発覚(9)
ベルがガゼルと向かい合う時をアスマが想像していなかったわけではない。その時が来ることは分かっていたことであり、その時にベルがどうするか、自分はどうするべきか考えてはいた。
しかし、それでも答えの出ないことはある。
アスマは自分が何をしたらいいのか分からないまま、ベルがガゼルと向かい合うその瞬間に立っていた。今もまだ、自分にできることは分からない上に、二人の間に漂う緊張感に晒され、普段通りの振る舞いもできそうにない。
「随分と年を取ったな」
ベルの呟く声に、ガゼルよりもアスマの方が反応してしまう。ベルはその一言で、ガゼルとの距離を知ろうとしているだけだが、アスマはそこから何かが始まるのではないかと怯えてしまう。
「貴女は変わらないな」
不思議なことに、ガゼルのその声は少し若く聞こえた。それは古い知り合いと逢った際に懐かしく思い出すような声の出し方だと、その声の若さにアスマが思っていると、不意に疑問が湧いてきた。
「年を取った?」
ほんの少し前にベルの言ったことだが、ベルの年齢は二十二歳と言っていた。何年前に不死身になったか知らないが、十代の頃に不死身になって、今が二十二歳だとしたら数年しか経過していないはずだ。数年前ならガゼルは十分に年を取っており、年を取ったと言い出すとは思えない。
まるでガゼルの若い頃を知っているような言い方だとアスマが思っていると、ベルがアスマの方を振り向いた。
「そうか。言っていなかったな。私が不死身になったのは、この身体が二十二歳の時だ。それが今から六十年前になる」
「え?」
二十二足す六十。それくらいの計算ならアスマにも簡単だ。出てくる答えは八十二。アスマの知っている誰よりも高い数字だ。
「じゃあ、ベルって八十二歳なの?」
「あんまりレディに年齢のことは言うなよ。まあ、私くらいになると関係ないがな」
ベルが明確に肯定することはなかったが、否定しないということが既に答えになっていた。アスマは驚いた顔でベルを見てしまい、ほんの少し前までのガゼルの驚きを思い出す。
小人は短命だという話をしていたから、ガゼルはベルが六十年も生きているとは思わなかったはずだ。道を歩いてくるベルの姿に、過去の亡霊が歩いてきたように思ったに違いない。
「私を裁きに来たのか?」
ガゼルのその問いは罪の告白に等しかった。そもそも、ベルが姿を現した段階で、誤魔化せるものではないと諦めているのかもしれない。アスマにはガゼルの気持ちが分からなかったが、それ以上にベルの気持ちが分からないことの方が気になっていた。
ベルが今、何を思っているか。恐らく、それをアスマは考えないといけない。
そう思っていると、ベルがガゼルに向かって、かぶりを振っていた。ガゼルの言葉を否定する動きに、ガゼルは驚きと困惑を目に表す。
「そのつもりはない。私はただお前に聞きたいことがあって来ただけなんだ」
「聞きたいこと?」
「私の身体はどうしたら元に戻るんだ?」
ベルの問いはガゼルの不意を突いたのか、ガゼルの動きが止まっていた。絵として切り取られたようにガゼルの表情まで固まり、ガゼルの考えをアスマの分からない領域に隠してしまう。
「どうして、そのようなことを聞く?」
それはあまりにガゼルの質問として真っ当であり、聞くことは当たり前のことだとアスマでも思うのだが、ベルの気持ちは定まっていなかったようで、その質問に少し動揺していた。誰かに自分の気持ちを話すことに戸惑いはなくとも、その相手がガゼルとなると話が違っていたようだ。きっとベル自身も、そのことに今気づいたに違いない。
「私は…」
ベルの口が微かに動き、少し歪んで悲しい笑みを作り出す。それは笑みであるが、アスマの好きな笑みではない。その表情にガゼルの視線も釘づけになり、ベルに目を向けたまま、微かに聞こえていた呼吸まで止めている。
「私は死にたいんだ」
その一言がついにベルの口から出た瞬間、アスマは何とも言えない気持ちになった。ベルの考えは知っているはずだが、この声には何度聞いても人は悲しくさせる暗さと、何度聞いても人を黙らせる威圧感が備わっている。アスマはきっと本当のところでベルの決めたことに納得していないが、それも自分の我が儘だと容易く知らせてくる声に、アスマが歯向かうことはできない。
「そうか」
ガゼルが小さな声を漏らしていた。その表情はガゼルの気持ちを隠したままであり、ガゼルが何を考えているのか、何を思っているのか、やはり、アスマが知ることはできない。
「私はそれだけが知りたくて、ここでお前を見つけた時に、ようやくその方法を知れると思ったんだ。ようやく私も死ぬことができる。あいつらと同じ場所に行けるって」
