発展(4)

 ブラゴや数人の衛兵と一緒にガゼルが戻ってきたことを、エルはその騒がしさから知った。まだ距離はあったが、ガゼルの姿を見た瞬間に、エルの胸の中を安堵感が広がっていく。そのことに即座に気づいたエルは、それが表情に出ないように、必死に取り繕うことにした。ガゼルが無事に帰ってきたと喜べば、誰に揶揄われるか分かったものではない。


「師匠」


 エルがガゼルに近づき、安堵や喜びを表情や声音に出ないように気をつけながら、そう声をかけたのだが、エルの思いとは違い、ガゼルからの返答はなかった。それどころか、エルに気づいていない素振りを見せてきたので、エルは何度も声をかけることにする。


 それでも、あまりにガゼルが気づかないので、ついに痺れを切らしたエルがガゼルの肩を掴んでいた。その瞬間、ガゼルの表情が強張り、宙を泳ぐ。それはエルも見たことのないガゼルの表情だった。


「ああ、エルか」


 肩を掴んだのがエルだと気づいた直後にガゼルの表情は和らぎ、ようやくその言葉を発していたが、その最中も表情にはさっき見せた強張りが残っているように思えた。


「何かあった?」

「いや、何もない」


 エルの質問に答えながらも、ガゼルはエルから視線を逸らしてしまう。普段のガゼルには見られないその動きに、エルの中で小さな不安が芽生える。


「殿下は?」

「見つかっていない」

「犯人の方は?」

「それも何もなかった」


 ガゼルはその言葉を最後にして、これ以上エルと会話をする気がないように、王城の中を歩き出してしまった。その雰囲気にエルを排斥するような意思を感じ、エルはその背中に声をかけることができなくなる。


 本当に何もなかったのかと疑問に思いながらも、本人に聞くことができない以上、エルは他の誰かに訊ねることしかできない。シドラスかイリスに何があったのか聞こうと思い、エルは帰ってきた衛兵の中を見回してみる。

 しかし、そこにシドラスやイリスの姿はなかった。衛兵の数自体が減っているので、アスマを救出するために別の動きが既に行われているのかもしれないとエルは思う。


 それよりも、問題は二人がいないと聞く相手が限られるということだった。その辺の衛兵に聞いても良かったが、それらの衛兵が確実に全体を把握できているかは分からない。命令を待っていたら、その命令の方に集中してしまい、ガゼルのことを見ていなかった可能性は十分にある。


 そうなると、残された選択肢は一つしかなく、その人物の顔を見る。その直後、エルの表情は歪んでいた。事態が事態だとしても、その人物に聞くこと以上の苦痛をエルはほとんど知らない。

 ただ、そのほとんど知らない苦痛の一つが迫っているかもしれないので、背に腹は代えられないとエルはその人物に声をかけることを決心する。


「おい、悪魔」


 ほとんど喧嘩を売るような言葉の投げかけに、ブラゴは表情一つ変えることなく、エルの方を向いていた。


「どうだったんだよ?」

「犯人らしき人物は姿を見せたが逃げられてしまった。今は衛兵が捜索中だ」

「師匠は何かされてなかったのか?」

「ガゼル様?ガゼル様なら、犯人の手が迫る前に御守りしたので、何も起きなかったはずだが?」


 そう言ってから、ブラゴは思い出したようにはっとした顔をしていた。


「そういえば、ガゼル様は何かを手渡されていた」

「何か?」

「王城に送られてきた手紙のようなものに見えたが、ガゼル様曰く字が読めなかったらしい。異国の文字ではないかと仰っていた」

「異国の文字?」


 エルはそこに違和感を覚えた。それはブラゴも同じはずだが、ブラゴは言及するつもりがないのか、エルの表情が曇っても何も言ってこない。


 ブラゴが衛兵に呼ばれたことで、強制的に会話を終えることになったエルは、ブラゴに対する嫌悪感も忘れ、ブラゴから聞き出した話を考えていた。

 ガゼルは異国の文字と言っていたらしいが、その前の手紙は二通とも共通語で書かれていた。言語の通じない遠方の国の文字がそこで唐突に現れる理由が分からない。


 可能性があるとしたら、その文字を使うこと自体がメッセージになっているか、もしくはガゼルが何かしらの嘘をついているか、だ。前者ならその文字がどの国の文字か調べないと、メッセージを読み解くことができないが、それ以上に問題なのは後者の場合だ。


