歪んだ殺意(1)

 セリスが部屋を出た直後、扉がノックされる音に、ソフィアの身体は過剰に反応した。命を狙われていた後遺症とも呼べる反応に、ソフィアは動揺しながら、扉に目を向ける。ソフィアの命を狙っていたはずの人達は捕まったはずだ。他にまだ潜んでいる誰かがいる可能性はあるが、それがすぐに動くとは思えない。

 先ほどの騒ぎのことがあり、誰かがその後の説明をしに来たか、王城を出たアスマ達が戻ってきたかのどちらかだろうと思い、ソフィアは扉に声をかけた。


「失礼します。殿下とご一緒するように頼まれたので、やってまいりました」


 扉の向こうから、そのように女性の声が聞こえてきて、ソフィアは表情に驚きを浮かべていた。その落ちついた女性の声は何度も聞いたことがあるので、誰の声なのかすぐに分かる。


「マリア?」

「はい」


 ソフィアが問いかけるように名前を呼ぶと、扉越しに返事が返ってきた。どうして、ここにマリアが来たのかと思う一方で、先ほどのマリアの言葉を思い出し、ソフィアは疑問に思った。


「私と一緒に頼まれた?誰に頼まれたのですか?」

「エアリエル王国からやってこられた女性の騎士の方に」


 それがセリスのことであるとすぐに分かった。恐らく、部屋を出た後にセリスはマリアと遭遇し、護衛という言葉を使うことなく、間接的にマリアにソフィアの護衛を頼んだのだろう。少なくとも、セリスはマリアに疑いを持っていないということらしい。


 ソフィアは扉越しにマリアと会話しながら、部屋の中にマリアを招くべきなのか悩んでいた。まだ誰かがソフィアの命を狙っている可能性はあり、その誰かがマリアの可能性もある。それらを危惧すると、マリアを部屋に招き入れるべきではないが、そもそもノックをして、声をかけた時点でマリアの疑いは少ないようにも思えた。

 それに否定されない限りは永遠に存在する可能性を危惧しても何も始まらない。それはノーラやリエルと話したことで、ソフィアが心の底から理解したことだ。


「どうぞ」


 ソフィアが扉に向かって、そのように声をかけると、ゆっくりと扉が開いてマリアが入ってきた。


「失礼します」


 そのように口に出しながら、マリアが軽く頭を下げてくる。その姿を見ながら、ソフィアはマリアに何と声をかけるべきなのか悩んでいた。


 マリアとの付き合いは始まりが思い出せないほどに長い。昔のソフィアを良く知っている一人がマリアだ。

 それでも、いつの頃からか、ソフィアとマリアの関係は薄くなっていた。そのことをソフィアは深く考えたことがなかった。それはマリアに限った話ではなく、次期女王になるのだから、周囲の人達とは一定の距離を保つべきだと思い込んでいたからだ。


 しかし、命を狙われたソフィアが向かったエアリエル王国で、それを真正面から否定する光景ばかりを見た。自分の考えに、その頃から迷いが生じていたのだと思う。


 その後、ウルカヌス王国に帰ってきて、ハムレットとの約束があり、ノーラやリエルと向き合った結果、ソフィアは自分の考えがただの身勝手な思い込みだったと気づいた。そうして思い始めると、いろいろと気になることは増えてくる。


 マリアともソフィアは昔のように話せるのだろうかと思い始めており、その絶好の機会であることは分かっていた。

 ただ言葉はなかなか出てこなかった。扉付近に立ったまま、マリアは動こうとしない。こちらに呼ぼうとも思うのだが、その言葉もソフィアはうまく導き出せない。

 そのソフィアの苦悩を察知したのかもしれない。ソフィアよりも先にマリアが口を開いた。


「何でしたら、部屋の外でお待ちしましょうか?」


 ソフィアの事情を見透かしたようにマリアが聞いてきた。その表情はいつもと同じで変化がなく、ソフィアは少し迷ってから、小さくかぶりを振った。


「一緒にって言われたのですよね?」

「そうですが、殿下がお一人の方がよろしいと言われるのでしたら、そちらでも私は構いません」


 そう返答してきたマリアにソフィアはかぶりを振った。それから、唐突な疑問に襲われ、マリアの顔を見た。


「そういえば、マリアはセリスが王城の中を歩いていて驚かなかったのですか?」

「多少は…ただ何かがあることは気づいていましたので、大きく驚くことはありませんでした」


 セリスと逢った時のマリアの反応は簡単にイメージできた。今のマリアの様子と大して変わらないはずであり、その反応を見て、セリスはマリアに頼んだのかもしれない。その場合はセリスが勘違いしている可能性も十分に考えられる。


