11歳(6)

 ルナの仕事はあくまで服飾職人だ。それが本職である以上、ベルと一緒に森に入り、ヒノデソウを探すことはボランティアであり、そればかりに時間を使ってもいられない。あくまで服飾職人としての仕事の合間を縫って、ベルと一緒に森に入ってくれているので、その回数は多くない。

 それだけでなく、ルナと一緒だといつも入っているような森の奥に入ることもできない。ヒノデソウは人の入らないような森の奥地の方が生えている可能性は高まるので、そこまで入れないとヒノデソウを見つけることは必然的に難しくなる。


 それらのことが重なり、ベルは仕事の期限が迫ろうとしているが、未だにヒノデソウを発見することができていなかった。流石のベルも少しずつ焦り始める頃だ。

 とはいえ、ルナは何も悪くない。ベルの我が儘に付き合ってくれているだけだ。ベルは文句を言えないし、そもそも文句を言うつもりもない。


 仮に文句を言うとしたら、それはベル自身の方だった。あれから、ベルにとって恐怖の相手には遭っていないが、そこに対する恐怖は一切変わっていない。そのことをいつまでも仕方ないと思わずに、そろそろ克服するべきだと自分を鼓舞する気持ちはあった。

 しかし、森の前に一人で行くと、そこで足が震え始め、どうしてもベルは森の中に入ることができなかった。そのあまりの自分の弱さにベルは情けなくなるが、情けなくなっても、ベルの恐怖は変わってくれない。


 結局、ルナの仕事を待つことになるのだが、ルナと一緒に入っても、ヒノデソウはなかなか見つからない。


 更に言うと、ルナの時間を取っていることも非常に申し訳ない気持ちで一杯だった。ルナは意中の相手とどんどん親しくなり、逢う約束をすることもあるみたいだったが、ベルの仕事に付き合ってくれているばかりに、逢えないということも多いそうだ。


 その話を聞くと、ベルはそろそろ自分の仕事に決着をつけるべきなのではないかと考え始めていた。

 つまり、他の人に仕事を渡すということだ。ベルにはペナルティーが発生するかもしれないが、仕事が終わらないよりも、その方がいいに決まっている。


 そう考えていたある日のことだった。仕事の休憩時間というルナと逢い、ベルは二人で並んで雑談に興じていた。


「ごめんね。今日は時間がないから、一緒に森に行けなくて」

「いや、いいよ。私の方こそ、何度も付き合ってもらっちゃってごめんね。アルさんとは最近、逢えてるの?」


 このアルというのは、ルナの意中の相手である狩人の名前だ。正確にはアルベールといい、家族や仕事仲間などの親しい人からは基本的にアルと呼ばれているらしい。


「ああ、うん。ただ何か、今は忙しいみたい。今度、草原の方で大きな仕事があるとかで」

「草原の方で?あそこに動物なんていたっけ?」


 リリパット近くの草原はベルが普段の仕事場にしている森の西部に広がっていた。行商人が良く通り、その草原からリリパットを経由して、大きな街に行くことが多かった。


「何でも最近、狼が群れで出るらしいんだ。それで草原に入れなくなっている行商人も増えているみたいで、村の収入にも関わるからって、狩人組合が退治することになったんだって」

「その準備で忙しいんだ?」

「そうみたい。狼がどこにいるとか、そういった把握もあって、ここ数日は時間があまり取れないって謝られちゃった」


 そう言いながらも、ルナはどこか嬉しそうに笑っていた。少ない時間の中でも自分と逢ってくれて嬉しいのだろう。ルナとアルの関係は恋人まで行っていないみたいだが、それに近しい仲になっていることはベルにも分かり、そのことが嬉しかった。


「そういえば、テオさんも一緒に行くみたいだよ」


 不意にそう言われて、ベルの身体は強張っていた。テオという名前を聞くと、条件反射的にこうなってしまう。


 テオとはアルの同僚の狩人で、分かりやすい表現を使うと、例の少年のことだった。そのことをルナは何故か教えてくれたのだが、その名前を聞いてから、『手を洗おう』とか『手を使って』とか、『手を』という言葉を聞いても、ベルは身体を強張らせてしまうようになり、少し困っていた。


