『リリパット』

11歳(1)

 広葉樹の枝葉が緑の屋根を作り出す森の中。微かな木漏れ日が心地の良い温もりを生み出していた。木の根に気をつけながら、軽快な足取りで森の中を歩いているのは、まだ幼い少女だった。セミロングの金色の髪を靡かせ、青い瞳で森の中を楽しげに見ている。


 少女の名前はベルフィーユ。ベルと呼ばれる小人の少女だった。


 今年で十一歳。小人の十一歳となると、将来のことを考えるようになり、早い者によっては結婚し、子供を作るようになる年齢だ。ちょうど子供から大人の転換期と言える。


 しかし、この頃のベルの興味は、恋愛にはなかった。その興味の対象を求めてきたのが、現在ベルが軽快な足取りで歩いている森だ。広葉樹の落ち葉と、木漏れ日程度の日光でも十分に生育する雑草に包まれた地面を、ベルは楽しげな目で眺めている。

 ベルの興味はそれら雑草にあった。正確に言うと、植物全般だ。雑草から森全体に生えている広葉樹、果ては森の外に広がる草原や花畑の花までもがベルの興味の対象だった。


 きっかけは小さな頃に見たウミザクラの花畑だ。サクラの花と同じ形をした青い花が、文字通り海のように一面を覆っている姿を見て、ベルは植物の美しさに心を奪われていた。


 その興味がやがてベルの仕事となり、ベルはベルの住む小人の村で植物を売って生計を立てていた。

 植物を売ると言っても、雑草を売りつけるわけではない。広く使われる薬草や扱いの難しい植物など、量が必要だったり、採取のために知識が必要だったりする植物を、ベルが専門的に採取している形だ。

 ウミザクラから始まった興味が植物全般に移っていたベルからすると、その仕事は正に天職だった。


 小さな籠を片手に森の中を歩いていたベルが立ち止まる。そこはちょうど広葉樹の途切れた広場になっており、小さな白い花が一面に咲いていた。ベルはその花の近くに座り込み、その花の匂いを嗅ぐ。微かに漂う甘い香りは子供の頃から嗅いだことのある匂いだ。

 森の中は迷いやすく、足下も木の根が邪魔になり、非常に危ないため、ベルのような特定の人物以外は立ち入ることがない。この場所を訪れる人も少ないと思うが、同じ花は草原にも咲いていることがある。それらは決まって子供に摘まれ、リースにされるのだが、ベルも小さな頃に作った記憶があった。


 そのことを懐かしく思いながら、ベルは今日の目的の草を探し始める。木漏れ日の下のような場所に生えており、特徴的な見た目の一方で、非常に扱いが難しいと呼ばれる植物だ。まだ仕事を始めたばかりの頃のベルは、良くそのヒノデソウを採取してはすぐに枯らすということを続けていた。それくらいに扱いは難しいのだが、今では少量であれば持ち帰れる程度に扱えるようになっていた。

 採取できる場所が限られれば、扱いも非常に難しいとなると、必然的に希少性は高くなる。今回の依頼もどこかの貴族からのものらしく、そのためにベルが指名されたことがベルは嬉しかった。


 しかし、ベルはヒノデソウを探し始めてからも、なかなか見つけられずにいた。それはヒノデソウが見つかりにくい植物だから、という理由もあるのだが、それ以上に大きな理由として、ベルが目移りしていたからだ。最初に見つけた小さな白い花もそうだが、それ以外にも気になる植物を見つけると、ベルはついその植物に触れ、観察し、時に匂いを嗅ぎ、時に軽く食べたりしていた。


 その結果、森に入ってから一時間が経過しようとしていたが、目的のヒノデソウを探していた時間は十分程度しかなかった。

 流石にこのままではまずいと思ったベルが、ようやく本腰で探し始めようと決意したのは、それから更に三十分が経過した時のことだ。元々期限がすぐにある仕事ではないとはいえ、流石にそれだけの時間を目的以外に費やしているのは褒められたものではない。


 ベルはヒノデソウが生えている可能性の高い木漏れ日の下を中心に探し始める。途中に気になる植物や、専門外のため知識のあまりないキノコの類を見つけたのだが、それらに対する興味もグッと堪え、ベルは目的のヒノデソウだけを探していく。


