第二の犠牲者(2)
エルがケロンと再び対面したのは、ワイズマンからケロンのことを聞いた翌朝だった。死体安置所で眠るケロンは、今にも目覚めそうなほどに綺麗な寝顔をしていた。
死因は胸部から腹部にかけてできた傷口からの失血死だった。凶器の特定は難しかったが、剣のような形状の刃物という部分は確定した。傷口は迷いのない太刀筋で斬られており、斬られてから数秒で死亡したと思われるそうだった。
ケロンを殺害した犯人は、魔術道具街という場所から、そこに出入りする人間の誰か、特に剣で斬られたのなら、裏の世界の人間ではないかと思われた。ケロンを殺害した動機は不明だが、場所が場所なので、見てはいけないものを目撃してしまった可能性が高い。
エルにとって無念なのは、そのケロンを殺害した人物の捜査が本格的に行われないことだ。魔術道具街という場所で起きた犯罪を一つ一つ捜査すると、途方もない時間が必要になる。そこは既に無法地帯として名が知られている以上、そこでの犠牲は自己責任。それが暗黙の了解だ。
もちろん、エルはそれで納得できない。ケロンが殺された悔しさから歯を食い縛った。悲しみは通り越し、涙も出てこない。
ケロンの遺体の傍には、ケロンが殺害された時に所持していた持ち物も並べられていた。いつものケロンの持ち物という感じで、いかにもガラクタにしか見えない魔術道具が並んでいる。昨日、ケロンが見せてくれた筒の他にも、一式魔術の組み込まれた紙束や何の魔術道具にも見えないビー玉、割れたビンが並べられ、その一つ一つがケロンの人柄を表すようだ。
誰が殺したかも分からない。どうして死んだかも分からない。このままで良いはずがないとエルは思った。ソフィアの命を狙う人物がいる状況で、それとは無関係の事件を調べることも何だが、これは自分が調べるしかないとエルは思う。
エル以上に落ち込み、傷心の様子のワイズマンに声をかけ、エルはケロンが発見された現場を調べることにした。ワイズマンは自分の行動を後悔し、その罪悪感に押し潰されそうになっていたが、エルの決意に満ちた様子を見て、協力してくれることを約束した。
ただし、自分は現場に行きたくないと言って、その場所だけを教えてくれた。ワイズマンの頭の中に、死亡していたケロンの姿がそのまま記憶されている。その場所に行くことで、その瞬間の光景や気持ちを思い出したくないのだろう。エルはその気持ちを十分に理解できたし、ワイズマンを責める気持ちもなかったので、場所だけ教えてもらって、その場所に向かうことにした。
ケロンが殺害されたことで悪いのは、ケロンを殺害した人物であって、ワイズマンではない。ワイズマンを責めても仕方がないと、エルはケロンが発見された現場に向かおうとしたが、その前に伝えておかなければいけない相手がいたと思い出した。
そうして、エルは王城を出る前に客人用に与えられた部屋の一つを訪れた。数度のノックを繰り返し、中からシドラスが顔を見せる。
「すみません。少しよろしいですか?」
「どうしましたか?」
エルの表情からシドラスは何かを悟ったのか、少し真剣な表情で聞き返してきた。シドラスは部屋の中に入るように促してきたが、エルはそれを断って、手短に事情の説明を始める。
「実は昨晩、教え子が殺されました」
「え?」
「その子を殺害した犯人を私はこれから探そうと思います」
「それはエルさんの仕事なのですか?」
シドラスの全うな疑問にエルは頷いた。それに関する事情の説明を省いても、それだけでシドラスは理解してくれたようで、大きく頷き、「分かりました」と言ってくれた。
「王女殿下の護衛は私達にお任せください。エルさんはその犯人を見つけてください」
「ありがとうございます」
シドラスに頭を下げて、それから、エルは王城を後にする。何としてでもケロンを殺害した人物を見つけると意気込むエルは、怒りに似た感情を沸き立たせていた。
☆ ★ ☆ ★
控えめながらも遠慮もしないで、ソフィアが欠伸を一つした。口元は手で隠していたが、王女とは思えない仕草にベルは呆れた目を向けてしまう。
「どうした?夜更かしか?」
入口近くに立った二人の衛兵の様子を窺いながら、ベルが声を潜めてそう聞いた。ソフィアはそこで自分が欠伸をしたことに気づいたように照れながら、「少し眠れなくて」と答えてくる。
「どうしたの?何かあったの?」
