発想(2)

 衛兵による捜索も進展がないままに、ただ時間だけが経過していた。逃走したはずの外套の人物は、その後、一切の目撃情報もなくなり、足取りが掴めなくなっている。外套の人物と接触して以降、今に至るまで犯人からの手紙も届かなくなり、アスマの居場所は依然として分かる気配がない。

 ブラゴは状況を打開するために、捜索範囲を広げると共に、犯人が隠れられそうな空き家にも衛兵を向かわせたが、その成果もなく、犯人やアスマを発見したという報告は未だ上がってこなかった。

 ついにはブラゴも王都の街中に繰り出し、衛兵を引き連れての捜索を開始したが、昼時を過ぎようとする時間になっても、新たな情報の一つも見つかっていない。


 流石のブラゴも、少しずつ違和感を覚え始めていた。それはアスマが誘拐されたと判明した時からそうだが、今回感じている違和感はアスマが誘拐されたことよりも、どれだけ探しても怪しい人物が見つからないことに関してのものだ。

 怪しい人物の一人くらいは見つかってもおかしくないはずだが、それがないとなると、その人物は元から王都にいる人間か、一見すると犯人と思えないような人物ということになる。ブラゴは該当する人物を思いつかないが、その可能性が高まったとなると、捜索の方向性を一度再検討するべきかもしれない。


 そう考えながら、ブラゴは送られてきた二通の手紙のことを思い出す。郵便局に手紙を届けた人物は未だに発見できていなかった。その人物も犯人から依頼された可能性は高かったが、犯人を知っている可能性は非常に高い。一刻も早く探し出したいところだが、アスマのことを露呈させないように捜索するとなると、大量の人員を割くこともできず、そこまで手が回っていない状態だった。


 手紙を届けた人物の捜索に衛兵を回すかと考えながら、ブラゴは手紙の内容を思い出し、ガゼルのことを考える。犯人がガゼルとの接触を求めたからにはガゼルと関わりのある人物なのかもしれないが、当のガゼルは心当たりがないと言っていた。本人が知らないと言うのなら、その可能性を考えても仕方ないが、ブラゴはどうしてもその考えを振り払えずにいた。


 また余計なことを考えてしまったと自分を戒め、一部の衛兵に手紙を出した人物の捜索を命令してから、次の場所を調べようとブラゴが歩き出そうとした時のことだった。


 さっきまでのブラゴの思考が現実に影響を及ぼしたように、ブラゴの前にガゼルが現れた。王都の街中にガゼルがいるとは微塵も思っていなかったので、ブラゴはそのことに驚きを隠せなかった。


「お疲れ様です」


 ガゼルが仰々しく頭を下げてきた。その姿にブラゴはうまく驚きを隠せなかったことを戒めながら、同じように頭を下げた。


「どうされたのですか?」


 頭を上げたブラゴはすぐさま、そう聞いていた。アスマ誘拐という事態に加え、その犯人がガゼルを指定して接触してきたことを考えると、ガゼルはあまり出歩くべきではない人物の一人のはずだ。


「少し捜査の進捗が気になってしまいまして」


 ガゼルは鋭い視線を崩すことなく、ブラゴに真剣な表情を向けていた。ガゼルの性格も考えると、遊びや冷やかしで言ってきているわけではないはずだ。そのことが分かるからこそ、ブラゴは少し口籠る。簡単に返事をしていいものか、少し悩ましい。


「未だ犯人も、逃げた外套の人物も見つかっていません」


 結局、ブラゴはそう答えていた。ブラゴが隠したところで、今の状況を見たら、そのことは分かることだ。意味がないのなら、不用意に軋轢を生み出す必要がない。


「そうですか」

「ガゼル様はそのことを聞きに?」


 ブラゴの問いに向けられたガゼルの視線は、その鋭さを失っていなかった。ブラゴの問いが純粋な疑問によるものではないと、流石にガゼルは感づいているようだ。


 ブラゴの知る限り、ガゼルが能動的に動いた事例は少ない。アスマ誕生に関わる出来事はそうだったが、それもガゼルは単独ではなく、エルと一緒に行動していた。今回のように一人で動いている事例をブラゴは他に知らない。


 それにブラゴは気になっていることが一つあった。外套の人物がガゼルに渡した手紙の内容を、ブラゴはガゼルに聞いていたのだが、その際に返ってきた答えは、異国の文字が書いてあった、というようなものだ。ガゼルは読めなかったと言っていたが、その前の二通の手紙がそうではない以上、その証言をブラゴは半分しか信じていない。

