発想(3)

 イリスの思いついた場所に向かうことになったベルだったが、向かう途中から既に疑いの気持ちが芽生えていた。


 その最大の理由がその場所に向かうためにイリスが歩き始めた道だ。下水道から出た路地を離れ、イリスはを進み始めていた。


 もちろん、アスマは外套で顔を隠しているが、それにしても、見つかりたくない場面で大通りを堂々と歩き出すとは思っていなかった。確かに衛兵も考えていないことだろうから、逆に見つかりづらい可能性はあるが、そうだとしても、ベルは心地が悪い。

 何より、さっきから通り過ぎる人達に見られている気がするから、余計に心地が悪い。


「なあ、これ、アスマだってバレてないか?凄く見られているぞ?」


 ベルが心配してイリスに聞いてみるが、イリスは笑ってかぶりを振る。


「そんなことありませんよ。バレていたら、逆に見られませんから。見られているのは多分…」


 そう言った瞬間に途端に表情から感情を消し、無の表情になったイリスがぽつりと呟く。


「私達が臭いからです…」

「ああ、そうか…」


 知りたくなかった真実と直面し、ベルはイリスと一緒に感情を消し去っていた。その二人に反して元気一杯なのがアスマだ。イリスの思いついた場所を伝えられてから、きらきらとした表情でベルやイリスの後ろを歩いている。ベルは内心、さっきからアスマが突然走り出し、アスマと周りにバレないかと冷や冷やしているくらいだ。


 ベルとイリスの表情から感情が消え、ようやく感情が戻ってきたくらいのところで、イリスが前方の建物を指差した。


「もうすぐですよ」


 イリスが指差しているのは、大通りの途中に立つ白と緑を基調とした建物で、看板には『パンテラ』の文字が見える。


「あれは何かの店か?」

「カフェだよ」


 後ろから答えが返ってきて、ベルが驚きながら振り返ると、キラキラと輝いたアスマの目と目が合った。


「殿下が通っているお店なんです。あそこなら、私達を受け入れてくれると思いますよ」

「まさか、事情を説明するのか?」

「いえ、それはしません。あのお店の方々を巻き込むわけにはいかないので。ただ殿下が来ても驚かないところとなると限られてくるので」

「王子が来て驚かないところがあることに驚いているがな」


 パンテラの前に到着する直前になって、イリスがベルとアスマを制した。驚きながら立ち止まったベルに立ち止まれなかったアスマがぶつかる。


「どうした?」

「ちょっと店の様子を探ってきますね。あまりお客さんが多いと迷惑になりますから」

「ああ、急にアスマが入っていったら混乱するか」

「いえ、私達…臭いので…」

「飲食店に入ったらダメなんじゃないか?」


 ベルとアスマを置いて、イリスが店の前まで移動する。そこで物陰に隠れて、店の中を探り始めるのだが、その姿は店内を物色している泥棒にしか見えない。明らかに怪し過ぎる姿にベルは衛兵を呼ばれないかという不安に襲われる。


 実際、通り過ぎる人達の中にはイリスの姿を訝しげに見る人もいたのだが、その視線とは裏腹に衛兵を呼ぶ人はいなかった。もしかしたら、王都では店の中を物色するのが流行っているのだろうかとあり得ないことを思う。


 しばらくして、店の中から出てきた人に見つかりそうになったイリスが慌てて隠れてから、ベルとアスマのところまで戻ってくる。


「今の人で店内にいたお客さんは最後です。今の内に入りましょう」

「それはともかくとしてイリス。凄く怪しかったぞ?」

「え?あ、まあ、大丈夫ですよ。泥棒が入るようなお店じゃないですし」

「凄く失礼な発言してないか?」

「いや、そういう意味じゃないですよ」

「じゃあ、どういう意味だよ?」


 ベルの問いに答えることもなく、イリスはアスマを連れて、さっさとパンテラに向かってしまう。ベルは消化不良な気持ちを抱えたまま、イリスとアスマを追って、先に店内に入った二人に続く。


