発覚(13)
アスラが視察から帰ってきたのはベルがメイドになる前日のことだった。その時点でアスマの誘拐事件に関する一連の情報をアスラは聞き、すぐにアスマと逢いたいと言っていたのだが、アスラにそれだけの時間はなかった。視察から帰ってきたこと自体の報告に、視察で得た情報の共有と仕事が残っていたからだ。
目に見えて仕方なく思っている様子で、アスラは残された仕事をこなしていたのだが、目に見えて仕方なく思っているからか、その速度は遅く、想定よりも時間がかかってしまっていた。結果的にアスマと逢える時間が遠退いているのだが、それが分かっていても気にしてしまうようだ。
しかし、護衛としてアスラに付き合わなければいけなくなっていたライトは、さっさと仕事を片づけて欲しいという気持ちで一杯だった。
そもそも、ライトは視察に旅行気分で行ったのだが、実際は旅行どころか、王城にいた時よりも忙しい日々を過ごすばかりで、真面に休むこともできていなかった。
そこから、ようやく王城に帰ってこられたと思ったのに、そこでも仕事が続いていて、早く休みたい気持ちがどんどんと高まっている状態だった。
アスマに逢いたいなら、早く仕事を終わらせてくれたらいいのに。その不満が表情に出ていたのか、ウィリアムに小突かれることが何度もあった。
そして、ベルがメイドになった実質的な二日目のことだ。ようやく一連の仕事が一段落して、アスラはアスマと逢う時間を作ることができていた。急いでアスラはアスマを探し、剣の稽古を終えて草臥れていたアスマを発見している。
「兄様!!」
アスラの声にアスマが気づき、アスマが笑顔を返してくると、アスラは今にも飛びつきそうな勢いでアスマに駆け寄っていた。その寸前ではしたないと思ったのか、アスラは咄嗟に立ち止まり、冷静さを取り戻すように一度深呼吸をしている。
「お久しぶりです」
「おかえり。いつ帰ってきたの?」
「一昨日には帰っていたのですが、挨拶に行けませんでした」
「そうなんだね。どうだった?」
「いろいろな物を見て、聞き、知らなかったことをたくさん知れました」
そう言いながら、アスラは思い出したのか、ライトの隣にいるウィリアムに向かって合図を出していた。ウィリアムはそこでアスラの頼みで持っていた物をアスマに差し出す。
「これ。約束していたお土産です」
「え!?本当!?」
途端に草臥れていたアスマの表情がキラキラと輝き出していた。現金な人だとライトが笑っていると、アスマは受け取った紙袋の中身を覗いている。
「視察した先で人気と聞いた小説です。あらすじを聞くに兄様が好きそうだと思って、現在発行されている全巻を揃えてきました。一人の時にゆっくりと読んでください」
アスマが紙袋の中から一冊の本を取り出す。『探偵シャーロックシリーズ』と巷で呼ばれている小説群で、アスラが様々な物の話を聞いていく中で、最もアスマに相応しい物として選んだのがそれだった。普段からアスマと一緒にいるライトからすると、大人しく長時間本を読んでいるイメージがないので、疑っている部分は多かったが、アスラがそうだと思ったのなら口出しすることもない。
実際、アスマは喜んでいるようだった。演技ができる人ではないので、本そのものか、アスラがくれたことなのかは分からないながらも、喜んでいること自体に間違いはないはずだ。アスラもそのことに十分満足しているようなので、やはり口出しするようなことではないらしい。
「ところで兄様。大丈夫でしたか?」
「ん?何が?」
「誘拐事件のことを聞きました」
「ああ、あれね。全然大丈夫だよ。ただガゼルがいなくなっちゃったけどね」
誘拐事件の原因から顛末まで、アスラだけでなく、ライト達も聞いていた。アスマが自主的に関わったことも知っているので、大丈夫だとは思うのが、アスラはどうしても心配してしまうようだ。
弟を心配する過保護な兄のようだが、実際はアスラの方が弟なのだからややこしいとライトは思う。
「あ、ちょうどいいところに。ベル~!!」
アスマが少し離れた位置にいるメイドに声をかけると、メイドがアスマに面倒そうな目を向けていた。それから、隣にいるアスラの姿に気づいたようで、軽く会釈してきている。
「あれがベルだよ。俺を誘拐した犯人」
「では、彼女が例の…」
「そう。不死身の小人」
アスマとアスラの会話を聞きながら、ライトはベルの姿を見ていた。その幼き姿は何も知らなければ、ただの少女にしか見えない。その姿にライトは言いようのない複雑な気持ちになってくる。昔から小さな女の子を見ると、この気持ちになってくるので、ライトは小さな女の子を少し苦手としていた。
「どうかしたか?」
ライトの表情が変だったのか、ウィリアムが聞いてくる。その目は珍しく、少し心配しているようにも見える。
「別にいつまで仕事が続くんだろうって思ってただけです」
「お前は…」
呆れた顔に変わったウィリアムに笑いながら、ライトは懐いたばかりの複雑な気持ちを噛み殺すように考えることをやめていた。
☆ ★ ☆ ★
アスマの誘拐事件の中で、ベルの血液と竜の血を照合したパロールは、自らの行いを後悔していた。自分がこのことを証明しなければ、エルがガゼルとぶつかることもなく、もっと平和に終わっていたのかもしれないと考えてしまったからだ。
しかし、事件後にエルやベルと逢う機会があり、その中でパロールの気持ちは少しずつだが変化していた。
