発覚(12)
無防備な寝顔はただの少年のものだった。ベッドの上で毛布に包まっており、着ている寝巻はやけに草臥れている。黒い髪はぼさぼさで起き上がったら、一部が寝癖になっていることも予想できた。
部屋の中に入ったベルはその姿を見ながら、少し不思議な気持ちになっていた。あの二日間に見た姿と変わりはなく、ただの少年にしか見えないが、そこで眠っているアスマが今の自分の自由を守ったのかと思うと、何と言えばいいのか分からなくなる。
取り敢えず、アスマは朝食を終えると、シドラスとの剣の稽古が待っていると聞くので、このまま寝かせるわけにもいかない。ベルはアスマの身体を何度か揺さ振り、起こそうと試みていた。
「起きろ、アスマ」
「もう少し…」
「どれくらいだ?」
「五時間くらい…?」
「お前は二百年くらい生きる感覚で過ごしているのか?」
不死身のベルでも、そこまでゆっくりした時間感覚は持っていないと思いながら、このままでは埒が明かないと分かっているので、毛布を引っ張り、アスマをベッドから転がり落とした。
「ぐぅえっ!?」
床に衝突したアスマが衝撃で変な音を出している。その様子に特に目を向けることもなく、ベルは毛布をベッドの上に戻していた。
しばらくして、アスマがやけに静かなことに気づき、まさか今の落下で怪我をしたのかとベルが慌ててアスマに目を向けた瞬間、自分を見つめるアスマと目が合った。その目はとても不思議そうにしており、ベルはあれからアスマと初めて逢うことを思い出す。
「本当にメイドになったんだね」
「ああ、まあな」
ベルはそう答えながら、何とも言えない空気に顔を赤らめる。もう逢わないと思っていた分、また逢った時の気恥ずかしさが堪らない。
「そ、その…ありがとな…いろいろと本当に」
「いや、こっちこそ、ベルがメイドをやってくれて嬉しいよ」
アスマが無邪気に笑ってきて、更にベルは恥ずかしくなる。何十年もなかった感覚はしばらく慣れることはないだろうな、と思いながら、ベルはアスマから顔を逸らしていた。
「あれ?もしかして、これが初仕事?俺を起こすのが?」
「いや、もう昨日の段階から働かされてたから、今日は二日目だ」
「え?そうなの?俺、全然知らないよ?」
「いや、別にお前が知らなくても普通だろ。王子が一メイドの仕事を把握してるのか?」
「そういえば、してない」
ベルと違って全く調子の変わらないアスマに、ベルの方の調子も戻ってきていた。さっきまでの気恥ずかしさは消え、気恥ずかしさを覚えていたことの方に気恥ずかしさを覚えてくるくらいだ。
「早く着替えろよ。シドラスが待っているんだろう?」
「うん。そうだね」
アスマがようやく立ち上がり、草臥れた寝巻を脱ごうとしている。自分がいる前で脱ぎ出そうとするな、とベルは思いながらも、気を遣って部屋から出ようとした寸前、アスマが話しかけてきた。
「そういえば、ベルって普通だよね?」
「ん?どういう意味だ?」
「いや、何かメイドっぽくなるのかなって思ってたけど、普通に俺と話してるなって思って」
「ああ、悪い。お前を王子と思っていなかった」
「酷くない!?」
悲しそうなアスマの表情にベルは笑い、アスマの部屋を後にする。二人は王子とメイドであり、誘拐事件の被害者と加害者だ。そのはずなのに、部屋の中で流れていた空気は温かく、その時間に油断すると、ベルは泣き出しそうになっていた。
「何が罰だ…」
ベルは小さく漏らす。故郷の村を出てからの六十年を思い返すと、その時間がどれだけベルにとって辛かったのか、ベルは改めて実感していた。
☆ ★ ☆ ★
部屋を出ようとした直前のことだった。部屋の扉を唐突にノックされ、イリスは首を傾げていた。これだけ朝早い時間に人が訪ねてくることはまずない。
誰だろうかと不思議に思いながら、イリスが扉を開けると、そこにはシドラスが立っていた。
「あれ?先輩?どうしたんですか?殿下といつもの稽古があるのでは?」
「それはこれからだ。殿下がまだお目覚めでないのでな。その前に、イリスに話があってきた」
わざわざシドラスが早朝からイリスの部屋を訪ねてきて、話があると言う。その不気味さにイリスは嫌な予感を覚えていた。何か悪いことを言われるのではないかと様々な言葉を想像してしまう。
「入ってもいいか?」
「どうぞ」
シドラスを部屋の中に招き入れると、イリスはシドラスにテーブルにつくように勧めながら、自分もそのテーブルについていた。シドラスと向かい合う形で座り、何の話かと待っていると、真面目な表情のままシドラスが聞いてくる。
「イリスは王都を離れる気があるか?」
「はい?」
唐突な質問にイリスの頭は混乱していた。王都を離れるかと聞かれても、イリスは王室に仕える王国騎士団の一人であるからして、王都どころか王城から離れるわけにはいかないはずだ。
