王国の実態(2)

 魔術道具街を訪れるのは二度目だった。一度目はエルに連れられ、ケロンの殺害現場に向かった時だ。その時からベルも思っていたのだが、初めて訪れたソフィアも同じことを思ったようで、魔術道具街に踏み込んだ直後、少し顔を歪めながら呟いていた。


「ゴミが多い…」

「目に見えて清掃されていないな」


 ベルの呟きにソフィアは悲しそうに頷いている。王城はもちろんのことだが、この魔術道具街以外の王都の街中は清掃が行き届いていた。さっきまで、その光景を見ていたことから、その落差の激しさに驚いたのだろう。


「ここを観光で訪れる人はいませんからね。国から清掃のために人が派遣されることもなければ、ここに住む人達が自主的に清掃することもない。結果的にゴミが溜まるのでしょう」


 シドラスの憶測にソフィアは納得したように頷いていた。恐らく、エアリエル王国にいた頃に似た光景くらいは見ているはずだ。それが自分の国にもあったことがショックだったのかもしれないとベルは思った。暗殺ギルドの一員として行動していたのなら、汚い光景の一つや二つも見ているはずで、それが自分の国にもある事実に悲しくなったのだろう。


「それで、ここからどうするの?」


 両手一杯に荷物を持ったアスマがソフィアに聞いた。さっきまで回っていた街中で、一通り土産物は購入したらしく、エアリエル王国に戻ったら、皆に配ると喜んで話していたのだが、その荷物の量にベルやシドラスは大丈夫かと心配していた。


 この量の荷物を荷馬車に乗せると言い出して、セリスは怒り出さないだろうか。二人は真っ先にそう思ったのだが、アスマはそのことに気づかなかったようだ。言っても聞かないことは分かっているので、ベルやシドラスは何も言わなかったが、内心後で面倒なことにならないかと不安に思っていた。


「ちょっと回ってみたいところがあるの」


 アスマに聞かれたソフィアは何かの紙を取り出しながら、そう口に出した。紙はメモのようで、住所らしき物が書かれている。添えられている名前は人の名前というよりも、店の名前のようだ。


「それは?」

「師匠に教えてもらった政府公認の魔術道具屋。そこを回ってみようと思って」

「魔術道具屋?いいね!」


 アスマが楽しそうに笑いながら答えていた。あれだけの荷物を持って疲れないのかとベルは思うが、アスマが何として生まれてきたかを考えたら、それも不思議に思うことではないように思えた。

 そうだ。アスマは馬鹿だった。


「それを見ても私達は場所が良く分からないのですが、案内していただけますか?」


 シドラスはメモを覗きながらソフィアに聞いたが、顔を上げたソフィアはきょとんとした顔でシドラスを見つめるだけで、なかなかに返答してくれない。


「王女殿下?」

「分からないの?」

「え?いや、まあ、時間をかければ分かるかもしれませんが、見てすぐに分かるものでは…」

「それなら、一緒に時間をかけましょう」

「え?王女殿下?もしかして…」

「私も分からないわ」


 自信満々に言ってのけたソフィアを見て、ベルとシドラスはつい顔を見合わせていた。アスマとのやり取りで慣れたつもりでいたのだが、こういう王族の対応も不意にされると動揺するらしい。いらないことを学んでしまった。



   ☆   ★   ☆   ★



 政府公認と言っているだけあって、ソフィアのメモにあった魔術道具屋は、魔術道具街の中でも真面な店構えをしていた。特別に綺麗というわけではないが、特別に汚いというわけでもなく、建物の一部が古くなった形跡はあるが、修理が必要な部分は修理されているくらいに、ちゃんとしている店だ。


 店構えが真面なだけあって、店の中の商品に関しても、特別不思議な物は売っていなかった。ベルは魔術道具に詳しいわけではないのだが、話に聞いてみると魔術師ではなくとも扱える簡単な魔術道具ばかりのようだ。それらを手頃な値段を売っているらしい。


「魔術師用の値段の張る魔術道具は売っていないのですか?」


 シドラスの質問に店主はかぶりを振っていた。


「基本的には売っていないですね。ただ国家魔術師の方々が注文されるので、その時に仕入れることはあります。もちろん、ちゃんとしたルートで」

「それはどうして?売れないからですか?」

「一番の問題は仕入れる際の費用ですね。これがかなりかかりまして、そこから利益を得ようとしたら、相当な値段になってしまうのですよ。そうなると、違法なルートで売っている魔術道具屋には絶対勝てない。売れ残ることは目に見えています」

「なるほど。そこで競争があるのですか」


 シドラスはそう言いながら、ちらりとソフィアの様子を窺っているようだった。ソフィアは帽子等を駆使して、適度に変装をしているが、声までは変えていない。ソフィアがソフィアであると知られないようにするには、シドラスが代わりに質問するしかなかった。