 そこでさっき聞くことができなかったイリスの言葉の意味を理解した。店内に入って目に飛び込んできた人物を見たら、泥棒が入らないと断言することも分かる。


「いらっしゃいませ。珍しいですね、この時間に来るなんて」


 先に入ったイリスとアスマに一人の少女が声をかけてくる。笑顔で話しかけていたが、近づいた二人から漂う悪臭に気づいたのか、笑顔が一瞬で強張って見えた。


「……二人はさっきまで、どこに?」


 強張った笑顔を崩さずに少女が二人に問いかけている。イリスは困ったように笑いながら、少女から視線を逸らしていた。


 その間に、その奥のカウンターから覗いていた瞳がベルに向く。ちょうどベルも目を向けていたため、目が合う形になっていた。


「これは珍しく、殿下達は子連れですか?」


 そう言いながら、カウンターの向こうに立つその巨体の男も鼻を押さえていた。その鼻はベルの鼻とは形状が違い、この距離でも少女以上に臭いを感じ取っていそうだ。


「獣人か…?」


 ぽつりと呟いたベルにイリスが気づき、小さくうなずいていた。ベルは自身がそうであることもあり、小人は見たことがあるが、それ以外の亜人は一度も逢ったことがなかった。


「初めて見た…」


 ベルが驚きの言葉を漏らしたところで、ついに豹の頭と毛皮を持った獣人の男が限界を迎える。


「ああ、もう!!女性がいるから遠慮していたが、全員臭いが酷い!!ここはカフェなんだ!!そんな臭いをばら撒かないでくれ!!」


 男の真っ当な怒りにベルもイリスも言葉がなかった。アスマ一人だけが照れたように頭を掻いているが、何を理由に照れているのかベルには分からない。


「すみません。ちょっと遊びが過ぎまして。その…身体を洗わせてください」

「はあ?いや、まあいいが、王城に戻ればいいんじゃないのか?」

「それは、その…」


 そう言いながら、イリスの目は泳ぎ出し、ベルは呆れた顔でイリスを見てしまう。まさか、ここまで来ておいて、何も理由を用意していなかったのかと思った瞬間、イリスと目が合った。


「じ、実はこの人、小人なんです」

「はい?」

「小人?」


 獣人の男と少女が首を傾げてベルを見てくる。イリスの唐突過ぎる発言に驚いているようだが、それはベルも同じことだ。この話の流れから、ベルが小人であることは関係がないように思える。


「小人なのか?」

「ああ、一応」

「へぇ~、小人って初めて見ました。おいくつなんですか?」


 そう聞きながら、少女がベルから一歩離れる。今までの距離は臭い的に耐え切れないようだ。


「この身体で二十二歳だ」

「と、年上なんですね。見えないですね」

「まあ、小人だからな」


 しかし、ベルが小人であることと、それまでの話がどのように関係があるのかと思いながら、ベルがイリスに目を向けると、イリスはそっとベルの背中を押してきた。


「このベルさんが王都の観光をしたいそうなので、ただいま案内している最中なんですが、ちょっとしたハプニングから臭いが酷くなってしまったので、この臭いを落とすついでに一般的な家庭の様子を見させていただきたくて」


 イリスは笑顔を引き攣らせながら、何とか必死に説明を続けていた。目の前にいる獣人の男は明らかに一般的から離れているように見えるが、と思っていたら、本人達も思っていたようで一般的と言われたところで首を傾げて見合っている。


「うちでいいなら構わないが、殿下も?」

「ああ、はい。この臭いで王城に帰ったら、私も怒られるのでお願いします」


 急に真面目な顔で言い出すイリスに、男はきょとんとしてから笑い始めた。ベル達の前にいる少女に案内するように言っている。


「そういえば、今朝から衛兵が街中にいるが、それも関係しているのか?」

「ああ、それは何か訓練らしいですよ。それがあるから、アスマ殿下も出歩けている、的な?」

「ああ、そうなのか」

「もし衛兵が来ても、ここに殿下がいることは内緒にしてくださいね。自分で言った方がまだ騎士団長も優しいので」


 イリスが獣人の男と笑いながら会話をしてから、こっそりとベルに耳打ちしてくる。


「これでしばらく安全です」


 ベルの心配を余所に意外と策士な一面を見せたイリスに、流石は王国の騎士だとベルは感心していた。

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