歪んだ愛情

「お兄様が悪いのです…私がこんなに愛しているというのに…!」


 リリィの告白はその一言から始まった。ガイウスが拘束した直後は、ソフィアに対する恨みの言葉を呪詛のように並べていたリリィだが、話を聞くためにボウセンのいる部屋と同じ並びの部屋に連れてこられた時点で、既に落ちついた様子だった。始まった告白も、リリィは嘆き悲しむように呟いている。


 事の発端はユリウスに対するリリィの愛情のようだった。それは傍から見ていても分かることだったのだが、それは傍から見ている分に想像していたよりも深かったらしく、リリィはユリウスを異性として愛していたようだ。


 もちろん、リリィも馬鹿ではない。それが世間一般で許されざる恋であることは理解しており、その気持ちを表に出すことはなかった。それこそ、ユリウスにも伝えることはなかった。

 妹としてでも構わないから、ユリウスがリリィを愛してくれて、誰のものにもならなかったら、それだけでいいとリリィは本気で思っていた。


 しかし、ある日、ユリウスがソフィアの婚約者に決まってしまった。リリィはそのことに酷く動揺し、どのように思ったらいいのか分からなかった。

 誰のものにもならないで欲しいと思っていたユリウスが誰かのものになってしまう。その気持ちにリリィはなかなか折り合いをつけられずにいた。


 ただ婚約者であることは突然、決まったことだった。恐らく、国王であるイグニスを含んだ話し合いの中で決まったのだろうと思われる結果に、リリィは冷静に考えることにした。


 これは決められた結婚であり、ユリウスがソフィアを愛しているわけではない。そこに愛がないのなら、その関係に納まることで、ユリウスは誰のものにもならなくなる。そうしたら、ユリウスが本当に愛する人は自分だけになる。そのように思うことにした。


 そうして、リリィはユリウスの婚約者となったソフィアとも、何の変化もなく、その関係を続けられるようになり、それで丸く収まったはずだった。


 しかし、ある時、リリィは気づいてしまった。ユリウスがソフィアのことを本当に愛している事実に。


 自分には一度も向けられたことのない感情の数々が、ソフィアに向けられている様子を見て、リリィの落ちついていた気持ちは次第に荒れるようになっていた。どうして、ソフィアばかりがユリウスから、そのような感情を向けられるのかと、リリィは激しく嫉妬するようになっていた。


 嫉妬は憎しみに変化し、次第に殺意に似た感情を覚えるようになっていた頃、リリィはふとした時にボウセンがハムレットを王にしたいと思っていたことを知ってしまった。

 ソフィアを殺したいと思うほどに憎んでいるリリィと、ハムレットを王にするためにソフィアが邪魔だと思っているボウセン。二人の利害は一致し、すぐにソフィアを暗殺するために計画を練ることになった。


 その計画を立てている最中のことだ。最大の障害と思っていたソフィアの騎士であるラキアが、忽然と姿を消した。それはボウセンも事情を知らないことであり、何があったのか調べる必要があると、リリィ達は判断した。


 その中で、王国内には貴族に対する不信感から、クーデターを画策している反乱分子が一定数いることが判明した。

 その存在を知った時、リリィは使えると思った。発端は貴族に対する恨みかもしれないが、それを国に対する恨みに、延いては王族に対する恨みに変えれば、その矛先をソフィアに向けることができるかもしれない。


 そのために反乱分子を拡大させ、ソフィアに刃が届く距離に作り出す必要があった。

 そこでリリィはボウセンと協力し、ブランをこの計画に巻き込み、無理矢理に国外から反乱分子に使わせる武器を輸入させた。それらの武器が流通し、反乱分子の力が増していくと、必然的にその数は多くなる。


 結果、期待通りに王城内にコルトという反乱分子が生まれた。それを利用し、ソフィアの暗殺計画は実行に移されたが、想定外にソフィアが王国から逃げ出す事態になってしまった。


 とはいえ、本来の目的はソフィアを消すことであり、そこに生死は関係ない。王国内からいなくなってくれるのであれば、どちらにしても良かったとリリィは思っていた。


 だが、ソフィアは戻ってきた。再びユリウスの前に現れてしまった。それをリリィやボウセンは邪魔と思わないわけがなかった。すぐに犯行に移ったが、今度はエアリエル王国から来たアスマ達がそれを妨害した。


 これ以上、ユリウスにソフィアを近づけたくないとリリィが焦る中、ソフィアの殺害に苦戦している時のことだった。あの夜を迎えてしまった。


 原因はコルトからアスマ達による妨害の話を聞き、怒ったリリィの注意力が落ちていたことだった。普段は完全に隠せているはずのソフィア暗殺計画に関する証拠の一つである、ブランとの間に交わされた契約書がユリウスに見つかってしまった。

