『ウルカヌス王国』

王女の帰還(1)

 竜王祭りゅうおうさいも終わりを迎え、王都の様子はすっかり元通りに戻った一方で、その興奮を引き摺ったままの人々も多かった。エアリエル王国の王城で衛兵を務めるニコラスもその一人だ。


「終わってしまいましたねぇ…」


 何度目か分からないその一言に、ニコラスと一緒に警備を担当するミハイルは苦笑した。王城の一角、罪人の取り調べを行う取調室の前でのことだ。


「終わってしまいましたねぇ…」

「いや、何回言うんだよ…?流石にもう聞き飽きたよ、同じ言葉ばっかり」


 仕事中の私語はもちろん厳禁だ。発見されると怒られることは目に見えており、場所的に上官の通りやすい取調室の前で、ミハイルは話したくなかったが、あまりにニコラスがしつこいので、つい口を開いてしまっていた。


「いや、だって、凄く楽しかったじゃないですか!お祭り騒ぎみたいで!」

「お祭りだからな」

「また一年後かと思うと、ちょっとガッカリするんですよね…」

「その前に魔竜祭まりゅうさいがあるだろう?」


 春に行われる竜王祭。エアリエル王国の第一王子であるアスマの生誕祭も兼ねたその祭りと、ついになって語られるのが、秋に行われる魔竜祭だ。第二王子であるアスラの生誕祭も兼ねた祭りであり、こちらも竜王祭と同じくらいに多くの人々が王都に集まる。


「確かにそうですね。だけど、魔竜祭って特殊っていうか、また竜王祭と違った祭りですからね」

「ああぁ…それはまあなぁ…」


 昨年の魔竜祭を思い出し、ニコラスとミハイルは揃って心を和ませた。竜王祭がアスマの生誕祭を兼ね、その性格を反映したような祭りになっているのに対して、魔竜祭はアスラの性格よりも、アスラを祝う方向に大きく舵を取られている。

 その内容についてアスラはも多いかもしれないが、それこそが魔竜祭の最大の目玉と言えるだろう。


「ただ次は何も起こらないといいですよねぇ…」

「ああ、そうだな」


 ニコラスとミハイルは表情を変え、自分達が警備する取調室に目を向けた。その中では現在も取り調べが行われており、その相手は昨日の祭りをもう少しで大事件に発展させかけていた人物だ。

 幸いなことに大きな騒ぎに発展することもなく、秘密裏に問題は解決できたが、もう少しで竜王祭は中止になるところだったと思うと、こうして無事に終わったことを安堵せずにはいられない。


「しかし、長いよな?」

「そうですね。もう結構日数が経ちますよね」


 アスマの暗殺を企てた暗殺ギルドのロス・ロボス。その構成員だった一人の女に、王国の騎士の一人であるセリスが話を聞いているのだが、ここ数日に渡って、女は一切口を開かなかった。セリスは根気強く話を聞こうとしているが、このまま口を割らないとしたら、王国側の次の行動は限られてくる。


「まさか、メグエナ様が出てくるんですかね…!?」


 恐怖の表情で呟いたニコラスの一言に、ミハイルも同じように表情を歪めた。


 王国に三人しかいない女騎士の一人であるメグエナは、王国の内部、特に王城に出入りする者なら知らない者はいない拷問のエキスパートだ。具体的に何が行われているのか分からないが、メグエナの拷問室からは断続的な人間の悲鳴と、何かしらの怪物のものではないかと思われる奇声が、昼夜問わずに聞こえてくるらしい。

 その拷問室で行われていることは様々な噂として広まっており、今では実際にメグエナに逢ったことのない者でも、その名前に恐怖するほどになっていた。


「メグエナ様が出てきたら、情報も聞き出せないんじゃないか…?」


 人間を怪物に、怪物を赤子に変えると言われている拷問を受け、真面に情報が聞き出されるのか。これはメグエナの噂を聞いた全ての人が思う疑問だった。


「た、確かに…無理そうですね…」


 メグエナの拷問室行きになると、捕らえた意味合いがなくなる。だから、セリスは頑張っているに違いないとニコラスとミハイルが納得した時だった。


 取調室の扉が開き、中からセリスが顔を出した。私語を怒られると思ったミハイルが咄嗟に口を閉じ、ニコラスの足を軽く足で小突く。ニコラスも流石に分かっているようで、慌てた表情をしながら、口を噤んだ。