 そうして、更にそこから三十分。森に入ってから二時間が経過しようとしている頃になって、ようやくベルは一つ目のヒノデソウを見つけることに成功していた。すぐに枯れないように土の一部と一緒に根っこごと掘り起こし、不必要な衝撃を与えないように注意しながら、籠の中に仕舞っていたビンの中にヒノデソウを入れる。後は持ってきていた水筒で、ビンの中に水を少し垂らしておけば、しばらくは枯れることがないはずだ。帰ったら、温度や湿度に気をつけながら、木漏れ日程度の日光の下に置いておけば、更に数日は持つ。

 問題はそれからだが、その前に加工を担当している者に渡す予定なので、そちらに管理は任せたら問題ないはず。


 これにて、今回の仕事は終わり。そう思いながら、ベルは笑顔で森の中を、今度はゆっくりとした足取りで、歩き始めていた。


 後は村まで帰るだけ―――のはずだったのだが、その前にベルは気になる存在を見つけてしまっていた。それはヒノデソウを探す過程で見つけた植物やキノコではない。


 もっと大きな生物。鹿だ。それも、ただの鹿ではなく、ビカクシダと呼ばれる特殊な鹿だ。


 本来、牡鹿は頭に角を生やしているが、ビカクシダの場合はオスメスの区別なく、全ての鹿が角を生やしていた。それもただの角ではない。更に正確に言うと、


 ビカクシダが頭に生やしていたのは、だ。この木自体を研究した記録がないので、この木の種類は定かではない。名称も定まっておらず、多くの場合はビカクシダノツノと呼ばれている。

 その木がどうして角のように頭に生えているのかは判明してないが、一説によると、命の危機に陥った鹿と木が互いに摂取、生成した栄養素を分かち合うことで生き残ろうとした結果ではないかと言われている。つまり、鹿は口頭から得た栄養を頭の木に与え、頭の木は光合成によって生成した栄養を鹿に与えているということだ。


 それが本当かどうかはベルの興味にはなく、ビカクシダの生態についても、ベルはどうでもいいと思っていたが、その頭に生えた木が何であるかはずっと気になっていた。ベルの浅薄な知識で木の種類を当てられるかは分からないが、見てみないことには当てられないとも言い切れない。


 幸い、ビカクシダは草食であり、性格が温厚なことは知っていたので、ベルは興味のままにビカクシダの頭の木を見ようと、現れたビカクシダに近づいていた。

 近づけば近づくほどに、頭の木ははっきりと見えてくるが、種類までは分からない。せめて、触ってみないと、と思いながら、ベルは目の前まで迫ったビカクシダの頭の木に手を伸ばそうとする。


 その手がビカクシダの頭の木に触れる。その直前のことだった。

 不意にどこからともなく飛んできた矢が、ビカクシダのこめかみに直撃した。ビカクシダは頭部から血液を撒き散らしながら、ベルの前で横になる。


「へっ…!?」


 そのあまりの驚きに気がついたら、ベルは身体のどこかから聞いたことのない音を発していた。恐らく、声だとは思うのが、声とは思えないくらいに素っ頓狂な音だ。

 何が起きたのだろうか。そう思いながらも、ベルが動けないでいると、矢の飛んできた方向から足音が聞こえてきて、ベルが顔を向けるよりも先にビカクシダに何かが飛びかかってくる。


 その何かがベルと同じようにまだ若い少年だと気づいた時には、少年の手に握られていたナイフがビカクシダの喉に突き刺さっていた。まだ辛うじて息があったビカクシダの呼吸が完全に止まり、吹き出した血液はベルの服を汚している。


 その光景に唖然としていると、少年が不意にベルの存在に気がついた。不思議そうにベルの姿を見てくる表情は、さっき吹き出した返り血で汚れている。


 そして、少年が不意に


 その瞬間、ベルは背筋が凍るほどの恐怖を感じ、気がついたら、森の中を走り出していた。


 森の中でビカクシダの頭の木に触ろうとしたら、血塗れで笑うと出遭った。ベルの頭はその事実で一杯になり、一目散に森の外に逃げ出していた。

 この行動が原因で、依頼のために採取したヒノデソウが枯れることになるのだが、この時のベルにそのことを考える余裕はなかった。

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