王子の提案(2)

 言葉よりも先にかぶりを振り、アスマの提案を拒絶したソフィアに、ベルは全うな反応だと思っていた。自分の命を狙っていると疑っている相手に、突然逢うように言われたとしても、急に逢おうとは普通ならない。逢えるわけがないと思うのが、当たり前の反応だ。


 しかし、ソフィアがいくら普通の反応を見せても、提案した人物はあらゆる点で常識外れのアスマだ。ソフィアが拒絶したとしても、それを認めるはずもなく、かぶりを振るソフィアに対して、同じようにかぶりを振っていた。


 突然、自分と同じようにかぶりを振り始めたアスマの姿に、ソフィアは戸惑った表情をしている。流石にその様子には、ベルとシドラスだけでなく、ガイウスまでもが苦笑いを浮かべていた。


「いや、逢おうって…簡単に言うけど、兄さんは私のことを狙っているかもしれないのよ?そんな状態で逢えるわけがない」


 頑なにハムレットを疑い続けるソフィアを見ながら、ベルの隣でシドラスがガイウスに目を向けていた。ハムレットの騎士であるガイウスが、何かを言い出すのではないかと思っていたようだが、ガイウスはハムレットの擁護よりも、ソフィアの見ない態度に驚いているようだ。思い返せば、ソフィアはベル達以外には敬語を使っていた。ざっくばらんな態度のソフィアは初めて見るはずだ。


「確かにソフィアはハムレットを疑っているみたいだけど、俺はハムレットがソフィアを狙うような人には思えないんだよ」

「どうして、そんなことが言えるの?兄さんに逢ったの?」

「いや、ハムレットには逢ってないよ。ただマリアさんとかから話を聞いたんだよ。ソフィアのこととか、ハムレットのこととか。それでそう思ったんだよ」


 マリアから話を聞いたと聞き、ソフィアが少し黙った。恐らく、アスマが何を聞いたのか察したのだろう。

 実際、縮こまりながら、「昔のこと?」とアスマに聞き返していた。その問いにアスマは頷き、反対に質問を返した。


「昔は仲が良かったんだよね?」

「昔のことよ。今は違うわ」

「それって、どうして?」

「それは…」


 ソフィアが俯いたまま、口を濁らせた。しばらく言葉に迷ったように口を小さく動かしてから、「関係ない」と消え行く声で呟く。


「それと兄さんに逢うことは関係ない。今は兄さんが私の命を狙っている。それだけが事実よ」

「だけど、それはソフィアの想像で、ハムレットの気持ちを確認したわけじゃないよね?」

「じゃあ、何?貴方は兄さんの気持ちが分かると言うの?そんなはずがない。兄さんに逢ったこともない人が、兄さんの気持ちを分かるはずがない!」


 ソフィアがアスマを否定するようにかぶりを振り、そのように言い切ったが、それに対してもアスマはかぶりを振った。


「分かるよ」

「どうして!?どうして、そう言い切れるの!?」

「だって、俺もハムレットと同じで、から」

「え?」

「魔王だから、俺が王様になったら、いろいろと問題があるんだって。だから、次の王様には俺の弟のアスラがなることに決まってるんだよ」


 エアリエル王国の住む人々、特に王城に住む人間なら、アスマの王位継承権が剥奪されていることは当たり前のように知っていた。アスマは次期国王には絶対に選ばれない。それが決まっているからこそ、普段のアスマの王子とは思えない行動の数々は許されているとも言える。


「俺は自分が王様になれないからって、アスラを殺そうと思ったことなんて一度もないよ。だって、アスラは凄いから。きっと王様になって、みんなが楽しく暮らせる国を作ってくれるって信じてるから。だから、俺はそのために手助けできるようになりたいって思ってるんだ」


 アスマの心からの言葉にソフィアは言葉を失っているようだった。ガイウスもエアリエル王国の内情に関する重要な話を聞いてしまい、どのように思ったらいいのか迷っている様子である。


「きっとハムレットも同じだよ。俺は話を聞いて、そう思ったんだ。だから、ソフィアは一度、ハムレットに逢って、気持ちを確かめてみるべきだよ」


 アスマのその言葉に、ソフィアはついに迷い始めている様子だった。幼い頃にソフィアとハムレットの仲が良かった話はベルも聞いた。現在のハムレットの印象も、ノーラやリエルから聞いたことで、何となく分かっている。


