発想(1)

 アスマやイリスとの雑談に興じていたベルだが、ずっと雑談をしているわけにもいかない。そろそろ、食事を調達する時間かと思い、立ち上がって空き家を出ていく前に、アスマとイリスの方を向き、最後の確認をする。


「本当に何でもいいのか?」

「食べられる物でお願いします」

「あと嫌いな物はないよ」

「分かった。行ってくる」


 そう言ってベルが外に出ようとした直後、イリスが駆け寄ってきてベルの腕を掴んだ。


「ちょっと待ってください!!」

「どうした?」

「少し静かにしてみてください。声が聞こえませんか?」


 イリスにそう言われ、ベルが耳を傾けてみると、外から数人の話し声や足音が聞こえてくることに気づいた。それらの音はまだ遠かったが、人気の少ない路地とは思えないほどに騒がしいものだ。


「これは?」

「恐らく、衛兵の声です。もしかしたら、空き家の捜索を始めたのかもしれません」

「え!?それなら、見つかっちゃうじゃん!?」


 思わず声を荒げたアスマに向かって、ベルとイリスが慌てて静かにするように注意する。ベルの声が聞かれたり、ベル一人が見つかったりする程度なら問題ないが、アスマの声が聞かれると変わってくる。最低でもベルは誘拐事件に関与していることが疑われ、場合によっては目的を果たす前にベルの自由はなくなるかもしれない。


「ここから出るか」

「その方がいいかもしれませんが、どうやって逃げ出しますか?向かう場所も決めておかないと」

「それなら、私に考えがある」


 元々、空き家にベルが潜んでいることを人に知られる可能性は考えていた。それは衛兵による捜索というよりも、空き家を見に来る人間がいるかもしれないという考えからだが、どちらにしてもベルはあまり人に見つかりたくはない。そこで、この空き家を拠点とする前に空き家から逃走する手段を探していた。

 その手段が無事に見つかったからこそ、ベルはこの空き家を拠点としたのだ。


「私についてきてくれ」


 アスマとイリスにそう告げ、ベルは空き家から外に出る。衛兵はまだ姿こそ見えないが、音はすぐ近くで聞こえてくることから、隣の路地くらいには迫っているのだろう。


 それらがやってくる前に、ベルは近くのマンホールの上にやってきていた。


「え?まさかとは思いますが」

「ここだ。ここが一番、見つかりづらい」


 ベルの提案にイリスは表情を引き攣らせていた。マンホールを下りた先に広がっているのは下水道だ。そこがどのようになっているのかは入ったことがなくとも、話に聞いたことくらいはあるはずだ。イリスはその光景を想像し、おぞましく思っているに違いないとベルはすぐに分かった。


 しかし、イリス一人の意見を聞いている場合ではない。年頃のイリスには悪いが、ベル達が逃げられる場所はここしかない。


「私が先に降りて見てくる」


 ベルは率先して、マンホールから下水道に降りていく。踏み込んだ瞬間に鼻を突く臭いに襲われ、ベルは一瞬で気分が悪くなるが、その場所に衛兵は見当たらない。奇怪な虫や鼠は走っているが、人の足音が聞こえないのなら、そこは安全ということだ。


「大丈夫そうだ」


 ベルが見上げながら声をかけると、しばらくしてから、アスマが降ってきた。それに続いて、イリスも降りてくる。


「凄いね。肛門に顔を突っ込んだみたいな臭いだ」

「いや、その表現は分からん」

「私は肥溜めに埋もれた気分ですが」

「それは分かる」


 鼻を押さえたベルとイリスの隣で、アスマは楽しそうに下水道の中を見回していた。魔王は臭いにも強いのかと一瞬考え、多分魔王ではなくアスマが理由だな、と思い直す。


 問題は、ここからどうするか、ということだった。衛兵の気配がないことで、下水道を自由に歩き回ることはできそうだ。そのことで衛兵に見つかる危険性は、現時点では存在していない。

