発覚(7)

 外套を被ったアスマが少し先を歩く。その光景を見ながら、ベルはどこに向かおうかと考えていた。パンテラを抜け出したところまでは良かったが、問題はその次だった。イリスが向かった先に向かおうとして、イリスがどこに行ったのか分からないことに気づく。


 ベルはその道が正しいのか悩みながら、今はそれしかないからと、取り敢えず、足を動かしてみる。イリスは近くの様子を見てくるつもりだったはずだから、パンテラの周辺にいるはずなのだが、そもそも、パンテラの周辺に衛兵がいない。

 もうとっくにこの周囲は調べ終えて、離れてしまったのだろうかと思ってみるが、それなら、イリスが戻ってこない理由が分からない。


 やはり、パンテラを出たのは間違いだったかとベルが後悔し始めたのに対して、少し先を歩くアスマの足取りは非常に軽いものだった。ベルと同じように無計画に歩いているはずだが、その足に迷いは見えない。それが褒められることなのかは分からないが、少なくとも、今のベルには救いのように思えた。これだけ能天気な人間が近くにいたら、考えることが馬鹿らしくなる。


 そのことが不意に懐かしく思え、ベルは思わず足を止めていた。いらないことを考えていると、かぶりを振った直後、先を歩いていたアスマが戻ってきて、ベルを引っ張ってくる。


「ど、どうした!?」

「来ちゃった」


 ベルは近くの路地に引き込まれ、引き込んだ張本人は路地から外を覗いている。何が何だか分からないまま、路地に引き込まれてしまったが、アスマは一体何を見たのかと思い、ベルもアスマと同じように路地から外を覗いてみる。


「この辺り一帯にはいなかったか」


 覗いた道の先から数人の衛兵が歩いてきていた。衛兵の中心に立った人物が衛兵達にそう確認しながら、こちらにどんどん近づいてくる。


「あれは?」


 ベルが聞くと、アスマは視線を逸らすことなく、答えてくれる。


「ブラゴ。騎士団長だよ」


 騎士団長。それはつまり、イリスやシドラスの上司ということだ。その人物がここを歩いているとなると、イリスは見つかってしまい、何かの命令を受けているのかもしれない。それが原因で戻ってこられなくなったと考えると、これだけの時間が経っても帰ってこなかったことにも説明がつく。


 やはり、パンテラで待っておくべきか、と思いながら、ベルがアスマの肩を掴む。


「一度、戻るか」

「え?どうして?」

「ここを騎士団長が歩いているのなら、イリスは命令を受けたのかもしれない。もしそうなら、それが終わればパンテラに戻ってくるはずだ。その時に私達がいなかったら、焦るだろう?」


 理解できなかったのか、理解した上でそうしているのか分からないが、考え込んだアスマがベルから視線を逸らす。空気中を漂う埃でも見ているように視線を動かしてから、再びベルを見たかと思うと、ゆっくりとうなずいてきた。


「確かにそうだね。もう少し探したら、戻ろうか」

「いや、探すのは探すのか」


 納得したフリだけして、実のところは納得していないのではないかと思いながら、ベルはアスマの気が済むまで、取り敢えず、ベルを探してみることにする。衛兵に見つからないように行動するため、どっちにしても見つからないと思うが、一度外に出てしまったのなら仕方ない。アスマと同じように心配になったベルも悪いことだから、そこのところは目を瞑ろう。


 ベルが考え込んでいる間に、衛兵を引き連れたブラゴがベル達の前を通り過ぎていく。幸い、ブラゴがベル達に気づく様子はなかったが、そこで聞こえてきた声にベルは動揺していた。


「そういえば、この近くにガゼル様が来たのか?」


 ベルは咄嗟に飛び出しそうになり、アスマが慌てて腕を掴んでくる。その微かな物音か、人の動く気配に気づいたのか、ブラゴがこちらに視線を寄越してくる。もう通り過ぎた後のことなので、角度的にベルとアスマは見えないが、戻ってこられると見つかってしまう。

 ベルは自分の行いを反省しながら、必死に両手で口を押さえて、ブラゴが近づいてこないように祈っていた。


 しかし、その祈りは届くことがなかったのか、ブラゴ達の足音がどんどん近づいてくるのが分かる。


「どうされたのですか?」

「何か物音が聞こえた」


 ブラゴと衛兵の会話に、ベルとアスマが覚悟を決めた直後、ほんの少し前のベルの祈りが届いたように、ベル達の前を鼠が通り過ぎていった。ブラゴの歩いている道を横断するように、鼠が走っていく。その姿を見るなり、ブラゴ達の足音は止まっていた。


