その人のことしか考えられなくなるらしいよ」
キナが意気揚々と語ると、ベネオラは誰を思い出したのか、途端に顔を真っ赤にして、ぶんぶんと頭を振り始めた。その様子をキナは不思議そうに見るが、特に何を思い出したのかと聞くことはなかった。
それよりも二人の興味はグインの方に向いていた。
「恋煩いって、お父さんが?な、ないよ、多分……」
「確かにグインは獣人で、見た目は動物みたいだけど、中身は立派な人間なんだから、人に恋することだってあるよね?」
「それはあると思うよ。だけど、あのお父さんが誰かを好きになるとか想像できないし、考えたこともないし」
「もしかしたら、ベネオラちゃんのお母さんができるかも」
「ええ!?」
キナとベネオラの中で話はどんどんと飛躍し、二人はまじまじとグインの顔を見つめ始める。
その時になって、ようやくグインの意識が現実に戻ってきたのか、カウンター席に座るキナを発見し、グインが驚いた顔をした。
「おお、キナ。来てたのか」
「うん。お邪魔してる」
そう言いながら、キナとベネオラはじっとグインの顔を見つめる。その視線に気づいたグインが不思議そうに首を傾げる。
「どうした?何か顔についているか?」
「ううん。いつもの豹面だよ」
「その言い方は何か嫌だな」
苦笑いするグインの前で、キナとベネオラは目を合わせ、こっそりと頷き合った。
☆ ★ ☆ ★
スートの貴族の一つ、スペードの一族の現当主、ギルバート。その従者のタリアも含め、アスマの護衛を担当している関係から顔見知りではあったのだが、直接的に会話したことはこれまでになかった。それはこれからも変わらないことだろうと、昨日までのイリスは思っていた。
しかし、それも今日、ほんの数時間前までのことだ。ネガとポジから王城内で真しやかに噂されるアスマを巡る話を聞き、イリスはその真相を突き止める必要があると、単身ギルバートの住む屋敷を訪れていた。
我が主と付き従い、尊敬の念は懐きつつも、この人はこのまま変わるのだろうかと心配な気持ちも強かったアスマに、念願の春が訪れたかもしれないのだ。その真偽を確認すること以上の目的など、この世界に存在するはずもない。
突然のイリスの訪問を屋敷の使用人達も驚いていた。ギルバートに用事があるから、本人に逢わせて欲しいと伝えると、困惑した様子でかぶりを振られる。
「申し訳ありませんが、現在ギルバート様はいろいろと忙しく、手が空いていない状況でして」
「ギルバート卿がお忙しければ、従者のタリアさんをお呼びいただくだけでも問題ないのですが」
「申し訳ありません。仕事の関係上、従者も手が空いていない状態でして」
「それほどまでに忙しいんですか?何かあったんですか?」
ギルバートだけでなく、タリアの手も空いていないと言われ、少し心配な気持ちも強くなったイリスがつい聞くと、使用人達は困ったような表情で、お互いの顔を見合っていた。
「内々の話でしたら、つい質問してしまいすみません。無理に話される必要はありません」
「い、いえ、実は私達も詳しくは分からないのですが、先日の竜王祭で急遽武器を準備することになりまして」
「ああ、自警団が作られたとか。そのための武器を用意する過程で、王城が新たな武器を仕入れたと聞いています」
「はい。そのために王都に武器を大量に運び込んだのですが、それに乗じて、王国の許可を取っていない武器商人が複数王都に来ているようで、その摘発にギルバート様もご協力なさっているようで」
「そのようなことが起きているのですか?」
昨日王都に帰還し、まだ本格的に仕事復帰していないイリスには、その話は寝耳に水だった。竜王祭のあれこれは聞いていたが、そこから生じる影響など考えてもいなかった。
まだ自分の知見は浅い。改めて思い知りながら、イリスは忙しい中邪魔するのも悪いと考え、使用人達に礼を言った後、その場を離れることにした。
タリアからアスマに関する話は聞けなかったが、仕事というには仕方がない。内容が内容でもあるので、仕事を優先されるべきだろう。
そう思った直後、イリスは仕事という単語から、自身の頭の片隅に追いやっていた、自身に与えられた使命を思い出した。
「あ、内通者!?」
思わず声を上げ、イリスは慌てて口を噤んだ。幸いなことに周囲に人はいないが、迂闊にも程がある行動だ。
イリスはほっと胸を撫で下ろしてから、改めて気を引き締めるように自身の頬を叩き、王城を見据える。今はそこに潜む内通者を焙り出すべきだ。本来はそちらを何よりも優先させるべきだった。
脇道に逸れてしまったことを反省し、イリスは王城に戻るのだった。
☆ ★ ☆ ★
王城内の廊下にて、大きく欠伸する衛兵が一人いた。ニコラスという名の衛兵だ。穏やかな日和に静かな王城の雰囲気が重なり、自然と欠伸が漏れ出ていた。
その姿に厳しい目を向ける衛兵が一人。ニコラスの先輩に当たる衛兵のミハイルだ。
「おい、気を抜くなよ。城の中だからって何があるか分からないんだからな」
「は、はい、すみません。竜王祭も終わって、この前の騒動も過ぎて、少し気が緩んでしまって……」
「過ぎてって…まだセリス様とシドラス様はウルカヌス王国に行ったままだろう?終わったわけじゃない」
「でも、もう身の回りで起きることは終わったというか。まさか、すぐ近くにいるのが一国の王女様なんて思いもしませんでしたから、それに比べると落ちついたと思いませんか?」
「ま、まあ……正直、それは分かる……」
つい同意するミハイルに微笑み、ニコラスは大きく深呼吸をした。言い訳を並べてしまった部分はあるが、気を緩めてしまった点は反省しなければいけない。王城内だから安心だという考えが間違えであることは、既に竜王祭での出来事が証明している。
自分達がしっかりと警戒することで、王城内の治安は保たれていると言っても過言ではない。それを心に刻んで、ニコラスは気を引き締めようとした。
その時、不意に窓の外を誰かが走っていく姿が見えた。誰なのかは分からないが、またアスマが逃げ出したのかと、ニコラスは興味本位で追いかけるように窓の外を覗き込む。
しかし、そこに見えたはずの人の姿はなく、ニコラスは窓の外を眺めたまま首を傾げた。
「どうした?」
その姿を不審に思ったのか、ミハイルが窓に近づきながら質問してきた。
「今、そこを誰かが走ったんですよ」
「誰かって誰だ?また殿下か?」
「そう思ったんですけど、見ようとしたら消えちゃって。もしかして、また例の幽霊なのでは……?」
「いやいや、あれは暗殺ギルドの人間が忍び込んでただけって、既に結論が出されてただろう?さっき欠伸してたし、お前疲れてるんじゃないか?」
ちゃんと休むように優しく注意するミハイルに礼を言いながらも、ニコラスは本当にそうなのかと疑問に思っていた。
確かに誰かが窓の外を走っていく姿は見えた。そう思っているのだが、それを疲れから来る見間違いだと言われたら、それを否定するだけの理由がニコラスには見つからない。
結局、ニコラスは良く眠ることを決意し、ミハイルと二人で警備に戻った。
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