王女と王子(2)

「一人か?」


 防魔服のフードの陰から、その声が聞こえてきた。歩いてくる足音は聞こえていた上に、気配が消されていたわけではない。誰かが来ることは分かっていたが、声をかけてきた人物がボウセンであることにガイウスは少し驚いた。


 懐から防魔服を取り出しながら、ボウセンはハムレットの部屋の前まで近づいてくる。ハムレットの部屋に用があるのか、護衛のために戻ってきたのか分からないが、どちらにしても、今はそこにいられることが好ましくない。

 そうガイウスが考えていると、取り出した防魔服を着用しながら、ボウセンが聞いてきた。


「殿下は中に?」

「もちろん」


 ガイウスが防魔服を着用している段階で、既に答えを言っているようなものだが、と考えてから、もしかしたら、ソフィアのことを言っているのかガイウスは疑った。それなら、返答に間違ったと思うが、そういうわけでもなかったようで、防魔服を着用したボウセンは素直に頷いていた。


 鎌をかけられたわけではなかったかとホッとしたのも束の間、ボウセンはそのままハムレットの部屋に入ろうとする。その中ではハムレットとソフィアが逢っており、対話中のはずだ。そこに割り込まれると多少どころか、かなり厄介なことになる。

 何とかボウセンを止めなければいけない、と思ったガイウスが、頭の中で考えをまとめ切る前に、ボウセンを呼び止めた。


「その前に聞きましたか?」


 扉に手をかける寸前だったボウセンの動きが止まり、振り返ってガイウスを見た。


「何をだ?」

「先ほど、ソフィア殿下の御部屋で窓ガラスが割れる事故が遭ったそうです」

「事故?」


 ガイウスは不可解そうに表情を歪め、ガイウスに身体を向けてきた。扉から手が離れたことにガイウスは少し安堵し、更にボウセンをハムレットの部屋から離れさせるために言葉を続ける。


「はい。詳細は騎士団長が調べているはずですので、そちらに向かえば分かるかと」


 ガイウスの説明にボウセンは軽く俯いてから、ハムレットの部屋を見ていた。その姿に「後で向かう」と言い出し、部屋の中に入らないかとガイウスは緊張し始めた。そうなったら、ただいらない話をしてしまったことになる。


 ここを離れて、ノエルの部屋に向かってくれたら、事情を察してくれたノエルが誤魔化してくれるはずだ。何とかノエルの部屋に向かってくれ、とガイウスが心の中で強く祈っていると、ボウセンはさっき通ってきた廊下を向いた。


「なら、少し騎士団長の部屋に行ってくる。ここは任せたぞ」

「はい」


 ガイウスの返事を聞いたボウセンが立ち去る後ろ姿を見て、ガイウスは密かにホッとしていた。今はハムレットの疑いを晴らすために絶対に必要な時間だ。その時間を邪魔することにならずに済んで、本当に良かったとガイウスは思う。


 しかし、振り返ったガイウスは少し思った。ボウセンが部屋の中の様子に気づかなかったように、部屋は静まり返っていた。部屋自体が魔力の影響を受けないように、特別な作りになっていることも、もちろん静けさに影響しているとは思うが、それにしても静か過ぎる。

 中は大丈夫なのだろうかと、つい考える一方で、それを確認することはできないとガイウスは思った。邪魔されることを防いだ直後に、自分で邪魔することを考えるほど、ガイウスは愚かではない。


 取り敢えず、二人の話が終わるまで無事に終わることを祈ろうと思い、ガイウスは警備を再開した。



   ☆   ★   ☆   ★



「ねえ?どうするの?俺を殺すの?」


 再度、確認するように呟いたハムレットから、本能的に逃れたいとソフィアは思ったのか、自然と立ち上がりかけていた。ソフィアの表情は自然と強張り、何を言い出せばいいのか分からない口は、見つからない言葉を呟こうとしているのか、小さくピクピクと動いている。


 ソフィアのその姿を見ても、ハムレットは一切、表情を変えなかった。穏やかな笑顔は表情の豊かさに反して、ハムレットの心情を隠し切り、何を思っているのかソフィアに一切、悟らせてくれない。


「ねぇ、ソフィア。教えてよ?ソフィアはどうする?」


 何度目かの確認をするように、ハムレットは再び呟き、ソフィアからの返答を強要してきた。その姿にソフィアは怯えたまま、何かを返さなければいけないと思い、ハムレットの言葉を考え始める。