自分にできることはない。その無力感は変わらないが、何もできない自分だからこそできることもあるのかもしれない。限界があることなど当たり前で、その限界の中で自分だったからこそ見出だせたものもあるのかもしれない。少しずつだが、そうやって考え方が動き始めていた。
足踏みでもいいから足を動かしていたら、いつか一歩だけでも進んでいる。その一歩が誰かの居場所を救うこともある。それをエルからの感謝の言葉や、自分の知らない価値観を持ったベルの存在に触れたことで、教えられた気持ちだった。
そして、それらの気持ちからパロールは決意したことが一つあった。
パロールの様子を窺うように部屋を訪ねてきたラングに向かって、パロールがその決意を語り始める。
「私、研究を再開しようと思うんです。十七年前に途中までしかやっていなかった。術式の小型化の研究を」
パロールのその一言にラングは心底驚いた顔をしていた。
しかし、それも一瞬のことで、すぐに嬉しそうな笑みに変わる。
「ああ、いいと思う。とてもいいと思うよ」
「です、かね…?」
パロールは決意しながらも、まだ少しだけ悩んでいるところがないわけではなかった。本当に自分がやっていいのか、他の誰かに任せた方がいいのではないか、という気持ちがどうしても残っているからだ。
その不安と向き合うようにパロールは今の気持ちをラングに語り始める。
「本当はまだ私にできることはないって思っているんです。けど、私しか見ていないことがあって、そのことを待っている人が少しでもいたら、私が何もせずに待っていることは、もしかしたら、ただ罪を重ねていることなのかもしれないって思ったんです。私が何かをしたから、不幸になる人がいるかもしれないけど、私が何もしなかったから不幸になる人もいるかもしれないって、ようやく気づいたんです。そうしたら、少しくらい何かをしておかないといけないような気がして…それは間違いじゃないんですかね?」
不安そうに聞くパロールに、ラングは笑顔を崩さなかった。小さく何度もうなずきながら、パロールの言葉をただ聞いていた。
「何が正しいかとか、何が間違いだとか、そういうことは誰が考えても分からないことだから、少しでも自分が信じたいと思ったことを信じていいと思うよ。少なくとも私はパロールを応援しているから」
「あ…ありがとうございます」
パロールは照れたように笑いながら、少し俯くように頭を下げる。そういえば、ラングとの時間はこうして温かいものだったと昔のことを思い出しながら、パロールの魔術師としての時間が再び動き出していた。
☆ ★ ☆ ★
もうすぐ教えられた仕事を終えるというところだったのに、ベルはアスマに連れ出されることになっていた。まだ仕事が残っていることを何度も訴えたが、アスマはルミナの許可を取ってきたから大丈夫と言うばかりで、どこに向かうかも教えてくれない。
そう思っていたら、アスマはベルを連れたまま、王城の外に出始めていた。そのことに驚き、慌ててアスマを止めようとするが、アスマは大丈夫と言うばかりで止まる気配がない。
やがて、辿りついた場所は既にベルも知っている場所だった。
「パンテラ?」
「そう。あの日のお礼もしないとね」
驚いたままのベルを待つことなく、アスマはパンテラの中に入っていってしまう。ベルが慌ててその後に続くと、店の中にいたベネオラの快活な声が聞こえてくる。
「いらっしゃいませ」
そう言ってから、ベネオラと店の奥にいたグインが驚いた顔でベルを見ていた。
「ベルさん、ですよね?その格好は?」
「実は城でメイドとして働くことになったんだ」
突然の報告に驚きながらも、ベネオラもグインもやがて笑顔でベルを見てくる。
「良くお似合いですね」
「あ、ありがとう」
「でしたら、これからはベルさんもたまにお店に来てくださいね。美味しいコーヒーを振る舞いますよ」
「えーと、紅茶でお願いしてもいいか?」
「ええ、もちろん」
ベネオラの案内でベルはアスマと一緒に店内のテーブルにつき、グインの淹れたコーヒーと紅茶を飲むことにする。その間、ベルはあの日のことを思い出しながら、ベネオラに謝罪していた。
「あの日はすまない。迷惑をかけた」
「大丈夫ですよ。突然消えた時は驚きましたけど、何かあったんですか?」
「まあ、いろいろと…」
アスマ誘拐に関する事件は王城内の人間を除き、その多くの情報が世間に発表されていない。ガゼルも世間的には国家魔術師のままだ。それは結果的に事件に関わってしまったベネオラとグインも同じことで、ベルとアスマは顔を見合わせ、互いに笑うことくらいしかできなかった。
「えー、秘密ですか?」
「まあ、そうだね」
「いつか話せる時が来たら、その時には思い出話にでもなるかもしれないが」
「今は秘密ですか…じゃあ、その時を楽しみにしてますね」
ベネオラが笑って、それ以上の追及をやめてくれたところで、グインがコーヒーと紅茶を淹れ終え、ベネオラに渡している。それらがテーブルにやってきて、ベルとアスマは揃ってカップを持ち上げた。
「じゃあ、いろいろあったけど、これからよろしくね」
「まあ、そうだな。よろしく」
気恥ずかしくなりながらも、そう言って二人は一斉にコーヒーと紅茶を飲み始める。口に含んだ紅茶はとても良い香りがして、その匂いでベルは再度来店することを心に決めるのだった。
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