発覚(2)
パロールの部屋に案内された段階からエルは緊張していた。それはパロールの部屋に入ることによる緊張ではなく、パロールが部屋に招き入れてまで話したいことがあると分かったことによる緊張だ。あのパロールが部屋に人を招き入れてまで話したいこととなると、その内容は必然的に重要なことになる。それが何なのかはエルの想像の範囲外にあることなので、考えても無駄だと考えることはなかったが、簡単な話でないことは分かっていた。
「どうぞ」
パロールの部屋の中央には三脚の椅子が置いてあった。一脚の椅子に対して、二脚の椅子が向かい合う形で置かれている。その二脚の椅子の片方を手で示しながら、パロールはエルに座るように言ってきた。エルはその言葉の通り、片方の椅子に腰を下ろしながら、何故椅子が三脚あるのか不思議に思っていた。
目の前の椅子にパロールが座り、エルは自分の隣にある誰も座っていない椅子に目を向ける。この形から想像するに、エルの座っている椅子と隣で空いている椅子には、パロール以外の誰かが座ったということか、と思いつく。二人の人間が先ほどまで、この部屋でパロールと向き合って話していた。その二人の人間が誰かは分からないが、そのことがこれからの話に関係あるのではないかと想像できた。
「話って?」
座ってからしばらく、パロールが話しづらそうにしていることに気づき、エルは促すようにそう言っていた。いつまでもパロールと向き合っているわけにはいかない。エルにも解決していない悩みは存在しているのだから。
そう思いながら待っていると、ゆっくりとパロールが口を開く。
「実は先ほどまで、この部屋にシドラスさんとイリスさんがいらっしゃったのです」
「あの二人が?」
エルは条件反射のように眉間に皺を寄せていた。シドラスという名前を聞くだけで、エルは感じた不快さを鮮明に思い出すことができる。
「ある話をされました」
「ある話?」
「ガゼルさんに関する話です」
その瞬間のエルは呼吸を忘れたといって良かった。呼吸の仕方というよりも、呼吸の存在を忘れたのに近く、ただ口を半開きにしたまま、酸素の残量も考えずに思考を巡らせる。
シドラスがガゼルの部屋を探っていたことは事実であり、その理由はガゼルの受け取った手紙を探していたと言っていた。その手紙の内容が気になるのは確かだが、それにしても、勝手に部屋を探るという行動に違和感があったことは確かだった。
そこにパロールからガゼルに関する話と聞かされると、それは否応なく、悪い想像に傾く。
「どういう話?」
「今起きているアスマ殿下の誘拐事件にも関する話なのですが」
その入り方から既に不穏さが増していた。エルはパロールの口から語られることに、その時点から覚悟を決めていたのだが、ゆっくりと語られた話はその覚悟を優に打ち砕くものだった。
パロールが話し終えるまで一言も発しなかったエルは、パロールが話し終えた段階で呼吸困難に陥ったように、荒い呼吸を繰り返していた。
ガゼルが小人であるベルの身体を不死身にした。その方法は竜の血を体内に入れるものである。シドラスはその証拠を見つけるために竜の血とベルの血を照合したい。その手伝いをパロールに依頼した。
並べられた事実は荒唐無稽だったが、魔術師であるエルは否定できない話だった。少なくとも、竜の血が人間の体内に入ったらどうなるのかをエルは知らない。それも小人となると更に分からない。
しかし、だからといって、すぐに納得できる話ではなかった。
ガゼルの行いはエルの嫌悪するところであり、不死身になったベルに起きた出来事は容易に想像できる。幼少の頃のエルと近い体験をしているはずだ。ただし、エルと違って誰かを傷つけていないのかもしれないが、だからこそ、それを実際にしていたら、エルはガゼルを許せない。
しかし、エルはガゼルを良く知っている。エルにとって長らく親代わりであるガゼルは、その風貌こそ怖いものだが、実際はエルやフーを大切に育て上げた優しい人だと良く分かっている。魔術に関する実験だとしても、誰かの人生を壊すことは絶対にしないはずだと強く信じていた。
そのため、エルは少しずつ怒りを覚えていた。