あいつら。ベルの呟いたその言葉が誰を示す言葉なのか、アスマは分からなかった。以前、話していた家族のことだろうか、それとも、別に知り合った誰かなのだろうか。少なくとも、六十年も生きているベルに多くの別れがあったことは確かだ。
そして、その時に本当の意味で、もう二度と逢えないと思ったことも確かに違いない。ベルは死ねないのだから、死んだ人達とあの世で逢うことも叶わない。
それくらいのことはアスマでも分かった。
「なあ、教えてくれ。私の身体はどうやったら、元に戻るんだ?」
ベルがガゼルに詰め寄る。ガゼルはその小さな手で服を掴まれながら、その顔をじっと見つめていた。その表情は少しも動くことがなく、ガゼルの気持ちを隠したまま、ガゼルの口が小さな動きを見せる。
「…ない」
「え?何て?」
「…法はない」
「もう少し大きな声で言ってくれ」
ベルがガゼルの服を掴んだまま、ガゼルの口に耳を近づけるように首を伸ばした。
その直後、ガゼルの口が大きく開き、ベルの顔に向かって言い放つ。
「そんな方法はない!!」
「え…?」
そう声を漏らしたまま、ベルはしばらく動くことができていなかった。ガゼルの服をゆっくりと放し、少し距離を取るように一歩下がってから、ようやくかぶりを振る。
「そんなわけないよな…?冗談だよな…?」
ガゼルに確認を取るが、ガゼルの表情は未だ変わることがなく、ベルをまっすぐに見つめている。
「竜の血が体内に入ったことで不死身になった。現象として、その一部の観測はあの時にした。だが、そこから何十年も本当に死なないとは知りもしなかったんだ。その不死身を知ったのは、今のことだ」
ガゼルの言葉はあまりに無責任だとアスマでも思った。ベルの身体のことなど知らなかった。そのことを知ったのは今だから、その身体を元に戻す方法は知らない。それは言い訳として、あまりに幼稚であり、それで誤魔化そうと思っているなら、ガゼルはあまりに馬鹿だ。普段のガゼルなら、絶対にそんなことはしない。
そう思ったら、アスマはさっきから変わらない表情に、ガゼルなりの動揺を見た気がした。変わらないのではなく、変えられないのか?動揺を表情に出さないように精一杯なのか?
そう思った直後、ベルがガゼルに飛びかかっていた。
「ふざけるな!?知らなかったから、どうした!?だから、元に戻す方法を知らないって言いたいのか!?そんな理由で許されると思うのか!?私の気持ちがお前に分かるのか!?」
ベルに伸しかかられる形でガゼルは地面に倒れ込み、ベルが言葉と一緒に振るってくる拳をその顔で受け止めていた。右、左、と何度も振るわれる拳をただ受け止め、ガゼルの顔はどんどん歪んでいく。
その姿にアスマは我慢できず、咄嗟にベルの両手を掴んでいた。
「どうして、止めるんだ!?」
「ごめん、ベル。でも、見てられないんだ」
「こいつが私に何をしたと思う!?何を言ったか聞いていたか!?それら全てを知らなかったで片づけようとしたんだぞ!?」
「聞いていた…聞いていたけど、殴っても意味がないよ」
「意味は私が決める!!」
そう言いながら、ベルは必死にアスマの手を振り払おうとしていた。ただ女性で、小人でもあるベルの力では、魔王のアスマの力から逃れることはできない。
その間にガゼルは逃げられたはずだが、不思議なことにガゼルは逃げようとしていなかった。その姿にアスマは少し前に自分が考えていたことが、間違っていないのではないかと思い始める。
「ねぇ、ガゼル」
アスマが聞こうと声をかけた直後、ガゼルの手が動き、自分の顔に触れていた。殴られ、歪んだ顔は血で真っ赤だ。
その血に触れ、その血を目で見た瞬間、さっきまで一切の変化が見られなかったガゼルの表情に微かな変化が現れていた。
「一つ…」
不意にガゼルの口が動き、ベルの動きが止まり、アスマとベルはガゼルを見る。
「一つだけ方法があるかもしれない…」
ガゼルの呟きにアスマとベルが目を見開き、互いに確認するように顔を見合わせていた。
「本当か?」
「確実とは言えない。それに犠牲も必要だ」
「私にできることなら、何でもする」
「いや、必要な犠牲は殿下だ」
「え?」
ガゼルの手が動き、アスマの顔を指差してくる。ベルの驚きに染まった表情がその動きに合わせ、アスマの方を向く。
「アスマ殿下。貴方の持つ魔王の血を用いれば、その身体も元に戻るかもしれない」
ガゼルから提示された解決法はアスマとベルが手放しで喜べるものではなく、重大な選択を伴っていると、この時のアスマはまだ気づけていなかった。
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