それぞれの捜査(1)
最初は軽い声かけと共に、軽く身体を揺さ振ると、弱い反応が返ってきた。その反応のあまりの弱さに声かけと揺さ振りは次第に激しさを増していくが、それでも反応は弱い。それが何度か続けば、ベルの鬱憤が限界を迎え、最終的に毛布ごと思いっ切り引っ張った。その勢いのまま、アスマがベッドから転がり落ちた。
「痛っ!?」
「起きたな」
無事に仕事を終えたベルが達成感を噛み締めながら、引っ張った毛布をベッドの上に畳んでいると、さっきから起こす様子を眺めていたソフィアとエルが目を丸くしていることに気づいた。
「ちょっと…?王子よね…?」
「王子だからと言って、雑に起こされないという法律はない」
「どういう理屈?」
「ベル~、酷いよ~」
頭を軽く撫でながら、アスマが目に涙を浮かべて立ち上がる。その姿にベルは呆れた視線を送った。
「いつまでも眠っているからだ。何時だと思っている?」
「いや、だって、昨日の夜、途中で起きたから」
そう言いながら、アスマは部屋の中にいる人物を確認したようだ。アスマと同室のシドラス、隣から起こしに来たベル、それと一緒に移動したソフィアと、セリスを部屋から連れ出したエルの四人が立っている姿を見て、不思議そうに首を傾げている。
「姐御は?」
「セリスさんでしたら、アレックスさんにエアリエル王国への報告を依頼しに行きました。私達はこの間に王女殿下を襲撃した犯人を特定するために動き出しましょう」
シドラスの提案にベル達は頷き、どのように行動するか話し合おうとしたが、それを阻止するようにアスマが抗議の声を飛ばした。
「いや、それよりも!まずはやるべきことがあるよね?」
「え?何があるんだ?」
「それはもちろん、朝ご飯を食べるんだよ!」
盛大に宣言したアスマの一言で、部屋の中が静まり返った瞬間、アスマの腹の音が鳴った。声だけでなく、腹の方でも主張してきて激しく、こういう時は何かを与えないと治まらないと知っている。ベルが困った顔をシドラスに向けると、シドラスがいつものように溜め息を吐いた。
「分かりました…まずは朝食にしましょうか…」
諦めたように呟いたシドラスにアスマが喜ぶ一方で、ソフィアは驚いた顔でベルとシドラスを見てきた。
「ああ、やっぱり、王子なのね」
「それで納得しないでくれ。何か恥ずかしい」
ベルの抗議にソフィアが軽く笑い、ベル達は客人用の食堂に向かうことに決まった。
☆ ★ ☆ ★
先に朝食を済ませていたから、自分は警備状況を調べると言ったエルと別れ、ベル達は四人で食堂に向かっていた。既にアスマの頭は朝食のメニューのことで一杯のようで、歩いている最中も前を確認しているか怪しいくらいに浮ついている。
「食堂はこっちで合っているのか?」
歩きながら、ベルがソフィアに道を訊ねると、ソフィアは僅かに首を縦に振った。その動きがどこか頼りなく見えるのだが、流石にソフィアが道を知らないはずもないだろう。
そう思っていると、前方から見覚えのある人物が歩いてくることに気づいた。最初は距離があったために分からなかったが、近づいてくると相手の反応もあって、すぐに分かる。
「おっと!ソフィアじゃないか!」
嬉しそうに声を上げた人物は、昨日に逢ったソフィアの婚約者というユリウスだった。隣には妹のリリィを連れている。
「ユリウス。どうされたのですか?」
「朝食を済ませてから、君の部屋に行こうと思っていたんだよ」
「そうなのですか」
ソフィアとユリウスがそのように会話する姿を眺めながら、不意にベルは疑問を懐いた。今、ユリウスは朝食を済ませてから、と言っていたが、その目的地はどこなのだろうか。まさかと思いながら、ベルはユリウスとリリィに聞いてみることにする。
「すみませんが、これから朝食に?」
「ああ、そうだよ」
「それはどちらに?」
