笑顔の国
困惑するセリスの表情に、ベルとシドラスは苦笑するしかなかった。アスマの運んできた荷物を見ながら、アレックスも確認するようにセリスを見ている。
「殿下?それは何でしょうか?」
困惑するセリスの前に荷物を置きながら、アスマは満面の笑みを浮かべる。
「お土産だよ」
「お土産…」
幸いにも、と言うべきなのか、不幸にも、と言うべきなのか、昨日の時点でセリスにアスマの購入した土産物がバレることはなかった。それによってアスマが怒られることはなかったが、その一方で出発の目前である今になって、その問題が露呈することになった。
セリスの視線を感じて、ベルとシドラスは自然と視線を逸らしていた。知っていたのかと聞いてくる目だが、王都の街中まで同行した二人はもちろん知っていた。それを黙っていたことを咎められたら、もう言える言葉がない。
セリスの問いを受けても、未だに運び終える様子のないアスマに、セリスは困り切ったように頭を抱えていた。当たり前のことだが、荷馬車に乗る荷物の量には制限があり、アスマの土産物全てを乗せることは不可能だ。それを乗せるためには、他の荷物を捨てなければいけない。
しかし、アスマの購入した土産物を乗せられないからと言って、他国の王城に放置していくのは印象としてどうなのかと、セリスは悩んでいることがベルにも分かった。
しばらく悩み、セリスの中で考えがまとまったのか、セリスは驚きながらも、アスマの運んできた土産物を荷台に乗せようとしていたアレックスに声をかけた。
「すみませんが、今から少し手続きをしてきます」
「手続きですか?」
「はい。その荷物を別の方法で王城まで運んでもらえるように頼んできます」
「ああ、そういうことですか」
アレックスは苦笑しながら納得したように頷いていた。それから、セリスは王城の中に入っていく前に、ベルとシドラスを一瞥してくる。その視線に気づくや否や、二人は打ち合わせをしたわけでもなく、同時に頭を下げていた。精一杯の謝罪である。
その謝罪もあってか、セリスは特に二人に声をかけることもなく、王城の中に消えていった。
その一件が明確な原因となり、ベル達は予定時刻に出発することができなかった。ベルやアスマから事前に出発の時刻を聞いていたソフィアはその時間に現れ、まだ王城を発つ様子のないベル達に驚いた顔をしていた。
「どうしたの?」
「少し予定外の…いや、私達からしたら想定通りの理由で、ちょっと遅れててな」
そう答えながら、ベルはさり気なく、アスマの運んできた土産物に視線を送った。ソフィアはその視線だけで察してくれたようで、苦笑いを浮かべている。
その場所に現れたのはソフィア一人だけではなかった。エルもソフィアに同行する形でベル達の見送りに来てくれていた。
「皆さん、本当にありがとうございました。皆さんがいたことで、殿下を御守りできただけでなく、私の教え子の無念も晴らすことができました」
「いえ、私達はお礼を言われるようなことは何も…」
そう言いながら、かぶりを振るシドラスは謙遜しているわけではないとベルには分かった。良くも悪くもベル達がこの国に来たことで、この国に変化を及ぼしたはずだ。その変化で解決したこともあるかもしれないが、その変化がなければ起きなかったこともあるかもしれない。自分達が明確に活躍したと思えるほどに、何かを救った記憶がない以上、自分達が来なければ生まれなかった犠牲があるかもしれないと考えてしまうのが、シドラスの悪いところだ。
そう思いながら、ベルはシドラスを見守っていたのだが、その悪いところを数日の間でエルは理解してくれていたのか、単にエルがそういう性格なのか分からないが、返すようにかぶりを振りながら、エルは言っていた。
「いいえ、少なくとも、私は救われましたから」
その一言に驚いたように目を見開いてから、シドラスは小さく笑みを浮かべて、反対にお礼の言葉を返していた。
その様子を微笑ましく眺めていると、不意に近づいてきていたソフィアが声をかけてきた。
「何を見ているの?」
「いや、アスマの騎士は心配性だと思ってな」
「それくらいでいいんじゃない?」
「かもしれないな」
そう答えながら、ベルがソフィアを見た途端、ソフィアは優しく微笑みながら、ベルの手を取ってきた。
「貴女にもお礼を言わないと」
「私に?私は本当に何もしてないぞ?」
「貴女が思ってるよりも、私は貴女の存在に救われたわ」
