王女と王子(3)

 ソフィアの背中を押し、ハムレットの部屋に送り出した後、ソフィアのいなくなったソフィアの部屋に、ベル達は残っていた。短時間で様々な出来事が重なり、精神的な疲労が溜まりに溜まったベルと違い、アスマは非常に元気そうな笑顔で座っている。


「何を話しているのかな?ねえ、ベル。何だと思う?」


 暢気な態度でそのように聞いてくるが、ベルはそれどころではなかった。アスマの正体が悟られないように気を遣っただけでなく、アスマの正体が知られてしまい、胃に穴が開くかというストレスの中で、ベルは判断を迫られたのだ。疲れ切って動けなくなる方が当たり前であり、元気なアスマは異常に思えた。


「私は疲れたんだ…もう話しかけないでくれ…」


 ベルがか細い声でアスマに言ってみせると、アスマは笑い声を上げながら、かぶりを振り始める。


「そんなお年寄りみたいなことを言わないでよ」

「いや、お年寄りだぞ?」


 ベルの年齢を忘れてしまったのか、ベルがおかしなことを言ったように笑うアスマに、ベルは非常に苛立った。ともすれば、顔面を直接殴り飛ばしたいところだが、シドラスの手前、そのようなこともできない。


 そう思ったベルがシドラスを見たところで、シドラスがさっきから何かを考え込んでいたことに気づいた。ベルの視線でアスマも気づいたのか、不思議そうにシドラスを見ている。


「どうしたの?」

「何かあったか?」

「いえ…王女殿下をハムレット殿下の元に送り出して良かったのかと考えていまして」

「ああ、そんなこと」


 深刻に考え込んでいる様子のシドラスの呟きに、アスマは何てことはないと言いたげに、簡単な一言を呟いた。その一言に驚いたようで、シドラスはアスマの発言を疑うような目で、アスマを見つめている。


「大丈夫だよ。ハムレットはソフィアの命を狙ってないから。話を聞いていたら分かるから。誰かを恨む人はそういう人に見られるよ。そう見えないってことは恨んでいないか、心の底から恨み切れてないかのどっちかなんだよ」


 アスマの発言に戸惑った顔をしながら、シドラスがベルを見てきた。その途端に納得した様子のシドラスを見て、ベルは気恥ずかしさから顔を真っ赤に染める。


「それよりも、ハムレットが違うなら、誰が防魔服を用意したんだろうね」


 アスマは何気なく呟いたようだったが、その言葉でシドラスが再び考え込み始めるのではないかとベルは思った。

 定期的に考えるのが好きなシドラスのことだ。十分あり得る、とベルは思ったのだが、意外とシドラスは表情を変えることがなかった。


「それは現状分かりませんが、騎士団長殿も動いていることですので、私達が動くことではないかと」

「そこはそういう対応なんだな…」


 突然、冷めた態度のシドラスに驚き、ベルが思わずそう口に出すと、シドラスは不思議そうにベルを見つめてきた。ベルが何を言っているのか分からないという様子だが、わざわざ説明する必要もない。

 シドラスから顔を逸らして、ソフィアの部屋を見回してから、ベルは少し気になっていたことを口に出した。


「そういえば、セリスさんはどうしたんだ?何か話していたみたいだが?」


 アスマがソフィアとハムレットを逢わせることを提案し、ソフィアの部屋を訪れる直前に、セリスは軽くシドラスと話してから、ベル達と別れてしまった。どこに行ったのだろうかと思ったが、どこに行ったのか分からないまま、ベルはソフィアの部屋で寛いでいる。


「アレックスさんに逢いに行きました。私達の現状をエアリエル王国に報告するそうです」

「ああ、そういうことか」


 納得したベルが頷く隣で、話を聞いていたアスマが不思議そうな顔をする。


「そういえば、エルも戻ってこないよね?」

「確かに。朝からですから、結構な時間がかかっていますね」

「魔術を教えていた子が殺されたんだよね?何か分かったのかな?」


 深くソファーに座り込みながら、エルの様子を思い浮かべるように呟いたアスマの言葉を聞いていたように、唐突に部屋の扉がノックされた。ソフィアは部屋にいない上に、ベル達がいるという状況を見られると説明がややこしい。

 まさか、誰かが訪ねてくるとは、とベルが思った直後、扉の向こうから声が聞こえてきた。


「殿下はおられますか?私です。エルです」


 その声にベルが安堵していると、シドラスが代わりに声をかけた。その声に少し驚いた様子で聞き返してから、エルが部屋の中に入ってくる。


「皆さんだけですか?ソフィア殿下は?」


 部屋に入ってくるなり、驚いた顔で聞いてくるエルに、シドラスは座るように促した。エルは王城で何が起きたのかを知らないようなので、その説明をするとシドラスに言われると、エルは大人しく、ソファーに座っている。


 そこから、ソフィアがコルトに襲撃されたこと、その襲撃を無事に防げたこと、ノエルやガイウスが何を隠していたのか判明したこと、アスマの正体が露呈したことをシドラスが説明し、その話を聞いたエルは盛大に項垂れた。