何より、現在アスマについている騎士はイリスとシドラスの二人しかいないのだから、余計にイリスが離れるわけにはいかない。
そう思ってから、イリスの中で嫌な答えが浮かび上がってきていた。まさか、という気持ちが強まる中で、シドラスの口が開く。
「実はイリスに遠方に行かせる話が出ているんだが」
その一言を聞いた瞬間、イリスの中で嫌な答えが現実のものになっていた。シドラスがわざわざ早朝に訪ねてきて、話があると言った理由にも説明がつく。
要するに、イリスは左遷されようとしているのだ。そう思ったら、途端にイリスの表情は暗くなる。
「そのことに興味は…どうした?顔が暗いようだが?」
「いえ、大丈夫です…何が原因ですかね…?」
「原因?強いて言うなら、今回の一件だろうか?やはり、想定外の出来事は多いから、様々な可能性を考慮できるように、という思いはあるな」
アスマ誘拐の一件でのイリスの失敗。それが左遷の原因かとイリスは思っていた。確かにアスマから目を逸らし、誘拐の原因を作ってしまったことは左遷されても文句は言えない。その後の行動でも、イリスは活躍と呼べるだけの活躍ができなかったので、今回の結果は必然のものと思えた。
「あとはアスラ殿下の視察もあって、騎士団長と以前から話していたんだが、今回の一件でやはり、その方がいいかと思ったんだ」
「………ん?アスラ殿下?以前から?」
少しずつだが、イリスは話がおかしいことに気づき始めていた。アスマが関わってくるなら分かるが、アスラが関わってくる出来事はイリスに覚えがない。
何より、イリスは視察に一切関わっていないので、そのことが左遷とどう繋がるのか全く分からない。
それに以前から考えていたということは、以前からイリスを左遷させようと思っていたことになる。アスマ誘拐の事件での失敗はあったが、それ以前に左遷されるほどの失敗をした記憶がイリスにはない。
どういうことかと首を傾げていると、シドラスは更に言葉を続けてきた。
「流石にアスマ殿下を一人で見ることは難しいと思っていたが、ベルさんがメイドになったことで、アスマ殿下と関われる人物が増えたこともあり、その余裕もできたと判断したんだ。この機会にイリスには成長して欲しいと思っているし、その気があるなら行ってみないか?」
「ん?ん?ごめんなさい。さっきから話が分かってないんですが、これって私を左遷させるって話ですよね?」
イリスが首を傾げながら聞いてみると、今度はシドラスの方が首を傾げ、不思議そうな顔で見てきた。
「左遷?何のことだ?」
「え?違うんですか?私はてっきり、この前の事件の責任を取らされて、左遷させられるのかと…」
「この前の事件の発端はどうであれ、事件自体は解決している。お前を左遷させる理由は特にない。まあ、殿下に何かあれば、話は違っていたかもしれないが、あの殿下がそのようなことを許すわけがないだろう?」
確かにアスマなら、イリスに処分を下そうとした瞬間に怒り出し、また違う事件を起こしかねない。ハイネセンがわざわざアスマの怒りを買ってまで、イリスを処分するほどの出来事も起きていないのかと考えてみると、そのことには納得できた。
しかし、それなら、シドラスは何の話をしていたのか、イリスには全く分からなかった。
「左遷じゃないなら、どうして王都を離れるって話に?」
「研修だ。期間にして数ヶ月、遠方に研修に行ってみないかという話だ。今回の一件でもそうだったが、何にしても不測の事態は起きるのだから、見聞を広めてみることはいいことだと思うんだ」
シドラスの提案にイリスは驚き、シドラスの顔をまじまじと見てしまう。
「私…シドラス先輩とそんなに年変わらないですよね?」
「それとこれとは話が違う。イリスは王都育ちだろう?こう見えても、私は地方出身だ」
「まあ、確かに…」
あまり納得はしていなかったが、研修に行くことが今の自分に足りないものが見つかるかもしれないのだったら、それも有益に思えた。その機会が与えられると言うのなら、それを逃す理由はない。
「そういうことなら、ぜひ行かせてください」
「なら、私から騎士団長には話しておく。出発は一週間後くらいになると思うから、準備だけしておいてくれ」
「分かりました」
それから、アスマの剣の稽古に向かうシドラスを見送り、イリスは決まった研修のことを考える。
そこで何かを掴めたら、今度はもっとアスマの役に立てるかもしれない。そう思ったら、何としてでも頑張らないといけないと、イリスは張り切るのだった。
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