発想(5)

 パンテラ周辺にも衛兵は来ていたが、表立った調査はできていない様子だった。犯人の特徴は分かっていないはずであり、アスマが誘拐されたことを知られるわけにもいかないので、アスマは見ましたかと聞くこともできないはずだ。衛兵は曖昧な質問をすることしかできず、それらの質問でアスマやベルに繋がるとは思えない。


 しばらくは問題なさそうだと安心したイリスがパンテラに戻ろうとする。その途中で見知った顔と鉢合わせることになった。


「お前は…」


 相手の呟きの声を聞くなり、イリスは顔を見る前に危うく声を出しそうになった。必死に喉から声が出ないように飲み込んでから、イリスは相手の顔に目を向ける。


 それは間違いなく、だった。


「ここで何をしているんだ?」


 取り調べのような言い方にイリスは苦々しい顔をしてしまう。アスマやベルのことを思い出したのもそうだが、何よりイリスはガゼルが苦手なのだ。本人と向き合って話すこと自体に慣れていない。


「アスマ殿下を助けるために調べている最中です」

「そうか。何か分かったのか?」

「いえ、何も。ガゼル様はここで何を?」


 そう聞きながら、イリスは不意にガゼルの足下に目を向けていた。そこに何があるかを見て、イリスは少し寒気を覚える。


「ちょっと犯人の移動経路を想像し、独自に調べていただけだ」


 そう答えるガゼルの姿にイリスの寒気は更に増していく。幸いにも衛兵は気づいていないようなので、しばらくは問題ないと思っていたイリスの考えが、いかに甘いものかを知らせるようにガゼルは立っていた。足下にはがある。


「ガゼル様は犯人が下水道を移動していると?」

「衛兵がどれだけ捜索しても見つからないのなら、その場所は地上ではなく、地下という可能性が高くなる。もちろん、匿われていると姿は忽然と消えるが、それよりもこちらの方が調べやすい」


 ガゼルの行動は的確にベルに近づくための最適な行動だった。このままではシドラスが証拠を見つけるよりも先に、ガゼルがベルと逢ってしまう。それだけは何としても避けたいとイリスは思い、必死に頭を働かせていた。この場所から、何としてでもガゼルを遠ざけなければいけない。


 その時、ガゼルの背後に気配があることに気づいた。いくつかの気配ができるだけ息を潜めているが、騎士であるイリスには不十分と言える隠れ方だ。その気配が何かは分からなかったが、ガゼルを動かすための理由としては使えるとイリスは判断する。


「ガゼル様…」


 小さいながらも、ガゼルに届くくらいの声量で、イリスが声を発すると、ガゼルの鋭い視線がイリスに刺さる。そのことに怯えながらも、イリスは何とか言葉を続ける。


「ガゼル様の後ろの角に誰かがいます…」


 だから、一度この場所を離れようとイリスは伝えるつもりだったが、それを言うよりも先にガゼルが振り返ってしまっていた。そのように大胆に動いたら、イリスが小声で伝えた意味がなくなると思っている間に、ガゼルはその角に向かって歩き出してしまう。

 そのあまりに唐突な行動にイリスがあたふたしている間に、ガゼルは角を曲がって、そこにいる気配の正体と対面していた。


「何だ、お前達は?」


 その声を聞きながら、イリスが慌ててガゼルの後を追うと、その角にいた衛兵と鉢合わせていた。さっきの気配は衛兵だったのかと思うと同時に、どうして衛兵がそこにいるか疑問を懐く。

 それはガゼルも同じようだった。


「どうして、隠れている?」

「その…実は…」


 衛兵は口籠りながらも、ブラゴの指示でガゼルを尾行していたことを話してきた。ガゼルは自分が尾行されていたと知り、不快そうな顔をしているが、イリスからすると、これはガゼルをこの場から離れさせるチャンスだ。


「きっと今回の事件との関わり方から、ガゼル様の身に何か起きないかと騎士団長は警戒していたのですよ」

「警戒?」


 ガゼルは訝しんだ様子で見てくるが、ブラゴの真意はイリスの知るところではないし、ガゼルも知らないはずだ。何とでも言い切れると思い、イリスはそのまま押し切ることにした。


「そうですよ。これは騎士団長の捜査の邪魔にならないように、一度王城に戻るべきです」

「王城に?」


 納得いかない表情をガゼルはしていたが、イリスの視線に隣の衛兵も同調すると、悩み始めている様子だった。悩みの理由は分からないが、もう少しで押し切れると思い、イリスは言葉を続ける。