「まさか…私がいない間に、殿下が襲われるなんて…これは私の失態だ…」


 深刻に思いつめた様子で呟くエルに、シドラスはかぶりを振りながら声をかける。


「いえ、今回の一件はエルさんの代わりに護衛を担当すると言った私達の責任です。責めるのでしたら、私達を責めてください」

「いえ…そのようなことは…」


 力なげに呟いてから、エルは気がついたのか、部屋の中を見回し始めた。


「そういえば、殿下は?」

「王女殿下は今、ハムレット殿下とお逢いしている最中です」

「え…!?」


 あまりの驚きからか、エルの口から漏れ出た声は、すぐに消え入ってしまった。信じられないと語った目で、シドラスを見つめている。


「どうして、ハムレット殿下と…!?」

「殿下の提案です。王女殿下に提案し、お逢いすることが決まりました」


 シドラスが手で示した先に座るアスマを見つめ、エルは言葉を失っているようだった。そのエルにアスマはいつものように笑顔を返し、大きく頷いている。


「大丈夫だよ、大丈夫。ハムレットはソフィアを襲わせてないから」

「どうして、そのように…?」

「話を聞いていたら、そう思ったんだよ。何となく」

「何となく、で…?」


 エルはアスマに何かを言いたそうな顔をしていたが、何も言えない様子だった。その瞬間のエルの気持ちがベルは痛いほどに分かった。ベルも似た気持ちになったことがある。

 何かを言おうとは思うし、何かを言わなければいけないとも思うのだが、それを言ったところで、アスマの何かが変わらないとも思ってしまい、最終的に諦める。アスマと向き合った時に起きる、あるあるの一つだ。


「ところでエルさんの方は何か分かりましたか?」


 驚いた表情のまま、アスマをじっと見つめていたエルが、シドラスのその声に反応して振り向いた。


「あ、はい。一応は…」

「犯人に繋がりそうですか?」

「そこまでは…ただ目撃証言があり、犯人が王城で保管されている武器を所持していることが分かりました。恐らく、衛兵か騎士かと」

「衛兵か騎士…?」


 そう呟きながら眉を顰めたシドラスは何かを思い出したようだ。


「そういえば、殺害現場は魔術道具街と言っていましたよね?」

「はい。ですので、真面に捜査がされませんでした」

「その魔術道具街で違法な武器が取引されていると聞きました」


 シドラスの考えていることにエルも気づいたのか、二人は見合ったまま、真剣な表情をし始める。


「もしかして、ケロンさんはその現場を?」

「可能性はあると思います。一応、騎士団長に報告してみるべきかと」


 シドラスに言われて、エルは頷いた。ベルとアスマはその姿を観察するように眺めていたが、不意に立ち上がったシドラスにその様子を不思議そうに見られる。


「何をしているのですか?お二人も向かいますよ」

「え?どこに?」

「騎士団長の部屋です。このことを報告しないと」

「それに私達も一緒に行く理由があるのか?」

「では聞きますが、他国の王城で王子と知られた王子に護衛をつけませんか?」


 聞き返されたベルとアスマは目を合わせ、納得したように頷いた。ベルとアスマも立ち上がり、ソフィアの部屋を後にする。四人はノエルの部屋に向かうことになった。



   ☆   ★   ☆   ★



 ひたすらに泣くだけだったソフィアも少し落ちつき、次第に涙よりも言葉の方が漏れるようになっていた。そのソフィアの心からの叫びをハムレットは優しく受け止めてくれた。


「本当は怖かったの…私を女王にするって言われて…私なんかにできるのかって……ずっと逃げたくて…逃げたくて…その中で襲われて…この国から逃げることになって…本当はちょっとホッとしたの…」


 エルの助けを受けて、ウルカヌス王国を出た時のことをソフィアは思い出していた。あの瞬間、ソフィアはこれからに対する不安や、襲われたことに対する恐怖以上に、女王になる自分から離れたことに安堵する気持ちが強く、それが嫌だった。


「やっぱり、兄さんの方が王に相応しいから…私よりもずっと…」

「そんなことないよ」

「ううん…そんなことあるの…みんなもそう思ってる…」

「みんなって?」

「この城の人…この国の人…みんなだよ…」


 ソフィアの弱々しい呟きを聞き、ハムレットは目の前で小さくかぶりを振った。


「そんなことはないよ。みんな、ソフィアが女王に相応しいって分かってるし、そう思ってる」

「そんなことあるんだよ…だって、この耳で聞いたから…兄さんが王になった方が楽しいって…」

「そう言われたの?」


 言われたと聞かれたことで、ソフィアはかぶりを振った。言われたわけではない。話していたことを聞いただけだが、確かに言っていた。そう思ったソフィアの考えを否定するように、ハムレットが口を開いた。


「ソフィアはみんなに聞いたの?自分のことをどう思っているのかって?」

「聞いてないよ…だって、怖いから…本当のことを言われたら、私はどうしたらいいのか分からなくなるから…」

「それだとダメだよ。ちゃんと聞かないと、ちゃんと話さないと分からないことも多いよ?」

「でも…」

「俺だって、そうだったでしょう?」


 微笑みながら言ってきたハムレットに、ソフィアは否定の言葉が出てこなかった。ソフィアはずっとハムレットを疑っていたが、ハムレットと話した結果、ハムレットが自分のことを恨んでいないと分かった。

 それを言われると、他もそうなる可能性をソフィアは否定できない。


「ちゃんと話してみなよ?何かあった時は俺とか、他にも逃げ場所になってくれる人がいるから」


 ハムレットの優しい言葉に、ソフィアはゆっくりと頷いた。


「分かった…話してみる…」


 ソフィアのか細い呟きに、ハムレットは満足したように笑いながら、「頑張って」と優しく言ってくれた。

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