11歳(5)
狩人組合からベルが逃げ帰ってきてから小一時間が経過していた。ベルの恐怖がようやく薄まり始めた頃になって、ルナがベルの家までやってきていた。ベルがいなくなっていたことで余程動揺したのか、開口一番にクレームを言ってくる。
「ちょっとベル!?どうして急にいなくなったの!?」
「ご、ごめんね。ルナを見てたら、多分二人でも大丈夫だと思って」
「ビックリしたよ!!」
ルナはぷりぷりと怒りながら、その怒りを全身で表現していた。うまく言葉にできないようで、口の代わりに腕がぶんぶんと大きく動かされている。ルナは真剣に怒っているはずなのだが、その姿を見ていると、ベルはだんだんと落ちついてきていた。さっきまでの恐怖も既に鳴りを潜めている。
「それで、どうだったの?」
ベルが毛布から抜け出しながら聞くと、今の今まで全身を動かしていたルナの動きがピタリと止まり、絵具をかけられたように一瞬で顔が真っ赤になっていた。今度はもじもじと恥ずかしそうに身体を動かし始めている。
「い、いろいろと話せたよ…皮のこととか、服のこととか…」
「それだけ?」
「そ、その…仕事がまだあるらしくて、途中で終わっちゃったんだけど…また逢ってくれるって…」
嬉しそうに笑いながら言ったルナに、ベルも自分のことのように嬉しくなっていた。ルナはさっきまでぷりぷりと怒っていたが、ベルの判断は間違っていなかったようだと、その笑顔を見て思う。
「今度は一人で大丈夫だよね?」
「そ、そうだね…今日も結局、一人だったし、一人で頑張ろうかな…?」
ルナは少し迷った様子だったが、やがて、ゆっくりとそう呟いていた。その姿に再びベルは心の中でエールを送る。
ルナ、頑張れ。そう思った直後、ルナの表情がすとんと真顔に戻り、さっきまで毛布に包まっていたベルを見てきた。
「ところでベルはもしかして…?」
「あっ…うん…」
そう答えながら、ベルは絵具をかけられたように一瞬で顔を真っ青にする。その様子にルナは心配した目を向けてくれていた。
「大丈夫?」
「うん…もう大丈夫…」
ベルはそう答えながらも、頭の中で一瞬でも思い出してしまえば恐怖が蘇ってきそうで、できるだけ違うことを考えるようにしていた。そのことに気づいているのか、ルナの心配した目は変わることがない。
「けど、ルナが一人で大丈夫なら、良かったかも…もう狩人組合に行くのは難しかったかもしれないから…」
「だ、大丈夫じゃなさそうだね…」
ともすれば、ベルは毛布の中に戻りそうなくらいに、少しずつ恐怖を思い出していたが、そっとルナが手を握ってくれたことで、その気持ちを抑えることができていた。狩人組合でルナを励ますために手を握った時にも思ったが、こうして体温が伝わると気持ちが凄く落ちついてくるから不思議だ。
「ありがとう…」
「ううん。けど、大丈夫?森での仕事はどうする?」
「仕事…?」
そう言われて、ようやくベルはヒノデソウの採取をしていないことを思い出していた。あれから、ほとんど狩人組合を覗きに行っていたため、森に行くことすら最近はしていない。
期限は既に迫ってきており、流石にそろそろ森に行って、ヒノデソウを採取してこないといけないが、そうなってくると思い出してしまうのが例の少年だ。あの少年がまた森にいるかもしれないと思うと、ベルの顔が青褪めるばかりで足は動いてくれない。
「どうしよぉ…忘れてたよぉ…」
ベルは涙目になりながら頭を抱えていた。そのベルの姿を見て、ルナは包み込むように優しく抱き締めてくれる。
「だ、大丈夫。今度は私がついていくから。きっと大丈夫だよ」
「ほ、本当にぃ…?」
「うん。本当に」
「ありがとぉ!!」
感動からベルが強く抱き締め返したことにルナは驚いていたが、やがて微笑みながら軽く頭を撫でてくれていた。そのことに膨れそうになっていた恐怖も萎んでいく。
何とか仕事はこなせそうで良かった、とこの時のベルはまだそう思っていた。
☆ ★ ☆ ★
