第二の犠牲者(1)

 手乗りサイズの水晶だった。ベルでも握れる手頃なサイズの水晶の中に、術式が重なって浮かんでいる。これがどうやら、連絡に用いる魔術道具の一つらしく、その中でもサイズの小さな特注品らしい。術式自体はどの水晶でも変わらないらしいのだが、水晶の中に術式を入れることが難しく、このサイズになると値段が跳ね上がるそうだ。エルの用意したそれの一つをセリスが持ち、もう一つをソフィアが持つことになった。


 ユリウスが殺害されたことで、王城内の警備状況も一変し、それまでと大きく環境が変わっていた。特にソフィアを始めとする要人の多くは衛兵による護衛がついたそうで、その人数からソフィア暗殺は難しくなったとシドラスやセリス達は考え、セリスとソフィアの部屋の交換を今日はしない方向で話がまとまった。

 ただし、ソフィア本人の不安は大きく、万が一の時は連絡するように頼み、そのための道具として用意されたのが先ほどの魔術道具だ。


 ベルやアスマが与えられた部屋で襲撃されたことを考えると、ソフィアが自室にいた方が安全であることはベルにも想像がついた。ソフィアは水晶を渡されても迷っていたようだが、ベル達の説得もあって、自分の部屋に戻っていった。

 エルも自室に戻ったことで、部屋に残ったエアリエル王国の四人が今後の問題を話し合うことにする。


「この国にはどれくらいいるの?」


 アスマの問いにセリスはかぶりを振った。


「現状何とも言えません。ユリウス卿を殺害した犯人が見つかれば帰れるかもしれませんが、それも現状では見つかるのかどうか」

「そもそも、探していると言っている人物が殺害に関与している可能性がありますからね。実行犯の可能性は減りましたが、騎士団長やガイウスという騎士の怪しい動きに対して、まだ明確な答えが見つかったわけではありません」


 ソフィアを暗殺しようとしているのかどうかは別としても、ノエルやガイウスが何らかの隠しごとをしている点は、行動のおかしさから明白だった。その内容が分からないため、断定することは難しいが、ユリウスの殺害に関与している可能性も十分にある。

 ベル達を王城に拘束する可能性も一応は考えられるが、特例としてマーズの貴族と逢うことに許可を出したり、手続きを済ませたりした点が、その可能性と矛盾してくるので、そこは何とも言えないが、その行動の迅速さ自体は気になった。


「仮にユリウス卿の殺害犯を特定できていないとして、その犯人候補にすぐさま我々を含んだ点は少し気になりましたね」


 ガイウスの怪しい動きをシドラスが思い出しながら言い並べた後、ノエルの怪しいポイントを聞かれたセリスがそのように答えた。


「もちろん、部外者である点は十分に疑われる理由になりますが、ユリウス卿の殺害状況から知り合いである可能性の方が高いと、並の騎士であれば、すぐに判断できます。それなのに、すぐさま我々を容疑者に含んだということは、そこに何らかの理由があると思われます」

「それって、例えば?」

「事前に我々に疑いを持っていた可能性です」


 疑われる記憶が微塵もなかったためか、アスマは目を丸くしてセリスを見ていた。確かにアスマはギルバートと名乗ってこそいるが、ギルバートではもちろんないので、その部分を疑われる可能性は十分ある。ただ、それで誰かを殺害したかと疑うほどかと聞かれると、その振る舞いや雰囲気から、なかなかに考えづらい。

 仮にアスマが人を殺したとしても、アスマは血塗れのまま、他の人の前に現れて、すぐに犯人とバレてしまいそうだ。


「状況的に考えられるのは、王女殿下でしょうか?」


 シドラスの呟きにセリスは頷いた。その二人の納得の仕方を見ていても、何を納得しているのか分からないベルとアスマは、お互いに不思議そうな顔を浮かべることしかできない。


「私達が王女殿下の失踪に関与している疑いです」


 二人の不思議そうな顔を見たシドラスが、そのように教えてくれたことで、ベルとアスマは揃って驚いた顔を浮かべた。


「え?俺達が誘拐したと思われてるってこと?」

「誘拐までは行かないと思いますが、失踪を手助けした可能性は疑われているかもしれません。重要な情報が漏れていないか、警戒している可能性もあります」


 確かに王城の中から王子や王女が消えるとなると、そこに何者かが関与した可能性は十分に疑われる。実際にその時はエルが協力していたようだが、その疑惑が定まらないままだった時に、エアリエル王国で王女が発見されたと聞くと、エアリエル王国の人間がソフィアの脱走に手を貸した可能性を疑われても仕方ないだろう。


「特に殿下やベルさんは、王女殿下を発見したギルバート卿と従者になっていますから、その疑いが強くなっている可能性がありますね。もちろん、一つの可能性なので、確定ではありませんが」