「そんなの教えてくれなくていいよぉ…」

「いや、そういうつもりじゃなくて…二日後だったと思うから、その日はテオさんも森に入ることがないと思うよ?」


 そう言われて、ベルは真理を教えられたようにハッとしていた。思わずルナの手を掴み、真顔のまま、ぶんぶんと振り回してしまう。


「ルナ、天才」

「あ、ありがと…」


 思わぬことで褒められたためか、ルナは非常に困惑した顔をしていた。されるがままに両腕をぶんぶんと振り回している。


「その日は仕事があるから、私は一緒に行けないけど、それだったら、一人でも大丈夫だよね?」


 ルナの確認にベルは大きく首肯していた。テオがいないと分かったら、森に入る恐怖もなくなるか、最低でも薄まるはずだ。


「二日後だね。ありがとう、ルナ」

「ううん。頑張って」


 ルナの励ましにベルが笑顔を向けたところで、ルナの休憩時間が終わりを迎えていた。ベルはルナと別れの挨拶を済ませ、二日後のことを考えながら、一人で家に帰っていく。ヒノデソウを見つけるなら、そこが最後のチャンスかもしれない。そう思いながら、気合いを入れていた。



   ☆   ★   ☆   ★



 狩人が狼退治のために草原に向かうという当日、ベルは一人で森の前にいた。最近はそこまで来ただけで震えていた足も、今日はテオがいないと決まっているためか、一切震える気配がない。


 ルナのいない一人での森は久しぶりのことだった。ルナと一緒に探索する森は楽しかったが、一人だとそれとはまた違う楽しみがある。誰かと一緒に話しながら歩く楽しみはなくなったが、自分の速度で自由に森の中を歩ける楽しみはここにしかない。ルナに気を遣って見られなかった植物も、ゆっくりと見ることができる。

 風が枝葉を揺らす音しかしない森の中は、狩人がそこにいないためか、いつもよりも静かな印象で、ベルの一人の時間を盛り上げてくれていた。


 とはいえ、今日が最後のチャンスかもしれないと思っている以上、ヒノデソウは絶対に見つけないといけない。寄り道も程々にして、割と早くから森の奥に向かっていた。


 森の奥まで来るのは、ビカクシダを仕留めたテオと遭って以来だったが、その場所は特に変わりがなかった。いつもより静かな森の奥地には小さな花の咲いた花畑があり、仄かに香ってくる花の匂いがベルの心を更に落ちつかせてくれる。


 やっぱり森の中はいいな、とベルは改めて思っていた。


 しばらく、森の奥の空気を楽しみ、そこにしか生えていない植物を眺めてから、ベルはようやくヒノデソウを探し始める。ヒノデソウが生えているような木漏れ日の下に行くと、その温もりがベルを更に心地好くさせる。

 一度、この場所で眠りたい。そう思えるくらいに穏やかな気持ちになりながらも、今日しかないと言い聞かせ、ベルはヒノデソウを探していく。


 そうしたら、ルナと一緒に探している時はあれだけ見つからなかったヒノデソウがあっさりと見つかっていた。あまりにあっさりとした発見に、ベルは最初気づけなかったくらいだ。特徴的な葉の形は間違いないので、それがヒノデソウであることは疑いようがないが、本当にヒノデソウかと一瞬思ってしまうくらいに、それはあっさりとした発見だった。


 ベルはそのヒノデソウを採取し、予定よりも早くに仕事を終えてしまう。できればもう少し、この森の中を探索したいが、ヒノデソウをこのまま長時間持ち運ぶことはできない。枯れる前にさっさと森を出ようと思い、ベルは森の中を歩き出す。

 普段はあまり見ることのできなかった植物も、知らない間に咲いていた花も、木陰にひっそりと生えていた可愛らしいキノコも、ベルは気になってしまうが、それらは違う機会にして、ベルは森から出るために歩き続ける。


 その途中、ベルは不意に次の機会があるのかと考えていた。今回のように狩人が一斉にいない機会など、そうそうあるものではない。場合によっては二度とないかもしれない。

 そうなったら、ベルは一生一人で森に入れないのだろうか。そう思ったら、ベルは悲しい気持ちになってくる。


 これが最後の機会かもしれない。そう思ったら、少しくらいは見てもいいのではないかと迷い始める。


 不意に足音が聞こえたのは、その時だった。足音といっても、人間の足音ではない。一歩一歩の間隔の短い足音は、足が二本ではない証拠だ。四本足で走っているのだから、動物の足音だろう。

 そのことを考えながら、ベルはビカクシダのことを思い出す。そういえば、まだ頭の植物が何なのか調べる前だった。


 もしかしたら、この足音の主はビカクシダかもしれない。それなら、頭の植物を調べるチャンスだ。そう思ったベルが何気なく、足音の聞こえてくる方に向かう。


 そこで走ってきた動物がピタリと足音を止め、ベルの様子を窺うように少し離れた位置から、こちらに目を向けてきていた。その場所が暗く、最初は姿が見えなかったベルも、その場所に近づいてみて、その輪郭をはっきりと見る。


 その瞬間、その動物が飛び出してきて、ベルに飛びかかってきた。咄嗟のことに驚きながらも、ベルは必死に跳んで、その動物から離れた位置に逃げる。


 それは本来、この森にいないはずの動物。

 だった。

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