「そこの二人。どちらでもいいから、騎士団長を呼んできてくれないか?」

「は、はい!」


 元気に返事をしたニコラスが走り出した直後、セリスは部屋から顔を出したまま、頭を抱えている。


「どうされたのですか?大丈夫ですか?」


 体調の悪そうなセリスの様子にミハイルが心配して声をかけると、セリスは軽く笑みを浮かべて「大丈夫」と答えた。


「ただ少し、だけだ」


 そう呟いたセリスの言葉通り、それから少し後、王城は騒がしさに包まれることになった。



   ☆   ★   ☆   ★



 王城に仕えるメイドの一人、ベルことベルフィーユが掃除に励んでいると、前方から見覚えのある人物が歩いてきた。余程暑いのか、頻りに服を引っ張り、パタパタと服の中に空気を送り込んでいるその人物は、エアリエル王国の第一王子であるアスマだ。時間帯的にアスマの護衛である騎士のシドラスを相手に、午前中の剣の稽古をした帰りなのだろう。良く見てみると、服は薄らと汗で湿っている。


「あ、ベル」


 こちらが何かを言うより先に、掃除中のベルに気づいたアスマが声をかけてきた。子犬のように嬉しそうに駆け寄ってくると、もわっとした汗臭さが鼻をつく。


「剣の稽古の帰りか?」

「ああ、うん。これから、着替えようと思って」

「なら、早く着替えてこい。凄く臭う」

「え?そんなに臭い?」


 アスマが自分の身体を頻りに嗅ぎ始めるが、自分の汗の臭いを自分で嗅げるとは思えない。案の定、すぐに首を傾げて、「そうかな?」と小さく呟いている。


「掃除している最中なんだ。汚物を撒き散らさないでくれ」

「汚物って表現酷くない?」


 アスマの相手をするために、いつまでも手を止めるわけにもいかない。ベルが掃除を再開するために、アスマごと箒で履こうかと思った時に、アスマがベルの後ろに向かって手を上げた。


「あっ、ギルバート!」


 ベルが振り返ると、エアリエル王国有数の貴族の当主、ギルバートがこちらに歩いてきているところだった。アスマに気づき、笑顔で手を上げるギルバートの傍には、従者のタリアがついている。


 竜王祭の際、この世界ではない別の世界からやってきて、元の世界にいる兄を救うためにアスマの命を狙っていることが判明したタリアだが、王国に捕まった後、アスマの計らいで再びギルバートの従者として働くことが許され、今もギルバートの下で働いているはずなのだが、あれからベルもアスマも、ギルバートと逢う機会がなく、どうしているのかは分からなかった。


 二人がこうして並んでいる姿を改めて見て、ちゃんと元通りに戻ったのかとベルが安心した直後、こちらに気づいたタリアの表情が強張った。

 その表情に気づいたベルが、まさかと考えた。


 竜王祭の際、アスマの命を狙ったタリアは、そこでアスマを庇ったベルに怪我を負わせることになった。そのことを悔やみ、今も気にしているのかと思った瞬間、タリアがベルではなく、アスマを見ていることに気づいた。


「何してるの?」


 廊下を歩いてきたギルバートが二人の前で立ち止まると、すぐさまアスマはそう言った。そこでアスマの臭いを思い出したベルが箒の柄でアスマをつつき、小声で「臭い」と注意する。


