発想(7)
シドラスが部屋に入ったことを知った瞬間のガゼルの動揺は言葉にできないほどだった。咄嗟に表情に現れないように隠したが、それも完璧にできたのか気にすることができないくらいに、ガゼルの思考は部屋に向いていた。
シドラスがどこまで知っているのか、イリスがどこまで聞いているのか、ガゼルは気にならなかったわけではないが、即座に話題を切り上げ、取り敢えず、部屋を確認することにする。
仮にシドラスが部屋の中を探り、ガゼルの思い浮かべている物を発見していた場合、ガゼルはアスマ誘拐の犯人に対する行動を起こす暇もなく、今の生活の全てを失うことになる。それだけは何としてでも避けたかった。
急ぎ足で自室に戻るなり、ガゼルは部屋の中の様子を確認する。シドラスが入っていたと言っていたが、その痕跡は部屋の中に一切見られない。ガゼルが受け取った紙を探していたと言う割に、何一つ物を動かした痕跡がないことに、ガゼルは当たり前の違和感を覚えていた。
これではガゼルが戻ってきても、誰かが入ったことには気づかない。つまりはシドラスにとって、ガゼルの部屋に入ること自体をガゼルに悟らせるわけにはいかなかった。
やはり、知っている。その可能性が非常に高いとガゼルは思った。
部屋の中にあるほとんどの物はどうでもいい。必要な物は持ち出していた上に、それらを発見されても、ガゼルが何かを疑われることはまずない。
ただそれも、未だに部屋の中に残していた一つの物を除けば、の話だ。
部屋の様子を確認したガゼルは、そのまますぐにベッドに近づく。そこで地面に膝を突き、ベッドの下を覗き込むように頭を床につけた。そこで見える光景に、ガゼルはようやく落ちつきを覚える。
どうやら、無事だったようだと思う一方で、一応は確認しておこうかと思い、ガゼルはベッドを動かすために手を伸ばす。
その直後のことだった。
「師匠?何をしているの?」
部屋の外から聞こえてきた声に反応し、ガゼルの手が止まる。ベッドに触れる直前の体勢のまま、ガゼルは部屋の入口に立ったエルに目を向けていた。こちらを不思議そうな顔で見るエルを見ながら、ガゼルは必死に考えている。
エルはどこから見ていたのか。それが何より重要だった。
「寝るの?」
「いや、少し乱れているのが気になっただけだ」
そう言いながら、ベッドの上の毛布を直してみせる。これでベッドを動かそうとしたことについては誤魔化すことができるが、それもエルが最初から見ていなかった場合のことだ。あまりの動揺から、エルが後ろをついてきていることも、部屋の外にいることにも気づけなかった自分を責めながら、ガゼルはエルを探ることにする。
「お前こそ、何故ここに?」
「少し聞きたいことがあって」
「聞きたいこと?」
「受け取った紙って、本当に異国の文字が書かれていただけなの?」
エルが子供の頃から何度も見てきた表情だから、ガゼルにはその時のエルが不安に思っているとすぐに気づいた。ガゼルを信じたいとは思っているが、信じ切れない理由があることにも気づいてしまった表情だ。その表情を見ていると、手紙の誤魔化し方としては失敗だったかと思わずにいられない。
こういう時、まだ若い――それこそ、エルよりも若い時のガゼルなら、うまく誤魔化すことができたと思うのだが、今のガゼルには難しかった。大人になると賢くなるが、同じくらいに考えることも増えるので、結局、うまい答えは見つけられないものだ。特にガゼルは答えを出さないといけない問題を抱え込み過ぎたので、結局一人では全てを解くことができそうにない。
それは今も直面していることだ。
「師匠」
エルが表情を変えることなく、ガゼルのことを呼んでいた。ガゼルは同じように表情を変えることなく、エルをただ見守る。
「何か困ったことがあるなら、俺にも話してよね?俺も協力するから」
「困ったこと…?」
「いや、ないならいいんだけど」
そう言って顔を逸らすエルは、本当は聞きたくないと思っているように見えたし、ガゼルに話せることはなかった。少なくとも、エルに話すことは絶対にない。エルのことを良く知っているからこそ、ガゼルはエルが自分に協力することはないと分かっていた。
「何もない。大丈夫だ」
ガゼルはそう言いながら、部屋の外に出る。魔術で扉に鍵を閉めてから、エルの方を向いていた。必死に隠そうとしていることは分かるが、未だ隠し切れていない不安がエルの表情から見て取れる。
その表情を変えるためにガゼルが言えることは何一つなかった。
「出かけてくる」
その言葉がエルを救うことはないと知っていたが、ガゼルにはそれしか言えなかった。不安を隠すこともできないエルがただ小さくうなずいている。
その姿を見てから、ガゼルはエルに背を向け、廊下を歩き出す。
唯一残された道は犯人を見つけ、口封じすること。それだけが今の居場所を守る唯一の方法だ。そう固く信じて、ガゼルは再び王城を出ようとしていた。
☆ ★ ☆ ★
数度のノックの後、ゆっくりと扉が開いて、中から顔が出てきた。不安そうな表情はいつも変わらないが、ノックをした人物がシドラスとイリスであることに気づくと、その不安も驚きに変わっていた。
「どうされましたか?」
恐る恐るといった様子で聞いてくるパロールに、シドラスが代表して口を開く。
「実はパロール様にお願いしたいことがあるのですが」
その一言にパロールは更に驚いたようで、目を大きく見開いていた。シドラスとイリスを珍しそうに、ドラゴンでも見るような目で見てくる。
「その…話を聞くくらいなら」
最終的に断るつもりですが、と含んでいることが分かる言い方ながらも、パロールはシドラスとイリスを部屋の中に招き入れてくれていた。もしかしたら、門前払いされるかもしれないと思っていたシドラスは、部屋の中に入れたことに驚きながらも、どこか安堵していた。