 それを見たユリウスはさぞ驚いたことだろう。何せ、自分の名前で身に覚えのない契約が交わされているのだから。


 酷く怒りながら、どういうことだと理由を聞いてくるユリウスに、リリィは嫌われたくない一心で、全てを話してしまった。ソフィアの暗殺計画から、反乱分子を利用しようと考えたことまで全てだ。


 それでも、リリィはリリィを守るためにユリウスが黙っていてくれると思っていた。リリィを愛しているなら、ユリウスはリリィを見捨てることをしないはずだと思い込んでいた。


 しかし、ユリウスはすぐに国にリリィの行いを報告すると言い出した。それでバルカンの貴族としての立場を失ったとしても、それは許されざる行為だと言って、ユリウスはリリィの頼みを聞こうとしてくれなかった。


 それを見た時にリリィは思った。きっとユリウスは自分よりもソフィアを愛しているのだ、と。だからこそ、自分のことよりもソフィアを守ることを選ぶのだろう、と。

 そう思ったら、リリィは酷くユリウスに裏切られた気持ちになった。自分はこんなに愛しているのに、ユリウスはソフィアのことばかりを考えて、どうして自分を見てくれないのだと、リリィは激昂した。


 そして、気がついたら、ユリウスが倒れていた。赤く染まったユリウスの背中と、同じように赤く染まった自らの両手を見たら、何が起きたのかはすぐに理解できた。


 動揺する頭でリリィは必死になって考えた。どうして、こうなってしまったのか。これから、どうしたらいいのか。ユリウスがいなくなってしまったという絶望にも襲われた。


 そうして思考を巡らせ、やがて、リリィは一つの結論に至った。


 これら全てはソフィアが原因だ。何もかもソフィアが悪い。何としてでも、ソフィアを殺さないと。そうしないとユリウスも報われない。


 その歪んだ思いは膨らみ続け、そこから、リリィのコルトに対する指示は激しくなった。昼夜問わず、襲えるタイミングになったら襲えと言い、最終的にコルトが捕まったとしても、ソフィアだけは殺すように言っていた。


 それも失敗し、コルトだけでなく、ボウセンまで捕まる結果になり、このままだと自分の存在も知られると思ったリリィは、最終的に自分の手でソフィアを殺そうと決意した。そのために時間が必要だと思い、時間稼ぎのためにコルトも殺害し、ソフィアを確実に殺そうとした。


 しかし、それも失敗に終わり、リリィはこの場所で全てを話すことになった。


「あの女が…全部、あの女が悪いのに!」


 そう叫びながら、しくしくと泣き始めたリリィに、ガイウスはかける言葉がなかった。何を言っても、どうしようもない。そう思うだけだった。



   ☆   ★   ☆   ★



 ゆっくりと顔を上げるボウセンを見下ろしながら、エルはその前に座った。ボウセンの顔を見ていると、怒りよりも悲しさの方が湧いてくる。


「どうして、ケロンさんを殺したのですか?」


 開口一番、そのように聞いたエルに、ボウセンは不思議そうな顔をした。


「ケロン?」

「貴方が魔術道具街で殺した男の子が一人いたはずです」

「ああ、あいつか…」


 そう平然と呟いたボウセンに、エルは殴りかかりたくなったが、そうして握った拳も虚しさしか感じられなかった。


「あの場所はブラン卿と取引をしていた場所だ。あの時もブラン卿に呼び出され、俺は問い詰められた。ユリウス卿が殺されたのだが、話が違うではないか、と。それに俺は関係ない、既に関わっているのだから、今更逃げられると思うなよと返し、口論になった場面をあいつが見ていた」

「だから、殺したのですか?」

「そうするしかないと咄嗟に思った。誰かに話されたら、終わる可能性が高い。特にガイウスは疑って動いているみたいだった。騎士団長の動きも分からない以上、子供の証言でも信じる奴はいるはずだと思った」


 身勝手だとエルは思ったが、身勝手なことはケロンが殺されたと聞いた時から分かっていた。殴ることも考えたが、殴ったところで何かが変わるわけではない。


「貴方はケロンさんを殺して、悪かったと思っていますか?」

「思えばいいのか?」


 そう聞いてきたボウセンに、エルは悔しそうに歯を食い縛ってから、かぶりを振った。


「貴方に後悔する権利はない」


 エルはすぐに部屋から出ることにした。これ以上、ボウセンと会話する理由がなかった。あれは人ではない。そうとしか思えない姿に、エルが真面に相手する必要性を感じなかった。


「ごめんなさい…」


 部屋を出た直後、エルは小さくそう呟いた。それはケロンに向けられた言葉だった。エルは支え切れなくなったように、扉に凭れかかりながら座り込み、ゆっくりと両膝を抱える。


「ごめんなさい…」


 再び呟き、両膝に顔を押しつけた。じんわりと膝に濡れた感触を覚えた。

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