「あっ、俺、もしかしたら臭いかも!」

「いえ、大丈夫ですよ。殿下は良い香りがします」

「ギルバート卿。気を遣わなくてもいいと思いますよ?」


 流石に良い香りはしないだろうと思い、ベルは苦笑しながら言ったが、ギルバートは心底不思議そうにベルを見てきた。

 どうやら、ギルバートは本気で言っているらしい。驚愕の事実にベルは苦笑したまま、固まってしまった。


「仕事?」


 話を戻したアスマの問いに、ギルバートは笑顔で頷いた。


「竜王祭の際にご用意した武器一式の代金の受け取りや、自警団の使用した武器の管理手続き等がありまして」

「ああ、あの時はありがとうね」


 アスマの素直な礼にギルバートは嬉しそうに恐縮していた。その後ろでタリアが石像のように固まっている。


「タリアちゃんは元気?」

「えっ…!?あ、は…はい…」


 不意にアスマに声をかけられた途端、タリアがネジの外れた玩具のように、あたふたと慌て始めた。何とか答えてはいるが、その声は消え入るようだ。


「どうしたの?タリアちゃんのお兄さんのことなら、何とかできるように俺も協力するからね。いつでも頼ってね」

「あっ…うぅ…は…はい…あり…ありがとう…ございます…」


 林檎が熟れるように顔を赤くしながら、タリアは身を縮こまらせていた。その様子に一切気づかないアスマが更に声をかけようとした瞬間、タリアはついに耐えられなかったように顔を上げ、早口で捲し立てるように言った。


「急いでいるので失礼します!」


 その急な一言に三人が驚いている間に、タリアはさっさと廊下を歩いていってしまう。その動きはあまりに速く、本来は付き従わなければいけないはずのギルバートすら置いていっているほどだ。


「あれ?俺、何か避けられてる?どうして?」


 流石にタリアの様子がおかしいことに気づいたのか、そう呟いたアスマに向かって、ギルバートはアスマと同じように心底不思議そうな顔で首を傾げている。その二人に呆れた目を向けながら、ベルは心の底からの言葉を口に出した。


「本当にどうしてだろうな」


 ベルの皮肉に気づくこともなく、アスマが「怒らせたかな?」と真面目に悩み出したところで、ようやく自分が置いていかれたことに気づいたギルバートが焦り始めた。


「ああ!追いかけないと!」


 思い出したようにそう言って、アスマとベルに「失礼します」と一言言ってから、タリアを追いかけるために早足で廊下を歩き始める。その姿を見送っている最中も、アスマは悩んでいる様子だった。

 その姿に呆れながら、ベルは箒の柄でアスマの肩をつつく。


「ほら、着替えるんだろう?早く行かないと風邪を引くぞ?」


 何とかは風邪を引かないと言うのだから、アスマが風邪を引くことはないだろうとは思ったが、それは心の中に留めて、ベルはそう注意した。アスマもそれで思い出したのか、悩むことを中断して、自室の方に歩き出した。


 これでようやく仕事に戻れると思ったベルが掃除を再開しかけた途端、俄に王城の中が騒がしくなった。誰かの走り回る足音がそこら中から聞こえてきて、帰ろうとしていたアスマも思わず足を止めている。


「どうしたんだろう?」


 立ち止まったアスマが呟いた直後、ちょうど二人の横を知り合いの衛兵が通り過ぎようとした。


「あっ、ニコラス」


 咄嗟にアスマがその衛兵、ニコラスを呼び止めると、急いでいたからなのか、アスマに気づいていなかったらしいニコラスが慌ててアスマに頭を下げている。


「これは殿下!急いでいたもので申し訳ございません!」

「いや、それはいいんだけど、どうしたの?何かあったの?」

「実はが発生しまして…」

「大問題?」


 掃除を再開しようと思っていたベルも手を止め、アスマの隣で不思議そうなアスマと顔を合わせた。衛兵であるニコラスがこれだけ慌てるほどの大問題とは、また王城内に泥棒でも入ったのかとベルは思ったが、話はそれどころではなかった。


「竜王祭の際に捕まえたロス・ロボスの構成員ですが」

「ああ、ライトが戦った男の人と、エルが戦った女の子だよね?」

「そうです。その女性がセリス様の取り調べについに応じたのですが」

「どこかの貴族だったとか?」


 ベルはドレスを着ていたという話を思い出し、冗談半分でそう口にした。すると、ニコラスは大きくかぶりを振り、前のめりになりながら言ってきた。


「貴族どころではありません!だったんです!」

「は?」

「自分は行方不明になっているだと言い出したのです!」

「は?」


 アスマとベルは再び顔を見合わせ、お互いにゆっくりと首を傾げた。ニコラスが何を言っているのか、ちゃんと理解するまで、それからしばらくかかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る