王女の帰還(3)

 荷台に荷物を積み終えたアレックスが御者台に座り、シドラス達が馬車に乗り込むまでの数分間、そのタイミングを狙ったわけではないが、アスマは馬車にこっそりと近づいていた。馬車がウルカヌス王国に行くと聞きつけ、その行き先に興味を持ったアスマが、偵察という名の言い訳を携え、馬車の様子を見に来たのだ。


 もちろん、シドラスを見送るつもりはあるが、その前にウルカヌス王国に行く馬車、特に荷台に乗せられた荷物の中身は気になって仕方がなかった。ウルカヌス王国に行くからには、その中身は大層な土産物に違いない。その欠片ほどでいいから、自分もご相伴に預かりたいと思ったアスマが、荷物の中身は何かと探り始める。


 厳重に封をされた木箱の数々。これはきっと中も大層なご馳走に違いないと思ったアスマが、その木箱を気づかれないまま、こっそりと開けようと画策し、その手段に四苦八苦する。

 これは一体、どうしたら開くのか、とアスマは半ば意地になりながら、木箱の開封を試みるが、開きそうになった時に限って、木箱は大きな音を立てようとする。これではアレックスに気づかれると、アスマが慌てて手を止めた瞬間、荷台の外から声がかけられた。


「何をしているんだ?」


 その声にアスマが目を向けると、腰に手を当て、ふんぞり返ったベルが、怒った顔でアスマを見ていた。腰に当てられた手の片方には、クシャクシャのシーツが握られている。


「ベ、ベル…?どうしたの…?」

「部屋の片づけをしていたら、馬車に近づく泥棒を見つけてな」


 シーツを握っていない方の手の親指を立て、ベルが近くの建物の一部屋を示した。荷台から顔を出すと、その窓がハッキリと見えるくらいだから、向こう側からこの場所もハッキリ見えていたことだろう。こっそりと馬車に近づくアスマも、丸見えだったに違いない。


「こういう場合は衛兵を呼べばいいのか?それとも、シドラスか?」

「どっちも勘弁してください」


 光の速さで頭を下げると、ベルの呆れた溜め息がアスマの後頭部に降りかかった。


「それで、何を盗もうとしたんだ?」

「別に盗もうとしたわけじゃ…ないよ?」

「何で疑問形なんだ?」


 明確に盗む意思があったわけではないが、土産物のご相伴に預かろうとしたアスマの行為は、見方を変えるまでもなく、窃盗だった。ベルに指摘されたことで、ようやくそのことに気づいたが、ここでの自白は悪い結果しか生まない。何としても誤魔化し通すと思ったアスマの考えまで見通したように、ベルが二度目の溜め息を吐いた。アスマが誤魔化しの意味も込めて、苦笑いを浮かべる。


「とにかく、そこから降りてこい」

「いや、もうちょっと待って欲しいかなって…ちょっと確認するだけだから」

「どうせ、ロクでもないことにしかならないんだ。確認とかやめておけ」

「いやいや、本当に大丈夫だから。ベルが心配するようなことにはならないって」


 アスマは力説するが、そもそもアスマの信用度は低い。王城の中で悪戯が起きた時には、その犯人がたとえライトだったとしても、アスマが真っ先に疑われるくらいだ。そのことはベルも重々承知しているので、アスマが何を言っても、ベルは一切聞いてくれなかった。クシャクシャのシーツを荷台の上に置き、アスマの手を引っ張って、無理矢理に降ろそうとしてくる。


「ほら、降りろ!」

「ちょ、ちょっとくらい、いいでしょ…!?」


 あまりに大きな声を出すとアレックスに気づかれてしまう。アスマは手を引っ張られながら、何度もベルに小声になるように注意するが、アスマを降ろそうとするベルは、そのジェスチャーに気づいてくれない。


「いいから、早く!」

「ちょっ…!?ベル、静かに…!?」


 アスマが慌てた瞬間、微かに外から声が聞こえてきた。良く聞き慣れた声はアスマの状況とリンクして、アスマに警戒音を発してくる。本能的な危機にアスマの身体は硬直し、反射的に外のベルを引っ張っていた。荷台に引き摺り込まれたベルは驚き、間抜けに「あわっ!?」と声を漏らしている。


「何をするん…!?」


 思わず叫ぼうとしたベルの口を慌てて押さえ、アスマが必死に「しぃ~」と静かにするように訴えかけた。外からの声に指を差し、小さな声で「シドラス…!」とベルに伝えようとする。