「マリアは変わらないですね」


 そう呟き、ソフィアが苦笑した直後、マリアが表情を変えることなく口を開いた。


「殿下はお変わりになりましたね」


 マリアのその一言にソフィアは表情を強張らせた。昔のマリアとのことを考えていた矢先の言葉に、ソフィアは完全に先手を打たれた形だった。


「そうでしょうか?」


 そう問いかけたソフィアに、マリアは遠慮なく、「はい」と答えていた。


「どのように変わりましたか?」


 ソフィアが表情を強張らせたまま聞くと、マリアは少し口を閉ざした。頭の中で昔のソフィアを思い出し、言葉を整理しているのかもしれない。もしくは今のソフィアに対する否定の言葉かもしれない。そう少し怯えながら、ソフィアはマリアの言葉を待つ。


「殿下は強くなられました」

「え?」


 マリアの想定外の言葉にソフィアはとても驚いた。扉付近に立ったまま、マリアは昔を思い出しているのか、軽く目を瞑っている。


「昔の殿下はお一人になることが苦手で、夜中にトイレに行きたいと起こされ、お怪我をされた際にはハムレット殿下を良く困らせていました」

「ちょっと待って」


 唐突に口に出された恥ずかしい思い出に、ソフィアの顔は真っ赤になる。聞いていられないと耳を塞ぎそうになるが、その前にマリアは続けてきた。


「ですが、殿下はそこから何でも、お一人で解決しようと努力されるようになりました。それがどれほどのものだったのか、もうこの城にいる誰もが把握できていないほどです」

「それは…」


 ソフィアは言葉に詰まった。確かに昔より強くなったソフィアだが、それは全て良い変化ではなかったと今なら分かることだ。誰かに頼ることが必要か、ソフィアはようやく理解できるようになってきていた。


「ですが、それは私達の目から見た殿下の御話だったのかもしれません」

「え?」

「あの日…殿下がこの城から姿を消してしまった日…私は後悔しました。殿下はお変わりになったように見えていただけで、本当は何も変わっていなかったのではないかと。何もかもを抱え込むのが辛くなり、逃げてしまわれたのではないかと。もしそうなら、その一端でも私達が受け止めるべきだったと、とても強く後悔しました」


 ソフィアが自らに迫る凶刃から逃げ出した時、残されたマリアはそのようなことを考えていたのかと、ここで初めて知った。やはり、誰かに頼るべきだったと、その気持ちに触れたことで、ソフィアは改めて強く思う。


「でも、今の殿下は本当にお変わりになったと思います。きっと辿りついた先で、何かがあったのでしょう」


 そう言われて、ソフィアは口を噤んだ。今は話せないだけである命を狙われた事実とは違い、時間が経っても話せないことを思い出し、ソフィアは少し寂しそうな表情をした。今更ながらに後悔の念が湧いてくる。


「きっと、今の殿下でしたら、お一人でも大丈夫なのでしょう。そう思えるほどに殿下は強くなられました」


 マリアに改めてそう言われて、ソフィアは小さくかぶりを振った。自分は何も強くなどなっていない。それは嫌というほどに実感したばかりだ。


「マリアは私のことが…」


 ソフィアがそうマリアに聞こうとした瞬間だった。マリアの背後で扉がノックされた。ソフィアの言葉が止まり、マリアが代わりに扉を開いて、そこに立っている誰かと話している。


「リリィ様がお逢いしたいと仰っていますが、どうしますか?」


 不意にマリアが振り返り、ソフィアにそう聞いてきた。ソフィアは少し迷ったが、ユリウスを亡くしてから、まだ時間の経っていない時であり、その状況でリリィが逢いたいと言うからには大事な用事の可能性が高い。

 ソフィアが首肯すると、マリアは部屋の中にリリィを招き入れた。


「ごめんなさい。少し二人でお話ししたいのですが、よろしいですか?」


 リリィにそう頼まれ、マリアは軽く会釈をしてから、部屋を後にした。セリスが護衛を間接的に託したマリアがいなくなることは不安だったが、マリアに顔を見られている状態で、リリィが何かをするはずもない。必要以上に怯えることもなく、ソフィアはリリィに聞く。


「何かありましたか?」

「実はお兄様の遺品を整理しておりまして、それでソフィア殿下にお話ししたいことが」

「遺品ですか?」


 王城に来る機会の多かったユリウスのことだから、王城に置いてある荷物も多いことは容易に想像できた。その中でソフィアに関わるものが見つかったということだろうかと思っていると、不意にリリィがソフィアに聞いてきた。


「ところで、殿下はお兄様のことを愛していましたか?」


 唐突な質問にソフィアは言葉に詰まった。当人のいない状況でどう言えばいいのだろうかと迷ってから、ソフィアは口を開いた。


「実のところは婚約者として接していただけで、そこに愛情があったのかどうかは分かりません」

「……そうなのですか」


 少し誤魔化しながらも本心を伝えたことで、ソフィアはリリィの顔が見られなくなっていた。気を悪くしていないだろうかと考えていると、先ほど言っていた遺品なのか、リリィが何かを取り出している雰囲気を感じる。


 そういえば、遺品とは何なのだろうかとソフィアが思っていると、リリィがゆっくりとこちらに近づいてきた。

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