アスマの純粋な質問に、ソフィアはかぶりを振った。
「もしも今襲われたらって考えたら、あまり眠れなくて」
「護衛はついていたのですよね?」
シドラスの疑問にソフィアは頷いた。それならとシドラスは言いたそうだったが、そう簡単でもないらしい。
「その護衛の中に犯人がいたらと考えると、どうしても怖くて」
「複数人で護衛をしているはずなので、その全てが犯人ではない限り、襲われることはないかと。実際、昨晩に襲撃がなかったことを考えると、犯人はこの状況で動きづらい思いをしているのかもしれません」
「それは護衛がついたから?」
アスマの疑問にシドラスは今もついている護衛の様子を窺いながら、軽く首を傾げた。
「その可能性もありますが、単純に犯人が警備を担当している可能性もあります。その場合、自分の行動が制限されますから、必然的に動きづらくなると」
説明をしながら、シドラスは頻りに二人の衛兵を見ていた。ノーラとリエルという若い女の衛兵で、ソフィアの護衛と一緒にアスマ達の監視も担当しているようだ。その二人をシドラスが頻りに見ている理由が気になり、ベルが聞こうとした直後、シドラスが呟いた。
「しかし、この状況は好都合ですね」
「好都合?」
「王女殿下に護衛がつき、殿下やベルさんに監視がついている状況ですから、王女殿下が殿下達とご一緒されるだけで、自動的に人目につきやすくなります。その状況で、暗殺を狙っている人物が襲ってくる可能性はないでしょう」
「つまり、アスマや私と一緒にいることで、ソフィアが安全になるってことか?」
「そういうことです」
自分達と一緒に行動しているだけで、ソフィアの命が狙われないとすると、そこにシドラスを始めとする護衛を担当する者がつかなくて良くなる。エルがケロンの殺害犯を探しに出た今となっては、そちらに人材を割くとソフィアの命を狙っている犯人の特定が難しくなるので、シドラスやセリスが護衛をすることなく、捜査に回れる状況は好都合だ。
そういうことかとベルは思いながら、ふと疑問に思った。
「だけど、この状況はユリウスを殺害したことで起きた状況だよな?ユリウスを殺した人物って、もしかして、ソフィアの一件に関わっていないんじゃないか?」
ソフィアの命を狙っているのなら、王城内の警戒態勢が強まる行動は基本的に起こさないはずだ。ユリウスの殺害は第三者が起こしてしまい、それによってソフィアの命を狙っていた人物の動きが阻害された可能性があるとベルは思った。
「確かにその可能性もありますが、そもそも、あの事件は凶器といい、場所といい、突発的な犯行の可能性が非常に高かったので、後先考えずに殺害してしまっただけという可能性も考えられます」
もしくはユリウスの存在が邪魔になったために殺さなければいけなかった可能性があるとシドラスが答え、ベルはつい眉を顰めていた。どちらにしても、簡単に人を殺す結果に繋がる点がベルには信じられなかった。それができるのなら、ベルは今頃死ねているはずだ。
「取り敢えず、王女殿下はしばらく殿下達とご一緒に行動してください。その間に私とセリスさんで、犯人に繋がる証拠を見つけます」
「そういえばセリスは?」
「既に騎士団長を調べに動いているようです。エルさんの後に部屋に来たのですが、殿下は眠っていましたからね」
早朝にエルは王城を出たそうだが、その時点でアスマは熟睡していたそうだ。アスマを普段から起こしているので、その姿が簡単に想像できてしまい、ベルは苦笑する。
「それなら、俺とベルはどうしよう?」
アスマが呟いた直後、部屋の扉がノックされた。すぐに四人の視線が扉に向き、そこで扉の向こうにいる誰かと会話しているリエルの姿を見つける。どうしたのだろうかと思っていると、誰かと話を終えたようで、こちらに目を向けてきた。
「あの、ギルバート様は?」
「あっ、はい」
リエルに呼ばれたアスマが何とかギルバートの名前に反応する。
「ギルバート様に逢うためか、王城にエンブ様が来られたそうです」
リエルのその一言を聞き、口を開けたまま固まってしまったアスマとベルは目が合った。思わぬところで、ギルバートとタリアとしての二回目の仕事が決まってしまったようだ。
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