発覚(10)
倒れ込んだままのガゼルがアスマを指差した時、ベルの中で嫌な予感が生まれていた。その予感の意味は分からなかったが、その意味を考える暇もなく、ガゼルはその解決法を口に出していた。
「アスマ殿下。貴方の持つ魔王の血を用いれば、その身体も元に戻るかもしれない」
その一言を理解していく様子が、アスマの表情に宿っていく嬉しさを見ていたら分かった。ベルの身体が元に戻る可能性があったことか、アスマが力になれることか、その嬉しさの根源は分からないが、ベルはその表情ほどに嬉しい気持ちにはなれない。
もう既にベルの中で嫌な予感は真実味を増していたからだ。ほんの少し前に、ガゼルの口に出した言葉を思い出せば、それも必然的だ。
「俺の血でいいなら、全然使ってよ。さあ」
アスマが自分の腕を見ながら、ベルに向かって言ってくるが、ベルはかぶりを振ることしかできない。その姿にアスマは驚いた顔で見てくるが、アスマに説明するよりも先に、ベルはガゼルに聞かないといけないことがあった。
「どうして、犠牲という言葉を使ったんだ?」
アスマはベルが何を聞いているのか分からない様子だったが、考えを言った張本人であるガゼルが分からないわけがない。ベルの問いに表情一つ変えることなく、ガゼルは答える。
「そのままの意味だからだ」
「どういうこと?」
ベルもガゼルが何を思って、魔王の血を使うことを解決法として提示したのかは分からない。ただ血を使うという言葉に、犠牲という言葉が並んだら、その答えくらいは想像できる。
「一体、どれくらいの血が必要になるんだ?」
「え?」
ようやくアスマも可能性に気づいたようだった。少し暗くなったアスマの表情がそのことを悟らせる。
ガゼルは倒れ込んだまま、起き上がろうとしなかった。その状態のまま、未だに表情一つ変えることなく、ベルの質問に答えようと口を開く姿は、さながら人形のようだ。その姿が少し不気味に映る。
「不死身性の原因は竜の血の可能性が高い」
不意に飛び出した一言がそれで、ベルは眉間に皺を寄せていた。ガゼルが何を語り出したのか分からないが、ベルが遮るよりも先にガゼルの口が速く動く。
「竜の血が、その魔力が全身に回ったことで、身体が異常な回復速度を有してしまった結果、不死身になったと考えたら、老いない身体も説明がつく」
「お前は何を言っているんだ?」
ようやく挟み込んだ言葉も、ガゼルは聞く耳を持たなかった。ベルの質問に答える暇もなく、次から次へと会話を強制的に進めてしまう。
「それを解消するには、同等の魔力を体内に入れることが簡単だ。同等の魔力で魔力の性質を打ち消せば、竜の血の齎した不死身性は消える」
そこまで聞き、ベルは自身の思いついたベルの身体を元に戻す方法を、ガゼルが説明しようとしていることに気づいた。ベルは口を閉ざし、次にガゼルが言う言葉を待つ。アスマもベルと同じようにガゼルの言葉を聞いているようだ。
「しかし、竜の血と同等の魔力など、本来は存在しないものだ。ただ一つだけの例外を除き」
ベルの目は自然とアスマに向いていた。竜の絶対的な力と並んで語られる力など一つしかない。既に竜を倒した実績もあるので、その考えはより強まっていく。
「恐らく、殿下の魔王としての魔力が体内に入ったら、竜の血は力を失う」
ガゼルが魔王の血を用いる方法を言ってきた理由は、そこまでの説明で分かったが、問題のベルの質問には未だ答えられていなかった。そのことにベルだけでなく、アスマまで緊張した面持ちをしている。二人共、今の話で気づいてしまったからだ。
そして、その気づきの答えはすぐに教えられる。
「ただし、必要になるのは竜の血と同等。つまり、その小人の血液と同量の血液。流石の殿下もそれだけの血液を失えば死に至ります」
犠牲。ガゼルの口から出た言葉はそのままの意味だった。ベルの考えが間違っていなかったことを知り、ベルは酷く動揺する。
ベルは死ぬためにアスマを誘拐し、ガゼルと接触しようとした。それは無事に叶い、ようやく聞き出した死ぬための条件が、アスマの命を犠牲にするというものだった。
つまり、ベルは死ぬためにアスマを殺さなければいけないのだ。アスマに自分より先に死ぬことをお願いしないと、ベルは死ぬことを許されないのだ。
そのことにベルが言葉を失っていると、アスマが優しそうな笑みを浮かべて、こちらを見ていることに気づいた。その笑みにベルはさっきまでの嫌な予感が破裂する気配を感じ、今にも涙を流しそうなほどに顔を歪めていた。
「いいよ」
ベルの嫌な予感が形になって、アスマの口から飛び出してくる。
「俺の血でベルの願いが叶うなら、俺の血を使ってよ」
アスマは当たり前のように呟き、ベルはついに涙を流していた。涙の理由は分かっている。ベルはアスマに抱きつき、涙を誤魔化すようにアスマの身体に顔を押しつける。
「何で、そんなことを言うんだ?」
「だって、ベルはずっと何十年も、そのことを願ってたんでしょう?それだけ強い気持ちが叶うなら、俺の血くらいあげるよ」
