発覚(8)

 パンテラの前に到着したシドラスだったが、その中に入るかは迷っていた。ガゼルが中に入ったかどうかは分からないが、場合によってはベネオラやグイン巻き込む事態になりかねない。ここは慎重に動くべきだと思いながら、店の様子を窺っていた中で、隣にいたパロールがぽつりと呟いた。


「静かですね」


 その一言にシドラスは疑問を懐く。エルがガゼルの後を追いかけ、ガゼルと一緒にパンテラにいるのなら、アスマやベルも巻き込んで、もう少し騒ぎになっていてもおかしくないはずだ。


「静か過ぎますね。ここにはいないのかもしれません」


 それなら、どこにガゼルやエルは向かったのかとシドラスが考えていると、不意にパンテラの扉が開いて、中からベネオラが顔を見せた。


「あ、あの、シドラスさん!!」


 少し緊張した面持ちのベネオラが声をかけてきて、シドラスは一度思考を止める。


「すみません。店を寄ったわけではなく…」

「いえ、そうではなくて。実はお店の前にエルさんが倒れていて、今、介抱しているんですけど」


 ベネオラの言葉にシドラスとパロールは思わず顔を見合わせていた。


「すみません。案内してもらってもよろしいですか?」

「は、はい!!」


 ベネオラに連れられて、シドラスとパロールが店の中に入ると、店の中ではグインが閉店作業を進めている最中だった。パンテラの営業時間的に少し早いが、エルのことでベネオラの手が塞がり、早くから作業を始めているのだろうかと考えると、少し悪い気持ちになってくる。


 普段は立ち入らない店の奥に進むと、そこにある一部屋の中でエルが眠っていた。シドラスに促され、パロールが軽く見てみるが、魔術を使われている気配はないらしい。体調に変化も見えないので、ただ眠っているだけのようだ。


 しかし、何故、パンテラの前で眠っていたのだろうか。その疑問は湧いてきた直後に解決する。これがシドラスやパロールなら謎として考えなければいけないことだが、エルだったら違ってくる。エルは倒れるだけの理由を元から持っている。

 ただし、そのことを知っている人間はかなり少ない。現代最高の魔術師の弱点を晒そうなどという人間はいないからだ。仮に効果的にこれを使う人物がいるとしたら、その人物は限られる。


 不意にシドラスは部屋の中を見回し、店の中の静かさに気づいた。時間帯からか客がいなかったため当たり前のことだが、シドラスの情報と合わせるとあまりに静か過ぎる。


 何より、エルが倒れていて関わってこないわけがない。


 そう思ったシドラスがベネオラに目を向けていた。シドラスを見ていたベネオラと目が合い、そのことに動揺したベネオラが顔を真っ赤にしている。

 しかし、シドラスはそのことを気にしていない。頭を過った考えが気にする余裕を与えていなかった。


「殿下は…アスマ殿下はどこにいますか?ここにいるはずなのですが…」


 その質問を聞きながらも、ベネオラは顔に昇った血を冷ますように、シドラスから顔を逸らしている。


「アスマ君達なら、いつのまにか、いなくなってましたよ。私達は店の方にずっといたのに、いついなくなったのか分からないんですけどね」

「急にいなくなった…?その殿下がいた部屋はどこですか?」

「それなら、この部屋ですよ」


 ベネオラにそう言われると、すぐさまシドラスは部屋の中を見回す。出入口はシドラスが入ってきた場所しかないが、部屋の奥には窓があり、そこからなら外に出ることができそうだ。外の様子を確認するために、シドラスはその窓に近づいてみる。


 そこでベネオラが呟いた。


「そういえば、さっきガゼル様が来て、同じように窓を見ていましたよ」


 その一言にシドラスは振り返り、ベネオラを真剣な表情で見ていた。その視線にベネオラは固まり、茹でられたようにどんどん顔を赤くしていく。その様子を傍から見ていたパロールが何かに気づいた表情をした直後、シドラスも気づいていた。