狩人組合でルナの恋に進展があってから日は変わり、ルナの手が空いているタイミングに二人は森に向かおうとしていた。普段、ルナは森に入ることがないので、非常に緊張した面持ちだったが、慣れているベルが励まし、何とかその緊張もなくなろうとしていた。
しかし、それも森を前にするまでのことだった。そこで唐突に酷い緊張感に襲われることになった。
ルナの話ではない。ベルの話だ。
いざ森に入ろうとしたタイミングで足が震え始め、いつもなら簡単に踏み出せる一歩が踏み出せなくなっていた。まるで足を地面に繋げられたように足が上がらず、そのことにベルが動揺したためか、ルナまで動揺した顔をしている。
「ど、どうしたの…?」
ルナに聞かれて、ベルは引き攣った顔のまま、必死にかぶりを振っていた。
「な、何でもないよ…?」
それはルナの不安を取り除くために言った言葉だったが、同じくらいに自分に言い聞かせる意味も持っていた。
森に入ることなど何でもない。いつも当たり前に行っていることだ。そう何度も思ってみるが、そこに例の少年がいるかもしれないと一瞬だけでも考えてしまうと、ベルはうまく踏み出すことができない。
「ね、ねえ、ルナ…?手を握ってもいい…?」
急にベルがそう言い出したためか、ルナは酷く不安そうな顔をしていた。
しかし、ベルはルナを気遣うことまではできず、引き攣った表情のまま、ルナに向かって手を伸ばしていた。ルナは困った様子で迷っていたが、やがて、ゆっくりとその手を握ってくれる。
「よ、よし…!!行こう」
ルナと手を繋いだことでベルの足の震えは止まっていた。さっきまで地面と繋がっているようだった足も、今では重りがぶら下がっているくらいになっている。試しに一歩踏み出そうとしてみると、さっきまでは難しかった一歩も、簡単ではなかったが、踏み出すことができていた。
そうして、ゆっくりとベルとルナは森の中に入っていく。木漏れ日の齎す温もりに、木々の間を吹き抜ける風の涼しさが合わさって、非常に心地好い空間がそこには広がっている。その空間を久しぶりに感じて、ベルの気持ちは自然と高まっていた。
「気持ちいいね」
ルナの呟きにベルは強くうなずく。あの一件から忘れそうになっていたが、ベルは自分がどれだけ森の中が好きだったかを思い出していく。
強い日差しも穏やかに変えてくれる木も、木漏れ日の下で必死に成長しようとしている雑草も、見る人の目を楽しませてくれる花も、暗い影に隠れるように生えているキノコも、森の全てがベルの心を震わせ、嫌な記憶を塗り替えてくれていた。
「探すのはヒノデソウだよね?」
不意にルナに声をかけられ、ベルは自分がヒノデソウを探しに来ていたことを思い出していた。いつもなら自由に寄り道をしているが、今日はルナもいるのでそうもいかない。ヒノデソウを探すことに気持ちを切り替えて、ベルはルナの言葉にうなずいていた。
「そうだよ。ヒノデソウだよ」
「どういうところにあるの?」
「こういう木漏れ日の下とかに生えていることが多いよ」
「そういうところなんだね」
ルナがベルの指差した場所に目を向け、一緒に探し始めてくれる。ヒノデソウは名前から、その形だけは有名なので、ルナでも見つけることはできるはずだ。
真剣な目でヒノデソウを探してくれるルナの姿に、ベルはとても感激していた。こんなに優しいルナなのだから、きっとルナの恋も成就するに違いない、とベルは思う。
「どうしたの?」
ベルが地面を探すどころか、自分を見ていることに気づいた様子のルナが不思議そうに聞いてきた。ベルは笑みを浮かべながら、かぶりを振る。
「ううん。ルナは優しいなって思っただけ」
「そ、そんなことないよ。ベルの方が優しいよ」
「そんなことないよ」
ベルとルナは互いに優しさを譲り合って、一緒に笑い出す。穏やかな空間も相俟って、二人の雰囲気は久しぶりに穏やかなものになっていた。
しかし、穏やかになり過ぎたためか、その日はヒノデソウを見つけることができなかった。
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