 ベルの隣でアスマがピンと背筋を伸ばした。自分が疑われているかもしれないと思い、その疑いを晴らそうと思ったのか、真面目な態度を見せようとしているみたいだ。もちろん、それくらいのことでは疑いが晴れるわけもないのだが、アスマはこれを真面目にやっているのだから言葉に困る。


「とにかく、騎士団長やガイウスが何を隠しているのか。その裏側にある行動を把握することで、この国の現状が見え、王女殿下の命を狙う人物の特定ができるかもしれません。未だに王女殿下と敵対している存在が明確化していませんから」


 ソフィアはハムレットを最も怪しい人物として、防魔服を例に挙げながら断定していたが、それは可能性の域を出ていないというのが、シドラスとセリスの共通認識のようだった。それはアスマも同じ気持ちなのか、セリスの言葉に大きく頷いている。


「それと実行犯ですが、今回、殿下とベルさんを襲った人物がセリスさんを襲った人物と同じである場合、その人物は少なくとも騎士ではない可能性があります」

「え?そうなのか?」

「王女殿下がこの部屋にいないことを知らずに、この部屋で待機していたとなると、要人の詳細な配置が知らされていない人物の可能性が高いですから。騎士は少なくとも、部屋に王族がいるかどうかくらいの把握はしていそうなので、そうなると、王女の部屋周辺の警備を担当していない衛兵とかが怪しいかと」

「それでも候補が多いな」


 特定とは言い切れない特定の仕方にベルが苦情を漏らすと、シドラスは困ったように顔を歪めた。取り敢えず、犯人の特定までは行かなくても、怪しい人物を調べていくことで、犯人に繋がる可能性は十分に高い。その判断から、怪しい動きを見せているノエルとガイウスを調べることで話がまとまり、ベル達を部屋に戻って眠ることにする。

 その夜はとても穏やかなものだった。



   ☆   ★   ☆   ★



 ベル達の穏やかさとは打って変わって、エルの部屋の扉が騒々しくノックされたのは、真夜中を過ぎた時だった。そろそろ眠ろうかと思い、ベッドに潜りかけたエルが、その騒々しさに扉を開ける。


 そこに立っていたのはワイズマンだったのだが、その表情は昼間に見た時とは大きく変わっていた。今にも倒れそうなほどに顔色は悪く、曲がった背中は伸びることを諦めたようだ。


「どうしましたか?大丈夫ですか?」


 エルが声をかけると、僅かに顔を上げたワイズマンが、今にも泣きそうなほどに顔を歪めた。エルがその表情に動揺した直後、それまで以上に背中が曲げられ、ワイズマンが虫の鳴くような声を出した。


「本当に…本当に申し訳ない……本当に…謝っても謝り切れない……」

「どうしたのですか?」


 普段とは明らかに様子の違うワイズマンに、エルの胸はざわつき始めていた。とても嫌な予感がするのだが、その予感の正体が掴めない。

 そう思っていたら、顔を上げたワイズマンがぽつりぽつりと説明し始める。


「少し前…知り合いの魔術道具屋が頼んでいた魔術道具を手に入れてくれたと聞き、その店に行ったんだ…魔術道具街にある店で、その店に向かう途中で、お前の教え子のケロンと逢った…魔術道具街の入口で、入りたそうにしていたが、お前との約束があるからと躊躇っている様子だった…」


 ワイズマンの説明を聞いている途中から、エルの胸のざわつきは大きくなり、今にも破裂しそうな心臓の音が耳のすぐ近くで聞こえてきた。


「入らないように注意しながらも、魔術道具に対する情熱を失って欲しくないと思い、俺は俺の近くにいることを条件に、ケロンの同行を許可してしまった…」

「それから…?」

「知り合いの魔術道具屋に行き、頼んでいた魔術道具を受け取っている時、一分、いや二分ほどか、ケロンから目を離してしまった…その間に…」


 ケロンがいなくなった。その一言だけでエルの胸は壊れそうだったのに、ワイズマンの表情はそこで更に悲しそうに歪み、まだ終わっていないと分かってしまった。


「すぐに探した…まだ近くにいるはずだと思い、店の近くの通りを覗き込んだ…そしたら、そこにケロンがいた…だけど、立っていなかった…倒れ込んでいて、思わず駆け寄って声をかけたら、…」


 エルが息を呑んだ。言葉を失ったとも言える。湧き上がってくる感情を処理することが間に合わず、何を言ったらいいのか、何を思ったらいいのか、エルは分からなくなって動きを止めた。


「すぐに衛兵を呼んだ…医者も呼んだ…だけど、俺が見つけた時点で、…」


 エルの前で再びワイズマンが頭を下げ、か細い声で謝罪の言葉を繰り返した。その言葉にエルは何かを言うことも、何かをすることもできず、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。


 ケロンが死んだ。それは簡単に飲み込めるような事実ではなかった。

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