 アスマの直感は突拍子もないことがほとんどだが、その多くは外れない。特にこういう重要な場面で言い出す一言は、未来が見えているみたいに的を射ている一言だ。アスマが必要と思ったからには、ソフィアの今後に関して、ハムレットと逢うことが必要なのかもしれない。


 そこまで、ソフィアが思っているとは思わないが、迷っているということは命を狙われているかもしれないから逢わないと、ソフィアが決め切っているわけではないようにベルは思った。他にも理由があって、ソフィアはハムレットと距離を取ったのだろう。その理由も並べて、今は悩んでいるに違いない。


「これはきっと、ソフィアが今後、この国で生きていくのに、必要なことだと思うよ?」


 アスマにそう言われて、ソフィアはゆっくりと息を吐いた。ゆっくりと上げられた表情は、まだ少し迷いが見えるものの、真剣な表情をしている。


「分かった。逢うわ」


 ゆっくりと頷きながら、ソフィアはアスマにそう答え、アスマは満足そうに笑った。



   ☆   ★   ☆   ★



 ソフィアとハムレットは極秘に逢うことが決定した。これは最低でもハムレットの周囲の人間が防魔服をコルトに渡した可能性が消えていないため、ソフィアとの接触を阻止する人物が現れるかもしれないと考えられたためだ。

 そのためにガイウスが手配し、ハムレットが完全に一人になる時間が作られ、そのタイミングでソフィアがハムレットに逢うことに決まった。


「これの着用をお願いします」


 ガイウスにそう言われて、手渡された防魔服にソフィアは緊張した面持ちを浮かべた。それを着た人物に命を狙われた経緯もあるが、それを着ていると、ソフィアは魔術を使えなくなる。身を守るための最大の手段である魔術が使えなくなる以上、ソフィアは完全に無防備だ。


「殿下?」


 防魔服を手に持ったまま固まったソフィアを、ガイウスは不思議そうな顔で見てきた。ソフィアは少し大きく深呼吸をしてから、小さくガイウスに答えるように頷き、防魔服を身にまとう。

 もしかしたら、ガイウスがソフィアの命を狙っていて、この隙にソフィアを攻撃してくるかもしれないと、ソフィアは少し考えていたが、流石にそのような事態にはならなかった。


「ハムレット殿下とお逢いする際には、その頭のフードまで被ってください。ソフィア殿下の魔術はハムレット殿下の御身体に障るはずですから」


 改めて確認されたことにソフィアは頷いた。思い返せば、ソフィアがハムレットと距離を取った理由はそこだった。幼少期からハムレットは身体を壊しがちだったが、自分に魔術師としての適性があると分かった時、ソフィアはその原因が自分ではないかと疑った。それ以来、ハムレットとは逢えなくなったのだ。

 逢わなくなったというよりも、逢えなくなった。今となっては懐かしいその気持ちを思い出す。


「それでは、お部屋に向かいます」


 ガイウスにそう言われて、ソフィアは移動を開始した。ハムレットの部屋はソフィアの部屋や十二貴族が王城に泊まる部屋から、比較的近い場所にある。いつでも訪れることができる場所なのだが、既に十年以上、ソフィアが近づくことはなかった部屋だ。

 その部屋の前に立ち、ガイウスが扉をノックした。ハムレットには既にガイウスが話をしているらしく、中から返ってきたハムレットの声は驚いた様子がなかった。


「ソフィア殿下をお連れしました」


 ガイウスが一言告げて、部屋の扉を開くと、部屋の中にソフィアが入るように手で促してくる。


「部屋の外で待機していますから、何かあった際にはお呼びください」


 ガイウスが言うところの何かが何であるのか、ソフィアはすぐに想像でき、その言葉に頷いた。ソフィアとハムレットが逢うと、その何かが起きる可能性がとても高い。どのような結果になっても、その結末が高いからこそ、ソフィアはハムレットと逢うことをとても悩んだのだ。


 ソフィアが部屋の中に入ると、テーブルについていたハムレットがゆっくりと立ち上がった。その表情はいつかに見たものと変わることのない明るい笑顔だ。


「久しぶりだね、ソフィア」


 そう呟いたハムレットの声は、ソフィアの覚えている声とは変わっていて、逢わなかった時間の長さを実感した。

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