 それが本当だったとしても、ガゼルが本当に読めていないのか、異国の文字であったとしても読めるか、そこに含まれた意味合いに気づいている可能性すら疑っている。


 その疑いの中に、今回の行動が放り込まれたら、質問の一つでもしないとブラゴの気持ちが落ちつきそうになかった。


「ええ、そうですが。やはり、殿下が誘拐されたことは気になりますし、何故私が手紙で指定されたのか、未だに分かっていませんから」


 表情一つ変えることなく答えるガゼルの姿に、ブラゴは次の質問を考えようかと働かせていた頭を停止させる。ブラゴの疑いに対する鋭い視線はともかく、その後の表情の変化のなさはガゼルの隙のなさをそのままに表している。ブラゴが二、三個の質問を追加で投げかけたところで、その表情に変化が起きるとは思えなかった。


「そうですか。何か分かったら報告しますから、王城でお休みください」

「ええ、分かりました」


 そう答えるなり、振り返ったガゼルの背中を見送りながら、ブラゴは考えていた。ガゼルが動いた理由を調べることで、犯人を見つけることに繋がるかもしれないが、その理由を知っている人物はガゼルしかいない。


 そう思ってから、エルの顔を思い浮かべるが、エルとガゼルの様子やその後のブラゴとの会話から、エルもガゼルのことが分かっていない可能性が高い。


 ブラゴはしばらく考えてから、近くの衛兵に声をかけていた。その場を立ち去ったガゼルを尾行するように命令する。その命令に衛兵は驚いていたが、ブラゴは気にすることがなかった。

 それほどの嫌な予感にブラゴは襲われていた。



   ☆   ★   ☆   ★



 鼻を押さえながら、ベルとイリスがマンホールを見上げていた。奇怪な虫を持っていたアスマは二人に怒られ、今は隅の方でしょんぼりしている。


 下水道を無事に移動することはできていたが、ここからが問題だった。地上に出るためにはマンホールから外の様子を窺わなければいけない。その瞬間を目撃されたら、すぐにベル達は怪しい人物として指名手配される。


「私が見てきますね」


 そう言ったイリスが代表して、マンホールを登っていく。ゆっくりと蓋を押し上げる姿にベルは祈っていた。

 周囲に衛兵がいるかどうかは賭けでしかない。方角や移動距離を考えると、人気の少ない場所のはずだが、だからこそ、衛兵がいる可能性も十分にある。


 イリスが蓋を押し上げて、周囲を見回している。その様子に何も声が聞こえてこないことを見ると、ベルの祈りが届いたのかもしれない。そう思っていると、イリスが笑顔で見てきた。


「大丈夫そうです。ここから、出ましょう」


 蓋を押し上げたイリスが外に出てから、ベルはアスマに声をかけ、自分もマンホールを登っていく。あまりに落ち込んだためにベルほどの身長になったように見えるアスマが、ベルに続いてマンホールを登ってくる。

 時刻的には昼時のはずだが、マンホールの外には衛兵どころか、人が誰もいなかった。あまりに都合のいい展開だが、そのことを怪しんでいる余裕はベル達にはない。


 外に出たベルとイリスは真っ先に自分達の臭いを確認していた。


「私、臭いですかね?」

「ダメだ。鼻が馬鹿になってて分からん」

「ねえ、やっぱり、持って帰ったらダメ?」

「ちょっとお前は黙ってろ」


 アスマを再び落ち込ませてから、ベルとイリスは臭いの確認を諦めていた。嗅覚が麻痺した二人では臭いの確認はできそうにないので、自分達から下水道の臭いがするかどうかも祈るしかない。

 それよりも、今はここからの行動を考えるべきだとベルは考えていた。


「さて、次はどうするか」

「空き家は多分もう無理ですよね?」

「恐らく、衛兵が見回っているだろうな。それ以外に落ちつける場所を探さなければいけない」

「殿下を連れていける落ちつける場所…?」


 そう呟きながら、ベルと一緒に考え込んでいたイリスが不意に声を出す。


「あ、そうだ。一つだけ思いつく場所がありますよ」

「本当か?」

「はい。あそこなら、多分大丈夫かと思います」


 自信満々に答えるイリスを信じることにして、ベルはアスマに目を向けていた。再度落ち込んだアスマはマンホールを覗き込もうとしている。


「おい、行くぞ。イリスが場所を思いついたらしい」

「え~、でも、虫が…」

「だから、虫のことは言うな」

「殿下。に行きますよ」


 落ち込むアスマにかけたイリスのその一言で、アスマはイリスがどこに行こうとしているのか分かったみたいだった。それまでの落ち込みようが嘘のように、アスマが元気になる。


「本当に!?行くの!?」

「はい」

「え?何だ?私だけ分かってないのか?」


 一人だけ置いていかれた寂しさからか、ベルの嗅覚が復活したのか、ほんのりと下水道の酷い臭いを感じながら、ベルは嬉しそうに笑うアスマを見ていた。

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