「何だ、鼠か」


 その一言を残して、足音がその場から離れ始める。そのことにベルは安堵しながら、さっきブラゴの呟いた言葉を考えていた。


 ガゼルがこの近くにいる。ブラゴが認識していたことに間違いがなければそのはずだ。目的は分からないが、ベルとすぐに逢える場所に迫っている。

 そう思ったら、目標がすぐ近くにいる興奮と共に、イリスがガゼルと逢った可能性に対する不安を覚えていた。


 もしかしたら、まだ帰ってこないのは、そこで何かあったからなのではないか。そう考え出すと、ベルの思考は深みに嵌まって抜け出せなくなってしまう。


「ガゼルがこの近くにいるのかな?」


 アスマが隣で呟いた。同じことを考えていたベルはただ、その言葉に反応するようにうなずく。

 その姿を見たからなのか、最初からそれを言おうと思って、口に出していたのか分からないが、不意にアスマが一つの提案をしてきた。


?」


 その一言にベルは顔を上げ、驚いた顔でアスマを見てしまう。シドラスが証拠を探してくれている今、下手にガゼルと逢うべきではないと思うが、そもそも、証拠も確定で見つかるかは分からない。ベルは――実際にシドラスやエルが証拠と判断したように――竜の血を発見できたら、十分な証拠になると信じているが、その竜の血も発見できるかは分からない。


 というよりも、ベルは既に処分されている可能性の方が高いと思っていた。国家魔術師としての地位がある今、六十年前のことで足を掬われたくないと思っているなら、処分するのが普通の考えだ。小人であるベルの感覚では分からないが、そもそも六十年も、一つの物を持っていることが難しいようにも思える。


 証拠が確かに見つかるか分からない以上、逢える機会は数少ないかもしれない。誤魔化され、ベルは何も言えないままに、一生牢獄の中に放り込まれる可能性もある。


 人生を終えるために踏み出すなら、ここしかないのかもしれない。そこまで思いながらも、更にそこから迷った後、ようやくベルはアスマの言葉にうなずいていた。


「探してみよう」

「なら、行こう」


 アスマが再びベルの手を引っ張って、路地から出ていく。その強引さにベルは身を任せることしかできないが、重大な問題はイリスを探していた時から変わっていないように思える。


「それで、どこを探すんだ?」


 ベルが聞いた瞬間、アスマが立ち止まり、こちらを不思議そうな顔で振り返ってくる。この表情は、と何となく分かり始めたアスマの表情の違いを思いながら、ベルが呆れたように笑っていると、アスマは小首を傾げた。


「どこだろ?」

「だろうな」


 ブラゴはこの近くにいたと言っていたが、詳細にどこにいたと言っていたわけではない上に、その時間帯も分からない。思い返してみると、『来た』と過去形で言っていた気もするので、既に時間が経っている可能性もある。


 しかし、そうだとして、そもそも来た理由の部分が分からない。そう疑問に至った中で、アスマが小さな声で呟いているのが聞こえてきた。


「パンテラかな…?」

「ん?どういうことだ?」

「いや、少し遅いけど、いつもの俺だったら、パンテラにいる時間なんだ。この近くに来るとしたらそれくらいで、ガゼルも一緒に来たことがあったはずだから、それしか思いつかなくて」

「いや、流石にこの事態の中でコーヒーを飲みに来ることは…」


 そう呟きながら、ベルはアスマを見ていて気がついた。もっと初歩的な部分、ベルがアスマを味方に引き入れた理由のところを考えると、ベルの考えは途端に変わっていく。


「いや、確かにそうかもしれない」

「やっぱり、コーヒーを飲みに来たってベルも思うの?」

「いや、そうじゃないが、お前に近しい人なら、普通は考えてもいいはずなんだ。お前が私にを」


 魔王であるアスマが誘拐されるとは思えない。それなら、アスマも誘拐に加担している。これは一種の狂言だ。ガゼルがそう気づいていたら、アスマと近しい場所を捜索する可能性は十分にあり得る。


「やっぱり、一度パンテラに戻ってみよう」

「ああ、うん。そうしようか?」


 アスマはまだ分かっていないようだが、ベルが歩き出すと拒むことなくついてきていた。パンテラにガゼルがいるかは分からないが、訪れている可能性は非常に高いと思いながら、ベルとアスマはパンテラの窓から今に至るまでの道を戻り始める。

 もちろん、連れているアスマは見つかってはいけないので、その間も周囲に警戒し、曲がり角は先を確認しながら、ベルとアスマはパンテラに近づいていた。


 その何度目かの曲がり角を覗き込んだ直後、ベルは以前にも見たことのある瞳に気づく。


「アスマ…」


 咄嗟に名前を呼んでいたのは、興奮からなのか、恐怖からなのか。ただベルは咄嗟に手を伸ばし、後ろに立っていたアスマの手を掴んでいた。


「ベル?」


 不思議そうに聞いてくるアスマに返事もできず、視線を曲がり角の向こうにある道に向けている。その先を歩いてくるのは間違いなく、だった。

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