「生活のことを…」

「ここでの売り上げで生活はできているのですか?」


 ソフィアが小声で聞いたことをシドラスは変換し、店主に聞いていた。


「ええ、それなりには。贅沢はできませんが、元々特別な才もなかった身なので、魔術師として魔術道具の売買で生活ができていられるのは嬉しいことですよ」


 そのように店主は笑っていたが、ソフィアの表情は明るくなかった。そのことを不思議に思っていたベルが店を出た直後に聞いてみると、ソフィアは店の外観を改めて見ながら、言った。


「師匠達の生活と比べると、明らかにここでの生活は貧しかったわ。それなのに満足しているということは、他がもっと悪いという証拠よね?」


 ソフィアの呟きにベルは答えられない。チラリとシドラスを見てみたが、シドラスは困ったような顔をしながら、少し頷くだけだ。


「ごめんなさい。変なことを言ってしまって」

「いえ、次はどうされますか?」

「もう少し魔術道具屋を見て回りたいわ」

「え?ですが、メモは…」


 先ほど出た店がメモに記された最後の店だった。そのことをシドラスが伝えようとすると、ソフィアは分かっていると言わんばかりに頷き、口を開いた。


「政府非公認の魔術道具屋も見てみたいの」


 その言葉の意味が分かり、緊張したに表情を少し硬くしたシドラスの隣で、さっきから静かだったアスマが呟いた。


「重い…」

「買い過ぎだ」


 それ以上の言葉はなかった。



   ☆   ★   ☆   ★



 廃屋に読み取れる程度の文字で書かれた看板が掲げられていた。それは一見すると潰れた店のように思えたのだが、実際は現在も営業中のようだった。それが違法なルートで仕入れた魔術道具を売り捌く魔術道具屋の一つらしい。近くで聞き込みをしたシドラスも、その店構えに少し驚いているようだが、ソフィアの比ではなかった。


「こんなところで営業しているの?」

「こんなところしかないのだろうな」


 そう呟きながら、ベルは近くの路地に目を向けていた。ここまで来る途中に覗いた路地では、幾人もの浮浪者達が寝床を作っていた。王都の街中にそれらの光景はなく、ベルは不思議に思っていたのだが、どうやら全てがこの魔術道具街に押し込まれているらしい。それらの光景を思い出したのか、ソフィアは表情を曇らせている。


「ここでは普通を求めることができないのだろう。ソフィアも経験があるだろう?」


 ベルの問いにソフィアは小さく頷いた。似た経験自体はベルもあるから分かることだ。何も持たない者にとって、これくらいでも宝のように見えることがある。


「入ってみますか?」


 シドラスが問いかけると、ソフィアはゆっくりと迷ってから、かぶりを振っていた。


「多分、貴方の迷惑になるわ」


 ソフィアの呟きにシドラスは何も言わなかったが、ベルも同じことを考えていた。この店は先ほどまでの店のように、入って何も買わないで済むとは思えない。何かを買うまでは出られないか、何かしらのトラブルに繋がる可能性がある。その時にソフィアがソフィアであることが知られたら、それは大きな問題になるだろう。


「だけど、こんなに違うなんて思ってもみなかったわ」


 何と何が違うのか、具体的にソフィアは言わなかったが、恐らく、全てにそう思ったのだろうとベルは思った。その言葉を聞いていたアスマが荷物の一部をシドラスに渡し、解放された顔をしながら、ソフィアに呟いている。


「その違いをなくすのは難しいんだって」

「え?」

「俺の国にも家のない人とか、たくさんいて、そういう人達をなくせないのかって、ラングに聞いたことがあるんだ。そうしたら、そう言われたんだ。全員が持っているのは、誰も持っていないことと同じになる。誰かが持って、そこに価値が生まれた段階で、それを持てない人も出てきて、その差をなくそうと思ったら、また違う何かが犠牲になるだけなんだって」

「全部が良くなることはないのね…」

「でも、俺はもっとマシになることくらいはあると思ってるよ」

「マシ?どんな風に?」

「それは分からないけど…でも、もう少し、皆で笑えるようになってもいいと思わない?」


 アスマの問いにソフィアは不思議そうな顔をしていたが、やがて、我慢できなくなったように小さく笑い出し、その言葉に頷いていた。



   ☆   ★   ☆   ★



 ソフィアによる魔術道具街の視察も終わり、王城に戻ってきたベル達を出迎えたのは、意外にもガイウスだった。


「あれ?どうしてここに?」


 アスマもガイウスによる出迎えは意外だったようで、思わず聞いていたのだが、ガイウスは軽く会釈するだけで、アスマの質問には答えなかった。どうやら、ガイウスが待っていたのはソフィアだったらしく、その視線はすぐにソフィアに向く。


「ソフィア殿下、準備が整いました」

「そうなのですね…」


 そう呟いたソフィアの表情が強張り、緊張を解すように深呼吸を繰り返している。


「何の準備だ?」


 そう聞いたベルの声に反応し、ソフィアはベルを見てきた。


「これから、と逢ってきます」

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