 仮にハムレットがソフィアを殺すように指示していたとしたら、ソフィアはハムレットを殺害するのか。ウルカヌス王国を出て、エアリエル王国に行ってから、暗殺ギルドの一員になったソフィアだ。誰かを殺すことに躊躇いはない。それがたとえ、実の兄だとしても、ソフィアは気にすることなく、殺すことができる。


 そう思い、返答しようとした瞬間、ハムレットの笑顔が目に入り、ソフィアは言葉を止めた。


「無理…だよ……」


 ソフィアの口から自然とその言葉が漏れていた。言おうと思っていた言葉と全く違った言葉が、ソフィアの意思とは関係なく、止めることもできずに出ていく。


「兄さんは…殺せないよ……」

「どうして?殺さないと、ソフィアが殺されるかもしれないんだよ?そうやって躊躇っている間に、俺がソフィアを殺そうとするかもしれないんだよ?それでも、殺さないの?」


 不思議そうにソフィアを見つめてくるハムレットに、ソフィアは頷きしか返せなかった。勝手なこととは分かっているが、どこの誰かも良く分かっていない相手と違って、ハムレットを手にかけることはソフィアにできそうもなかった。ハムレットの笑顔を見ているだけで、まだ幼い頃の記憶が頭の中で蘇り、ソフィアの身体は動かなくなった。


「それなら、ソフィアは俺に殺されてくれるの?」


 表情を笑顔に戻し、そのように聞いてきたハムレットに、ソフィアは言葉を失った。やはり、ハムレットが自分の命を狙っていたのかと思う一方で、ソフィアにハムレットを殺せない以上、それも仕方ないと考える。


 ゆっくりとソフィアが首を縦に振ると、ハムレットは笑顔のまま、椅子から立ち上がった。その動きに怯えたように身体を震わし、ソフィアは身構える。


「ごめんね…」


 ハムレットがそう呟き、ソフィアの頭に軽く手を乗せてきた。それに驚いたソフィアがゆっくりと顔を上げると、とても申し訳なさそうに微笑むハムレットと目が合う。


「ごめんね、ソフィア。意地悪なことを言って」

「え…?」

「やっぱり、ソフィアは優しいね。昔から何も変わってない。俺はソフィアのそういうところが好きだよ」

「ど…ういうこと…?」

「俺がソフィアを殺そうと思ったことなんて、今までによ。そんなこと考えたこともなかったよ」


 笑いながらそう言ってくるハムレットに、ソフィアは戸惑った。さっきまでの雰囲気から一変し、とても明るくなったハムレットに、ソフィアは何を言ったらいいのか分からなくなる。


「え…?本当に…?」

「うん。俺は国王になれないことを不満に思ったことはないよ。今もちょっと外に出ると、すぐに体調を崩しちゃうからね。俺にできないことくらい分かってる。それに」


 ハムレットが再び目の前の椅子に座り、ソフィアの顔をまっすぐに見てきた。


「ソフィアなら、ちゃんと女王になれることを知ってるから」


 ソフィアをまっすぐに見たまま、さっきまでと違う温かい笑顔を見せてきたハムレットに、ソフィアは心の底から安堵した。


 ハムレットが自分の命を狙っていたわけではなかった。その事実が分かったと同時に、自分がハムレットに認められていたことに、何とも言えない嬉しい気持ちが湧いてくる。


「でも、命を狙われるなんて、ソフィアは本当に大変だったんだね」


 そう言いながら、ハムレットがソフィアの気持ちを落ちつかせるように、防魔服の上からソフィアの頭を撫でてきた。


 その感覚にソフィアは自然と子供の頃を思い出す。転んで怪我をして、泣き始めたソフィアを落ちつかせるために、決まってハムレットはソフィアの頭をこうして撫でてきた。

 その懐かしさと、さっきまでの恐怖からの解放、それにハムレットが自分を狙っていたわけではないと分かった安心感で、気づいたらソフィアは両目から涙を零していた。


「あれ…?涙が…勝手に…」


 戸惑った様子で呟くソフィアに、ハムレットは優しく微笑みかけてくる。


「大丈夫だよ。大丈夫だから。ここには俺とソフィアしかいないから」


 その一言でソフィアの涙は止まらなくなり、更に目から零れ落ちていく。やがて、ソフィアは小さく呻き声を上げながら、静かに泣き始めた。それをハムレットはただ優しく見守っていた。

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