 ただし、危険がないからと言って、下水道の中で生活することは難しそうだった。それはベルとイリスが鼻を押さえていることからも明白だ。


「流石に、ここに隠れることは無理だな」

「想像したくもありません」

「取り敢えず、ここを移動して、別の場所に上がるか。他に見つからない場所を探さないと」

「そうですね。そうしましょう」


 鼻声のベルとイリスが相談していると、アスマが楽しそうに駆け寄ってきた。


「見て見て。捕まえた」


 そう言ったアスマの手の中では、奇怪な虫がアスマの手から逃れようと蠢いている。


「ヒィッ!?」

「やめろ!?こっちに来るな!?」


 ベルとイリスが恐怖に歪んだ表情をしながら、慌ててアスマから逃れるように走り出していた。


「ちょっと待ってよ!?」


 アスマが置いていかれないように、ベルとイリスに続いて走り始める。その手の中では、未だに奇怪な虫が蠢いており、ベルとイリスは更に悲鳴を上げるのだった。



   ☆   ★   ☆   ★



 ガゼルの部屋を後にしたシドラスは一人で考え込んでいた。ガゼルの部屋から竜の血を発見できなかっただけでなく、エルに妙な疑いを持たせてしまった。このままでは厄介なことになる可能性が非常に高い。

 何とか、ガゼルやエルに見つかる前に、ガゼルの部屋を再び捜索することはできないだろうかと考えるが、そう簡単に手段は思いつかない。


 それに問題はそれだけではなかった。一度の捜索で竜の血が発見できなかった以上は、竜の血が既に存在しない可能性も十分にある。所持していたが廃棄したのか、最初から所持していなかったのか判断は難しく、そうなった時にベルが嘘をついていると断言することもできない。

 ベルの身体を不死身にした人物がガゼルであると証明できないだけで、可能性は存在し続けているのなら、アスマは間違いなくベルに協力し続ける。そうなった時にシドラスはどうするべきか決めかねていた。


「シドラス君」


 不意に呼び止められ振り返ると、さっき別れたはずのエルが立っていた。未だにシドラスに対する疑いを瞳に宿している。


「どうされたのですか?」

「シドラス君に少し聞きたいことがあるんだ」


 シドラスはエルの一言に頭を働かせていた。エルが何を言い出すかは分からないが、場合によっては答え方を考えなければいけない。そう思いながら、エルの言葉を促すように小さくうなずく。


「アスマ殿下は見つかった?」

「いえ、まだ発見できませんが」


 既にアスマは発見したが、それはシドラス一人が知っていることであり、王城にいる他の人間はブラゴであったとしても知らないことだ。それを隠すために反射的に答えていたシドラスだったが、答えた直後に自らの失敗に気づいた。


 シドラスはアスマを発見していない。その状態でガゼルの部屋にいた。その二つの事実が並ぶと、その違和感は馬鹿でも気づくほどだ。


「君は何を調べているの?」


 エルの目にシドラスは答えられることがなかった。下手に答えると、エルに答えを明け渡す気がして、簡単な言葉すら言えなくなる。


「君はアスマ殿下を救出しようと思っているんだよね?」


 その確認にすら、シドラスは何も言えない。その様子にエルは明確な苛立ちを見せる。


「そうか…それも答えられないのか…分かった…もう分かったよ」


 エルの疑いの目は鋭さを増し、シドラスを睨みつけるものに変わっていた。その鋭い視線は普段のエルからは考えられないほどに攻撃的なものだ。あれほど他人を傷つけることを嫌っているエルが、それだけの視線を向けてくることに、シドラスは僅かばかりの罪悪感を覚える。


「君が何を調べているのか知らないし、君が答えないのなら、俺はもうこれ以上は聞かない。けど、仮に君が師匠の敵となるなら、俺は君の前に立ち塞がる。そのことを覚えておいて欲しい」


 エルからの明確な宣戦布告に、シドラスは表情を変えることもできなかった。動揺が、恐れが、そこから漏れ出しそうで、少しの変化も生み出せない。


「もう行くよ」


 そう言って振り返る瞬間のエルの表情に、シドラスは一瞬だが、怯えているような雰囲気を感じ取った。その表情にシドラスは、もしかしたら、と想像してみる。


 もしかしたら、エルは知っているのかもしれない。もしくは気づいているのかもしれない。そのどちらか分からない以上は、シドラスが追及することはできないが、場合によってはそれそのものが証拠の一つになるかもしれないとシドラスは思っていた。


 エルの後ろ姿を見送りながら、シドラスは竜の血のことを考える。少なくとも、エルが持っている可能性は存在しないはずなので、再びガゼルの部屋を調べる方法を考えながら、シドラスは廊下を歩き始めた。

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