 その間にも、シドラスは馬車に近づき、乗り込もうとしているようだった。このままだと馬車が進み出しそうだと思い、アスマは何とかこっそり抜け出そうと考えるが、シドラスの見送りなのか、アスラ達も馬車の外にいるようで、なかなかにその機会が訪れない。


 それどころか、このままだと荷台の入口に置かれたシーツで、ここにアスマとベルが隠れていることがバレてしまう。そう思ったアスマが片手を伸ばし、何とかシーツを掴んだ瞬間、アレックスが馬車を動かした。不安定な体勢にあったアスマが、その揺れに思わず体勢を崩し、シーツを引っ張るまま、荷台の上に転がってしまう。


「痛っ…!?」


 転がった際に頭をぶつけた痛みにアスマが顔を歪めていると、自分の下に妙な感触があることに気づいた。頭を摩りながら、何かと思って起き上がってみると、アスマの下で押し潰されたベルが、目を白黒させている。どうやら、倒れ込んだアスマの下敷きになった時に、身体ごと強く頭をぶつけたようだ。アスマが「大丈夫!?」と声をかけながら、ベルの身体を揺さ振ってみるが、気を失ったまま目覚める気配がない。


「ど、どうしよう!?」


 アスマが動揺している間に、馬車はどんどんスピードを上げ、やがて外の景色が目で追えないほどの速さで流れるようになっていた。この状態の馬車から降りるのは、いくらアスマの身体が丈夫でも危ないことだ。何より、気を失ったベルと一緒に抜け出すことはできない。


「ど、どうしよう…?」


 困ったように呟くも、アスマにはどうすることもできず、少しして回復したベルと一緒に、宿につくまで馬車で揺られることになった。



   ☆   ★   ☆   ★



「…ということです…はい…」


 床に正座し、常に俯いた状態のアスマとベルから説明を受け、シドラスとセリスは盛大に溜め息を吐いた。一国の王子を、その国の騎士が平然と正座させている事実に、ソフィアは驚いた顔で見ている。


「その…ごめんなさい…」

「すみません…私がちゃんと止められたら…」

「いえ、ベルさんは仕方ありません。殿下の力を考えると、止めることは難しかったと思います。寧ろ、殿下の無茶に巻き込んでしまって申し訳ありません…」

「いや、先にシドラスを呼べば良かっただけなんだ。これは判断を誤った私のミスだ」


 申し訳なさそうに謝罪し合うベルとシドラスの隣で、アスマが所在なげに正座した足を遊ばせている。もしかしたら、痺れ始めたのかもしれない。普段のベルなら、軽くアスマの足をつつくくらいの揶揄いをしたかもしれないが、今はそういう場面でもない。

 シドラスとセリスが次に何を言うのか待っていると、セリスが部屋の入口に立っていたアレックスに目を向けた。


「取り敢えず、王国と連絡を取りましょう。殿下とベルさんを誰かに引き取りに来てもらいましょう」


 セリスの指示を受けたアレックスが部屋を出ようとした瞬間、それまで黙っていたソフィアが不意に声を出した。


「ちょっと待って!」


 その突然すぎる発言に驚き、アスマ達の視線がソフィアに集まった。注目を浴びたソフィアは真剣な表情で、アスマをじっと見つめたまま、何かを考え込んでいる。


「どうされたのですか?」


 セリスの問いを受けた直後、ソフィアは考え込んでいた顔を上げ、セリスに目を向けた。


「その二人も一緒に王国に連れていく。そうじゃないと私は王国に戻らない」

「はい?本気で仰っているのですか?」

「冗談を言っているように見える?」


 ソフィアの正気とは思えない発言に、セリスは絶句していた。シドラスも目を丸くして、困ったようにセリスを見ている。流石のアスマもソフィアの一言は信じられなかったようで、正座したまま、口をぽかんと開けて固まっている。


「ちょっと待ってください。私達の一存では決められないので、一度確認を取ります」


 珍しく、困惑と焦りを表情に見せたセリスが、アレックスを伴って部屋から出ていった。残されたアスマはソフィアをじっと見つめたまま、ぽかんと開けていた口を動かす。


「何で、俺達も一緒に?」

「……教えない」


 そう言って、ソフィアはプイッと顔を背け、窓の外を見始めた。その姿に困ってしまったのか、アスマがベルとシドラスを見てくる。とはいえ、ベルもシドラスも同じ気持ちなので、同じ視線を送ることしかできない。


 その後、セリスがソフィアの発言を王国に報告し、その返答が翌日になってから届いた。内容はソフィアの発言を概ね了承するもので、アスマとベルの同行がの下に正式に決定し、翌日から六人でウルカヌス王国に向かうことになった。

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