「それとも、王城に戻れない理由があるのですか?」


 その一言を言った瞬間、ガゼルの殺意とも取れる鋭い視線がイリスに刺さった。その視線の恐ろしさにイリスは震え、表情を強張らせる。

 もしかしたら、今の一手は間違いだったかと思ったところで、既に言葉は口から出てしまっている。もう言い直すことはできない。


 そう思っているとガゼルの口が開いた。


「確かにその通りだ。では、ついてきてもらえるか?」

「え?私がですか?」


 想定外の提案にイリスが動揺していると、今度はガゼルが隣にいる衛兵を味方につけ始める。


「お前達がついてくるか?それとも、騎士様に任せて、自分達は他の仕事に回りたいか?事態が事態だから、あまり人手は割きたくないはずだ」


 ガゼルの問いに衛兵達は困ったように顔を見合わせている。期せずして、イリスとガゼルの間に立つことになってしまい、衛兵は選択に悩んでいるようだ。ガゼルの言っていることにも同意するが、それをイリスに押しつける形になってしまっていいのかと思っている様子に見える。


 その様子にガゼルは痺れを切らしたようだった。衛兵達の返答よりも先にイリスに目を向けてくる。


「それとも、王城に戻れない理由が何かあるのか?」


 さっきのイリスの言葉をそのまま使われ、イリスは表情を強張らせる。それを呟いたことでイリスは知っていると暗に伝えてしまった。そのことを考えると、同じ行動を取ってきたガゼルはイリスに同じことを伝えてきているということだ。


『お前は知ってしまったのか?』


 その質問が本当に意味するところの正しさまでは知らないが、ここで下手に言葉を濁らせると、イリスはガゼルに答えを与えることになる。アスマとベルの存在をガゼルに知られるわけにはいかない。


 だから、イリスはかぶりを振っていた。それがその場の最善の選択であると信じて。


「大丈夫です。私がついていきます」

「そうか」


 ここまで表情一つ変えることのないガゼルに、イリスは畏敬の念を懐いていた。ベルの話したことが真実かどうかは未だ分からないが、少なくとも、ガゼルは何が起きても腹の底に隠しておくことができる人物だ。それはイリスが理想とする姿であり、同時に最も怖れる姿だ。


 不意にアスマの顔が浮かんだ。ガゼルとは真逆で、何があっても反応してしまう純粋さ。その姿を思い出すと、今はとても落ちつけた。


 アスマとベルにはすぐに戻ると伝えていたが、それもできなくなりそうだと思い、二人に対する謝罪の言葉を心の中で呟きながら、イリスはガゼルと一緒に王城に向かって歩き出す。昼時は過ぎているが、太陽はまだ沈む気配を見せていなかった。



   ☆   ★   ☆   ★



「少し遅いな」


 想定していた時間が過ぎても、イリスが戻ってこないことから、ベルはついそのように呟いていた。アスマは店の様子が気になるのか、部屋から覗いている。


「そうだね。何かあったのかな?」

「まあ、衛兵がイリスを捕まえる理由もないはずだし、何かあるとは思えないが」

「そうだよね。けど、一応探しに行く?」


 部屋の中に戻ってきたアスマが片隅に置いていた外套を手に取ろうとしていた。


「いや、イリスが戻ってくるって言ったんだ。ここで待つべきだ。それにお前と私で出歩くわけにもいかないだろう?」

「それもそっか」


 アスマが外套を置いた直後、部屋の外から良い香りが漂ってきた。アスマが匂いに釣られて、部屋の外に向かいかけたところで、ベネオラが部屋の中に入ってくる。


「ちょっと遅いけど、お昼ご飯を持ってきましたよ」

「良い匂いだね~」

「こっちがパンで、こっちがスープ。ちょっとアスマ君、離れて」


 流石に近過ぎたアスマを退かしながら、ベネオラが部屋の中のテーブルに運んできた食事を並べていく。パンで一杯になった大きなボウルと、スープの入った二つの皿が、ベルとアスマの前に置かれる。


「イリスさんはまだ戻ってないんですね?」


 食事を並べ終えてから、部屋の中を見回してベネオラがそう言ってきた。その手には置き場所のなくした三つ目の皿が持たれている。


「これはどうしようかな?」

「俺が飲むよ」


 テーブルにつくなり、スープを飲み始めていたアスマが卑しく手を伸ばす。その手をベルは弾きながら、ベネオラに目を向ける。


「ベネオラはもう食事を取ったのか?」

「はい、さっき。パン一つだけですけど」

「それだけ?その若さでそれだけはダメだろ。ちゃんと食べた方がいい」


 ベルがテーブルを手で示し、ベネオラに座るように促す。ベネオラは皿片手に店の様子を気にしているようだ。


「店なら、お前の父親がいるんだろう?」

「けど、お父さん一人でお店は…」

「少しくらい大丈夫だろう。アスマもその方がいいよな?」

「そうだね。たまには一緒に食べよう」


 ベルとアスマに一緒に言われたら、流石に断ることもできなくなったみたいで、ベネオラはテーブルに皿を置いて、二人と同じように座っていた。ベルから渡されたパンを頬張り、嬉しそうに笑っている。その笑顔にベルも同じように笑うのだった。

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