「パロール様。エル様をお任せしてもよろしいですか?」

「え?あ、はい」


 そう言ってから、シドラスはもう一度、窓の向こうを確認し、ベネオラとグインに礼を言ってパンテラを後にする。


 目的は分からないが、恐らく、アスマはベルと一緒に、あの窓からパンテラを抜け出した。そのことにガゼルも気づき、アスマとベルを追いかけようとしたところで、エルと鉢合わせた。そのエルから逃れるために、エルに血液を見せて、エルの意識を奪った。

 そう考えると、全ての辻褄が合うが、仮に正解だった場合、アスマとベルにガゼルが近づいているということだ。何も起こらなければ問題ないのだが、何も起こらなければ最初から隠れてはいない。


 シドラスは窓から見えた路地を走りながら、アスマやベル、ガゼルの姿を探す。ガゼルの行動が表面化している今、ガゼルが何をしようと考えているのか分かったものではない。ガゼルをアスマとベルに逢わせるわけにはいかない。

 その思いとは裏腹に、三人の姿はどれも見つからず、シドラスの焦りが増していくばかりだった。



   ☆   ★   ☆   ★



 アスマの手を掴んで落ちついたから、というわけではないと思いたいが、ベルの考えはゆっくりとまとまっていた。当初の予定ではアスマを餌に使い、ガゼルと接触するつもりだったのだから、それがここで起きても何も問題はない。

 もちろん、違う可能性も生まれてはいるが、それはあくまで可能性であり、目的が果たせるならベルはどちらでも構わない。


「アスマ」


 ベルは小さく呟いてから、アスマの手を引っ張り、ガゼルの歩く道に飛び出していた。まだ距離があるため、そのことにガゼルは気づいていないようだったが、やがて、ガゼルの目がアスマの外套に止まり、同時に足を止めていた。


 それから、ベルとガゼルの目が合った。その直後、ガゼルが言葉を失ったように口を開いている。その姿にベルは思わず笑いそうになっていた。


 そうか、覚えているのか。その事実が想定よりも嬉しく、そして、想定よりも腹立たしかった。


「ガゼルだ…」


 外套でうまく前が見えていなかった様子のアスマも、ガゼルの姿に気づいたようで、小さな声を漏らしている。


「外套を取っていいぞ」

「え?でも、見られちゃうよ」

「私の顔が見られている。どちらにしても、同じことだ」


 その呟きに迷いながら、アスマは外套を取っていた。外套の下から出てきた顔がアスマであることに、ガゼルは少しばかりの驚きを見せているが、それもベルの顔を見た時のものと比べたら些細なものだ。


 それも当たり前のことだ、とベルは思っていた。まさか、短命で知られる小人の女と、に再会するとは想像もしていなかったはずだ。

 あの時はまだ物の道理も知らない若者だったが、今は立派な老爺となっている。この王都に来た時にガゼルという名前を聞いた時も、その違いから同一人物か迷うほどだった。


 しかし、あの時からその視線の鋭さは変わっていない。猛禽類のような視線の鋭さは、ベルが薄れ行く意識の中でも覚えてしまっている数少ない一つの要素だ。それ以前は何も気にならなかった視線も、は獲物を狙う目をしており、ベルの脳裏に焼きついていた。


 その目が何も変わっていなくて良かったとベルは思う。その姿の全てが変わっていたら、ベルの理性は完璧に怒りに飲み込まれていたはずだ。あの時から自分の時間は止まっているというのに、その原因を作り出した張本人は自由な時間の中で老いていると知ったら、ベルはガゼルに何をしていたか分からない。


 その中に自分と同じように変わっていない部分があって良かった。

 だからこそ、ベルは復讐よりも、ベル自身の望みを叶えることを選ぶことができた。その部分だけは本当に良かったと思えるところだ。


 やがて、ベルとアスマがガゼルの前で立ち止まっても、ガゼルは何も言ってこなかった。それが何も言わないのか、何も言えないのか分からないが、どちらにしても、ガゼルから話してこないのなら、ベルから声をかけるしかない。


「久しぶりだな」


 その一言にガゼルは小さな声で返してくる。


「ああ」


 そのピリピリとした緊張感に包まれた二人の光景に、珍しくアスマが緊張した表情をしていたが、そのことにベルもガゼルも気づいていなかった。

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