「お前が死ぬんだぞ?」
「ベルが悲しい顔するよりいいよ」
アスマは本当に馬鹿だ。それは分かっていたことだった。分かっていたから、ベルはアスマに協力を要請した。実際に馬鹿だったから、アスマはベルに協力してくれた。そこには優しさという名前をつけられるかもしれないが、今は明確に違うとベルは思っていた。
「…うな」
「ん?」
「そんなこと言うな!?死んでもいいとか言うな!?」
「え?でも、ベルも死にたいって…」
「私とお前は違うんだ!?もう一人になった私と違い、お前は悲しむ人がたくさんいる。簡単に死ぬなんて言ったらいけないんだ!?」
「でも、ベルの願いを叶えるためにはそうしないと」
アスマの身体に顔をうずめたまま、ベルはかぶりを振った。アスマがどんな顔をしているのか分からないが、ベルは気にしないで言葉を続ける。
「そんなことを私は望んでいない!!私は誰かの命を奪ってまで、自分の願いを叶えたいなんて思っていないんだ…」
ベルの目から溢れる涙は止まりそうになかった。嗚咽交じりの声もだんだんと嗚咽の方が多くなり、ベルは真面に話せなくなる。その姿を見たからか、アスマの手がベルの頭の上に乗せられた。
「ごめん。ごめんね、ベル」
アスマの悲しそうな謝罪の言葉に、ベルは顔をうずめたまま、再びかぶりを振る。本当はこんな風に謝らせるべきではないはずなのに、そう思うと、途端に申し訳ない気持ちも湧いてくる。
アスマなりの優しさがあることは分かっている。アスマなりに考えていることも分かっている。
けれど、その上でベルはアスマに死んで欲しくないと強く思っていることも確かなのだ。まだ出逢ってから、一日ほどの付き合いだが、アスマやその周りの人達のことを知り、ベルは強く思ってしまった。
しばらくアスマの身体に顔をうずめたまま泣き、ようやくベルが落ちついたところで、ベルはアスマの身体から顔を離していた。自分を見るアスマの優しい目に気づき、途端に恥ずかしさが増してくる。
「ごめん。服を汚した」
「いいよ。それくらい」
ベルがアスマの服を拭っていると、遠くの方から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「殿下!?」
その声に振り返ると、アスマを見つけたらしいシドラスが走ってきている。その様子に倒れ込んだままのガゼルも目を向けていた。
「ねえ、ベル」
走ってくるシドラスの姿を見ながら、アスマが呟いてくる。ベルが不思議そうな顔で見てみると、さっき見たものとは違う本当に純粋な笑顔をアスマはしていた。
「ベルの身体を元に戻す方法。俺が見つけるよ」
「お前が?」
「ベルが捕まっても、俺が代わりに探すから」
「けど、そんな方法があるのか…」
「大丈夫だよ。だって、さっきまで言ってたでしょ?俺は魔王だって」
その一言にベルは笑えるくらいに納得してしまっていた。竜の血を打ち消すくらいの魔王の血を持つアスマなら、確かに何でもできそうな気がしてくる。
「そうだな」
そう言いながら、ベルが堪え切れなかったように笑った直後、倒れ込んだままだったガゼルが小さく呟いた。
「やはり、このままではダメだ…」
その声にベルとアスマが反応し、ガゼルに目を向けた瞬間、ガゼルは球体状の何かを取り出していた。中心を境にして微妙に色の違う球体で、それが何かとベルが思った直後、ガゼルはそれを捻っていた。
瞬間的に辺りに黒い煙のようなものが広がり、ベルとアスマは近くにいる互いの位置すら目で見えなくなる。
「ベル!?」
「アスマ!!」
アスマの声に反応し、ベルが手を伸ばすと、アスマの手を掴むことができていた。そのことにベルがほっとしていると、煙の向こうからアスマの声が聞こえてくる。
「良かった…」
お互いに安堵していることに、ベルが気恥ずかしさを覚えた中で、ゆっくりと煙が晴れて視界が戻っていった。近くまで来ていたシドラスが慌てて駆け寄ってくる。
「ご無事ですか!?」
「あ、うん。大丈夫」
アスマが笑って答えている隣で、ベルがガゼルに目を向けたところで、ようやくガゼルの姿が消えていることに気づいた。
「ガゼルはどうした?」
ベルがアスマとシドラスに目を向けると、二人もそこでガゼルが消えていることに気づいたようで、揃って驚いた顔をしながら、かぶりを振っている。
「今の間に逃げたということでしょうか?」
「何で、このタイミングで…?」
不思議そうにベルが呟いた直後、その声を掻き消すように慌ただしい衛兵の足音が近くから聞こえてきた。恐らく、今の煙に反応して駆けつけたというところだろう。そう思いながら、ベルがアスマに目を向けてみると、アスマが動揺したような顔をしている。
「何で、お前が私よりも困っているんだ」
そう笑いながら、ベルは自分の起こした今回の事件が終わりを迎えることを悟っていた。
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