シドラスはエルと同じように、ベルを信じたアスマを信じただけなのかもしれないが、そうだとしても、ガゼルを疑って行動したことはどうしても許せなかった。初めて逢ったばかりの小人の言葉より、これまでのガゼルの行いを本来は信じるべきなのに、どうして簡単に疑ったと問い質したかった。
「私はどうしたら良いのでしょうか?」
酷く悩んだ様子で呟くパロールを見ながら、エルは自分がどうしたらいいのかを考えていた。平気で親を疑われた自分は、その疑ってきた相手をどうするべきなのか、そのことを強く考えていた。
「パロールちゃん。大丈夫だよ」
その一言に反応し、俯いていたパロールが顔を上げ、そこで固まっていた。エルは自分の顔が分からないが、それほどまでに恐ろしい表情をしているらしい。
「そんな馬鹿げた話を信じる必要はない」
咄嗟にエルは立ち上がり、パロールの部屋を出ようとする。その姿に背後でパロールが慌てて立ち上がろうとしていた。
「ま、待ってください、エルさん!?」
その声を聞き流しながら、エルはパロールの部屋を出る。ふざけたことをしているシドラスに、エルは酷く憤慨していた。
☆ ★ ☆ ★
エルを止めるために慌てて立ち上がったパロールだったが、目の前に置かれていた二脚の椅子が邪魔になって、すぐに止めることはできなかった。部屋から出ていくエルを見送ることになってしまい、少し迷ってから、その後を追いかけるために部屋から出ることにする。
幸い、部屋を出た直後にエルの姿は発見できた。エルは走りながら移動しているが、パロールも急げば追いつけるくらいの距離だ。追いつければ、後はエルを落ちつかせるだけで、何とかシドラスと衝突することは防げるはずだ。
そう思っていたが、それもエルに追いつく少し前までのことだった。エルに声をかけようかどうかという距離になって、パロールはエルの前方にシドラスが立っていることに気づいてしまった。
「見つけた!?」
エルの叫び声にシドラスが気づき、振り返る姿を見ながら、パロールは後悔する。再び自分は行動を誤ったという思いが強くなり、パロールは今すぐ時間を戻したくなる。
しかし、そのようなことが人間にできるはずもなく、エルはシドラスに迫るなり、掴みかかっていた。
「君は誰を疑っているのか分かっているのか?」
怒りで必要以上に鋭く尖った声を聞き、困惑している様子だったシドラスも、エルの背後に近づくパロールを見つけたことで、状況を理解できたようだった。小さく息を吐いてから、毅然とした態度でエルを見つめる。
「誰かは関係ありません。私はただ殿下の信じるままに行動するだけです」
「ふざけるな!?無知蒙昧な王子がただの詐欺師に騙されて、それを信じる騎士まで愚かか!?人の親を疑っておいて、誰かは関係ないとか、寝言は寝てから言えよ!?あの人がそんなことをするはずないだろうが!?」
エルの叫びを聞いた直後、シドラスの表情が険しくなり、自らを掴むエルの手を捻り上げていた。そのまま、今度はシドラスがエルの胸倉を掴みかかる。
「私の侮辱はどれだけ言っていただいてもいいですが、殿下への侮辱は許しません。今すぐ訂正してください」
「人の親を疑っておいて良く言うよ…本当のことを言われて頭に来たの?王子が愚かだと大変だね?」
シドラスが拳を掲げた姿を見て、パロールは咄嗟にその腕を掴んでいた。このままではただの個人の喧嘩の枠を超えて、王城全体の問題になりかねない。それだけは何としてでも阻止しなければいけない。
「二人共、落ちついてください!!ここは王城ですよ!?血を流していい場所ではないはずです!!」
パロールは怖くて目を開けることができなかったが、その姿によってシドラスとエルは少しずつだが冷静さを取り戻していた。流石の二人も第三者であるパロールに迷惑をかけてまで、自分の感情を押し通そうとは思わなかったということらしい。
「分かりました。暴力を振るおうとしたことはお詫びします。ですが、殿下との約束がある以上は、私はガゼル様に対する疑いを取り消すことはありません」
「まだ戯言を続ける気なんだね。第一、その小人のことも本当か定かではないじゃないか」
「ベルさんの身体のことなら、実際に私もこの目で見ました。実際に負った傷が一瞬で治っていましたから、間違いないはずです。そこまで医術に関する魔術は発展していないと聞いたことがありますので」