 仮にガゼルが嘘をついているとしたら、ガゼルにはアスマの誘拐よりも優先して隠したいことがあるということになる。それだけのことを簡単に聞き出せるとは思えない上に、エルとガゼルの長い付き合いの中で、そのようなことは見たことも、聞いたこともない。

 少なくとも、エルの知っているガゼルなら、アスマの誘拐より優先する隠しごとはないはずだ。


 つまり、この場合はエルの知らないガゼルがいるということになる。そのことを思うと、エルは胸に穴が開いたような寂しさに襲われることになった。その胸の穴の奥から、不安の芽が伸びてくる。


 今からガゼルのところに行って、そのような隠しごとがあるのか聞き出さなければいけない。エルはそう思ったが、その直後にさっきのガゼルの姿を思い出し、エルの動き出そうとした足は止まっていた。


 エルの胸の中で育つ不安と、ガゼルから話を聞き出す恐怖に挟まれ、エルは一歩も動くことができなかった。そろそろ、昼餉の時刻が迫ろうとしている頃だった。



   ☆   ★   ☆   ★



 ガゼルはポケットから手紙を取り出し、文面に目を落とした。路地で逢うことになった人物が誰かは分からなかったが、そこに書かれた短い一文には思い当たる節があった。


『リリパットでのことを覚えているか?』


 エアリエル王国の南部に位置する小人の村、リリパット。そこにガゼルが行ったのは、たった一度だけだった。必然的にこの質問が聞いているリリパットでのこともすぐに思い出される。


 ガゼルは手紙を渡してきた人物のことを考えていた。あの人物が誰かは分からないが、少なくとも、リリパットに住む小人ではないはずだ。体躯が明らかに小人の特徴と違っていた。


 小人でもない人物が何故リリパットでのことを知っているかは分からないが、知られてしまっているのなら、そのままにしておくことはできない。そのことが他に漏れる前に、ガゼルは手を打たなければいけない。


するか…)


 最も簡単な方法を思い浮かべながら、ガゼルは考えていた。それが最善とは思えないが、他の手段を行うには覚悟が圧倒的に足りていない。覚悟の足りていない状況でできることなど限られており、ガゼルには口封じ以外の手段が思いつかなかった。


 手紙を握り潰しながら、ガゼルは再びポケットに押し込む。そこから、一度自室に戻り、そこでガゼルは外出するための準備を始める。

 殺傷目的で用いられる魔術は少ないながらも用意することはできた。もちろん、魔術を用いたことが知られ、すぐにガゼルを特定されては意味がないので、その証拠が残りにくいものを選んでいく。その過程で見つけた使えそうなものも寄せ集めながら、ガゼルは着実に準備を終えようとしていた。


 問題は準備を終えようとしている頃に気づいた。今は公表こそされていないが、アスマが誘拐された非常事態であり、王都の街中は衛兵で騒がしくなっている。その状況下で、ガゼルが見つかることなく、手紙を渡してきた人物を殺害できるのか、そもそも、衛兵が見つけられない人物をガゼルが見つけることができるのか。ガゼルはそのことに一瞬、悩んだ。


 しかし、その悩みもすぐに解消された。それが手紙だ。あの手紙を渡してきたということは、相手はガゼルからの接触を待っているということだ。犯人を見つけることは可能であり、見つけられるのなら、後はただ殺してしまえばいい。殺害できるのかという問題も、その人物がアスマ誘拐の犯人なら、ガゼルが殺害してしまっても、衛兵を誤魔化す理由くらいは作れる。


 問題はない。ガゼルはそう思い、荷物を持って部屋を出る。その直後、一瞬エルの顔を思い出したが、ガゼルはすぐに頭の中から振り払い、廊下を歩き出していた。

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