真正面からそう言われて、ベルは驚きと一緒に照れ臭さを懐いた。少し頬を赤らめながら、ソフィアから視線を逸らして、小さな声で「そうか」と呟く。
「意外と可愛い反応」
そう笑顔で呟いてから、ソフィアはベルの顔をじっと覗き込んできた。その視線に戸惑いながら、ベルがソフィアを見ると、ソフィアは真顔で聞いてくる。
「ところで貴女とアスマの関係って、本当はどうなの?」
「本当はって?」
「主とメイドの関係だけじゃないわよね?そんな近さじゃないし、もっと親密に見えた。本当は何?恋人?」
真顔でそう聞いてくるソフィアにベルは戸惑いと一緒に笑いしか出てこなかった。ソフィアは笑われたことを不思議そうにしているが、ベルとアスマがそういう関係になることはない。
「ないない。まだ親子と言われる方が近いな」
「親子って…そんな年齢でもないのに」
ソフィアが普通にそのように呟いた姿を見て、ベルは自分のことを結局話していなかったと思い出した。特に言う必要もないかと思っていたが、言わない理由もないと思い直す。
「私は見た目以上に生きているんだよ。死なない…死ねないんだ」
「え?本当に?」
「こんな別れ際に嘘はつかない。アスマと近く見えるのは、アスマと似ているからだ。どっちも…」
そこまで言いかけて、ベルは口を噤んだ。言わない方が良い気がして、咄嗟にそうしたのだが、ソフィアも察してくれたらしく、それ以上は聞いてこなかった。
「でも、そうなのね…良かった…」
「ん?」
とても小さな声で呟いたソフィアの声が一瞬聞こえ、ベルは不思議そうにソフィアを見た。その視線に気づいたのか、ソフィアは少し顔を赤らめながら、「何でもない」と強く言って、今度はアスマのところに駆けていく。その姿を見ながら、ベルはまさかと考えていた。
「タリアに続き…いや、まさか…」
ベルがそう呟いていると、王城の中からセリスが戻ってきた。土産物は別で送ってもらうことに決まったらしく、戻ってきて早々、アスマに土産物を預けるように言っている。それにすぐ持って帰りたいと思ったのか、困ったような反応を見せるアスマの隣で、ソフィアが面白そうに笑っており、その表情にベルはどちらでもいいことかと思った。
☆ ★ ☆ ★
予定の時刻から遅れることにはなったが、ベル達は無事に王城を出発することになった。出発の直前にはノエルやガイウスも姿を見せ、ベル達を見送ってくれていた。ベルは誰なのか分からなかったが、窓から姿を見せている人物もいて、それに気づいたアスマは手を振っていた。アスマだけが知っている様子から、もしかしたら、昨日逢った人物なのだろうかと思いながら、ベルはその様子を見ていた。
王城を出発後、エアリエル王国に到着するのは翌日の予定だった。そこからは長い馬車の旅で、暇な時間はかなりある。そうなってくると、自然と話はウルカヌス王国でのことになっていた。
「いろいろとありましたが、取り敢えず、殿下がご無事で良かったです」
そのようにシドラスはホッとした様子で言っていた。アスマの正体がエンブにバレてしまった時はどうなるのかと思ったが、結果的にこうして帰ることができて、今となれば良かったとベルも思っている。
そう思ってから、ベルは到着した時のシドラスの言葉を思い出し、一つの事実に気づいてしまっていた。
「今、気づいたんだが、そもそもシドラスがアスマのことをギルバート卿だと紹介しなければ、正体がバレることもなかったんじゃないか?」
ベルがそのように指摘すると、シドラスは身体を強張らせ、急にベルから視線を逸らした。
「気づいていたな?」
「いえ…それは…」
「いえ、ベルさん。そもそも、殿下が馬車に忍び込まなければ、殿下の正体を隠す必要もありませんでした」
セリスからの全うな指摘に、今度はアスマが馬車の外に目を向けていた。特に景色に変化もないはずなのに、「綺麗だなぁ」と小さく呟いている。その様子を冷めた目で見ながら、ベルはギルバートに関することで一つ言われたことがあったことを思い出した。
「そういえば、エンブ卿と最後に逢った時、私とアスマは本物のギルバート卿がウルカヌス王国を訪れる際に、紹介するように言われたな」
「ああ、言われたね」
さっきまで景色を見ていたはずのアスマが唐突に会話に飛び込んできた。やはり、景色は見ていなかったと思いながらも、今回は指摘せずに放置しておく。
「紹介される予定ですか?」
シドラスの質問にベルはかぶりを振る。