シドラスは確認を取るようにパロールに目を向けてきた。十七年前から進歩していない知識だが、医術系統の魔術は実際に傷を治療するレベルには至っておらず、あくまで医術の補助として使われることがあるくらいだ。そこから進歩しているのなら、情報を入れようとしていないパロールでも一端くらいは聞いているはずなので、あまり進歩していないということだろう。
そう思ったため、うなずきで答えると、それは間違いではなかったようで、エルは何も言わなかった。
「それで師匠の部屋から竜の血を持ち出したの?」
「それは…発見できませんでした」
「見つからなかった?」
その言葉にエルは不思議そうな顔をしていた。パロールでも気づけるくらいなのだから、シドラスが見逃すはずがない。
「どうされたのですか?」
「いや、実際に見たわけじゃないけど、師匠は竜の血を所持しているはずだよ。十七年前に採取して、俺に見せようとしてきたから」
ガゼルのイメージにない茶目っ気たっぷりのエピソードの登場に、パロールとシドラスは何とも言えない顔をしてしまっていた。血液恐怖症の人間に血を見せようとするとは鬼なのかと思う一方で、それならシドラスは何故見つけられなかったのか、パロールでも疑問に思う。
「エル様?」
シドラスが呼んだことで、パロールはエルが表情を強張らせていることに気づいた。それは何かに気づき、悪い想像をしてしまったように思える表情だ。
「何かを知っているのですか?」
「いや、何も知らない。俺は知らない」
視線を逸らしながら言うエルの姿は、パロールが見ても嘘をついていると分かるものだった。シドラスはそのエルに詰め寄っていく。
「何を知っているのですか?教えてください」
「俺は何も知らないよ。何でもないんだ」
「エル様」
「第一、竜の血が見つかったとしても、あの人がそんなことをするはずがないから、調べる必要なんてないんだよ。そんなこと無意味なんだよ」
エルは小さく零すように呟いていた。その姿に向かって、シドラスはかぶりを振る。
「それは違います。疑いがあるのなら、しっかりと調べるべきです」
「シドラス君はどうして、そこまであの人を疑うんだよ?俺には分からないよ」
「確かに私は既にガゼル様に疑いを持っていますが、そうでないとしても、同じことをしていたと思います。しっかりと調べることによって、可能性をなくしていかないと解決しないこともあるのです」
エルはこれ以上、シドラスを否定できないようだった。それでも、表情はとても苦しそうなものをしている。エルの手は血を流しそうなほどに強く握られている。
「パロールちゃん。お願いがある」
「私に?」
「これから、師匠の部屋に行って、竜の血を見つけるから、その血で調べて欲しい」
その一言にパロールだけでなく、シドラスも驚いていた。
「竜の血の場所が分かるのですか?」
「さっき見てしまって、一つだけ心当たりがあるんだよ」
「ちょっと待ってください。どうして、私なんですか?」
パロールはエルが自分に頼んできたことを納得していなかった。自分で調べることは難しいと分かるが、パロールに頼む必要はないはずだ。他に頼める国家魔術師はたくさんいる。
そう思って聞いた言葉に、エルは笑顔を返してきた。
「君に調べて欲しいから」
「え?」
「君なら、ちゃんと答えを出してくれると分かるから、だから、君に調べて欲しい」
「意味が分かりません」
「分からなくていいし、別にこれから魔術と関わるように言うこともないよ。けど、この一回だけは調べて欲しいんだ。そうしないと多分、みんな後悔する」
パロールはすぐに答えることができなかった。考えて、悩んで、迷って、その結果、ようやく言葉を捻り出す。
「分かりました…お二人の喧嘩の原因もありますし、私が調べます」
「ありがとう」
そう言ってから、エルはパロールとシドラスを連れて、ガゼルの部屋に向かい始める。その姿についていきながら、パロールは未だ抱えた悩みに頭を痛ませていた。
本当に自分でいいのか。本当に自分でできるのか。その問いが何度も浮かんでは、パロールに嫌な光景を思い出させる。
また誰かを傷つかせるかもしれない。その恐怖はどうしようもなく、パロールの胸の中に存在し続けており、引き受けたことに対する後悔が早速芽生えようとしていた。
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