部屋の中は綺麗なものだった。片づいているというよりも、全体的に物が少ない印象だ。部屋の片隅に積まれた本を除けば、あとはテーブルや椅子、ベッドくらいしかなく、魔術師として必要そうな道具は一切見当たらない。パロールのことを知っているシドラスはそのことに驚かなかったが、ここまで徹底しているのかという気持ちはあった。
「どうぞ」
部屋の中央に椅子を並べ、パロールがシドラスとイリスに座るように促してくれる。その言葉に甘え、シドラスとイリスはパロールと向き合う形で椅子に座る。
「ごめんなさい。誰かが来ると思っていなくて、何もないのですが」
「いえ、大丈夫です。私達はただ話をしに来ただけなので」
パロールなりの時間稼ぎだったのかもしれないが、シドラスやイリスに時間はあまり残されていない。アスマやベルが見つかっても、ガゼルが証拠を処分してしまっても、その目的は失敗したことになる。それだけは避けたい。
その気持ちから、パロールが困ったようにシドラス達に目を向けてきた直後、シドラスは待つことなく、話を始めていた。
「実は殿下誘拐に関するお話なのですが」
「アスマ殿下の…?」
シドラスはパロールに全てを説明していた。アスマを誘拐した犯人がベルであること、ベルが不死身であること、その不死身の身体を作り出したのがガゼルであること、ベルは元の身体に戻りたいこと、アスマが協力するつもりであること。最終的に、ガゼルがベルに行ったことに関する証拠を見つけ出し、ガゼルからベルの身体を元に戻す方法を聞き出すことを目的としていると伝え、シドラスの説明は終わる。
その話をパロールは終始困惑した様子で聞いていた。内容もそうだが、そもそも、真偽のほどが分からず、どう思ったらいいのか分からなくなっているのだろう。
「それでパロール様へのお願いなのですが、ガゼル様がベルさんに行ったことの証拠を見つけるために協力して欲しいのです」
「証拠を見つける…?」
「はい。どうやら、ガゼル様はベルさんの身体に竜の血を入れたらしいのですが、ガゼル様の所持する竜の血とベルさんの血液が一致するか調べてもらいたいのです。それが確実な証拠になるはずです」
「ちょっと待ってください」
パロールが片手を突き出し、シドラスの話を止めた。もう片方の手は頭に当て、必死に状況の整理をしているようだ。
「分かりました。その話が全て本当だったとします。そうだったとして、どうして私なのですか?師匠やエルさんだっていますよね?」
「お二人はこの一件に関わっていないと証明できませんので」
「し、師匠は!?そ、そんなことはしません…血液恐怖症のエルさんも関わっているとは思えません…」
一瞬大声を出したパロールだったが、すぐに冷静さを取り戻したようで、小さく俯きながら、そう反論していた。それは確かにシドラスも思っていたことではあった。
「ですが、それだけでは確実に関わっていないとは言えないのです。何かしらの形で関わっている可能性が最も少ないのは、パロール様だけなのです。何とかお願いできないでしょうか?」
シドラスはパロールに頭を下げていた。ここで断られると、もう他に候補がいなくなる。そうなったら、たとえ竜の血を発見できたとしても、証拠にすることは難しくなる。
「私からもお願いします。パロール様にしか頼めないのです」
隣でイリスも同じように頭を下げていた。何とか気持ちが通じるように、シドラスは強く祈っていた。
不意にパロールがシドラスとイリスの肩を押し、二人の顔を上げさせてきた。二人が驚きながら顔を上げると、目を逸らしたままのパロールが小さな声で呟く。
「帰ってください…」
「しかし…!!」
「帰ってください!!」
突如パロールの発した大声に、シドラスとイリスは面食らって言葉を失っていた。
「私にできることは何もありません。だから、帰ってください。私はお二人の頼みを引き受けることができません。それで終わりです」
シドラスとイリスはそれでも何かを言おうとしたが、一切目を合わせようとしないパロールの様子に、既に拒絶されていることを悟った。ここから何かを言ったとしても、パロールは言葉を聞いてくれることすらない。理由がどうであっても、パロールはただ断るということしかしないつもりだ。
こうなったら、もう何かを言っても仕方がない。シドラスとイリスには、その部屋から立ち去る以外の選択肢が残されていなかった。
「失礼しました…」
そう小さく言い残し、シドラスはパロールの部屋を出ていく。イリスもそれについて外に出る直前、パロールに一言、「ごめんなさい」と謝っていた。
パロールの部屋を後にしたシドラスとイリスは軽い絶望の中、ただ廊下を歩いていた。これで竜の血を調べる人物はいなくなった。ガゼルの部屋をどうやって調べるのかも思いつかない以上、完全に八方塞がりだ。
これからどうするべきか、そのことをシドラスが考えていると、隣でイリスが口を開いた。
「あの、私は一度、アスマ殿下のところに戻りますね。まさかとは思いますが、出歩いていると危険ですので」
「ああ、そうだな。そうしてくれ。こっちは何とかする」
そう言いながらも、シドラスは一切明るい表情ができなかった。そのことにイリスは不安を覚えているだろうが、深く追及してくることはなく、シドラスに一度礼をしてから、一人で廊下を歩き始める。
その姿を見送りながら、シドラスは再び頭を悩ませていた。
何ができるのか。何をしたらいいのか。その問いはどれだけ考えても、答えが出そうにないものだった。
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