「いや、あのギルバート卿のことだから、悪戯に争いの種を増やすことはないだろう。そもそも、紹介する機会がない」
「確かに。ギルバート卿の性格からするとそうでしょうね」
「話すとしたら、ギルバート卿よりもグインだな」
ベルが初日に逢ったミドリのことを思い出しながら、そのように呟いていた。アスマもちゃんと覚えていたようで、ベルの言葉に同意するように頷いている。
「いえ、それよりも、殿下とベルさんは他にお話しする相手がいると思いますよ」
不意にセリスがそう言ってきて、ベルとアスマは不思議そうな顔をした。他に話をする相手と言われても、すぐには思いつかない。そういえば、イリスが帰ってきていると聞いたから、イリスのことだろうかと思っていると、セリスは真顔で聞いてきた。
「お二人はこの国に来ることを誰かに報告しましたか?」
「いや…」
と答えながら、ベルは気づいた。急にこの国に来ることになってしまったベルは、そのことを誰にも言っていない。それはもちろん、同僚であるネガやポジ、上司であるルミナも含んでいる。
「…………タリアということにならないだろうか?」
真剣に呟いたベルに、シドラスとセリスは小さく笑いながら、無情にかぶりを振っていた。
☆ ★ ☆ ★
アスマ達が王城を出た直後のことだった。ソフィアは見送りに現れていたガイウスに声をかけられ、ハムレットの部屋を訪れることになった。どうやら、ハムレットがソフィアに用があるらしい。
その内容を聞けないまま、ソフィアは渡された防魔服に身をまとい、ハムレットの部屋を訪れる。そこではハムレットと一緒にロップスも待っていた。
「ロップス卿?」
「どうも、ソフィア殿下」
「ロップスは手伝ってもらってたんだ」
「手伝い?」
何を手伝っていたのだろうかと思いながら、ハムレットに促されるまま、ソフィアは用意されていた椅子に腰かけた。その間にロップスがソフィアの目の前にイーゼルを運んでくる。その上にはキャンバスが乗っているようだが、布で隠されており、詳細には分からない。
「ソフィアが王城を抜け出したと聞いて、俺はきっと疲れてしまったんだなって思ったんだ。きっと一人で頑張ろうとして、頑張り切れなくて、少し休みたくなったんだなって。だけど、ソフィアのことだから、きっと帰ってくるって思っていて、その時に今度はソフィアが疲れた時に、ちゃんと助けられることを伝えたいなって思ったんだ」
そう言いながら、ハムレットはキャンバスを隠した様子の布を掴み、一気に捲っていた。
「その気持ちをちゃんと知って欲しくて、ちゃんと覚えて欲しくて、この絵を描いたんだ」
ハムレットが布を取ったことで、その下に置かれていたキャンバスが姿を見せ、ソフィアの目の前に一枚の絵が現れていた。ハムレットが描いたという絵はソフィアの記憶にもある光景で、その絵にソフィアは言葉を失っていた。
「これって…」
ようやく出すことのできた声に、ハムレットは笑顔で頷いてくれる。
「俺とソフィアだよ。小さい頃に二人で遊んでいた時の絵だよ」
たくさん積まれた本の中で、まだ幼いソフィアとハムレットが一冊の本を広げて、顔を突き合わせて読んでいた。ハムレットは特徴的な黒い外套を着る前で、ソフィアは忘れかけていた屈託のない笑顔を浮かべている。その絵を見ていると、ソフィアは忘れかけていた幼き頃のことを鮮明に思い出し、ソフィアが気づくよりも先に目から涙が零れ落ちていた。
「辛くなったら、あの頃みたいに俺のところに来ていいよ。辛かったことを話してよ。楽しいことも話そうよ。それくらいの時間はあってもいいから。俺はソフィアの味方だから、ソフィアの大変さを少しくらい分けてよ」
ハムレットの言葉にソフィアはポロポロと涙を零しながら、大きく頷いていた。今度は一人で抱え込まない。ちゃんと頼らなければいけない時は頼る。その気持ちを強く約束しながら、ソフィアは震える唇を何とか動かす。
「私ね…この国を良くしたいの…誰かが笑えない…悲しい気持ちになる国は嫌だから…できるかな…?」
ソフィアの震えた言葉にハムレットは笑顔で力強く頷く。
「できるよ。いや、しようよ。俺も協力するから」
その一言にとても安心しながら、ソフィアは何度も頷いていた。
とても回り道をしてしまったが、ちゃんと戻らなければいけない場所に戻ることができた。その安堵感が優しくソフィアの背中を押してくれていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます