発展(3)
ブラゴや衛兵の追跡により、王都の街中を駆け回ることになった外套の人物は、ブラゴや衛兵の理解を超える動きを以て、その追跡から逃れることに成功していた。街の一角にある空き家に入っていき、そこに先にいた人物から声をかけられる。
「大丈夫だったか?」
「うん。ちゃんと手紙は渡せたよ」
そう言いながら、アスマは外套を脱いだ。その様子をベルはどこかほっとした表情で眺めている。
「けど、大丈夫だったのかな?ガゼルの様子が少しおかしかったけど」
「様子がおかしかった…そうか。それなら、予定通りかもしれないな」
「これから、どうするつもりなの?」
アスマが床に敷かれた毛布の上に座る。
「ガゼルから接触してくるように仕向けた。これで逃げられることもなく、逢えるはずだ」
ベルは少し緊張した面持ちで呟いた。ガゼルから元の身体に戻れる方法を聞き出せればいいが、確実にその方法があると分かったわけではない。仮に方法はないと言われてしまえば、ベルは更なる絶望を味わうことになる。
そのことがアスマにも伝わってきて、アスマの表情も緊張したものに変わる。
ガゼルからの接触を待つなら、次はただ待つだけになる。アスマとベルはいつ動くか分からないガゼルが動く時まで、ただこの空き家で過ごすことになる。
「ここからが長そうだな」
小さくベルが呟いた。アスマはそこでようやく、ここから終わりが見えないことに気づいた。それまでの緊張は消え、いつまでこの家で過ごすのかと考え始めてしまう。
「どうした?少し後悔したか?」
「いや、そんなことないよ」
「そうか?ここから長いぞ?」
「…………」
「何か言えよ」
衛兵に追いかけられたり、緊張したり、不安になったり、いろいろと忙しかったアスマだが、ベルと談笑していると、ようやく気持ちが落ちついてきていた。何となく、ベルがいるなら大丈夫な気がしてくる。
「朝から動き回ったからな。何か食べられる物を買ってこよう」
ベルがそう言って立ち上がり、家から出ようとした。アスマは脱いだ外套を畳みながら、ベルにお礼を言おうとする。
そして、ベルが扉を開く直前、扉が独りでに開いた。そのことにベルとアスマは固まり、表情を強張らせる。
「こんなところに隠れていたのですか」
そう言いながら、扉を開けたのはシドラスだった。その後ろにはアスマを見て、今にも泣きそうな顔をしているイリスが立っている。
咄嗟にベルが近くのナイフを掴み、シドラスに飛びかかった。シドラスの不意を突いた行動だったことに間違いはないが、それでも、騎士であるシドラスにベルのナイフが届くはずもなく、軽々と受け止められる。
「待って!?ベル!?」
「待てるか!?場所が知られた!?今すぐ逃げないと!?」
「イリス」
シドラスの背後で剣を抜こうとしていたイリスを、シドラスが制していた。アスマはベルの手を掴み、その手からナイフを取り上げながら、一度落ちつくように言っている。
「大丈夫!!シドラスは話したら分かってくれるから!!」
「どうして、そう言えるんだ!?」
自分でそう聞いておきながら、すぐに理由が分かったのか、ベルはゆっくりと顔を逸らしていた。
「いや、そうだな…分かった…お前を信じよう…」
ベルの言葉にアスマは笑う。それから、未だ入口から入ってくる気配のないシドラスとイリスに目を向ける。
「どうして、ここが分かったの?」
「路地に現れた人物を追いかけてきましたから。あれは殿下ですよね?」
「分かった?」
「毎日見ていますからね。殿下の身のこなしは分かります。人を撒く時にどうするのかも」
「シドラスからは逃げられないか」
笑いながら呟くアスマに、シドラスは真剣な表情を向けていた。無事であることを知り、安堵した気持ちはあるだろうが、それ以上に解決しなければいけないことがあると思っているに違いない。それはアスマにも分かることだ。
「殿下はどうして誘拐されたフリを?」
アスマはシドラスの後ろで、同じように真剣な表情をしたイリスと目が合う。二人はアスマからの言葉を待っている。そのことは分かるが、そのことを説明するにはベルのことを話さないといけない。
そう思っていると、ベルに手を握られた。
「私は大丈夫だ」
ベルの一言にアスマはうなずき、シドラスとイリスにベルの説明を始める。
「この人はベル。こんな見た目だけど、二十二歳の小人だって」
「小人…なるほど…」
「それでベルには秘密があって、そのことで知りたいことがあるから、俺に協力して欲しいって言ってきたんだ」
「秘密とは?」
「ベルは不死身なんだ」
アスマは真剣にそう言ったのだが、シドラスとイリスは驚くのではなく、呆れた顔をしてアスマを見ていた。
「殿下。今は冗談を言っている時間ではありません」
「じょ、冗談じゃないよ!?」
「不死身など御伽噺でもあまり聞きませんよ」
「そう言われても…」
「見たら分かる」
アスマが困っていると、その隣でベルが呟いた。さっきアスマに取り上げられたナイフを手に取っている。その様子にシドラスとイリスは咄嗟に身構えていたが、そのことを気にする素振りもなく、ベルはナイフを自分の腕に突き刺した。
「なっ…!?」
そのことに驚くシドラスとイリスの視線の先では、ベルが痛みから表情を歪めている。その苦しそうな姿にアスマが心配して手を伸ばすと、ベルが制してくる。
「大丈夫だ…」
そう言う間にも、ベルの腕にできた傷は変化しようとしていた。血が止まるよりも先に傷が治る様子を見て、シドラスとイリスは次第に目を丸くしている。
「傷が…?」
「治ってる…?」
二人が揃って呟いた頃には、ベルの傷は完全に塞がっていた。
☆ ★ ☆ ★
ベルから身体のこと、それから、ガゼルとの関係を聞いたシドラスは考えるように顔を俯いたまま、しばらく顔を上げなかった。ようやく顔を上げたかと思うと、納得したように小さくうなずいている。
「なるほど。分かりました。それで殿下は元に戻る方法をガゼル様から聞くために協力をしている、というわけですね?」
「うん」
「いいのか?そんなにすぐ信じて?」
ベルは驚きから思わずそう聞いていたが、シドラスとイリスは揃って不思議そうな顔をしていた。ベルの言っていることが理解できないという顔だが、ベルの言葉は間違いなく通じている。
「まあ、実際に傷が治るところを見ましたし。それに魔術のことには詳しくないので、私では真偽が分かりません。分からないということは否定する理由にはならないので、私は殿下が信じたように信じるだけです」
「先輩と同じです」
シドラスとイリスの反応に、ベルは驚きと一緒に温かい気持ちが胸の中に広がるのを感じていた。あの王子に付き従うのだから、二人は相当な変わり者だと思うが、そうだとしても無闇に疑わずに信じてくれたことはありがたかった。
「けど、それで分かりますかね?ガゼル様が素直に教えてくれますか?」
不意にイリスが呟いたことはベルも不安に思っていたことだった。つい、その不安さを表情に出してしまう。
「イリス」
そのことに気づいたのか、シドラスが咎めるようにイリスを叱っていた。少ししょんぼりとしてしまうイリスに、ベルは申し訳なさを覚えて、大丈夫だと示すように笑みを浮かべる。
「確かにそれは私も考えていたことだ。私が逢って聞いても、うまく躱されるだけに終わるかもしれない。それでも、私にはこれ以外思いつかなかったんだ。私にできることなど限られているからな」
「仮にベルさんの身体をガゼル様が不死身にしたという証拠があれば、我々も動くことができます。その場合はガゼル様から、元の身体に戻す方法を聞き出すこともできるかもしれません」
「証拠?」
シドラスの思いつきから、ベルは考えてみるが、自分の身体をガゼルが変えた証拠など、ベルの中にしかない。ベルが覚えていることが全てで、物として提示できるものはない。
そう思った直後、ベルの記憶に証拠となり得る情報があることに気づいた。
「一つだけ証拠になる可能性があることを思い出した」
「それは?」
「私の身体を不死身にした方法だが、ガゼルは私の体内に何かを入れていた。ガゼルの言葉が正しいのなら、それは竜の血らしい」
「竜の血…?」
「仮にガゼルが未だに竜の血を所有しているなら、その血と同じ成分が私の血に含まれているはずだ。それが証拠になる…と思う」
ベルの中でこれは一つの大きな可能性として残っていた。問題点はいくつかあるが、最も大きな問題であるガゼルが今も竜の血を所有しているかどうかさえクリアできれば、後の問題は些末なものになる。
「いえ、それではベルさんの血に竜の血が混じっている証拠にしかなりません。それをガゼル様がやったとベルさんの証言だけで信用することはできません」
「いや、大丈夫だ。調べてもらえれば、確実に証拠になる」
最大の問題を解決でき、ベルの期待通りの答えが出た時、シドラス達は信じるしかなくなるはずだとベルは分かっていた。その覚悟が決まった目を見たためか、シドラスは理由を追及することなく、小さくうなずいてくれる。
「分かりました。私がガゼル様を調べてきます。ベルさんの血液を少しお渡しいただけますか?」
「ああ、大丈夫だ。いくらでもやろう」
「いや、そんなにはいらないです」
ベルが用意した小瓶一杯に血を入れている間に、シドラスはイリスと話し合っているようだった。どうやら、アスマの護衛をイリスに頼んでいるらしい。
「私も一緒に探しますよ?他の人にも怪しまれるかもしれないですし」
「そのことなら、私が誤魔化しておく。殿下の護衛はイリスにしか頼めないんだ」
イリスは迷っているようだったが、シドラスにそう言われたことで覚悟が決まったのか、真剣な表情でうなずいていた。
「分かりました。お任せください」
「ねえ、シドラス」
アスマがシドラスやイリスの隣で少し不安そうな顔をしていた。
「気をつけてね」
「大丈夫ですよ。行くのは王城ですから」
「だよね…よろしくね」
アスマは笑顔を浮かべているが、そこには隠し切れない不安が乗っている。そのことにシドラスは当たり前のように気づいていたようで、アスマを落ちつかせるように笑みを浮かべていた。
ベルが自分の血で一杯になった小瓶をシドラスに渡す。シドラスは小瓶を持って、空き家を出ていくが、その後ろ姿を見送るアスマはいつまでも不安そうなままだった。
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