王女の帰還(2)

 情報は騎士団長のブラゴを通過して、速やかに宰相、ハイネセンまで伝わった。最初に事情を知ったセリスとハイネセンに報告したブラゴが宰相室に呼ばれ、今後の対応を検討することになる。


「まず、王女という話は本当なのか?」


 話し合いを始める前に確認するようにハイネセンがそう聞いた。その問いに対して、セリスもブラゴも自信を持って言い切れる言葉を持っておらず、曖昧な言葉で返答することしかできない。


「分かっていることは彼女が実際にウルカヌス王国の王女殿下と同じ『ソフィア』という名前を名乗っていることだけです。ウルカヌス王国の王女が行方を晦ましている話も実際にありましたから、嘘と断定することはできない、というところでしょうか」

「ウルカヌス王国に確認は?」

「現在、本人確認のために得た情報と共に確認を取っている段階です。早くても返答は明日の朝になるかと」


 ハイネセンが深く溜め息を吐きながら、皺の寄った眉間に指を当てた。テーブルの上には宰相としての仕事の量を表すように、様々な書類が山のように積まれているが、その全てに手がつけられていない。仕事に必要なペンはテーブルの上に残ったハイネセンの片手の中で弄ばれ、ハイネセンのストレスの捌け口となっている。


「もしも本当に王女殿下だった場合、使者が来ると思うか?」

「その確率は低いかと思われます。王女殿下が他国に犯罪者として捕らえられたと方々に知られる手段は取らないでしょう」

「そうだろうな…そうなると、こちらで王女殿下を護送することになりそうか」


 実際に捕まったのが王女のソフィアだったとして、その罪をエアリエル王国で裁くことは難しくなる。実際にソフィアが暗殺ギルドの一員として行動していた事実を、正確に把握しているのはエアリエル王国だけであり、捕虜となっていたソフィアをエアリエル王国が不当に処刑したと言われると、それだけで国際問題に発展するからだ。

 特に大陸有数の大国として知られるゲノーモス帝国との関係が悪い状況で、同じく大国として知られるウルカヌス王国を敵に回すことはエアリエル王国として絶対に避けたい。


「問題は誰を送るべきか」


 罪人とはいえ、そうなった場合、王女の護送を任せられることになる。その手段や警備は慎重に考えなければ、二次被害を起こす原因になりかねない。


「護送手段は馬車がいいか」

「そうですね。人数もできるだけ少ない方がいいと思います」

「そうだな。護衛と御者…護衛は万が一を想定して二人ほど必要か」


 大規模な警備をつけて、仰々しく出立すれば、それだけでそこに王女がいるという知らせになる。できるだけ安全に護送するには、そもそも、そこに重要な人物がいないと思わせることが大切だ。


「御者は私が選別します。衛兵の中で信頼できる者を選びましょう」

「ああ、頼んだ。問題は護衛の方だが…」

「それなら、私が」


 ハイネセンの呟きに答えるようにセリスが手を上げた。


「女性である王女殿下に配慮するなら、一人は同性である私のような者が同行するべきだと思いまして」

「そうだな。一人はセリスに任せよう。セリスなら、隣国との交渉もうまくこなしてくれそうだ。問題は…」


 もう一人の選別だった。騎士の多くは王室に仕え、誰かの護衛を担当している。アスマにシドラスが、アスラにウィリアムがいるように、その多くは重要な職務を任されている。


 中には、それらの職務から離れ、ほとんど自由に行動している者もいるにはいるのだが、そういう人物は今回のような任務には当てられない。

 それは先ほどハイネセンがセリスを認める際に言っていたことだが、他国との関係があるからだ。そこでの立ち振る舞いを考えると、それらに該当する人物は悪印象を与える可能性が十分にあるので、重要な任務で他国に送られることはまずない。


「仕方ないが、ここはウィリアムに任せるか」


 ウィリアムは主にアスラの護衛を担当しているが、アスラの護衛には一応、ライトもいる。ライトの普段の振る舞いから、ライトに任せることは難しいが、ウィリアムに護送の護衛を任せ、ライトにアスラの護衛を任せることなら、苦肉の策だが悪くはないとハイネセンは考えた。


「それでしたら、私から一つ提案があります」

「誰か、いい人材がいるのか?」

「シドラスはどうでしょうか?」


 ブラゴの提案にハイネセンは驚いた。シドラスは現在アスマの護衛を担当しているのだが、アスマの護衛はもう一人のイリスが遠方に研修に行っている関係から、シドラスしかいない。それを今回の職務に当てると、しばらくアスマの護衛がいなくなるということになる。


「アスマ殿下はどうする?」

「実は先刻イリスから連絡がありまして、遅くても明後日には王都に戻ってくるそうです。仮に明日出発しても、イリスが戻ってくるまでの約一日だけであれば、他の者で何とかなるかと。それにこう言っては何ですが、アスマ殿下は既に護衛がいるとは言いづらい状況が多々あります」


 アスマの日課として、王都の街中にあるカフェ、パンテラに通うというものがある。その際にはアスマとメイドのベルが二人で王城を出ているので、そもそもシドラスが護衛として機能しているのかどうか怪しいところだ。

 元から分かっていたことだが、敢えて誰も言わなかったことをブラゴがハッキリと言ってしまい、ハイネセンは苦笑した。


「そうだな。それなら、シドラスに任せようか。シドラスなら問題はないだろうし、ブラゴがそう言うからには経験させておきたいのだろう」

「ありがとうございます」


 ハイネセンの決定から数時間後、ウルカヌス王国からの返答が届き、そこで捕まっているソフィアが、ウルカヌス王国の王女であるソフィアと、であることが確定した。



   ☆   ★   ☆   ★



 ウルカヌス王国からの返答が届いた約一時間後、シドラスはソフィアの護送のために、既に準備されていた馬車に乗り込もうとしていた。護送対象のソフィア、同じく護衛を担当するセリス、御者のアレックスの三人が同乗している。アレックスは衛兵の中からブラゴが選んだ人物で、今年で衛兵になってから三十年近いベテランだった。外部の御者を呼べない時に任されることが多いらしい。


 その四人で王城を出る前、シドラス達の見送りなのか、アスラが顔を見せた。ウィリアムと一緒にライトもいて、ライトは頻りにシドラスを羨ましがった。


「いいな~。向こうの女の子が可愛かったら教えろよ~?」

「何を言ってるんだ?護送だ。そんな浮ついた気持ちで行かないんだ、お前と違って」

「いや、俺だって仕事だったら、半分くらいに気持ちを抑えるけど?」

「全部なくせ」

「シドラス。この馬鹿は無視をしろ」


 ウィリアムがライトの首根っこを引っ張り、黙らせるように自分の後ろに投げ捨てた。尻餅を突いたライトが不満げに頭を摩っている。


「気をつけてくださいね」

「ありがとうございます」


 アスラからの優しい言葉にセリスが礼を言っている隣で、ライトはその場にアスマが来ないことを不思議に思っていた。シドラスが出るからとか関係なく、アスマだったら面白そうなことを真っ先に見に来るはずだ。見送りに来るどころか、一緒に行こうとし始めて、シドラスが必死に止めることが常なのに、それが今回はないとなると、嫌な予感がして仕方ない。


 結局、その後もアスマは来ることなく、シドラスは馬車に揺られて、王城を後にした。ウルカヌス王国までは遠く、少なくとも今日中に辿りつくことはない。

 無事に辿りつくといいのだが、とシドラスが少し不安に思っていると、隣に座ったセリスが目の前のソフィアに声をかけた。


「どうして、ウルカヌス王国を抜け出したのですか?」


 ソフィアは外の景色を見ながら、セリスに軽く視線を向けていた。それから、「教えられない」と小さく答えて、自分の手を軽く見ている。罪人の護送の際には、その手に枷をつけることが当たり前なのだが、今回はそれがなかった。それはソフィアの立場が分かったことからの配慮であり、ソフィアの罪をエアリエル王国が咎めない証明でもある。

 ここで逃げ出したりしないだろうか、とシドラスはつい考えるのだが、ソフィアはその素振りを見せない。


 その後、ソフィアはセリスの質問に軽く答えたり、外の景色を眺めたりするだけで、馬車から抜け出すことはなかったのだが、シドラスはずっと警戒してしまい、夜になって宿に泊まることになった時にはへとへとの状態になっていた。


「大丈夫か?」


 セリスが心配半分、呆れ半分の表情で聞いてくる。シドラスは何とか「大丈夫」と答えるが、本当のところは精神的に擦り減っており、ウルカヌス王国の王都に辿りつくまで、自分が持つかと不安になり始めていた。


「大丈夫だったら、アレックスさんと一緒に荷物を運んできて欲しい。私は王女についておく」


 セリスの頼みに頷き、シドラスは馬車につけられた荷台に移動した。そこではアレックスが荷物を降ろしている最中である。


「お手伝いします」

「ああ、すみません。それでは、これをお願いします」


 アレックスが木箱の一つを渡してきた。中にはソフィアのためのドレスが入っている。ソフィアに貧しい生活をさせていたと思われると問題になるのではないかと考えたハイネセンが、リスクヘッジのために準備させた物らしい。


 それを宿に運び入れ、再び馬車まで戻ってきたところで、アレックスが剣を構えていることに気づいた。その様子に慌ててシドラスは駆け寄る。


「どうされたのですか!?」

「今、荷台に何かが!もしかしたら、間者かもしれません!」


 警戒するアレックスに釣られ、シドラスも剣を取り出し、アレックスと一緒に荷台に乗り込んだ。アレックスの見たという何かが隠れた場所にゆっくりと近づき、そこに置かれた木箱を蹴り上げるように退ける。


 そして、その陰に剣を向けた直後、シドラスとアレックスは口をあんぐりと開け、固まることになった。


「で、殿!?」

「へ、へへっ…」


 その陰に隠れていたが乾いた笑いを漏らし、隣にいたが苦笑いを浮かべていた。

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