「客人用の食堂がこの先にあるんだよ」
その一言に驚愕したベルがゆっくりと視線を横に向けると、同じように驚愕した表情のシドラスと目が合い、二人で揃ってソフィアに目を向けた。ソフィアは頑なに二人と目が合わないように視線を逸らし、知らん顔をしているが、ユリウス達が前方から歩いてきたことを考えると、確実に道を間違えていたことになる。
「君達は?」
「えっと…その食堂に向かうところでした」
シドラスが困ったように返答すると、ユリウスがゆっくりと四人の顔を見てから、盛大に笑い始めた。その反応にソフィアが困ったように逸らした顔を真っ赤にしている。
「なら、一緒に行こうか。私が案内するよ」
ユリウスのその提案をありがたく受け、ベル達はユリウスとリリィと共に、客人用の食堂に向かうことになった。その道中もユリウスのテンションは高く、ソフィアと軽い談笑を繰り広げながら、たまにアスマに話を振っている。その度にベルとシドラスは何かおかしなことを言わないかと怯えていたが、アスマが何を言っても、ユリウスは面白い方向に解釈し、特に疑われた様子はなかった。
そのまま食堂に辿りつき、六人で朝食を始めようと思ったところで、唐突にユリウスのテンションが下がった。最初は何かと思ったが、どうやら、食堂の中で先に食事をしている人がいたようだ。傍に人を立たせながら、テーブルについて食事を進めている男の顔を見るなり、ユリウスの表情が明確に曇っている。
「おや、これはユリウス卿ではありませんか?貴方も昨晩は王城に?」
「ロップス…」
ユリウスの反応のおかしさにベル達が不思議そうな顔をしていると、そのロップスと呼ばれた男がソフィアの顔を見てきた。
「おお!これはソフィア殿下!お帰りになられたと聞いていたのですが、このような場でお逢いできるとは!」
「お久しぶりです、ロップス卿」
「そちらは…例のエアリエル王国からの客人ですかね?」
ロップスの問いにソフィアが頷くと、ロップスは軽く立ち上がり、ベル達に会釈をしてきた。良く表情を観察してみると、ロップスは薄らと化粧をしているようで、目の周辺や頬が少し明るい色をしている。
「私はアポロの貴族の当主を務めているロップスというものです。お見知りおきを」
アポロの貴族。その名前はシドラスも聞いたことがあったのか、ベルの隣でシドラスが納得したように声を漏らした。その声にベルが思わず目を向けると、小さな声で「十二貴族です」と教えてくれる。
「しかし、驚きましたな。ユリウス卿がこのような下賤の食堂を利用されるとは」
ベル達に挨拶を済ませると、すぐさまロップスがユリウスに目を向け、そのように言い出した。さっきまで自分も食事をしていたことを考えると、自分が下賤の食堂と思っているわけではなく、ユリウスはそう思っているとソフィアに印象付けるための発言だろう。その発言に顔を真っ赤にして怒った様子のユリウスが、すぐさま抗議の口を開く。
「貴様は何を言っているんだ?この食堂は貴様のような下賤の者が食事をしていい場ではない!さっさと立ち去るべきだ!」
「いやはや、ユリウス卿は芸がありませんな」
余裕綽々な態度のロップスと違い、ユリウスは今にも卒倒しそうなほどに顔を真っ赤にして、激怒しているようだった。その様子に気づいたリリィが慌ててユリウスの前に立ち、ユリウスを宥めるように声をかけている。
「お兄様、そこまでにしてください。皆さん、すみません。落ちついた食事が難しそうなので、今日は失礼させていただきます」
リリィが咄嗟に頭を下げて、ユリウスと共に客人用の食堂を後にしてしまう。その後ろ姿を見送ってから、ロップスは小さく笑い声を上げた。その声にロップスの後ろに、ずっと立っていた男が小さく声をかける。
「ロップス様」
「ああ、すまない、リグロ。今のは美しくない反応だった。改めよう」
場を取り繕うように小さく咳をしてから、ロップスは自分が座っていたテーブルを手で示した。
「折角ですから、ソフィア殿下にお客人方。よろしければ、ご一緒に食事でもいかがですか?」
ベルはどうするのかと思い、シドラスと共に迷った表情でソフィアを見たが、当のソフィアも迷ったような表情をするばかりで、ロップスに返事をしなかった。その間にアスマが笑顔で食堂の中に入っていき、ロップスの座っていた席に座ろうとしている。
「あっ、ちょっ…!?」
「え?どうしたの?せっかく誘ってもらったんだから、ご一緒しようよ」
明るく笑ったアスマがそう言い出したら、それを断るのもおかしくなる。仕方なく、ベル達もその誘いのまま、ロップスと同じテーブルを囲うことにした。ただ流石にソフィアやアスマと同じテーブルにつくと、少しおかしいかと思い、ベルはリグロと呼ばれた男のように、アスマ達の後ろに立つことにした。アスマがそのことを気にしたが、シドラスも同じようにすると言い出し、無理矢理にアスマを丸め込んでいた。
「だけど、さっきのやり取りは凄かったね。仲が良いの?」
何気なくアスマが聞いたことにロップスはしばらくきょとんとした上で、面白そうに笑い始めた。恐らく、アスマの言い方を皮肉か何かかと思ったのだろうが、アスマは本気で言っていると分かるので、ベルとシドラスは何とも言えない顔しかできなかった。
「彼は私を、私は彼を、少し気に食わないと思っているだけですよ。そこに深い理由はない。あるのは、ただお互いに納得できないという思いだけです」
ロップスが笑いながら答え、傍らに置かれたコーヒーカップを手に取った。その間にアスマとソフィアの前に朝食が運ばれてくる。
「そういえば」
ロップスがそのように切り出したのは、届いた朝食をアスマが勢い良く食べようとしたので、ベルとシドラスが窘めた直後だった。ロップスの視線はソフィアに向いている。
「お戻りになられてから、ハムレット殿下にはお逢いしたのですか?」
その質問にソフィアの表情は強張り、動きを止めた。その姿をロップスがじっと見つめてきている。
「兄さんには…まだ逢っていません…」
「そうですか…ソフィア殿下のことをお聞きしてから、ハムレット殿下は気にかけていたようなので、一度お逢いすることをお勧めしますよ」
ロップスのハムレットと近しく聞こえる発言に、ベルとシドラスの視線が動き回った。ソフィアの反応とロップスの表情を見比べてみるが、その雰囲気はあまり良いものに思えない。
「考えておきます…」
ソフィアがそのように答えたタイミングだった。食堂の扉が軽くノックされ、部屋の中に一人の男が顔を出した。
それはソフィアを襲撃した犯人の候補にも含まれているガイウスだった。
「ロップス卿。ハムレット殿下のご準備が整いました」
「ああ、そうですか」
ガイウスの言葉を聞いたロップスが立ち上がり、申し訳なさそうにソフィアに頭を下げてきた。
「お誘いしておいて申し訳ありませんが、私はこれから約束があるので、失礼させていただきます」
「そうですか…分かりました…」
ソフィアがさっきの質問に対する動揺を引き摺ったまま答えると、ロップスはアスマ達にも軽く頭を下げてから、リグロと呼んだ男と一緒に食堂を出ていった。その直前、二人を案内しようとしたガイウスが、ベルとシドラスの立つ方向に妙に鋭い視線を送ってくる。
「今の…」
三人が食堂を出た後に、ベルがシドラスを見ながら呟くと、シドラスは三人の立ち去った後を見つめながら、答えるように小さく呟いてきた。
「私も気になっているんです」
それからしばらく、アスマがベルとシドラスもテーブルにつくように促すまで、食堂の中は静かな空気が漂っていた。
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